第三十九章 心に一つ、太陽灯して

「んっんー。初動対応は悪くないね。お姫様も自分の立ち位置をよく分かっているし、護衛も案外使える」

「ですね。思いの外人員も多いですし、こちらも予定よりも増員した方が良さそうです」


 商用バンに偽装した戦闘指揮車両の中で、無貌とブライアンは放ったドローン越しに姫と少年を眺めて状況を考察していた。


 襲撃実行の手勢はヤクザ者と薬物中毒者の混成。今回の作戦の本質はあくまで威力偵察なので、捨て駒だ。正直な所、成果など期待していない。


 意外なのは、薬物中毒者達が頑張っていることか。考える頭がある分、ヤクザ者達の方が動きが鈍い。おそらくは襲撃している最中にSPやら公安やらがぞろぞろ出てきて怖気づいたのだろう。


 だがそれでいい、と二人は考えていた。


 そもそも、標的であるエリカの護衛総数を推し量るのが今回の目的だ。拘束の手間を掛ければ掛けるだけ手の内が詳らかにされる。


 懸念点は以降の護衛数が増えることだが、今回に限ってはその可能性は少ない。


 エリカの国許が国外なだけあってSPの数はそう簡単には増やせないというのが一点。もう一点は実は計画の第一段階が試験的に既に動いていて、その対応の影響で圏域外の対応に国軍も圏軍も人を取られているからだ。これは継続的に行って、政府の目を外に逸らす役割も担っている。


「大丈夫?この国での増員は厳しいでしょ?」

「この間のマフィアのお陰でどうにかなりそうですよ。横に繋がっているのはどいつもこいつも社会不適合者ですから、行方不明になったところで短期間なら騒ぎには成りにくいです」

「君達は僕のことを恐れるけど、君達の洗脳技術も結構怖いよ?異能だけじゃないんでしょ?」

「まぁ、精神干渉系の適合者は引く手に数多ですからね。どうでもいい手駒は基本的に薬物と後催眠暗示、それか電脳寄生ブレインハックによるものですから、そこまで不思議なものじゃないですよ。凡そは人の心理を突いたやり方を確立しているだけです。明確な意志力を持っていれば誘導程度で収まりますしね」


 ケラケラ笑う無貌に、ブライアンは肩を竦める。


 JUDASの有り様はカテゴライズするならばカルトだ。知名度が低いのならばともかく、JUDASのように悪名が轟いているとなると、信者を新規に獲得しようとするとかなり難儀する。


 となると、真っ当に教えを説いて入信させるよりは身柄を攫って洗脳した方が手っ取り早く有用だ。


 ブライアンの言葉のように薬物を用いて後催眠暗示を行うか、外科手術で局所的に電脳化させてスリーパーと呼ばれる一種のウイルスを仕込み、市井に解き放つか。


 前者は直接の手勢を得るための手法で、後者は使い捨ての人形とするための方法だ。今回使ったのは後者で、捕らえた組員に安い電脳化処置を施し、偽記憶と偽情報を植え付けた。真実味を持たせるために少量の麻薬も持たせてだ。


 最も重要となると精神干渉を行える適合者による直接洗脳という手も用いる。だが、その手の異能持ちは希少且つ多忙で、JUDASに属する者も例外ではない。少なくとも、今回はスケジュールが合わなくて連れてこれなかった。


