第三十六章 武神の所以

「結局駄目だったな」

「まぁ、コレばっかりは僕らの手には負えないしね」


 翌日、少々早めに班室に顔を出した新見と飛崎は昨日のことを話し合っていた。


 あれから取り出したデータのプロテクトを、何度かLAKIとシンシアが捏ね繰り回してみたが結果は芳しくなかった。安易なクラックは中のデータ破損に直結する、と言うのが二人の見解で、大人しくパスワードを探した方がいいと結論を出した。


 最終的に新見のヘリオスにもバックアップとしてそのデータをコピーされ、その日は解散となった。新見宅に戻ったアズライトはパスワードのヒントを思い出そうとウロウロと家主の邪魔をしていたそうだ。因みに、アローレインに戻ったアズレインもウロウロと落ち着かない素振りを見せていたらしい。種族は違うが同じ環境で育ったためか、行動が似通っているのが面白いな、と新見と飛崎は笑っていた。


「元々あの二匹の問題ではあるから、そっちに任せれるならそれでいいさ」


 二人の態度は完全に他人事のそれだが、事実他人事ではあるのだ。


 二匹共、アレコレと要求はするが自分自身がどうしたいか、あるいは何になりたいとか明確な将来のビジョンがない。いや、基本的に動物がベースとなっている彼らに学生の夢みたいな問答をするのもおかしな話ではあるのだが、彼等の求める『アイ』とやらを見つけた後の話をしていない。これまでのように新見や飛崎の世話になるのか、あるいは別の何かをするのか。


 現状に一杯一杯と言えば確かにそうなのだが、その先を見据えて相談をされなければ新見にしても飛崎にしても具体的な手伝いができない。彼等は庇護者であっても保護者ではないからだ。精々、彼等がその都度してくる要求に応えるだけだ。


 無論、子供の手を引くように率先して道を示してやり、導いていくことは出来る。だが、彼等は一般的な愛玩動物ではない。人の言葉を喋り、明確な自我を持ち、そして提示された命題に悩んでいる。人間社会に対し動物としての接し方ではなく、人と同等、あるいはそれ以上の知性を持って対等にあろうとしている。


 それに対して、アレコレと口を出して彼等の意志を捻じ曲げるのは傲慢だと二人は判断していた。そうするしか無いような逼迫した状況下ならば、その傲慢を貫くこともあるだろうが、少なくとも今、彼等は安穏と生活できている。


 自らの道に悩み、考える時間がある。


 だから、少なくとも新見や飛崎がああすればいいとかこうすればいいとか明確な助言はすることはないだろう。この二人は性格こそ比較的両極端なタイプだが、人生観は似通っている。少なくとも、自分のことは自分で決める、と確固たる我を持ったタイプだ。


 故にこそ、アズライトやアズレインにもそれを求めた。


(まぁ、僕もそろそろ決めなきゃならないからね………)


 正直な所、新見は自分の進路に対してなぁなぁな部分もあった。多分このまま卒業を迎えて、適当に圏軍に潜り込んで適当に無能な適合者をやって、適当に退役して後は適当な就職でもしようかと―――本当に進路に悩んでいる就活生からしてみると人生舐めてんのかコイツ、と呪詛が聞こえてきそうなプランを考えていた。


 ただ昨日、自分の能力に関して新たな見地を覚えた。これを上手く使えないか、と考え始めている。それについて、飛崎に聞いてみたいことがあるので口を開こうとし。


「おはよーございます」

「おはようございます」

「ああ、おはよう。―――それより今日が大変だよ」


 エリカとリリィが班室に入ってきて、新見は話題転換を余儀なくされた。特に秘密にしているわけではないが、アズライトやアズレインの話をダラダラしていると、飛崎の秘密にも行き着きそうだと考えたのだ。


「ああ、例のエキシビジョンマッチか」


 それを察したのか、飛崎も乗ってきた。


 例のエキシビジョンマッチ、とは毎月行われる対長嶋武雄武神戦である。何と世界に名を轟かせている武神の直々の手合わせという、中々に贅沢な訓練がこの鐘渡教練校では割と日常的に行われている。一回につき200人ぐらいが限度とされているため、複数回に分けられてはいるが、それでも全生徒が月に一回は世界最強クラスと手合わせできるのは得難い経験だ。


