第三十七章 危機感の不足
長嶋派炎雷流という総合武術がある。
斎藤伝鬼房が天流を祖とするこの流派ではあるが、正式なものではない。斎藤伝鬼房が私怨のため霞流の門弟たちに殺された後、正統として受け継いだのは実子である法玄だ。だが、彼が殺される際、直前まで連れていた弟子が一人いた。
それが長嶋派炎雷流の開祖である。当時は遠雷流だったそうだ。
彼は師の言いつけに従って一度は逃げたが、途中で引き返して師を殺した霞流門弟47名全ての顔を覚え、後に仇討ちを果たす。その時に天流を再構成、練磨したのが遠雷流の原型だ。
常に一対一を挑めるとは限らない。だからこそ、一対多を可能とする兵法を。
特に集団戦を生き残るために生み出されたこの兵法は、その特性ゆえに非常に節操が無い。通常、銃火器が登場するまでの合戦において主武装となるのは槍や弓である。日本の戦国時代の武将と言えば刀を真っ先に思い浮かべる人間が多いが、実際の戦となると刀はあくまで副武装に過ぎない。接近戦ならば馬上だろうと地上だろうと長いリーチを誇り、突いて良し薙いで良し投げて良し、その上持てば農民だろうが女子供だろうが脅威になる武器が槍だ。
弓も同じで長射程、遮蔽物の上から落とせる、音がでないので隠密スナイプ可能、矢に毒や糞便を付ければ掠っただけで命取り、火矢で焼き討ち、技量は必要とされるが余程の強弓でもなければそこまで力を必要としないので適当にバラ撒くだけなら元服直後の子供でも射手足りえる、数を揃えれば一部隊程度あっという間に壊滅可能とこちらも槍に勝るとも劣らない武器だ。戦争において第一攻撃といえば、何を差し置いても遠距離攻撃なのは現代と同じだった。あるいは、これだけで趨勢が決する合戦もあったし、遠距離攻撃ができるなら投石ですら主兵器足り得た。
故に、剣術や体術単体は実のところ合戦ではあまり注視されない。かと言って、全く必要のない技術ではなかった。所謂泥仕合のように白兵戦に次ぐ白兵戦、どちらかが背水の陣で、あるいは奇襲時の乱戦、名乗りを上げての一騎打ちなど、武器や兵の運用よりも個人の技能が必要とされる場面は、それが瞬間的なものとは言え、確かにあったのだ。
そして遠雷流は言うならばそこを生き残るために編み出された武術―――創始時の時代に言わせるならば、
体術を基礎として甲冑兵法、剣術、棒術、槍術、拳術、柔術、鎌術、弓術、はてまた銃術―――戦場にあるもの全てを扱い、あらゆる状況を想定し生き残るように特化した兵法こそが遠雷流である。
であるが故、残念ながら伝説にあるような無敗の武術では決してなかった。
戦争においては、個人が戦場の趨勢を決めることは余程のことがない限りは叶わず、始まった時に既に趨勢が決まっていることが往々だ。数を覆しての逆転というのは確かにドラマティックだが中々起きるものではない。用兵の常道が相手より数を多く揃える、なのだから当然と言える。逆転劇は派手だからこそ歴史に輝き注目されるが、実際には歴史に埋もれた平凡な、単純に数で押しつぶしたり事前の調略で降した戦のほうが多い。
しかし、遠雷流は負け戦であってもその生還率は高かったとされる。実際、遠雷流の開祖は幾度か霞流門弟に返り討ちにあったが、それでも致命傷を負うこと無く次戦へと繋げたという。そして数多くあった合戦で生き残った派閥の一部こそが長嶋家であり、長嶋派炎雷流と名を変えた。
時代は流れ、安土桃山時代から江戸時代へ。大きな合戦は無くなり、兵法は剣術が主流になり、あらゆる流派が爆発的に増えた時代。その中でも長嶋派炎雷流は兵法で在り続けた。
だが長く続く太平の時代、武術は平素の個人戦を前提とする素肌剣術へと移行し、更に死傷者の生じる試合は幕府に因って禁止され、徐々にその居場所を無くしていく。