「明確な意志力、ねぇ………」

「適合者のクラスはそこに依存するらしいですが」


 人間の意志力は、所詮は電気信号である―――と言うのは、前世紀の考え方だ。


 より正確に表現するならば、非適合者はそれで正しく、適合者は違うのだ。


 如何なる遺伝子変異が起こったのか、現代の科学技術でも解き明かされていないが、適合者の身体を駆け巡る霊素粒子は確実に脳にも影響を与えている。


 結果何が起こるのかというと、のだ。


 端的に言うならばあらゆる限界を超えがちになる。人体や物理学を超えて、適合者が望む未来を強制的に手繰り寄せる。


 些か安っぽくなるが、奇跡とも言える現象を起こしやすくなり、明確な意志力はその呼び水となる。


「そうだね。科学的な根拠があるし、実際に僕が出会ってきた適合者は、クラスが上に上がれば上がる程に癖が強いよ。その理由がイドかエゴか―――は人それぞれだろうけど」


 一般的に我が強い適合者はクラスも上位になりやすい。そしてその我は、意志力こそが源泉となっている。


「貴方も相当ですけどね」

「否定はしないけど、それを直接僕に言える君も中々だよ」

「いやいや、クラスはBですよ私。ただ、貴方に関しては目的以外頓着しないのはしばらく観察していて理解しましたから。明らかな侮辱では無い軽口ぐらいは気にしない―――と言うより、お好きでしょう?」


 舐められている訳では無いが、気安くなったなぁ、と無貌は思って苦笑する。


 とは言え、こうした関係も割と好ましいのは否定しない。誰かに成りすまして演技している時ならばまだしも、素の自分である時ぐらいは気楽でいたいのは確かだからだ。

 

「ま、確かに僕は永遠以外はどうだっていいけどね」

「永遠、ですか」


 無貌の言葉に、ブライアンは反芻する。


 この『歩く天災』がそれを求め、そのためにあらゆる手段を躊躇わないのはJUDAS内部ではよく知られている。その理由こそ不明だが、無貌という存在が唯一執着する部分であると不可侵領域になっている。


「そうそ。結構俗物だよ、僕は。自分のことしか考えていないし、大義や正義だとかのお題目も持ってない。知性こそ持ち合わせてはいるけれど、本質的にはシュガールみたいに本能的なタイプ―――っと」


 ドローンの送ってくる映像に変化があったのか、無貌は言葉を切ってIHSを操作して通信を繋ぐ。


「坂倉チーム、右折して周り込め。田中チームは騒ぎながら付かず離れず追いかけろ」


 そして次の瞬間には今の彼の姿―――辻広の声で追跡しているヤクザ者達に指示を飛ばした。通信を切ると、元の声に戻る。


「誘導も中々面倒だね。世の中のHQヘッドクォーターCPコマンドポストのもどかしさってこんな感じなんだろうか」

「圏警への対処もまずまずですね。追いかけっこの時間も含めれば、30分位は余裕が見れますか」

「そうだね。後は、出来る限り第二目標と近くにいる時に仕掛けるぐらいか。お膳立てや仕込みはいるだろうけど、無理って訳でもなさそうだ。あ、そうだ。お姫様の個人能力も見ておいたほうが良いでしょ。いい具合に追い込めるから、ちょっと待っててね」

「もどかしいと言いつつ楽しんでません?」

「元々直接戦闘向きじゃないからね。僕の性格からして、こうした絡め手の方が得意だし好きだよ」


 追加で幾つかの指示を出しつつ、無貌はいつものようにケラケラ笑う。


「人間の人生は一回だけで、絶対は無いんだ。ならコケるリスクを背負うのは、最後の最後、大詰めの時だけでいい。そこに至るまでに何処まで無傷で勝率を積み上げられるか。完璧や絶対がないリアルってのはそういう確率論で動いているんだから」

「慎重に、ですか?」

「いいや、弱いだけさ。シュガールアーサーの言葉じゃないけれど、世の中は弱肉強食だ。そこで生きている野生の動物達は、ちょっとした怪我の1つで死ぬリスクを負う。人間の手を借りない限り破傷風の治療とか出来ないからね。人間は怪我の治療は出来るけれど、だからってあらゆるリスクを無に出来たわけじゃない。複雑化した社会、異能や霊素技術群によって高まった個人戦闘力や集団戦闘能力、あるいは人を喰う消却者の存在―――諸々を考えると、むしろ野生の時よりも死のリスクは高まっているのかもしれないね」


 無貌は『歩く天災』に数えられているが、自身で語ったように直接戦闘能力が高い訳ではない。その分、危機的な状況に陥ることはあったし、故にこそ生存論に関しては一家言を持っている。