 流石は武神が経営する教練校だ―――と思うだろう。少なくとも、部外者にとっては。


 去年一年経験している新見からしてみれば、割と地獄絵図である。


 何しろ、地力や戦闘に対する考え方スタンスが違いすぎる。方や異能に目覚めて長くて数年、しかも肉体も成長期ということもあって鍛えきれていないひよっこ。方や老化や怪我でフィジカル面こそ全盛期にこそ程遠いものの、半世紀以上数多の歴史に名を残すような戦場、それも最前線で戦い続けてきた猛者。もっと言うならば、老いて尚下手な適合者を遥か後方に置き去りにするスコアを未だに軽く叩き出してくる現役だ。正直比べるのも烏滸がましい、とさえ新見は思う。


 だが、そんな長嶋武雄を知らない飛崎は首を傾げる。彼にとって長嶋武雄は、歳こそ離れてしまったが幼馴染の感覚なのだ。


「ぶっちゃけどうなんだ?武雄が強いのは昔っからだが、現在がどれぐらいなのかは話し程度しか知らんのだ」

「未だに人類最強」

「マジで?」

「割りと」


 真顔で頷く新見に、飛崎は軽く引いた。強い強いと言われてはいるが、歳も取ってるしそろそろ引退じゃねぇの?と思っていたのだ。知らない内に旧知が人類最強扱いされていれば反応にも困る。


「長嶋理事長の話ですか?」


 エリカとリリィが手持ちのカバンを置いて会話に混ざってきたので、新見と飛崎は頷いた。


「確かにガキの頃から腕っぷしはあったが、今じゃそこまでか」

「そう言えば、貴方あの武神と同い年なのでしたわね」

「色々と伝説作った現人神みたいな人だからねぇ。正直、そんなに詳しくない僕でも今から口頭で言い始めたらお昼休みになりそう」


 何しろ『消却事変』最初期から頭角を現してきた、適合者という存在の最古参。もっと言うならばその適合者という枠組みを側の人間だ。


 その在り方や規範、個人技や異能を用いた戦術、適合者の戦略としての運用などなど。今ある適合者、及び消却者の基礎的な知識や見識は大凡彼の経験が元になっている。むしろ、こと適合者に関して言えば関わっていない方が少ないぐらいだ。


 本人は生き残るために必死だった、とインタビューを受ける度に述懐しているがそれが謙遜ではなく事実であることは彼の戦歴が物語っている。


「あのオープンスケベのヘタレがねぇ………」

「理事長の事そんな風に言えるのレンぐらいよ?お父様ですら一定の敬意は持っているもの」

「一国の国家元首と同等かよ。出世したもんだ」

「でも気になりますわね。あの武神の子供時代」


 ぽつりと呟いたリリィの言葉に、新見とエリカは確かにと頷いて飛崎に視線をやった。


「んー、まぁスケベな馬鹿ガキだったわな。ぶっちゃけ今とあんま変わらん。いやまぁ、因果応報を食らうタイプの、一応笑える馬鹿だったから人の中心にいた。クラスに一人はいるだろ?素で芸人みたいな奴」


 それを受けた飛崎は、おもむろに実時間では半世紀前、主観時間では数年前のことを思い出す。


 クラスに一人はいるであろうお調子者。何の色眼鏡も掛けずに見れば長嶋武雄という少年は、そうカテゴライズされる―――身も蓋もなく言えば馬鹿な子供エロガキだった。


 何しろセクハラという言葉自体はあったものの、子供にはあまり馴染みが薄い時代だ。言葉や意味は知っていても実感はなく、連日のニュースやワイドショー、あるいはゴールデンタイムのバラエティに出てくる程度で、社会人って大変だなーぐらいしか思っていなかった。だからこそ本能の赴くままにクラスの女子の胸部装甲おっぱいについて熱く語り、教育実習生年上のお姉さんを全力で口説きに行き、覗きや窃盗など犯罪行為こそしなかったものの、不意にスカートが捲れて中身パンツを拝むと『ありがとうございます!』と感謝の意を示してはぶん殴られていた。


