第三十四章 蠢動する悪意
2049年現在、統境圏の裏社会は3つの組織が牛耳っていた。
安曇会と広辻会、伊藤組の3組織だ。元々、これらの勢力は自警団の意味合いが強かった。2000年代初頭、政府が障壁を用いて圏域を作り、比較的安全な生存圏が出来たは良いが、人間、安全性を確保して落ち着くとろくでもない考えを思いつく輩が出てくるものだ。単なる犯罪なら警察組織―――この頃には既に圏警と名前を変えていた―――に任せておけば良いというのが前世紀の平和な時代の考え方だろう。
だが、2000年代初頭、つまり『消却事変』から以降十数年は俗に黎明期と呼ばれる時代で、物資は勿論人的資源も底が見えている状況にあった。何しろ世界の総人口が10億ぐらいまで落ち込んでいたのだから。
人材はボウフラのごとく湧いて出てくるわけではなく、それに加えて消却者の対応にも追われる。それでも人を割いて治安のために警察組織を維持こそした。だが当然、維持するのにもリソースは必要で、必然的に手が回らない事件が多くあった。
この国が一度経験した敗戦直後の暗黒期の治安に似ている、と僅かに生き残った戦争経験者達が口を揃えて言ったそうな。
ともあれ、圏警があまり当てにならない以上、どうしても自衛をしなければならなくなる。元より消却者の脅威や適合者の台頭もあって、銃刀法違反や憲法第九条等々で雁字搦めにされていた武装放棄を求める法律は有名無実化されており、人々は自衛のために武器を取ることを問題視しなかった。そうした法律も、しばらく後に再整備されている。
さて、しかし一般人が武器を手に取ったからと言って即座に身を守れるとは限らない。武器の習熟は勿論のこと、トチ狂った犯罪者相手に武器を持っただけの一般人が無事に切り抜けられるかと問われれば首を傾げざるを得ない。ではどうするか。ここで話が冒頭に戻るのだ。
つまり、徒党を組んだわけである。最初は正直、町内会の感覚に近かったようだが、適合者の中にも異能を用いて犯罪を行う者もいた。それに対抗すべく系統だった組織化し、重武装化し、勢力を拡大していった。
そしてそれぞれの勢力が大きくなっていけば当然、勢力同士の争いが起きる。俗に抗争と呼ばれる反社会組織同士の戦争である。
ここに至って、守るべき民間人にも被害が出始めた。
さて丸っ切り二次大戦後の日本と同じ流れではあるが、その頃と違うルートを圏警は辿る。放置こそしなかったが、締め付けもしなかったのだ。まずは抗争している勢力を3つに絞られるまで争わせ、手打ちにさせる。そして、その後に国が彼等が主張する縄張りを圏軍を投入して全て取り上げた。当然、反発が生まれるが、国は彼等にこう囁いたのだ。
こちらが指定する場所を縄張りとするならば、それになりのお目溢しをしてやるし、治安維持に協力するなら相応の礼もする、と。
無論、拒否は出来なかった。ヤクザと言っても正式な訓練しているわけではないし、適合者でもない。その時には人口も増えていたので国軍から支援も受けられる圏軍7万人を相手に総力戦など出来る訳もなかった。
結果、3つの勢力は自分の本拠地を残して、飛び地という形で統境圏各地の裏社会の治安維持に注力することになる。その後、看板が変わったり離合集散を繰り返ししたり紆余曲折こそあったものの、今の3つの三組織に落ち着いた。
さて、そんな統境圏の裏社会事情に、昨日一石が投じられた。
伊藤組の事務所が何者かに襲撃され、詰めていた主要幹部関係者が皆殺しにされたのである。
(―――割りと冗談じゃすまねぇんだよな………コレ)
その一報を灰村が馴染みの情報屋から聞いた時、頭を抱えた。
一体どんな知恵者が国を相手に清濁併せ呑ます選択をさせたのかは分からないが、その天下三分の計の如き絶妙なバランスで統境圏の裏社会は成り立っていた。