「そんな世界で生きているんだ。なら、弱者は配られたカードでやり繰りして、より高い期待値を追い求める必要性がある。強者は慎重だと言うけれど、自分の弱さを自覚しているのなら当然のことだろ?」

「確かに、世の中にはちょっと理解できない化け物がいますからね。保険は必要ですか」

「ああ、ブライアン君は秋山光一グリムリーパーと対峙して生き延びたんだっけか」


 以前に聞いたブライアンの来歴を思い出し、無貌は苦笑した。


「君も大概運が良い。僕もその一人に数えられてはいるけれど、僕なんて他の連中に比べたらまだ常識人だよ。特に死神や魔人こそ本当に『歩く天災』だ。少なくとも、あの二人に限って言えば目的や手段のためなら冗談じゃなく世界さえ滅ぼすだろうからね」

「あの時はまだJUDASに入ってませんでしたから。殺す価値もない路傍の石だったんでしょう。―――今再会したら、問答無用で殺されますねー………」

「向こうは多分、覚えていないだろうけどね。『蒼眼の死神グリムリーパー』はJUDAS絶対滅ぼすマンだし」


 ちらりとブライアンを横目で見ると、真っ青な顔色をしており、手元は微かに震えていた。おそらく、過去の光景を思い出しているのだろう。


「例え恩があっても命あっての物種だよ?そんなに怖いならJUDAS抜けたら?」

「行くアテもないですし。世界が滅びるなら、生き残る方に賭けるだけですよ。貴方の言葉で言うなら、んです。少なくとも、他者の力がなければ生きて行くのにも苦労する弱者我々にとってはね」

「成程、なら僕が口出すことじゃないね。悪かったよ」

「いえ、気まぐれでも気にかけてくれてありがとうございます」


 気にしなくていいよ、と無貌は肩を竦めて映像に視線を戻す。そこには、誘導した結果が出ている。


「―――さて、そろそろ大詰めかな」


 映像の先、姫と少年は廃工場へと逃げ込んでいた。




 ●




 目論見が甘かった、と新見は反省しながらエリカと共に街を駆け抜けていた。


 新見は当初、基地内の軍人に助けを求めるべきだと行動を移した。ウィルフィード公国の人間ではないが、彼等は日本を代表する軍人。そしてエリカは日本国の公賓待遇の身分だ。通達こそ行っていない可能性は高いが、事情を説明すれば匿うくらいはしてくれるだろうし、何しろ府中基地自体が彼等の庭だ。すぐに混乱も収まるだろうと思っていた。


 実際、あの場に現れた数十人の不逞の輩が全てならばそれで済んでいただろう。


 だが、行く先々で一般人を装った薬物中毒者が現れ、終いには軍人達の中にもそうした輩が出現したのだから始末に負えなくなった。


 落ち着いた場面ならば精査して敵味方の識別をするが、今は非常事態だ。誰も信用できない中で、即座に初見の人間を頼ることなどできようはずもない。結果、二人の逃避行は未だに続いていた。


 一般開放日であったために基地外へと出るのも容易く、混乱から抜け出た新見とエリカは最初は大通りに出ていた。このまま街を逃走すれば撒けるだろう、と二人は安堵していたのだが。


 しかし、やはり目論見は甘かったのだ。


「いたぞ!こっちだ!」

「くそっ!エリカ!」

「ええ!」


 行く先々にそれらしい相手に見つかり、人気のない裏道へ裏道へと足を向けざるを得なくなっていた。


「さっきから先回りされているわ」

「これやっぱり誘導されてるよね。どっかに見張りがいる?」


 裏路地を駆けながらエリカを呟きを拾った新見は、周囲を見回すが見張りの姿は見えない。監視カメラかドローンか、はたまた異能か。手段手法は不明だが、相手はこちらの位置を凡そながら把握していて、人気の多い大通りへと出ないように人員を配置し、誘導している。


 そして、背後の追走者の気配が消えたのを悟って、新見とエリカは足を止めこそしなかったが、競歩ぐらいの速度まで落とす。

 