そんな中、駿府藩藩主徳川忠長の命により、長嶋派炎雷流は御留流として定められその技術を身内にしか伝えることが出来ないようになる。
当時の文献が簡略的にしか残っていないため、これは長嶋家に伝わる代々の『予想』にしか過ぎないが、徳川忠長が兄である徳川家光に対し何らしかの画策の一石として長嶋派炎雷流を抱え込むことにしたのではないのか、と言う見解がある。
結局、徳川忠長はその乱心ぶりから数年後に改易され駿府藩は廃藩、彼が何を考え御留流としたか永遠に分からずじまいのまま数年後、高崎で自害している。
しかし、廃藩になったからと言って、長嶋派炎雷流は御留流でなくなった訳ではない。時の第三代将軍家光に因って、改めて御留流とされたのだ。その意を時の当主が問うた時、家光は『広げるには危険な兵法ではあるが、無くすには惜しい』と答えたそうだ。
これをどう捉えるかは人によるだろう。危険な武術であるが故、身内にだけ押しとどめ自然消滅を狙ったのか、あるいは一つの無形文化遺産として捉え、有事の際には有効活用できるように遺したのか。
結局のところ、この判断も忠長の時と同じで永遠に分からずじまいであった。
そして近代社会―――1999年まで子々孫々、長嶋派炎雷流は長島家にのみ伝えられるようになり、長島武雄が『大崩壊』を以て英雄となるまで知る人間の殆どいない総合武術となっていた。
さて、そんな総合武術が世に出て、更に異能や霊樹の影響で銃火器の有無が決定的な戦力差ではなくなった場合どうなるか。
その答えがここにあった。
「うーん………この出来の悪いアメコミ感」
「流石人類最強ね………」
「地獄絵図かよ………」
「どうやって倒せば良いんですの?アレ」
木林が長嶋に襲いかかった段階で幾つかの班が即時に離脱行動を開始した。
特班もその例に漏れず、新見が行くよと全員に声を掛け流されるがままにその場を離れたのだが、その判断は正しかったのだと認識した。特班は数字を割り当てられなかった特殊班であるため、列の最後方だったのも幸いし離脱して振り返って様子を見る余裕があったのだ。
その視界に映ったのは、フィクションの登場人物の如き活躍と言うかちょっと一人だけ世界観の違う戦闘を行っている老人であった。
ふっと消えたかと思うと生徒たちの前に出現し、徒手空拳で打撃、投げを行ったかと思えば、次の瞬間には腰の二振りの刀を抜き放ち―――無論峰打ちだが―――次々と斬り伏せていく。
そのままではまずいと生徒側も反撃に出るが、その全てを躱し、すれ違いざまに打撃か峰による打擲で無力化。終いには生徒達の武器を奪って彼等が得意とする分野で下していく。
およそ69歳の動きではないし、ここまで戦闘力に差があると確かにインフレにインフレを重ねた
いや、相手にしているのが実際に英雄で、無双される側も一般人に毛が生えた程度の訓練兵なのだから事実ではあるのだが。
「まぁぶっちゃけ倒す必要は無いんだよ」
絶句する特班の面々に対し、新見はそう声を掛けた。
「自分の手に負えない強敵に出会いました。さて、どうしますか?」
「そりゃ応援を呼ぶ―――ああ、成程。撤退戦時の遅滞戦闘か」
飛崎が即座に答え、一人で納得した。
「そう。圧倒的強者を前に、玉砕覚悟で突撃するのは非合理的だよ。後にも引けない興廃ここにありって状況ならともかく、大抵の場合は退路は確保してあるし、するもの。所定の場所まで逃げ切れば増援と合流できて、嵌め殺しだって可能だ。それに理事長言ってたでしょ?20分だけだって」
「つまり、勝利条件は20分生き残ることね」
「成る程、
