第四十七章 混沌の中で響く声

 電子構造体の上で、ブラフマンは手にした直剣を弄んでいた。


 そこに突き刺さっているのは、手足の無くなった電子甲冑―――だったものだ。下半身は胸の辺りから斬り捨てられ、両の肩から腕は斬り飛ばされ、顎下から剣先を突きこまれていた。


 リアルでは既に死体となっていてもおかしくない状況ではあるが、ここは電脳界ネット。電気信号の認識を管理A.Iシスを通じて弄ることができるのならば、意図的に脳死ラインアウトを延期させられる。


 つまり。


「あっ………あっ………あっ………」


 そんな状況でも、その電子甲冑の主は未だに生きていた。


 ブラフマンは宣言通り、最後に殺すと言った女性警備員以外をまずは皆殺しにした。その戦いは最早戦いの様相を呈しておらず、虐殺、あるいは鏖殺と言ったほうが良いぐらいであった。その後で丁寧に丁寧に、その女性警備員を追い詰め、武装を壊し、手足を潰し、上半身と下半身を泣き別れさせた。その上で、文字通り致死量の激痛を味あわせている。


 それでもA.Iシスによる認識制御の影響で、肉体へのフィードバックが遅れており、それ故に意識を失うこと無く致命傷の痛みを味わい続けていた。


 最初は絶叫。


 次には懇願。


 諦めの哀願。


 そして虚無。


 ブラフマンはその変化の様子を楽しそうに眺めていた。


 端的に評して、真性のサディストだ。


「んー。ロクに反応示さなくなっちまったな。まぁ、いっか。じゃぁなネェちゃん。いい暇つぶしにはなったぜ」

「―――ぁっ………!」


 乗っ取った管理A.Iシスに命じて認識制御を破棄してやると、遅れていた激痛の電気信号が全て肉体へと一度にフィードバックされた。その女性警備員は閾値を軽く飛び越えるような痛みを一瞬の内に脳内に叩き込まれて、そのまま脳死ラインアウトした。客観的な死因はショック死だ。


 痙攣した後で動かなくなった電子甲冑を、直剣を振り払うようにして投げ捨てると、ブラフマンは管理A.Iに命じて統境圏の圏域制御ソフトを呼び出した。


「さぁて、そろそろ良い時間だ。―――じゃぁ、やるとするかぁ」


 彼がJUDASから受けた依頼は、統境圏のアナムネーシスの乗っ取りとある程度の保守。それから―――。


「ひっひっひ。皇竜がダース単位で現れてぇ、割りと絶望的な状況下でぇ、圏障壁剥がしたらどうなるのっと」


 あるタイミングでの、圏障壁の解除。


「答えはぁ―――大・虐・殺っ!」


 12体の皇竜に囲まれているこの状況で、統境圏を護るべき壁が、全て解除された。




 ●




 霊素粒子を用いた装備の中に、霊素障壁発生装置と呼ばれる機材がある。


 特定波長に霊素粒子を整え、消却者の体を形成する霊素粒子とは逆位相の霊素粒子を生成することで壁として機能させ、その侵攻を阻むというもの。


 黎明期は出力強度の関係で、皇竜は勿論、カテゴリA分類の消却者にすら時折破られていた。だが、現在では出力の安定化、管理A.Iによる効率化、それに伴う効力範囲拡大と大きく進歩して幼竜期の皇竜の竜砲ブレスならば防げる。


 これを最大限に拡大、巨大化したのが現在圏域を覆っている圏障壁である。これらの制御は東京圏のインフラ制御を司るアナムネーシス、そしてそれを管理するA.Iであるシスが一手に引き受けている。


 つまり、現状、それを乗っ取られている以上―――統境圏に住まう民間人達の生殺与奪権はブラフマンに握られていることになる。


 そして今、これまでおおよその驚異を防ぎ、安全と安心に帰依してきたその障壁が―――崩れた。


 オーロラのように揺らいでいた圏境線が、まるで幻だったかのようにふっと消えた。


「障壁が………解除されてる!?」


 それにいち早く気づいたのは最前線、つまり圏境線を超えて戦っている兵士達ではなく、圏境線の内側、その付近で暮らしていた者達であった。


 圏境線にほど近いということは、それだけ土地価が安いために広大な面積を買い取ることが出来、そこを農地として運用している者達が大半だ。無論、彼等も土地の安い理由と危険性を承知しているので独自に対策や対応を考えていた。