無論、犯罪行為はあるし、余り派手にやらかせばとっ捕まるのは変わらないが、旧世紀の警官よりは鼻薬は効くし、最終的に治安に結びつくのであればと目溢しをされていたのだ。灰村とてそのお目溢しにあやかっている人間で、つい昨日も馴染みの店で薬物中毒者が乱闘騒ぎを起こしたので全員半殺しにした。人数が多かったので手加減が難しかったのだ。病院に送られ後遺症も残ったようだが、警察は相手がラリっているのを良いことに階段で転んだことにして、身元引受人には店の補償費云々を口にすれば大人しく引き下がった。弁護士を立てて争い始めるなら、それは広く周知され、結果地元にも居られなくなるだろう。旧世紀と違って、違う土地に行ってやり直そうにも圏を出て別の圏に引っ越しするとなると相当な労力を強いられる。なら、違法薬物の一件だけに絞って罪を償った方が結果的に安い。
このように最終的に治安に帰依するのなら、それとなく協力をしてくれるのだ。法の番人も現代社会が杓子定規ではまかり通らないことぐらい理解しているのである。
そんな風に蜜月でこそ無いが独立独歩、そして持ちつ持たれつの関係である圏警とて、数十人が皆殺しにされた事件ともなると本腰を入れざるを得ない。まして子飼いこそでないが、伊藤組は裏社会のバランスを保つのに必要な要石の一つなのだ。その均衡を崩すような真似を見過ごせるわけもない。
(っとに、何処の馬鹿だ)
灰村が車を飛ばし、向かう先は習志野だ。そこに伊藤組の本拠地があり、事件現場でもある。千葉街道から一本奥へと入り、古墳群の近くにあるコインパーキングに車を停める。そして徒歩で住宅街へ赴くとその建物があった。白壁に囲まれた広い敷地に、平屋の一軒家。門こそ防犯の機能を求めて近代化されてはいるものの、確かに見事に古き良き日本家屋の佇まいを見せていた。
だが、その立派な建造物の前には立入禁止の黄色テープが貼られ、入り口に圏警の歩哨がいた。
一応民間人の枠組みの灰村が真正面から入れてくれと言った所で入れないだろう。というよりも、話を聞きつけてきたのか既にテレビクルーの面々が待機していた。押し入った所でマスコミと一緒に公務執行妨害か何かでしょっ引かれるのが落ちだろう。
さてどうしたものか、と灰村が悩んでいると、入り口から何人かの私服警官がぞろぞろと出てきた。すかさずマスコミがインタビューを仕掛け、その場が騒然とする。警官たちももみくちゃにされ、怒号が響き始めるがカオスな状況は収まりそうにない。参ったなこれは、と二の足を踏んでいると、雑踏の中から一人の男が抜け出てきた。
ぼさぼさの天然パーマに無精髭、ヨレたスーツに履き潰しかけている革靴と、もうちょっと身だしなみに気を使ったらどうだと苦言を呈したくなるその中年―――松井裕二とは、見知った顔だった。
「よぉ、旦那。現場はどうだった?」
「トラか。お前、今回の件は―――関わってないわな」
「あん?どういうこった」
「いや、あの現場を見たらさぁ………」
声を掛けてみると、松井は歯に詰まった物言いをした後、懐から紙タバコを取り出して、裏路地を指さした。
「ちょっと付き合え」
男二人連れ立って、未だ騒然としている伊藤組の玄関を後目に、裏路地へと身を滑り込ます。
「先に聴きたい。お前、安曇会と広辻会には顔は効くよな?」
松井は咥えたタバコに火を付けて、一息肺に煙を注いでからそう尋ねた。
「まぁな。若い頃はどっちとも揉めたし、安曇の組長は話がわかるお人だから懇意にはしているがよ。だから話を聞いて直ぐに情報収集に動いた」
「今回の件、抗争じゃない」
「ん?大分大胆だとは思うが、大規模な殺しだったんだろう?」
灰村も一服しつつ尋ねると、松井は首を横に振った。
「ヤクザモンの手口じゃないぞアレ。獣が好き放題に殺して回った、そんな感じだ」
「それは………」
「鑑識の連中が言うには凶器は一切無し。全員、殴って蹴られて死んでいる」
松井が言うには、中は相当に酷い状況になっているらしい。惨殺、というよりも屠殺に近い容赦の無さで、しかし用いた殺し方は打撃に限られている。だが、その一撃で人体を貫き、あるいは破裂させていることから、何らかの異能を用いる適合者が犯人なのは疑いようがない。