新見の補足に、エリカとリリィがそれぞれ納得した。
「で、めいめいに動き出す羽目になったが、どうすればいい?」
「任せて。訓練場を指定された時点で作戦は考えてた。動きながら説明するよ。IHSは着けてるよね?マップデータをアップロードするから見て」
新見がそう告げると、特班全員が身につけているIHSの網膜投影映像―――正確に言うなら視界の右上部分にミニマップが表示される。
「今、理事長は手近にいる班を狙って暴れている。可哀想だけれど、即時離脱の判断ができなかった彼等に非があるので、これを使わせてもらう」
「見捨てるんですの?」
「自分の部下を危険に晒せないよ。上からの命令があれば別だけど、現状は現場に判断を委ねられている。なら、僕はまず自分の部下の安全が第一。それが生き残るのに必要だからね」
リリィの少し非難が籠もった尋ねに、新見は首を横に振った。
「さて、彼等を囮に使ったからといって油断はできない。多分、後一分も立たないで終わるよ」
「およそ五十人7班ぐらいを一分で、っすか」
頬を引くつかせる三上に、新見は多分ね、と首肯した。
「まだ近接戦闘だけで遊んでて異能使ってないから、使い始めたら20秒掛からないんじゃないかな?」
「幼馴染が知らない間にここまでバケモンになってるとはなぁ………」
この出鱈目な戦闘能力で老いたとか怪我で制限があるとか言っているのだ。最盛期はどれほどのものだったのだろうか。
「で、ここ。ここに応援がある」
「え?でも何も言ってなかったですよ?」
「そりゃ実際には居ないからね。だけど、このマークを見て。座学で習ったはずだよ」
網膜投影のマップに着けられたマーカーを見ると、それは確かに見覚えのある記号だった。
「合流地点………あ、そっか。全員が合流できれば」
「そう。初手で理事長に全員で万歳突撃かますよりかは、逃げに逃げて、最後にかき集めた戦力で反抗、時間切れを狙う。今回はそういう趣旨だね」
「今回は?」
エリカの疑問に新見は頷いて。
「毎月シチュエーションが違うんだよ。先月は新入生の慣らしもあって無かったけど、先々月は卒業生の事もあって派手にやろうって事でもっと限定したフィールドで時間も5分に区切って生き残れとか理事長に一太刀入れろとか、その時時によって違う。しかも、ちゃんと与えられた情報を読み取らなきゃただ蹂躙されるだけっていう」
「理不尽ですわ………」
「戦場はもっと酷い理不尽で溢れてるよ。そうでしょ?レン」
「確かに。合流した味方が、敵に寝返っていたとかな」
あの時は死ぬかと思ったわ、と遠い目をする飛崎に、コイツどんな修羅場潜ってきたんだろうと皆が思った。
「そういう警戒もあって、皆班ごとに逃げているんだよ。まぁ、班員が裏切ってないとも限らないけど、それを言い出したらキリがないしね」
「合流して大丈夫なんですか?」
「今の所は。一応、本気の理不尽はないからね。そういう事をする時は、何らかの情報をくれるよ」
新見はそう言って、理解したならそろそろ行こうかと班員を促した。
●
「結局生き残ったのは我々と特班だけか」
「何だか理事長、いつも以上にはっちゃけているもんねー」
最終的に合流地点に到達できた班は僅か2班。
早々に離脱した特班と、何度かの交戦をしつつも全力で退避してきた第一班だ。それ以外の班は長嶋の追撃を受けて全滅している。
疲労の濃い表情をしている一班の面々を見て、クラスExがこれほど揃っていても逃げるだけで手一杯だというのが見て取れる。
既に一年、模擬演習を行っている東山や風間ですらあちこちダメージを受けている。
「新見班長。意見はありますか?」
「残り時間は六分切っている。手勢は十。なら、やることは1つでしょ?総代」