 黎明期は周辺基地からの警戒警報だけだったそれも、避難区域を作り、それを霊素障壁で囲い、そしてその地下にシェルターまで作った。夜中の11時ではあったが、準非常戦闘態勢の段階で避難を開始するルールに従い、今も実際にシェルターには多くの避難民が収容された。


 些か大仰かもしれない。だが、対消却者戦に於いてはやってやり過ぎということは無い。それはほぼ半世紀を戦い続けた人類がよく分かっている。


 事実、外に備え付けられた監視カメラ映像がシェルター内部のディスプレイ流れ、その中でソレを見つけた時には悲鳴と恐怖の声が上がったのだ。


 一言で説明するならば、竜と言う単語が最も理解しやすい。


 体長、およそ100m。翼を含めた全幅は200mにも及び、全身を龍鱗で覆われたそのトカゲが如き体躯は、おとぎ話で語られる竜そのものだった。


 あり得ない存在だ。空想の中でしか存在できず、その最たる理由はその巨体から計算される自重が物理的に支えきれないからだ。そう、この世界の絶対的なルールの上では、この竜は存在そのものが許されない。生まれた瞬間に自重で死んでしまうぐらいだ。


 だが、この竜は―――皇竜と呼ばれるカテゴリExの消却者は、全身の殆どを霊素粒子で構成しているために、この世界のルールは適応されない。


 そして、カテゴリEx―――即ち、最上位の消却者に数えられているのはその驚異とそれに付随する被害が他の消却者の比ではないからだ。


「おい、まさか………!?」


 映像の先、竜が四つん這いになってガパリと顎門を開くと、その動作に避難民の一人が反応した。


 かつて適合者として徴兵され、満期を迎えて民間企業へと就職したその男は、一度だけ皇竜との遭遇経験があった。『鶴巻戦線』で、成長期の皇竜が出現し、その対応をした部隊に所属していたのだ。とは言っても直接的に討伐したのは武神と拳聖で、自分達の攻撃がどれほどダメージを与えていたかは分からない。だが、その戦闘の中で、皇竜の攻撃パターン、そのモーションを間近に見て覚えた。


 四肢をアンカーのように大地に打ち込み、口を開くその動作。皇竜が皇竜たる所以。厄災を齎す光の砲撃。


 即ち―――。


「か、隠れろ!竜砲ブレスが来るぞ!」

「隠れるって、何処に!?」


 男が注意を促し、皆が叫ぶ。


 そう、ここは地下のシェルター。地上より40mも下。逃げ場など無い。後出来るのは、竜砲が届かぬことを願うだけ。


「あ………」


 竜の口に光が収束し、放たれる。監視カメラを破壊したのか、ディスプレイには一瞬だけ砂嵐が走り―――光の砲撃は地下のシェルターにさえ到達し、避難民を一人残らず焼却した。




 ●




 鼓動のような明滅が、その部屋にあった。


 緑の光の発生源は、部屋の中央に鎮座するシリンダーだ。円柱状のそれは、ゆっくりと、しかし確かな明滅を刻み、まるで生きているかのようだった


 その様子を眺めていたシュガールの背後から声が掛かった。


「さて。首尾よく動き始めたな」

「ああ、そっちの方は良いのか?」


 メティオンの言葉に頷き、進捗を聞けば、上機嫌な声音が返ってきた。


「うむ。今、急ピッチで心臓の換装を行っている。明け方には全て終わる。そうしたら、統境の東側から上陸して、ダイダロスの評価試験だ。その頃には長嶋武雄も疲弊しきっているだろう。主力もここ二週間程圏外に誘導してあるし、その先にも皇竜は仕込んだ。時間は充分にあるから、試験には持って来いだろう」


 JUDAS―――いや、二人の作戦目標は大きく分けて二つ。


 一つは、数年後に控えた計画の主戦力を選定する評価試験。


 一つは、因子の巫女を触媒にした、天使降臨計画。


 評価試験の管理責任者はメティオンで、彼の主導で人工皇竜、ダイダロス、ハルピュイアと3つの次期戦力の実地試験を行う。そのアグレッサー仮想敵に選ばれたのが統境圏だ。


 そして天使降臨計画。これは実はJUDASにとっても初の試みとなる。


 クレイドルと呼ばれる孵化器を用いた―――宗教色を強めて名付けられたのは、降臨の儀。因子の巫女の特性を最大限に引き出すことによって、この世界に『始まりの八王』の縁者―――あるいは、本人自身をする。