「―――押さえは効くと思うか?」
「無理だな。ここ最近、平和だったからどちらも力は溜まっている」
急に話を変える松井に、察した灰村は首を横に振る。
二人共、実の所伊藤組の興亡はさして興味はない。所詮はチンピラの類だ。死ぬも生きるも自分次第の渡世で生きていて、己の力が及ばずに死んだだけ。同情はするが、殊更救う必要性は無いと考えている。二人が憂慮しているのは、伊藤組が潰れる事で起こる次の事態だ。
前述したが、現在の統境圏は3つの勢力で均衡を保っている。その一角が、他の勢力と抗争もせずに潰れたのだ。ならば次に起こるのは伊藤組の残党処理。然る後に、残った勢力同士の頂上決戦。
即ち、統境圏での動乱が危惧される。
「止められないか?」
「安曇の組長は理解は示してくれるだろう。だが、あの人も極道、もっと言うなら人の上に立つ人間だ。自分の組織に利益も不利益もあるのに座して黙っていられるほどボンクラでも日和見でもねぇ。広辻会に至ってはどうにもなんねぇな。去年俺も揉めているから、今は話すら聞いちゃくれないだろう」
「そうか………」
「どうしたんだよ、旦那。嫌に弱気だな」
タバコの灰を見つめ、静かに呟く松井に灰村が尋ねると、彼は訥々と語り始めた。
「ここ最近、不穏な動きが多い。先月、奥多摩で火事があっただろう?」
「ああ、全焼したんだっけか」
「アレ、JUDASの仕業だそうだ」
無論、灰村は知っている。その事件の生存者―――いや、生存猫を保護しているのだから。
「最近流れてるブルーブラッドの供給先も5課の連中が嗅ぎつけてさ、広辻会を通じて、それもJUDASに行き着いた」
それも灰村は知っている。一ヶ月前にメイドを連れた青年の依頼を受け、ある程度の事前情報を貰っているのだから。
目を背けていた訳では無いが、彼等が去年に続いて妙に精力的に動いているのは見て取れる。そして、JUDASも一組織である以上、意味もなくその活動が活性化することはないだろう。当然、何かの目的に沿って行動を起こしている。
行き着く先が何であるか。それは彼等が国際的なテロリストとして世界に認識されているのだから、想像に難くないだろう。
「あの害人共、またぞろ何か起こすつもりだぞ、この日本で」
苦々しく絞り出すような松井の言葉に、灰村は苦笑する。
「おいおい、公僕が差別はまずいだろう」
「差別されたくなきゃ同胞の犯罪ぐらい自分達で止めるなり始末するなりしろよ。都合のいいときだけ被害者ぶるくせに、大勢悪くなりゃ人権を念仏代わりに唱えて国外逃亡しやがる。最初に日本人の人権踏みにじったのは自分達なのにな。その上、逃げた先の国だって条約があっても引き渡しに応じやしない。窃盗、恐喝、詐欺、強盗、強姦、殺人。俺達圏警に限らず、この国が昔っから海外勢力にどれだけ食い物にされていると思ってんだ」
吐き捨てるのは政治に阻まれる正義の嘆きか、それとも縦割り組織に有りがちな公僕の悲哀か。
何れにせよ、正義の味方は現実では上手くは行かないようだ。
「悪い。愚痴った」
「いいさ、その気持ちは分からんでもない。その手の輩は俺らでも面倒だしな。面倒だけで済む俺の方が幾分マシなのは理解するさ」
言葉が通じないだけならまだいい。道徳や価値観がそっくり違うと、常識や良識まで違ってくる。自分達の正義が、他所の土地での悪であることなど良くあることだ。郷に入っては郷に従えなどという言葉はあるが、我の強い人間は何よりも自分が第一優先だ。灰村のようなアウトローなら適当にシバいて言うことを聞かせればいいだけだが、警察機構の肩書を持っているとあまり暴力的な解決だけに頼り切ることも出来ない。そうして強硬手段に出ないでいると、相手は舐めきった態度でシラを切ろうとする。
松井―――いや、警察にも名状しがたいジレンマがあるのだろう。
「実際問題、何が起こると思ってる?去年みたいなテロか?」
「それで済めば安いさ。歴史に残るような事件の匂いがプンプンするぜ」