加賀の尋ねに、新見は答えながら東山に水を向けた。
「そうねー。順当にフォーメーションを組んで、一人でも生き残ったらこっちの勝ちってところかなー」
彼女は頷いて、即興で対長嶋武雄戦を想定した隊列を指示する。とは言っても、それほど複雑なものではない。ここまで力量差があると多少の策など誤差でしか無い。どのみち判定勝ちしか狙えないのなら、各員の最も得意とする場所に割り振って、最大限やりきるしか無いのだ。
「さぁて、残り五分。生き残ったのは粒ぞろいだね。これは狩り甲斐がありそうだ」
手早く配置と役割を決めたところで、長嶋が追いついてきた。手に双刃を携え、ゆっくりと歩いてくるだけで途方もない威圧感が二班を襲う。
「飛崎、三上、ウィルフィード。手筈通り我々で押さえに行くぞ」
「了解した」
「お、押忍!」
「はい!」
しかしそれに臆すること無く風間が音頭を取り、前衛が駆け出す。
「リリィ、総代達の指示に従って。式王子君、宮村君。先行組の援護に回るよ」
それに続くようにして、新見も手にした突撃銃を構えながら。
「さて、何秒持つかなぁ………」
部下を率いて駆け出す新見は、我知らずそんな事を呟いていた。
●
飛び出してきた前衛組四人を見据え、長嶋は口の端を歪め。
「4対1か。悪くない。じゃぁちょっと―――真剣に行こうか」
その姿が陽炎のようにふっとかき消えた。
『え―――?』
比喩でも揶揄でもなく、その場にいた全員の視界から消え失せたのだ。そして次の瞬間、前衛組の目と鼻の先に出現していた。まるでコマ落ちのフィルムのような現象に、その身を以て体験した前衛組の殆どが硬直する。
そして状況認識の遅れが、致命的な時間を長嶋に与える。
「きゃぁ!?」
「ぐっ!?」
「っと!?」
エリカが構えた剣ごと弾き飛ばされ、風間も武器を弾かれてがら空きになったところを直蹴りを喰らい吹き飛ぶ。三上はすれ違いざまに放たれた剣撃を両椀に装着した籠手で弾くが、思いもよらない重さでたたら踏んで後退。
一合。
たった一合で二名脱落。エリカにしても風間にしても、決して近接能力が低いわけではないのにも関わらずだ。吹き飛んだ二人は意識を失っているのかピクリともせず、IHSでの撃墜判定も遅れてされた。
(漫画かよ………!)
防いだ両腕が、籠手越しだというのに痺れている三上は胸中で悪態をついて長嶋から距離を取るべく後退。いや、少し距離を稼いだところでどうにかなる相手でもないが、長嶋の意識は飛崎へと向かっていた。
「炎雷使うのずるいだろう!?しかもそれ、確か異能付与の完成仕様だろ!奥義を安売りすんな!」
「いや確かに奥義だけどさ。こんなのは所詮使ってなんぼの技術だよ?」
危機をいち早く察知して身を横に飛ばして距離を取っていた飛崎は抗議の声を上げつつ手にした鞘のトリガーを爪弾く。重ね5連。対人ではなく対物用の威力まで霊素を増幅し。
「少しは出し惜しみ―――しやがれ!」
抜刀と共に極大の雷閃が長嶋目掛けて奔った。
味方であるはずの三上の視界すら焼く強烈な閃光と共に、大気を破裂させるような音を刻んで雷を伴った斬撃が駆け抜け。
「はっはっは。レン君だって割りとマジじゃないか。掠っただけでも消し炭だよ、今の。―――流石にちょっと危ないから先に退場願おうか」
しかし長嶋は再びふっと消えたかと思うと僅かに離れたところに再出現し、ケラケラ笑っていた。それどころか飛崎に向かって恐るべき速度で踏み込んだ。三上の目をしても捕らえきれない。ただ速いというよりも、その移動時間だけがすっ飛んでいるような、そんな不可思議な現象。
「こんの―――!」