 その後の扱いはシュガールに一任されている。自身の戦闘欲を満たすも良し、因子を喰らって高みに登るも良し、呼び出すだけ呼び出して逃げても良しだ。


 この日の為に、幾つもの情報収集と策謀を重ねてきた。


 まずはある程度の統境圏主力の排除だ。と言っても直接攻撃で排除できるほど、国軍も圏軍も脆弱ではない。特に適合者の大凡があの武神・長島武雄が運営する鐘渡教練校出身だ。層は厚く、そして実戦経験も豊富。まず間違いなく一筋縄では行かないだろう。


 となると主力が留守にしている最中を狙うのがベストだ。しかし、そうそうそんな都合のいいタイミングなど訪れない。なら、そのタイミングを作ってしまえば良い。


 話が少し逸れるが、各都市圏は対消却者戦に関して戦力の融通をしている。即ち、他圏が賑やかになればその分だけ統境圏の戦力が手薄になるのだ。無論、逆も然り。


 故に、少しずつ少しずつ他圏に消却者を呼び込んで、徐々に統境圏の戦力を削っていった。それに加えて、皇竜を出現させるために、統境圏近郊にも消却者を呼び込んだ。皇竜に関しては戦力評価も兼ねているが、何よりも長嶋武雄の抑えだ。本作戦に於ける唯一の懸念要素はあの救世主の存在だった。


 20分しか全力戦闘が出来ないとは言え、その戦闘能力は『歩く天災ウォーキング・ディザスター』級―――ともすれば、それを遥かに凌ぐと評価されている。そんな特記戦力が不規則に現れては予定が立てられない。だからこそ、初手で使い切らせる必要があるのだ。主力不在の状況で、皇竜が12体も出現すれば、彼は要請がなくても確実に動くことだろう。そうしなければ、間違いなく統境圏は半分以上は皇竜だけで蹂躙される。


 結果、目論見通り統境圏の戦力は軒並み低下、そして12体の皇竜が出現した。鐘渡教練校に潜ませている信者の情報によると、やはり長嶋武雄は出陣していったようだ。


 そしてこの混乱は長く続く。何しろ、統境圏を取り囲む障壁を取り払ったのだ。『ブラフマン』という部外者を使うことにはなったが、その使用感によっては今後も付き合うこともあるだろう。そういった意味でも良い試金石となった。


 今や統境圏を管理していたA.Iは『ブラフマン』の手に落ち、圏域もさることながらあらゆるインフラが彼の玩具だ。アレの気分次第であらゆる公共、公益設備がぐちゃぐちゃになる。平時ならば大混乱で済んでいただろうが、この非常時にそれが起こればパニックどころではないだろう。


 現状、全て予定通りに推移している。


「それより、天使の繭は輸送したらどうだ?ここはそう簡単には落ちないが、万が一という可能性はあるぞ」

「色々考えたが―――多分、これが一番んだよ」


 メティオンの忠告に、シュガールは振り向きもせず答えた。


「それは予言か?」

「いや、勘だ」

「ふん………まぁ、いい。天使をどうするかはお前に委ねられているからな」


 あまり面白い回答ではなかったのだろう、興が削がれたのかメティオンは肩を竦めて去っていった。


(さぁ、来いよ守護者。お前達の娘はここにいるぞ。取り戻したきゃ………)


 メティオンを見送ることもせず、シュガールはシリンダー―――いや、クレイドルを眺める。エリカに繋がれたそれとは違う形状をしているが、こちらの方が正式版だ。彼女の場合は単純に因子を強制覚醒させて異能を強制的に引き出すだけなのであちこち簡略化されていたのだ。


(―――俺を、殺してみろ)


 そして獣のような獰猛な笑みの先―――クレイドルの中に、久遠が意識もなく繋がれていた。




 ●




 愛川基地の作戦室にて、悲鳴にも似た怒号と指示が飛び交っていた。


「秦野基地陥落!南方の防衛ライン、伊勢原基地まで下がります!」

「第一次防衛ライン撤退完了!消却者イレイザーの一部、第二次防衛ラインまで侵入!勢いが止まりません!」

「皇竜は一時無視し、特務部隊にカテゴリAの消却者を迎撃させろ!手の空いている者は非戦闘員の避難誘導を最優先!何でもいい!武器を与えて自衛もさせるんだ!!」

「民間人にまでですか!?ですがまだ緊急事態宣言はまだですし、今の時期に越権行為は………!」

「言ってる場合か!現場判断だ!責任は私が取る!今を生き残らなきゃ軍法会議もできんぞっ!!」

「りょ、了解!」


 矢継ぎ早に指示を出し、愛川基地司令である遠藤は途轍も無い速度で変わりゆく戦況に歯噛みした。


 皇竜が多数出現し、障壁が消失―――それだけでも十分に脅威であるというのに、事ここに至って消却者達が爆発的に増殖している。一体何が呼び水となったのかは科学者でもない遠藤には不明だが、この状況が絶望的なのは理解できる。