「旦那が匂い云々言い出すと当たるんだよなぁ………」
さてどうしたもんかね、と天に登りゆく紫煙を眺めつつ、オッサン二人が頭を抱えていた。
●
その男、ブライアン・カルデロンはJUDASと言う組織に入って、そろそろ10年を越えようとしている。
元々、アメリカ系移民としてコロンビア―――現在の新合衆国で傭兵をしていた彼は、23の時にJUDASに入信した。最初の内は教義に感化されたとか、内部に入り込んで情報を掠め取ろうとか思っていたわけではない。単純に、傭兵としての居場所がなくなっただけだ。
とある戦場で、『歩く天災』の一人と出会った。その青い瞳の死神に、傭兵団ごと薙ぎ払われたのだ。
比喩でも揶揄でもない。文字通り、一刀のもとに、それこそ邪魔な雑草を薙ぐ感覚で刈り取られた。
生き残ったのは、単に運が良かっただけだとも言える。まるで世界の終わりのような深い爪痕が残る戦場を、ただ一人ボロボロの体を引きずって歩き、行き倒れる寸前にたまたま通り掛かったJUDASに拾われたのも。
帰る場所もなく、さりとて行く末を気にするような家族も居ないブライアンは、そのままJUDASに身を落ち着けた。復讐を考える程仲の良い仲間も居なかったし、そもそも人の身で災害に数えられるような化け物相手に凡人の自分が勝てるとも思わない。
宗教家としては、未だに目覚めていない。
いや、そもそも、JUDASに明確な宗教家は居ないのだ。
一応の教義として、人類を天使と定義した消却者に食わせて生物としての次元を上げさせる事を目的としている。だが、それは表向き―――と言うよりは、異能による洗脳を用いて、何時でも蜥蜴の尻尾切りを行える末端の信者達を動かすための方便にすぎない。
その洗脳が効かない強い心を持つ者が、真のJUDASの信者である。
そして、強い心を持つ者は教皇に謁見する資格と、この世界とJUDASの真実を与えられる。その後の身の振り方は自由に決められ、JUDASに残る者は役職を与えられる。尤も、この世界に差し迫った危機と、その証拠を見せられた者は全員が―――それぞれの思惑はあるにしろ―――残留を希望している。
ブライアンの場合は、今更放り出されても行く宛がなくて困ると言うのが半分。ああも恐ろしい真実を知らされれば去った後に始末されないかとか、仮に何処行っても脅威から逃れられないという諦めが半分だ。
結果彼はJUDASに正式に所属することになり、能力や経験を鑑みて司祭の位を与えられた。宗教の位に当てはめれば分かることだが、下から二番目。単なる中間管理職とも言える。とは言え、単純な戦闘能力がそこそこあり、傭兵時代に培った統率能力を買ってもらえているため、今は三人いる枢機卿の側仕えとしてそれなりに重宝されている。今回の作戦を無事終えたら、司教へと推挙してやるとメティオン枢機卿からも太鼓判を押されている。
そんなブライアンは、自身の進退も掛かっている今日の会議に、緊張の面持ちで挑んでいた。拠点にある作戦室、そこにブライアンの他に二人いた。
一人はこの極東支部の統括であるメティオン枢機卿。ブライアンの直接の上司に当たる。
もう一人は、JUDASに食客として迎えられている無貌。『歩く天災』の一人に数えられている彼が、何故JUDASに客将として迎え入れられているかは知らないが、あの教皇に真正面から物申せるというブライアンにとって恐るべき人物である。
「では、まずは現状を整理しようか」
「あの、シュガール大司教は?」
三人が席に着き、メティオンが口を開いた所でブライアンは疑問を口にした。しかし、彼は憮然とした表情で。
「寝てるよ。あの男は基本夜行性だし、地頭は良いがこうした策謀は得意ではないから不要だ」
「意外と評価しているんですね」
「本質を見抜く目はある。我儘を通す力もな。だが、そこに至るまでの過程を全て本能的に省略して暴れるから常人には狂人にしか見えない」
昨日、気の赴くままに血を見に行った男に対しての上司の意外な評価に、ブライアンは感心したように頷いた。