それに対して刀を抜き放ったまま迎撃しようとする飛崎。だが、それを振るうよりも速く。
「っ………!?」
踏み込んだ長嶋が剣を握ったまま拳を彼の腹部に容赦なく突き込み、如何なる膂力が働いたのか飛崎は遥か後方へ吹き飛ばされていった。三上のIHSに飛崎の撃破判定が下される。
「さて、三上君。さっきのよく防いだね。ちょっとびっくりしたよ」
「お、押忍。勘でした」
ふぅっと残心を取って、長嶋がどうにか生き残った三上に声をかけると、彼は緊張で声を震わせながらどうにか答えた。
「良いことだ。大事にし給えよ。カンピューターなんて他人に馬鹿にされてもね。それは、言語化出来ないだけで経験から計算を省略して導き出された答えだから。閃き、とも言うね。面白かったからご褒美代わりに少し稽古に付き合ってあげよう。私は手を出さないで、ちゃんと炎雷も使うから攻撃してみてね。―――きっといい経験になると思うよ」
「ぐっ………!」
長嶋はうんうんと頷き、次の瞬間には三上の拳の射程距離まで踏み込んできていた。
思わず反撃を行う。だが、その尽くを長嶋は躱す。防ぐことすらしない。それを何と表現すればいいのか三上には分からない。拳を、蹴りを、掴みを、全ての攻撃が虚空を切る。読まれていると言えればそうなのだろう。だが、攻撃を重ね、相手の重心を誘導して確実に当たると思ったタイミングで攻撃を置いても躱される。
あのコマ落ちのような踏み込みが、回避能力にまで生かされている。
(まるで当たらねぇ!コレが炎雷………!?)
長嶋派炎雷流には、唯一の奥義がある。
本来その手のものは門弟にしか、あるいは伝承者にしか知らせないものだ。事実、御留流ということもあって長嶋の代まではそうであった。しかし彼は『人類が生き残れるのなら何でも使わなきゃね』と広く公開している。使えるなら使えと。所詮コレは技術にしか過ぎないのだから、それを多くの人間が習得することによって少しでも人類の生存率が上がるのならそれに越したことはないと。
炎雷。それが彼の流派の奥義。長嶋本人が言うには、歩法や体捌きを一纏めにしたものらしい。
もっと科学的な見地で見れば、脊椎動物の眼球には盲点―――生理的に存在する暗転と呼ばれる認識不可領域がある。だが、普段これらは両目でそれぞれの盲点を補完しあっており、それが抜け落ちたとしても盲点周辺の視野領域情報をつなぎ合わせて補填しているのだ。
だが、特定のタイミング、特定の速度で対象物を見ていると像を補正する機能が抜け落ちる。それは毎秒5回という速度でしか無く、あくまで脳による情報補完であるために真実にほど近い虚像でしか無いからだ。
結果、そこにいるという認識が本人にあっても、実際には違う場所に長嶋はいて、それがまるでコマ落ちフィルムのように錯覚をしてしまう。
そこを意図して突くのが炎雷という奥義。炎のように実像がなく、雷鳴のように踏み込んでくる。故に炎雷、と呼ばれているらしい。
そしてそれを突き詰め、長嶋のように炎の異能―――より正確に言うならば空気の熱を操作した結果起こる陽炎―――を組み合わせて使うと、彼を視界に捉える生物全てに対してこれは効力を発揮出来てしまう。
人間は勿論、適合者であれ、消却者であれだ。
彼は世界に対して、こう言っている。
『昔の偉い人は言いました。―――当たらなければどうということはない』と。
言うは易く行うは難しではあるが、実際に彼は実践して世界各地で数多くの伝説を残している。だからこそ、彼は武神と尊ばれ―――そして数多の絶望的な戦場を踏破して、救世主とまで呼ばれている。
そんな相手が奥義まで使って組み手してくれているのは、実に光栄なことなのだが―――。
(自信無くすぞコレ―――!)