 圏軍、国軍の主力不在。援軍として呼び戻そうにも出張先の都市圏にも皇竜が出現したとなればそうも言っていられない。仮に即時対応で戻ってくるにしても、十数時間は見なければならない。直線的な移動距離だけならば数時間で済む距離も、道中に発生した消却者達を迎撃しながらとなると、到着時間はそれだけ遅れることになる。半世紀前と違って、都市圏から都市圏への移動も命がけなのだ。


 そして何よりも皇竜による竜砲ブレスが痛かった。


 直線距離で3km。幅はおよそ100m。上空、そして地下50mまでに到達した光の砲撃は、その効力範囲だけにのみならず余波でその倍近い範囲に被害を齎した。密集住宅地にまで飛び火し、おそらく死者行方不明者は最低でも四桁に登るはずだ。


 犠牲者もそうだが、あの光の砲撃―――その威力と情景は何よりも心に来る。戦う力を持たない民間人は当然、戦場に身を置く兵士達の恐怖心でさえ煽ってしまう。当然と言えば当然だ。あんな化け物―――否、大怪獣を相手に、生身の人間でどうにかなるはずがない。一部の極まった適合者であれば単騎で相手にできるし、その実績もある。だが、一般的な兵士はアレを相手に飛空戦艦を持ち出さねばならないと判断する。


 遠藤としても同じ判断を下し、だからこそ今は皇竜を捨て置く指示を出した。唯一の救いか、あの竜砲は連発できないのだ。それよりも、結果的に浸透戦術を行使する他の消却者達の対応をしなければならない。非常用トーチカを起動して、一時的に壁として機能させているがモニターのマーカーをみる限り、それも長くは続かない。


 今、皇竜は不気味に沈黙したままだ。だがいつ再始動するかは不明であるし、その時に向けて今の内に非戦闘員の避難をしておきたい。可能であれば、避難民の中にいるであろう退役軍人や予備役の人員に武器を与えて即興戦力として数えたいのだ。


「議会の判断はまだか!?」

「現在対応中とのこと!」

「ちっ、これだから現場に出ない役人は!もう障壁が消失しているんだぞ!?既にどれだけ民間人に被害が出ていると思っている!?」


 そう、障壁だ。これの消失がとかく痛い。


 現在の対消却者戦術は、この障壁に依存している部分が大きい。特に漸減ぜんげん戦を主にする圏軍は、後方に下がればどうにかなる状況だからこそ、その性能を十全に発揮できる。補給ができる、退避ができる、援軍も来る―――そうした十分な支援を受けられるからこそ士気を保ったまま事に当たれるのだ。安全地帯があるからこそ成り立っていた戦術が、一切使えなくなる。戦術の根底を支えていた障壁が消失したことで、現場も、そして司令官である遠藤も浮足立っていた。


 だが、彼等とて新兵ニュービーではない。


 安全性のある戦術のお陰で、治安維持は楽にはなったが―――だからといって消却者が弱体化したわけではないのだ。一旦圏域外に出れば常に死の危険性は付き纏うし、実際に戦死者は出ている。言うならば、彼等は最前線で暮らしているのだ。


 だからこそ、遠藤は気持ちを切り替えて、今打てる最善の手を尽くす。


「―――構わん!上がれる機体は全て上がれ!起動できる強化外骨格も全て使え!特務部隊の援護に回り、まずはカテゴリA以下の消却者の掃討に注力しろ!皇竜は後回しだ!どの道主力を欠いた現状戦力ではまともに相手ができん!」

「了解!生き残ったら処分への嘆願書は基地全体で書かせてもらいますよ!」

「頼んだぞ!もうそろそろ引退してもいい歳だがな、まだ後任が育ちきってないから辞めるに辞めれんのだ!!」


 オペレーター達に指示を出し、基地内に鳴り響く全兵器使用許可のサイレンを聞きながら、遠藤は耳に引っ掛けたIHSを操作して通信を繋ぐ。その先は、本庄基地の司令官を務めている同期だ。網膜投影に『石田』としばらく呼び出し画面が流れた後、馴染みの顔が映った。