「当然、すぐには捕まえに来ない、か」


 表通りに出ようとすると追撃は激しくなるが、人気のない所へ行くと途端にその手が緩くなる。


 まるで狩猟か何かのやり口だ。獲物が自分達、というのが居心地が悪いが。


 先手を打たれ、ルートを限定され、追い込まれつつある。この状況下で対抗できる手法に新見は頭を巡らせる。


「このまま大使館にでも逃げたほうが良いんだろうけど………」

「駄目ね。方向も真逆で遠いし、足もないわ」


 無難といえば無難な新見の提案に、エリカは首を横に振った。


 現在地である府中近郊からウィルフィード大使館まで直線距離でおよそ20km。適合者の体力を以てすればハーフマラソンぐらいは訳はないが、ここに至るまでの妨害等々を考えるとおよそ現実的ではない。おそらく、その素振りを見せただけで本腰を入れてくるだろう。


 足を手に入れられれば別か、と思うがその手段がない。車やバイクを盗むことも考えたが、旧世紀のガソリンエンジンなら直結させればどうにかなりそうだが、今ある一般的な乗用車は霊素粒子機関搭載車だ。これは高度な電子錠により保護されているので、現状、無手の新見がどうこうするのは現実的ではない。そもそも、こんな裏路地に都合良く移動手段がおいてあるはずもない。


「どうする………?」


 いよいよ手詰まりになってきた、と新見が考えているとエリカがPITを操作していた。


「既にSPや公安が府中基地の軍人達と協力して暴徒の鎮圧を開始しているわ。応援も続々集まっているみたい。位置情報は上げているからいずれこっちに追いついてくると思う」

「となると、それまで逃げるか迎撃するかで時間稼ぎする必要があるか。なら、ちょっと開けた場所に行こう。この先に廃工場があるから、そこなら相手の望みに叶っているから妨害されずに行けると思う」

「分かったわ」


 二人は頷き合って歩を進め、暫く行った先にある廃工場へと逃げ込んだ。


 入り口は封鎖されておらず、錆びた鉄と不心得者の現代アートじみた落書きに出迎えられた新見とエリカは、一息つきながら考えを巡らす。


「後は迎撃方法か………」

「せめて剣があれば………」


 そう呟いてエリカが視線を落とす先は、今しがた工場内で拾った鉄パイプだった。重さや強度、リーチはそこそこあるが、所詮それまでだ。


「その鉄パイプじゃ心許ないよね………例の、Rebuildだっけ?あの異能で剣に作り直せない?」


 模擬戦の時に使っていた、手にした剣を変質させたあの異能ならば、剣に変えられるのではないかと考えた新見だが、エリカは首を横に振った。


「耐久性を考えるとある程度の密度や質はいるの。それに、元となった属性は変えられないわ。一人二人ならともかく………」

「どれだけの人数で来るか分からない相手に、ガワだけの武器じゃ厳しいか………」


 数人規模なら、雑な武器とエリカの剣術でどうにでも出来ようが、今回の騒動を見るに数百人から千人規模で人が動いている。継戦能力を鑑みると、おそらく数十人叩きのめした所で鉄パイプは曲がるか折れるかして使い物にならなくなるだろう。


(………ちゃんとした武器、か)


 手は、ある。


 だが、それを使うことに抵抗があった新見は深く深呼吸してエリカをじっと見た。


 Double、と呟き手にした鉄パイプを次々増やしていき、それぞれを手に馴染ませるように軽く振っていた。迎撃する気満々な彼女ではあるが観察する内に、その手が微かに震えていることに気づく。


 それに気づくと、次に彼女の剣筋が乱れていることに気づき、最後には紅玉色の瞳に不安を宿していること気づいた。


(ああ、そっか………怖くないはず、ないよな)


 いつしか新見は、特班の面々を仲間―――より正確に言うならば僚機だと考えていた。


 同じ釜の飯を食い、同じ訓練を共にした仲間だと。同じ死線に飛び込み、そして同じ戦場で死ぬる間柄だと。だが、違うのだ。それぞれに事情があって、共に訓練をする仲ではあるが、共に決死する仲ではない。