実際に相対してこうまで全く当たる気配がないと、今まで自分の積み上げたものは一体何なんだろうと虚無感を覚えるのも仕方ないだろう。
「正治!そのまま頑張って!」
だが、そこへ中衛組が参戦した。
戦闘はリリィ、続いて宮村だ。その背後に新見が続き、突撃銃で牽制射を行う。それに合わせるように。
「風の抱擁!」
「『女王の断罪は歪なギロチン』」
リリィが放った風による束縛と、宮村がその上空に出現させたギロチン、更には新見の放った弾丸が長嶋へと容赦なく襲いかかるが、次の瞬間彼の足元にチロリと炎がまろび出たかと思うと。
「危ないなー」
一瞬で天を焦がすまで高く吹き上がって、迫る全てを燃やし尽くした。
「燃えた………?」
「嘘でしょ………」
絶句するリリィと宮村に、長嶋はぽんぽんと身体のホコリを払って。
「嘘も何もないよ。異能ってのはこの世にあらざる現象だけど、所詮は人間の想像物。相手の想像を凌駕出来るなら、書き換えてしまうことだって可能だ。ま、私の場合、異能が炎なんていう単純なものだからその分出力を簡単に上げられるんだよね」
何でも無いようにそう言い放って肩を竦めた。そこに新見が追加で突撃銃で斉射を加えるが同じように炎を出現させると銃弾を瞬間的に蒸発させた。
「おっとっと。とは言え折角ご褒美で組手の相手をしているのに遠距離組にチクチクされるのも邪魔だね。じゃぁ三上君以外は先に終わらせようか」
長嶋は天に剣を掲げると。
「―――墜ちる太陽」
祝詞と共に、剣先に白熱化した炎の球が出現した。まるで何もかもを飲み込むかのように、その炎の球へと向かって気流の流れが起こり―――。
「え?一体………」
それと同時に、新見、リリィ、宮村は勿論のこと、後方の式王子、加賀、東山まで急にぱたりと倒れて動かなくなった。あまりに唐突な幕引きに三上が呆然としていると、長嶋が補足する。
「ここら一帯の空気中の成分配列を燃焼させて変えたんだ。所謂一酸化炭素中毒って奴だね。まぁ、流石に後遺症が残らない程度には手加減はしたけど、呼吸がまともに出来なきゃ戦闘行動は無理だよ。適合者だって人間で、生き物だしね」
とんでもないことを言い始めた武神に、三上は尋ねる。
「何で俺は大丈夫なんです?」
「そりゃご褒美の為に除外したから」
彼は苦笑しながら出現させた小さな太陽を消し、両手の剣も腰の鞘に収めた。
「さて、これで私も素手だ。採点しようじゃないか、拳聖仕込みの技術を」
●
(心臓が鋼って、こういう時でも有利なんだなぁ………。割と新発見)
一瞬だけ意識を飛ばした新見は、しかし即座に視界に奔ったEmergency Rebootという文字とともに覚醒した。
どうやらヘリオスが非常電源よろしく酸素供給したらしい。とは言え、
長嶋も流石に殺す気は無いので、一酸化中毒と言っても倒れた時点で空気中の窒素配分を元に戻している。既に酸素供給も自呼吸で追いつき、そろそろ身体も動かすことは出来る。
(生き残ったのは正治だけ。後は全滅か。―――あれ?僕は撃破判定されてない?)
倒れたまま状況を探る新見に、IHSからの情報で自分が撃墜判定されていないことを知った。おそらくは意識を飛ばしたのが一瞬だったからだろう。網膜に投影されるメンバーのリストは、自分と三上以外は灰色になっていて、即ち撃墜判定されているのだ。
(これは、ワンチャンある奴………?)