「遠藤だ。―――そっちの塩梅は?」

『データリンク通り最悪だ。その上、旧神流町に出現した皇竜が北上中………30分後には会敵する』

「こっちは旧山北町に複数現れた内の一体と既に交戦中だ。全く、何度見ても勝てる気がしないよ、あの大怪獣」

『昔あった特撮映画の中で静かにしとれば良いものを。―――議会の連中は何をやっとる。通達はあったか?』

「何も。井戸端会議でもしてるんだろうよ。あの盆暗ジジイ共」

『クーデター起こしたくなるな、全く』

「滅多なこと言うなよ。―――そっちの方が建設的に思えてくる」


 挨拶代わりに石田と軽口を叩き合いながら、遠藤は尋ねた。


「圏全体で、何人死んだと思う?」

『第一波で、戦闘員非戦闘員問わず2万人、と言ったところだな』

「そうか。まだ、増えるな………」


 まだ少ない、と言うのが遠藤と石田の共通見解だった。


 前提として対消却者A.E戦は生存競争―――言うならば、互いに殲滅戦が基本なのだ。話し合いなど出来ず、分かり合うことなど無く、人類側にとってはただただ殺すか喰われるかの二択になる。故にこそ、殲滅させないことには終わることはない。


 そして戦端は開かれたばかり―――更に、障壁が再起動する様子もない。となれば、残っているのは消耗戦だ。統境圏に暮らす人類が全滅するか、それまでにどうにか状況を立て直して消却者を逆撃するか。


「こっちは既に越権命令を出した。もう予備役も戦力として数える。去年の事件があるが、致し方あるまい」

『こっちもだ。他の基地の連中も続いているようだ。障壁が消えるなどという非常事態を前に、呑気に上からの命令など待っていたら職業軍人どころか民間人もまとめて皆殺しにされるぞ』

「ああ。正直、この歳になって跳ねっ返りのような軍規違反をするハメになるとはな―――っと、通信だ。………!?」


 何だか若返った気分だよ、と二人が苦笑していると、唐突に割り込み通信が入った。上級将官向けのチャンネルに秘匿通信。しかし、そのコールサインに絶句しながら遠藤は石田と通信を繋げたままでその呼出に応じた。


『やぁ、元気にやってるかい?』


 網膜投影に映ったのは、総白髪のオールバックの老人。まるで馴染みの店に顔を出したかのような気楽さで声を掛けられ、しかしそれとは正反対に遠藤は背筋を伸ばし敬礼をした。


「―――はっ!どうにか無事に戦っております!長嶋中将閣下!!」


 バリバリとうるさいヘリの背景音に混じって、老人の―――長嶋武雄の苦笑が聞こえた。


『元、を付けてよ。今の私は単なる教練校の理事長なんだから』

「はっ。元閣下。して、ここで通信してきたということは………」


 何しろ呼び出しの名前、そのコールサインがブレイズ1―――かつて、現役で戦場を駆け回っていた長嶋のコールサインだ。何でも『武神』と渾名される前のものらしく、未だに好んで使っているらしい。個人的な通信ではなく、それをわざわざ持ち出して使う以上、彼が何をしようとしているのかは想像がつく。


『主力不在の現状戦力じゃ12体も皇竜を相手にしてられないでしょ?だから、私が出るよ。既に議会には連絡した。―――承認はもらってないけど』

「それは………ありがたいのですが………よろしいので?」

『悪いけど、そんなに期待しないで。多分、半分ぐらいを殺ったところでタイムリミットだ。それ以上は、流石に無理だよ。私もまだ、死ぬ訳にはいかないからね』

「いえ、半分でも大分助かります」


 僥倖とも言える。


 対皇竜に限って言えば、飛空戦艦の艦隊を引っ張ってくるか、クラス上位の適合者のみで構成される特殊部隊を幾つか持ってくるか―――さもなければ、長嶋武雄のような英雄級の適合者が必要だ。


 だが、艦隊は―――おそらく統境議会の承認待ちの為―――動けず、特殊部隊は他の主力に混じって他の都市圏へ出張中。とならば、即座に動ける長嶋武雄は現状に最も適した戦力だ。


 あんな化け物を相手に怯むどころか6体は狩ると言い切る老人に、もしも何も知らなければ鼻で笑うところだ。だが、遠藤は勿論、この世界に生きる人類の大凡は彼が何と呼ばれているか知っている。