 新見貴史は彼等の統率者であり庇護者ではあるが、だからこそメンタルの手当てもしなければならない。


 今まで一兵士の立ち位置であったならば、自分のことは自分でしろで済んだものにまで気を配らなければならない。


 それを面倒だ、とも思うがどうにも見捨てることも出来ない。


 きっと次に誰かを見捨てたなら、の後悔の比ではないだろうと考えてしまうから。


(だったら―――精一杯やらなきゃね)


 そろそろ廃工場周辺にざわざわと人の気配が集まって来た。あまり時間もない。


 新見は意を決して、エリカに声を掛けた。


「―――エリカ。しっかりした金属で出来た剣があればどうにか出来る?」

「え、ええ」

「ちょっと歪になるかもだけど、用意はできる。けど、僕はその後に気を失うし、正真正銘君一人だけになる。それでも時間稼ぎ出来る?」

「大丈夫よ。ある程度の鎮圧は済んだみたい。追いつくまで十分は掛からないと思う」


 手にしたPITに視線を落として、リリィからのメッセージを新見に見せた。


 後十分。それだけ稼げればどうにかなるだろう。ならば、その十分を生き抜くためのカードを切る。


「分かった。本当にすぐ消えてしまうから、即座に複製して」


 新見は大きく深呼吸して、コマンドとなる言葉を口にする。


「―――Ignition」


 どくん、と心臓が跳ねて、キリキリとした痛みを連続して新見の脳へと届けた。


「ぐ、ぅ………」

「はんちょー!?」


 久方ぶりに感じる鋭い痛みに片膝を付き、それを心配したエリカが駆け寄るが手を突き出して新見は静止した。


「い、いいから!少し待ってて………!」


 どくんどくんと早鐘のように鳴り響く鼓動と、それに比例して加速度的に増していく痛みに耐えるべく奥歯を噛みしめる。パキ、と奥歯が欠けたのを感じたが、それを気に留めている余裕など全く無い。


 本来、コレを使うにあたってこんな痛みなど無い。これは、新見が僚機を失ってまで生き残ってしまった代償だ。何もしなければ心臓の代わりとなるこのヘリオスを、それ以上にと望むのならばまるで罰のように襲いかかってくる。


 初恋を見限ったお前に、これを使う資格など無い。


 親友を見捨てたお前に、これを扱う資格など無い。


 空に見限られたお前に、これに縋る価値すら無い。


 そう言われている気がして、新見は今の今まで目を背け、この痛みの代償を理由に異能さえ封じてきた。


 右のに駆け巡るErrorの赤い警告文字が新見を許さない。


 だが。


(全部じゃなくて良い………!武装の一つだけでいいから………!)


 今、この場切り抜けるのにそれが必要だ。


 だから新見は右拳を振り上げ。


「―――少しは聞き分けろ!このポンコツ!」


 自身心臓へと叩きつけた。


 直後、Errorが一瞬だけ消え、All Weapons Freeの緑文字が踊った。それが恒常のものではなく、数秒だけだと新見は理解している。それでも、心に太陽が灯った。


 だからこそ、それを見逃さずに叫んだ。


「Ali Speranza―――Secondary!!」


 燐光を吹き散らして彼の手に出現したのは、一本の銃槍。人の身で扱うには些か長いそれは、一瞬で形を直剣へと姿を変えた。


「―――Double!」


 意識が呑まれる中で、新見はエリカの祝詞を聞いて安堵していた。




 ●




 エリカは自分の右手に一本の幅広の剣が出現した事を認識した。


 それと同時に、全ての構造を理解する。


 これは一瞬出現した銃槍―――その穂先部分に当たる。拵えはそのままに、より取り回しがしやすいように作り変えられたそれは、しかし初めから剣として作られたかのように重心が良い。


(綺麗………)