気取られないように顔を伏せたままなので、長嶋と三上がどう戦っているのかはよく分からない。音でそれなりに善戦―――いや、直前の長嶋の物言いからしてご褒美代わりに三上とサシで組手を行っているようだ。
(どうしよう………)
状況をそれとなく把握して新見は考える。
このまま倒れたままで時間切れを狙うことは出来るだろう。こちらは味方全員のリストを持っているし、生き残りの把握は出来るが、敵方の長嶋には目視での確認しか許されていない。IHSから提供されている情報はマップデータだけだ。
つまり、戦術的勝利は得れる。逃げ切ることは可能なのだ。
(―――。いやいや、情けないのは今に始まったことではないでしょ)
それをちょっと情けないかなと自嘲してしまった新見は、苦笑しながら否定する。
元々、新見には確たる目標はない。精々生きているから仕方なしにその術を探っているだけだ。彼に取っての生きる目標は、全てあの場所に置いてきてしまった。そしてそれは、もう二度と手が届かない。
(生きる。生きるか………)
頑張って生きようとか、何かを成そうとか考えていない。
いや、正確に言えば―――。
(初恋を手放して、友達も死なせて、空さえ失った僕が………生きてても良いんだろうか)
考えたくなかったのだ。
新見の人生の殆どは、JUDASの実験体という立場だった。その中でも得たものは確かにあって、そしてその全てを失った。
だが最近、心に引っかかる言葉をあのハッカーの口から聞いた。
(
LAKIの言葉を思い出し、新見は一つの決心をする。
●
「はぁっ………はぁっ………!」
疲労と焦りから、構えが下がっているのを自覚しつつ、しかし三上は未だ長嶋と対峙していた。いや、彼は一切手を出していないから、させられていたと呼んだほうがいいだろう。
全く攻撃が当たらない。掠りもしなければ、ともすれば風圧すら感じないほど見当違いな所を攻めている気がしなくもない。
荒れた呼吸を整えていると、長嶋は静かに頷いた。
「うんうん。いい感じだね。特に一発狙いに来ているのも好感が持てる」
「何点………っすか………?」
「60点」
「意外と辛辣………?」
下された評価点に三上がガックリと肩を落とすと、武神はカラカラと笑いながら。
「基礎はできている。狙っている一発が当てられるのなら、応用も良しとして20点は加点してあげる」
「後の20点は………?」
「心構え」
すっと、その表情が抜け落ちた。
「君、何だかんだで訓練だと思っているでしょ?」
「え………?」
「危機感がねぇ、足りないよ」
長嶋はそう言って手を広げた。
「何も三上君に限った話じゃないけどね。まともに初陣を経験していない君達に言うのもどうかとも思うけれど、それでも全然足りない。レン君を除いて皆がね。まーだまだ遊び感覚だ」
そして先程極大の雷閃が走り抜けた跡を指差す。
「レン君が作った雷閃の跡を見てみなよ。とても訓練で人に使う出力じゃないでしょ?こんなの私でも直撃食らったらただじゃ済まないよ。でも、そうしないと私を止められないと踏んで躊躇いなく使った。親友の私を殺してしまうかもしれないけれど、それはそれとしてね。ま、実際には及ばなかったけれども。でも本来、適合者の訓練はそうあるべきなんだ」
死人が出たって良いんだよ、と武神は嘯く。人死を殊更に出したい訳では無いが、それも已む無しと考える理由は勿論あるのだ。
「温い訓練を積んで、実戦で仲間を巻き込んで自滅するぐらいなら、厳しい訓練で間抜けが一人が死んだ方が結果的に良いんだよ。長い目で見れば、その方が人死が少ない。本当はこの教練校もそうするつもりだったんだけど、小五月蝿い教育委員会の邪魔が入ってねぇ………。人権を掲げるのはいいけれど、それを人外の消却者が汲み取ってくれるわけがないのにね」
おそらく相当に苦労を経験したのか、彼の教育委員会に対する評価は非常に厳しい。