確かに、JUDAS内部に於いてもシュガールの立ち位置は不思議な所がある。
同格の大司教連中の中では間違いなく最強格。戦闘を不得意とするメティオンを除く、他の枢機卿に迫る戦闘能力を有していはいるが、一向に次期枢機卿に押される気配もなく、本人も役職に無頓着。それでいて、教皇のお気に入りで、『いつか猊下とはどっちが上か決着をつける』と言って憚らない。大抵のJUDAS関係者は不敬だと憤るのだが、当の教皇が『いつでも来ると良い』と楽しげに答えるものだから、誰も何も言えない。
主従関係にありながら、まるで宿敵のような関係性は、他人であるブライアンには測りきれない。彼がシュガールに関して言えることは、何か狂犬みたいなヤベーやつ、である。
「それを枢機卿が言うかなぁ」
そして、ブライアンから見て、シュガールと同等レベルでヤベーやつがぶっきらぼうに口を開いた。
「何か問題があるかね。無貌」
「問題というか文句だね。何で僕を呼んだのさ」
「食客だろう?手を貸してくれ」
憮然とする無貌に、メティオンがそう告げると、彼はますますしかめっ面をした。
「それを言われると痛いんだけど、既に貸したでしょう?と言うか、僕自身の計画があるから――」
「ブルーブラッドも作戦に取り入れたい」
「ちょっと。あんまり余計なことされると困るんだけど?」
「だから事前に話をしている。私とて君を敵に回したくないからな」
「ふぅん………」
ぴり、と空気に音があるのなら、今間違いなく凍る音がした、とブライアンは脂汗をこめかみから流す。
眼の前のこの存在は、『歩く天災』に数えられる無貌。幾つもの顔を持つこの存在には雌雄があるのかすら不明。単純な戦闘能力は、シュガール曰く『真正面からやり合うなら僅差で俺が勝つ』と言わしめる。それをその程度と捉えるか、それほどと捉えるかは受け取り手次第だが、別の『歩く天災』との交戦―――いや、遭遇経験があるブライアンからしてみれば、どれもが平等に化け物だ。
そんな存在が探るように目を細めているのだから、凡人であると自覚するブライアンには、たった数秒でさえ心胆寒からしむ時間であった。
「ま、いいでしょう。ただ、本当に手を貸すだけだ。僕自身は矢面に立たないし、戦闘になったらとっとと逃げるよ。あくまで本命は来年だから」
ふっと威圧が霧散し、今更ながらじっとりと手汗を掻いていたことにブライアンは気づいた。心臓に悪いと胸中で愚痴るが、既に年寄りのくせに強心臓を供えているメティオンは淡々と続ける。
「それで構わん。君の計画も『I.R計画』の補助計画であることは承知しているからな」
「データ取りされている事は正直不快だけどね。色々便宜を図ってもらっているから文句は言わないよ」
一通り話がついた所で、さて、とメティオンは話を本題へと勧めた。
「話を戻そう。現状、下地は整いつつある」
「ダイダロスの整備は万全です。エイドス・セブンも順調に稼働しており、試験駆動も成功。何時でも出撃可能です」
卓の中央に詳細なレポートを表示させながら、ブライアンが報告を行うとメティオンが頷いた。
「ハルピュイアの方も順調だ。ただ一つの、そして致命的な問題を除いては、だが」
「正直、大丈夫なの?必要なのはコアの複製だっけ?」
「姫さえ手に入ればどうにでもなる。―――一昨年の脱走騒ぎがこうも響くとは思わなかったがな」
一昨年の脱走騒ぎ、と言われて思い出すのが予てより試験的に調整していた個体達の逐電だ。
ハルピュイアの前身、イカロス計画の最終ロットであるその三名の被検体は、より高度な高速戦闘を行うために最初から洗脳による調整を行われていなかった。狙い通り、洗脳を行った個体よりもより戦術を理解し、技能の使用も適宜行える優秀な結果を示したが―――自我を遺した影響だろう、自身の置かれている状況に疑問を持ってしまった。その後の成長への影響を考えて、試験的に壱号機への洗脳を開始し、それが終わる頃に件の脱走騒ぎが起こった。