 武神―――そして、『皇竜殺しドラゴンスレイヤー』。


 世界で最初に皇竜を討伐した猛者。その後も世界中を転戦して順調にスコアを伸ばし、公式戦闘記録では85体の皇竜を討伐したことになっている―――皇竜が一体で小国を滅ぼせる程の驚異度を考えれば、文字通りの救世主。


 先程から長嶋の声に混じって聞こえるうるさい音は、彼の足になって戦場へ運んでいるヘリのものだろう。


『この騒ぎ、まだ何かあるよ。多分、私という鬼札ジョーカーを早々に切らせるためのものだ』

「余力は残しておいた方がいいと?」

『可能ならね。勘だけど、総力戦になると思う』

「何をやっておるんだ、文官共は………!」


 どう考えてもウダウダと判断を先延ばしにできる状況ではない。即座に横浜に停泊している艦隊を動かし、少なくとも対皇竜に充てなければ被害は拡大するばかりだ。そして少しでも浮いた人員を、浸透して来た消却者への対抗戦力に回さなければ、もっと人口が多い内地にまで侵攻される。そうなれば、今の比ではない被害が出ることだろう。


『西泉議員が積極的に動いてくれてる。その内艦隊支援もあると思う。今は我慢だよ』

「西泉議員ですか。政治屋共の中でも、まだ話せる御仁でしたな」

『政治家としてはまだ若いし野心家だが、その分危機管理能力がずば抜けている。事後承諾という形でも、彼に連絡してけば下手に突っつかれないと思うよ。私の名前を出しても良い。それで通じるはずだから』

「よろしいのですか?」

『この緊急事態に横紙破りしてでも正しく即応している現場の君達を、政治屋共のつまらん理由で失ってなるものかよ。君達はこの統境に、そして日本にまだまだ必要な人材だ』

「有難うございます、元閣下」

『気にしないで―――っと、そろそろ現場につく。北上しながら予定通り最低でも6体は私が狩る』

「では、元閣下が皇竜を仕留めた後、我々は戦線を押し戻し、南の援護に回れば良いのですな?」

『うん。秦野の皇竜は、艦隊が動けば仕留められる。それまでは耐えて欲しい』

「了解しました。どうかお気をつけて―――元閣下」

『じゃ、頼んだよ』


 掛けてきた時と同じ気軽され通信が切れ、遠藤も、そして通信を聞いていただけの石田も大きく吐息した。


『情けないものだな。我々は、未だ武神におんぶに抱っこか』

「全くだ。あの方も今年でもう70を数えるというのに」


 既に前線に出て良い歳ではない。


 未だに人類最強を謳われてはいるが、それが日本政府のプロパガンダが混じっているのを長く戦場にいる遠藤達には分かっている。長嶋武雄の元で戦った戦場は一度や二度ではない。最盛期の彼を見ているのだ。その頃に比べれば、明らかに劣っているのも分かる。それでも6体の皇竜を仕留められるのは驚異的ではあるが、最盛期で全力の長嶋武雄ならば、一人で12体全ての皇竜を狩って、なお余力があっただろう。


 それ程までに弱体化―――いや、老いた彼に未だ縋らねばならない。それを情けないと思う後輩として、あるいは一軍属としての感情があり―――。


『だが、これを使わない手はない』

「ああ、現場には現場の、司令官には司令官の戦い方がある」


 そして、部下を預かる将官として冷徹な計算もあった。


 そう、彼等は決して自らの情けなさに嘆くだけの人間ではない。異能は使えない。適合者ではない為に霊樹すら無く、身体能力は一般人とそう大差ない。だが彼等はそれでも戦場に立ち、時に武器を手に、時に味方を鼓舞して最前線とも言える圏境線を守り続けてきたのだ。


 その自負と矜持が、この絶望的な状況でも己を奮い立たせる。まだ尽くせる手はあると、部下が戦っているのに、真っ先に指揮を執る者が挫けてどうすると心に鞭を入れる。


「閣下の気遣いには悪いが―――やるか、どうせなら派手に」

『そうだな。―――何、人生で一度ぐらいは務所暮らしをしてみるのも悪くはないさ』

「武運を」

『そちらこそ』


 石田との通信を切り、遠藤は全回線をオンにする。


「―――諸君、聞こえているかね?」


 そして、統境圏に遠藤の声が響いた。

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