「私が毎月こうして君達の相手をするのも、何も弱い者いじめをしたいからじゃない。単純に、危機感を覚えてほしいからだ。私は世界最強だとか、武神だとか言われているけれど、それだっていつまでも続くものじゃない。いや、実際にはもう誰かに抜かれているだろうよ。怪我が原因で生身の肺は片方だけだし、それがなくても老いる度に体の何れかが弱っていくんだからね」
長嶋武雄は今年で70になる。
体力の全盛期はとっくの昔に通り過ぎ、かつての怪我の影響で戦闘可能時間に制限がついている。その上での加齢―――いや、老衰によって年々身体能力は下がり続けて、後何年、あるいは何回戦場に立てるかも分かったものではない。
本来ならば引退してもいい年だ。戦いから、教育者から遠ざかっても誰も文句は言えないだろう。だがそれでも、彼は体が動く内は誰かの導であろうとしている。
「もしも、私よりも強い相手が君達の前に立ちふさがった時、私のように手加減してくれるはずがない。ならせめて、その威圧感や強者が放つ気配を感じ取れるぐらいにはなって欲しいんだ。安全な今のうちにね。敵わないと分かれば、逃げることだって出来るだろうから」
そのための模擬演習だよ、と彼は言った。
世界最強とかつては、あるいは今でも謳われる男の圧力をその身で体感すること。上には上がいることをこれほど簡単に、そして分かりやすく感じることはないだろう。人は慣れる生き物で、慣れきってしまえば足元を救われるが、一度でも体験していればその対処法に考えを巡らせる余裕は身につく。少なくとも、恐怖に怯えて縮こまるだけで命を散らすことはないだろう。
「そして強固な個を相手に、必ずしも一人で立ち向かう必要もない。仲間がいるなら、そこに頼れば良い。だけどもし、逃げることも叶わず、ただ一人で強敵に立ち向かわなければならないのなら―――腹を決めなければならない」
即ち、自身の命を賭して目的を達成させること。
「それだって、訓練で何度もその状況をシミュレートしないと実戦では怖気づいてしまうものさ。火急の場で、恐れず怯えず覚悟を決めるなんて傍から見ればドラマチックでとてもカッコイイけれど、実際にやろうとするとそれはそれで案外才能が必要なんだよ」
そして才能がないなら、訓練で慣らすしか無い。全員が全員、その才能を持っていると叫ぶのは自惚れだろう。
武神との演習は、そう言った意味が込められた
「さて、と。息は整ったかね?」
語るだけ語って、長嶋は三上を見た。既に呼吸は落ち着き、両拳の構えも上がっている。三上も強く頷く。視線は長嶋を捉えつつ、その背後にも向ける。
「押忍」
「では狙った一発を放つと良い。そろそろ時間だから、次で最後だよ」
三上を拳を握る。
それが合図だとばかりに、声が響いた。
「―――正治!」
長嶋の背後から新見が急襲し、その身を羽交い締めにして拘束したのだ。
「
おそらく今の自分が扱える最大限。
右手に霊素と異能を混ぜ込み、正拳突きで放つ。極光、とまでは行かないものの白い光を伴って放たれたその拳の矢は真っ直ぐに羽交い締めされた長嶋へと向かう。
そしてそのまま彼の腹部へと直撃し―――。
「雑味はあれど、今の聖拳か。まだまだ水無瀬君には及ばないから………うん、偽聖拳と言った所かな。今のままでも大抵の相手には通用すると思うけれど、私相手には悪手かな」
その腹筋で防がれた。
プスプスと戦闘服は焦げ落ち、直撃の結果こそ見せているが、その下の腹部には傷一つ付いていない。年老いても尚割れた腹筋が、これ見よがしに無事を主張していた。
「なん、で………?」
「簡単な話だよ。霊素と異能と、後は筋力。波動とベクトルと衝撃を一点集中させ爆発させるのが
そう言って、長嶋はニコリと笑った。
「さて、新見君がまだ生き残っていたのは驚いたし、まだ遊んでいたい気もするけれど―――」
言葉を区切って、長嶋武雄の雰囲気が変わる。
好々爺とした空気から、武神と呼ぶに相応しい硬質な気配へと。
「時間だ。片付けよう」
直後、三上と新見は何をされたのか理解する間もなく意識を失った。
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