 思わず見とれていると、新見が前のめりに倒れ始め、エリカは慌てて抱き留めた。


 既に意識は無い。呼吸は浅く早く、顔色は死人のように土気色で、大量の脂汗を浮かべている。どう考えても、この剣のために―――否、エリカのために無茶をしたのは明白。


 そもそも、新見は異能が使えないとの触れ込みだった。少なくとも教練校にはそう届け出ていたし、教練校側も検査して追認していた。それでも新見が一年以上半適合者扱いされなかったのは、出力係数がクラスExだったからだ。もしかしたら何かの拍子に適合者として覚醒するかもしれない、と言う淡い期待があったのだ。完全に覚醒すれば人類にとって掛け替えのない戦力になりうると。


 だが、エリカはこの様子の新見を見て、事実は違うと気づいた。


 おそらく、ただ十全に使えないだけで、異能自体は使えたのだ。


 しかし使えば半死半生のようになってしまうのを、新見自身が理解していた。だからこそ、自分は出来損ないなどと嘯いて、可能な限り使わないように立ち回っていたのだろう。


 その禁を破って、それでもとこの少年は一本の剣をエリカに託した。下手をすれば、命に関わるようなリスクを背負ってまで。


「はんちょー………ううん、タカシ。ありがとう」


 その挺身にエリカは礼を口にし―――しばし考えてから、彼の頬に口付けた。


 そして新見の身体を支えたまま廃工場のライン側に丁度いい物陰を見つけ、そこに彼を安置して隠す。


(そう。そうよね、ベル………。貴女もきっと、こんな気持だったのでしょうね)


 狭まってくる周囲の気配に意識を向けながら、エリカは剣の柄を握りしめた。


 恐れや不安もあったし、今もある。だが、誰かを背にして逃げ出すことは出来ない。まして誰かが無理を押して自分に託したのならば、尚更。


 エリカは支配者層の生まれだ。


 敬われ、傅かれるのが当たり前の環境で、しかし増上慢にはならなかった。生来の気質もあったし、教育も良かったのもあった。だが物心がつき、確固たる自我が形成された後で、エリカという少女の有り様を定めた女との出会いがあったからだ。


 サニーベルという、太陽のような女はいつもはっとするような事を口にする。


『エリカ様に限らず貴き方々に庶民が傅くのは、本能的に自分達では届かない場所を守ってくれると知っているからですよ。でも、それすら出来なくなれば、皆がそっぽを向くか革命でも起きるでしょうね。私だって仕える主が愚にもつかない下衆なら寝首掻きますもの。優しさと忠義は有限なんですよ?』


 ケラケラ笑って、そのメイドは太陽のような笑みでこう続けた。


『それが嫌なら、慕ってくれる皆に寄り添うことを忘れないこと。それから―――』


(―――ここぞという場面で、決して困難から逃げないこと)


 今がその時だ、とエリカは戦うべくパンプスを脱いで放り捨てた。


 そして、廃工場の入り口からぞろぞろと下卑た笑みを浮かべた男達が侵入してくる。


「やぁーっと追いついたぜ。ったく、手間を掛けさせやがってよぉ」

「追いかけっこはおしまいですかぁ!?じゃぁ、今からお楽しみタイムといこうかお嬢ちゃん!」


 挑発とも粗野の発露とも取れない言葉を無視。


 深く息を吐いて整息。


 数はざっと40人。まだ廃工場外から気配を感じるので、まだまだおかわりは来るだろう。


 後8分ぐらいで応援も来る。それまで、一人で生き残る。大いに暴れて隠した新見に気づかれないようにする。人質に取られてしまえば終わりだ。為す術もなくなる。


 確かに一対一ならば負けはしない。


 だが、数の暴力というのは戦力の多寡を覆すだけの要因足り得る。元々、エリカの立場上対多数を想定した訓練をあまり行わないというのもある。基本的に護衛がいるのが前提なのだから、それも致し方なしとも言えた。


 とは言え、勝機はある。


 だから。


「あぁん?いつの間に剣なんか持ちやがって。ま、女のチャンバラなんざ大したことねぇけどな」

「そう。なら―――試してみる?」


 挑発に答えると同時、エリカは三歩でチンピラの一人へと肉薄。


 燕のような低空の疾駆。彼我の距離は約7メートル。一足で助走と調整、二歩目で4メートルを詰め、三歩目を踏み込み足にして刃を斬り上げるように振るうと、青年の右腕を半ばから斬り飛ばした。