 端的に評してアホである。


 だがムッツリではなかったし、オチという名の報復を女子側から受けるので、何となく許されていたのは時代か、それともある種の人徳なのだろうか。


「だが、儂はアイツを見て心に刻んで学んだことが一つだけある」


 そう言って、飛崎は旧友の逸話を語りだした。


「儂とタケと、もう一人仲のいいダチがいてよ。同じ児童養護施設だったから、いつも三人でつるんでいたんだ。で、そのもう一人のダチが俳優志望の―――今風に言うとイケメンってこともあって女にやたらにモテてな。まぁ最初の内は嫉妬混じりにからかっちゃいたんだが、あんまりにモテすぎたもんだから不良共の悪意を買ってしまって、拉致られて集団でボコられたんだよ」

「いきなりリンチなの………?タイマンとかカセンジキでの殴り合いは………?友☆情は?」

「あの頃の学生の喧嘩なんぞこんなもんだぞ。底辺校だと日常茶飯事だから大して事件にもならん。タイマンの喧嘩はあるにはあったが、盛んだったのは儂等より上の世代だな。儂等の時はカラーギャングとか流行ってたから」

「えー………蛮族過ぎませんこと?」


 どうやら命の価値が軽くなった時代の人間から見てもそう思えるらしい。


 何にでも言えることだが、現行時代を生きる人間にとっては、旧時代の習慣や常識は良いか悪いかはさておいて、大概狂っていることが多い。物差しが変わったのだから仕方のないこととも言える。


「でまぁ、仲間集めて儂等もお礼参りしてやろうしたらタケの奴が真っ先にプッツンしてな。止める間もなく一人で不良共のたまり場に素手で突撃していって、儂等が追いついた時には全員半死半生だった。相手はそれぞれに武器持って二十人からはいたんだけどよ」

「それって『消却事変』前だから、異能とか霊樹とか無いんだよね?つまり、生身で二十人相手にしたってこと?」


 新見の訊ねに、飛崎は頷いて一同はドン引きした。


 個人能力を平均化した場合、戦闘の優劣を決めるのはいつの時代も数である。まして不確定要素足り得る異能や、身体能力の向上を見込める霊樹が無い状況で、対多数戦を行うとなると非力な子供相手でも苦労する。


 新見達がその条件で真っ当にやろうとするならばゲリラ戦を仕掛けるぐらいしか無いが、それにしたって有利なフィールドを用意し、できるだけ入念に下準備を行いたい。そして可能な限り相手よりも優れた武器を用意したい、と皆が考えるが、その時の長嶋武雄が素手ステゴロだと聞いて絶句する。


「結局、一人で全員半殺しにした上で病院送りにしたもんだから、割りと洒落にならない事態になってな。最終的には『先に手を出したのはそっちだから、被害届出すんならこっちも出してテメェ等の人生に土つけんぞ』って世話になってた児童養護施設の院長先生が諭したらなぁなぁになった。今考えても何でアレで収まったのかはよく分からん」


 ぶっちゃけ交渉や示談よりも脅迫や恫喝の類だったような気がしなくもないが、結果的に停学1週間で済んだのは奇跡だったと飛崎は語る。


「相手もナイフやら釘バットやらで武装してたのに、タケの奴素手で全員伸してよ。遅れて到着した儂等がコレ何て漫画だよと突っ込んだもんだ。まぁ、その時にヘタレってのは安易に敵に回して追い詰めちゃ駄目なんだなぁ、と学んだわけだ」

「子供の頃から武神だったのですね」


 感心するようなリリィの言葉に、飛崎は頷いた。


「元々、アイツの生家が道場やってたんだよ。そこがダムに沈んで門下生もいなくなって、師範で唯一の肉親だったアイツの爺ちゃんも癌で死んじまったもんだから、代々継いでいた長嶋派炎雷流もアイツ一人になったんだと」