「はへっ………?」


 一瞬、何が起こったのか分からないとばかりに空白がチンピラ達の間に横たわる。


 しかしその静寂を打ち破るようにボトリと斬り飛ばされた右腕がコンクリートの床に落ち、血飛沫と悲鳴が噴出した。


「う、腕がぁあぁああ!俺の腕ぇぇえぇえ!!」

「―――て、てめぇ!何しやがる!?」

「あら。仮にも一国の姫を捕まえようというのよ?腕の一つぐらい賭けられなくてどうするの?こちらはもう、自分の命をベットしているっていうのに。―――私の命は、国宝級よ?」


 腕を抑えてのたうち回る仲間を見て動揺するチンピラ達を、エリカは睥睨するように見回してゆっくりと剣を構えた。


「くっ!この数相手に正気か!?何なんだお前!」


 何だかんだと聞かれた以上、答えてやるのが姫の情けだ。


「―――統境の悪を許しちゃおけない女よ!」


 その見栄が呼び水となって、チンピラ達に火が着いた。


「クソ!おいお前ら!やっちまうぞ!!」


 号令と共に、一斉にエリカへとチンピラ達が殺到する。


 彼女は小さく息を吸い、止めると同時に逃げるのではなく踏み込んだ。


 すれ違いざまに下段に刃を走らせると一人の大腿を斬り抜け、返す刀で武器を持っている違うチンピラの手首を斬り捨てる。


 二合も先手を譲る羽目になったチンピラ達ではあるが、多勢に無勢。ここぞとばかりにそれぞれの武器を手にエリカへと振るう。だが、彼女が手にした剣は打ち合わせることすら許さなかった。


 彼女が剣で相手の刃物を防ごうとすると、相手の方が負けた。打ち合わせれば相手の刃を断ち切り、腹で止めればそのまま相手の武器の方が折れた。


 特にこれと言ってエリカが何かした訳ではない。


 単純に、この剣の切れ味と強度が良すぎるのだ。


(ちょっと斬れ過ぎるわね、この子)


 文句があるわけではないが、手にした剣の意外なじゃじゃ馬ぶりにエリカは苦笑した。


 彼女は預かり知らぬことではあるが、本来、その剣の相手は複合素材で出来た合金と霊素粒子で顕現する金属だ。それも振るわれる速度環境は、音速超過ともならば耐えうる靭性も必須。そんな高次元で纏められた武器を前に、場末のチンピラが持つ大量生産品、それもロクに手入れもされていない武器など雑草と大差無い。


(ああ、そうね。タカシも、そんな感じよ………)


 無慈悲に剣を振るいながら、しかしエリカはそんな事を考えていた。


 普段はチャランポランとまでは言わないが、適度に気を抜いている癖に、いざとなるとあれで大概容赦がない。模擬戦の時にも思ったが、一度やると決めたらなかなか大胆になる。


 今回の件だって、新見は無関係とも言えるのだ。


 確かに鐘渡教練校では同じ班であり、エリカは彼の部下だ。だがそれはあくまで教練校内の事であって、敷地外、そして休日のプライベートにまで割り込んでくる関係ではない。まして、テロ組織絡みのゴタゴタなど新見にはまるで関係のない話なのだ。


 最初の段階で、新見がエリカを見捨てたとしても誰も彼を非難できない。文句があるなら御自分でどうぞと言われれば大抵の人間は口を噤むだろう。


(ふふ………何だかベルに似てるわ)