 身寄りの無くなった長嶋は、飛崎が身を寄せていた児童養護施設に預けられることになった。中学を卒業後は近所の電気屋に就職し、進学を選択した飛崎達とも親交を続けていたらしい。


「はぁー………今、ある意味鐘渡教練校卒が門下生って事を考えると、たった一人で再建したんだねぇ」

「レンも学んだの?エンライ流」


 エリカの尋ねに、飛崎はぽんぽんと自分の足を叩いて。


「その時儂はピアニストを目指していてな。手が大事だったから習うは習ったが足技を適当に」

「ピアニスト。レンが?」

「似合わないですわね………」

「正直、そんな感じがしないよね」


 一致団結して顔をお見合わせる面々に、飛崎は口元を引くつかせて。


「おいコラ。こちとら当時海外留学が決まるぐらいの腕はあったんだぞ」

『えー………』

「よっしテメェ等そこに並べー?傭兵仕込の泣いたり笑ったり出来なくなる矯正法を身をもって伝授してやる………!!」


 青筋立てて襲いかかる飛崎にきゃいきゃいと騒ぎながら三人は逃げ出した。


「おはようごいます………って、なんじゃこりゃ?」


 そんなカオスな状況に出くわした三上は、入り口で呆然とする羽目になったとか。




 ●




 開校して今年で32年になる鐘渡教練校では、伝統的に行われている行事の中に模範演技と題打った訓練時間がある。一体多数―――より正確に言うならば長嶋武雄一人対生徒複数という形式で行われる訓練は、開校直後はもっと厳しい形で行われていた。


 即ち、全力の武神VS全校生徒+教職員という総力戦もかくやと言わんばかりのえげつない訓練内容だった。数の上では長嶋の方が圧倒的に不利なのだが、そこは当時からして武神の名を恣にする男である。過去、一度として生徒側に勝ちを譲ったことがない。


 そもそも、彼が適合者として世に出てから、確実な敗北は1つとしていない。


 本人の言を借りるなら、『佐奈の手を取れなかった時と、佐奈を失った時かな。私が敗北だと思っている戦いは。後はコウ君と本気でやりあった時に引き分けたぐらいか。それ以外は負けてないね』である。


 余人には理解できない述懐ではあるが、公的記録では人員損失こそ出したものの少なくとも作戦目標は達成してはいる。


 そんな男が全力も全力、ガチで襲いかかってくるものだから、如何に人数が多くても戦闘らしい戦闘にはならず、柔らかく言うといじめ、正確に言い表せば蹂躙にしか見えなかった。


 いや、実際に蹂躙するのが目的だったのだからそれは正しいのだが。


 死人こそは出していないが実際に怪我人も多く出ており、人によってはトラウマで精神を塞いだ生徒も出た。余りに苛烈な訓練に、当時の教育委員会も問題視にし、訓練内容の変更を求めたのだが長嶋はこれを突っぱねた。


 曰く『別に止めても良いよ?だけど戦場に出て、明らかな格上が現れた時、「自分は貴方に勝てませんので許してください」って言って通ると思う?感情もなく踏み潰されるだけだよ?そして踏み潰された生徒に対して教育委員会は責任どうやって取るの?アンタ等一人二人の首を飛ばしたところで死んだ生徒は帰ってこないんだけど?と言うか戦場に出もしない、消却者を一匹も殺したこともないのに銃後に隠れて批判と非難するだけなら解散してくれない?存在しているだけで迷惑なんだけど。つーか面倒くさくなってきたからそろそろ物理的に首飛ばしたい』である。


 当時、そろそろ30も中頃になっていたと言うのに未だに血の気が多かった長嶋は、今まで散々訓練に関して邪魔されてきた鬱憤をそこで開放して大問題になった。教育委員会は勿論のこと、国会でも議論の対象となり、紆余曲折があったのだが、そこは割愛する。


 因みに、心に傷を負った生徒の一人は、後に皇竜を討伐し屠竜勲章を授与されて日本国軍北方方面軍特殊作戦隊隊長に若くして任命されている。彼はその時のインタビューで『皇竜より長嶋理事長の方がずっと強いし怖いですね。あの人とサシで戦うことに比べたら皇竜なんてデカいだけのトカゲです』と苦笑していた。