 あの太陽の女サニーベルも、そんな感じだった。


 性格は真逆のような二人だが、本質は似ているのかもしれない。それを何だか面白いと思ったら、自然と笑みが溢れた。


「サイコパスかこの女………!」


 その微笑みを高揚の笑みだと勘違いしたのか、チンピラ達は戦慄して尻込みを始めた。


 追撃の波が途切れ、エリカが血糊を振るって呼吸を整えていると不意に建屋の周囲が騒がしくなったのを感じた。


「エリカ様!」

『姫様―――!!』


 それとほぼ同時に、リリィとSP達が廃工場へとなだれ込んできた。予定よりは少し早い。


 エリカは自分はここにいるぞ、無事だぞ、と知らしめるために声を上げようとしてこの状況に合致する言葉を考えた。


 ふと思い出すのは最近ハマっている時代劇。成程、確かにこの状況は番組終了十分前ぐらいの大詰めだ。ならば、と彼女は声を張り上げる。


「リリィさん!SPさん!懲らしめてやりなさい!」


 その言葉を聞いたSP達は互いに顔を見合わせ、頷くとやおら各々に香ばしいポーズを取りながら。


「我が身既にテツなり。我が身既にクーなり。テンマフクメツ………!」

「はしゃぎすぎだぜ、テメェら。地獄へ落ちてウジ虫になれ」

「SP、心得の条。我が命、我が物と思わず。武門の儀、あくまで影にて。己の器量を伏し、ご下命、如何にても果たすべし。尚、死して屍拾う者なし。死して屍、拾う者なし………!」


 口々にして、SP達はリリィにも視線を向けた。


「え?わ、私もですか………?」


 困惑する彼女は、えっとえっと、とわたわたした後で肩に乗せた猫と一緒に。


「め、冥府魔道に生きるメイドゆえ………」

「にゃん」

「はーい!皆で一緒に悪党退治しましょー!」

「え、エリカ様!スルー!スルーは酷いですわ!!」

「ふむ。ネタ的にはにゃんではなくちゃんと言うべきであったか」


 グダグダになりながらも、大勢の決まった状況ではチンピラ達に勝ち目などはなく、程なくして制圧された。




 ●




 収束する事態の中で、新見は未だに気を失ったままだった。


 だから誰も気づけなかった。


 エリカの口づけの意味と、彼の変化に。




 どくん、と鋼の心臓が跳ねた。




 ●




「いやぁ、予想はしていたけども、全然ダメだったね」

「とは言え、これでほぼ全ての基礎戦力が出ただろう」


 会議室の中で、今回の騒動のリプレイを見終わった無貌とメティオンは口々に感想を述べた。


「そう言えば、途中から姫を守っていた少年の姿が見えなかったが」

「何かよくわかなんないけど、追撃部隊が追いついたときにはいなかったよ。それがどうかした?」

「いや、どこかで見た顔だと思ったのだが………」

「そもそも東洋人の顔って君達見分けがつくの?」

「うぅむ。それを言われると………黄色い猿は黄色い猿としか」

「正直、余り区別が付きませんね」


 顔を見合わせるメティオンとブライアンを見て、無貌はだろうねと苦笑した。


 割と平和でグローバル化著しかった前世紀後半ですら、ジャパニーズとチャイニーズとコリアンの区別がつかないと白人種が宣うのは普通だった。とは言えそれが特別差別的だと言うわけではなく、アジア人とてコーカソイドとアングロサクソンを正しく見分けろと言われても困るだろう。まして世界の支配者たる白人種が何故わざわざ下々の見分けをせにゃならんのだ、とナチュラルに傲慢さを発揮していたというのもある。


 その時代でさえそうなのだ。加えて、今世紀では国交は様々な要素が相まって薄くなっている。数年行動を共にしたとかならばともかく、初見で見分けろというのは非常に難度が高い。


「ともあれ、目標は達した。正規戦力を使えば十分に目的は果たせそうだね。後は任せていいかな?」

「そうだな。これ以上君を頼るのは筋違いか」

「残ったジャンキー達は好きにしていいよ。元々、僕には必要のない人材だからね。適宜情報は流すつもりだけど、しばらく地下に潜るから、僕はもう居ないものだと思って」


 無貌はそう言い残して、会議室を出ていった。


「では、実験計画を立てるとしようか」


 その背中を見送って、メティオンはブライアンと計画を練り始める。


 手には、『ダイダロス評価試験及び天使の繭計画』と銘打たれたファイルを持っていた。

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