 しかしながら彼の訓練が見直され、正当に評価される頃には長嶋自身がハンデを背負ってしまった。


 全力戦闘で一日20分。


 それが世界最強の男に許された制限時間だ。無理をすればそれ以上も可能だが、老いた身体はついて行かないだろうし、間違いなく命を削る。いや、古希も近くなって未だに全力で20分動けることを考えると、異常とも言えるのだ。


 そうした制約の事情もあって、幾分マイルドにはなりはしたが長嶋は未だに自ら剣を持って生徒達を鍛えることに拘っている。


 どうやっても戦場に出ることになるのなら、せめて少しでも生き残れるようにと―――例えそれが自分の身を削る行為だとしても。


「………という訳で、諸注意を守って楽しく地獄の訓練しましょう。では、長嶋理事長、開始前に一言」


 尤も、その心積もりは余り理解されていないが。


 それぞれの武器を手に、整列して傾聴する生徒達を前に長嶋はマイクを手に訝しげな表情で首を傾げた。


「うん、毎度毎度私との訓練が地獄扱いされているのは何故なんだろうね?たまに七菱のクソジジイに会いに行って手合わせしようかって言うと、あそこの訓練生は泣いて喜んでくれるんだけど」


 声にこそ出てはいないが、『あんな修羅の国の住人と一緒にしないでくれ!』とその場にいた大体の人間は心を1つにした。


 困惑や戸惑いを覚えているのは、これから行われる訓練の内容を身を以て体験していない一年生だけだ。彼等はまだ『世界最強が稽古付けてくれるなら光栄なことじゃないの?過去に問題になって温くなったなら自分達でも行けるだろうし』と疑問に思っていた。


「これでも昔よりかはマシになったんだよ?私が体を壊す前は一日朝から晩までやっていたし、今みたいに小規模じゃなくて教官まで含めて教練校全体と私だったし。あの頃は楽しかったよね、水無瀬教頭」

「対皇竜戦を毎月やっている感覚でしたな。正直、私も歳を取って衰えてきているので―――もうマジ勘弁」

「えー」


 話を振られて水無瀬はすっと視線をそらして拒否した。拳聖と呼ばれた男でさえ、思わず口調が若返るほど酷い思い出らしい。


 本気だけど死なない程度には加減しているしいい経験になると思うんだけどなぁ、と長嶋は憮然としつつも生徒達を見回して。


「まぁ、そういう訳で20分間は全力で相手してあげる。私の都合で悪いんだけどね。それじゃぁ―――」

「ヒャッハ―――!!」


 開始する前に黒い影が気勢を上げて長嶋へと飛びかかった。


「っと、カツ君。まだ合図していないよ?」


 木林だ。2mはある刃引きされていない槍を本気で長嶋に突きこんだが、マイクの柄頭で受け止められた。長嶋は木林のそのフライングを咎めるが。


「うっせぇクソジジィ!戦場にヨーイドンの合図があるんかよ!?」


 気炎を上げてじり、と更に押し切ろうと体重を前へと倒す。


 しかし。


「そりゃそう―――だ………!」


 長嶋は掛かってきた体重と重心を一瞬身を引くことでいなし、次にマイクを手放し、再度一歩踏み込み木林の足元を払った。スパン、と小気味いい音共に足払いを受けた木林はそのまま宙空に半回転し背中から地面に叩きつけられ。


「がっ………!」


 腹にストンピングの追撃を受けて気を失った。


「悪いね。昔より相手する人数は少なくなったとは言え、20分の間に200人を相手にしなきゃいけないんだ。今日は余り構ってあげられないんだよ」


 いつもならもう少し手を出させるが、諸事情があるからと弟子を適当にあしらった長嶋は、木林を踏みつけたまま硬直している生徒達を睥睨した。


「さぁて―――ちょっと遊ぼうか」


 この日のことを、一年生は生涯胸に刻んで二度と忘れることはなくなる。


 武神とは、例え年老いたとしても、凡人の相手になるものではないのだと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る