結果、二名の被検体はまんまと脱走し、追撃も振り切った。いや、こちらの追跡こそ振り切りはしたが、戦闘のダメージは深く、あの状況では助からないと判断された。
痛いのは、追撃部隊とそれを率いていた洗脳済みの被検体の撃破だ。イカロス計画の最終ロットは三体存在し、その内一体はこちらの手の中にあったため逐電に参加しなかったのだ。だから当時の警備隊長が追撃に差し向けたのだが―――。
「ヘリオス、ねぇ………。オリジナル3つの内、1つは完全にロスト、1つは行方不明、手元に残ったのは1つだけ。それも破損してて直しはしたけど完動までいかなかった。後はレプリカだっけ?」
無貌の言葉に、ブライアンは吐息する。
ヘリオス搭載機であるイカロスαはイカロスβ、イカロスγに撃墜された。αのコアであるヘリオス壱号機こそ後に回収したが、盛大に大破しており修理はしたものの完動はしなかった。
戦闘の最中、αはγに致命傷を与えており、後に信号が完全にロストしたことから死亡したと判断された。βに関してはそのままレーダーの感知外に逃げ切り、行方知れずだ。だが、γ程ではないが戦闘で重傷を負っており、その後の周辺調査で情報が出回らなかったことを考えると、やはり死亡したと思われる。
尚、メティオンの留守中に大事な被検体を勝手に実戦投入した警備隊長は物理的に罷免されている。
ともあれ下手に自我を遺したのが悪影響を与えたと判断し、以降のハルピュイア計画の被検体は最初の段階で駒として洗脳し自我を消している。これでソフト面では運用可能となったが、今度はハード面で問題が出た。
「ああ、短期駆動は可能だから訓練はさせているがな。正直、出力不足能力不足だ。このままでは防空すらままならん」
イカロス計画は元々、ハルピュイア計画の事前計画ではあった。だから戦闘データと動作データを取れればよく、最終段階ではその心臓たるヘリオスを取り外し、リバースエンジニアリングして複製の予定だった。だが、その最終段階で被検体に気づかれたのか、脱走されたのだ。
確かに、自我を持っている彼等の気持ちは分かる。ヘリオスを取り外してリバースエンジニアリングに回すということは、自身の心臓の肩代わりをしている―――いや、彼等にとっては心臓そのものを外すということなのだから。
齎される結果は死に他ならない。
脱走事件は一昨年。それから今日に至るまで何もしていなかった訳では無いが、残ったヘリオスの残骸とデータ取りしていた時の記録を元に、どうにかして作り出したのがヘリオス・レプリカだ。それらは既に量産され、取り敢えずハルピュイア達に積まれてはいるが、元々予定していた基準には到達していない。
「やはりダイダロスだけでは不足ですか?」
「アレを見て、今更火力や防御力を論じる必要性はないだろう。問題は機動力と小回りだ。まぁ、あの手の巨大建造物の宿命みたいなものだが」
「確かに内部に侵入されて工作、とか弱そうだもんね」
「内部防衛は手勢でどうにかなるだろうが、それとて限度はある。まず前提として近寄らせない防空能力の底上げが必須だ」
せめて完動品があればな、と眉根を寄せるメティオンに、無貌が首を傾げる。
「結局それも天才の遺産でしょ?弟子の君が何とか出来なかったの?」
「言わんでくれ。師と比べられると及ぶわけがないと理解しているのに気分が下がる」
それに対し、メティオンは憮然とした表情で首を振る。
「エイドス・システムと同様だ。あれを構成している極小規模霊素機関部分は再現できるし、実際しているが、その制御の基幹部分となるコアはスパゲッティコード化していて完全に再現するのが困難だ。可能は可能だが、相当の開発時間を覚悟しなければならない」
「分からない訳じゃないんだ?」
「必要な部分だけ抜き出せば理解できる。だが、それだけで組み上げると一定出力でリミッターが掛かったようにストールする。調べてみれば、冗長的に組まれたはずの不要コードがシステムの要になっている場合もあって正直理解できんし、何故意味のないはずの変数がシステムを走らせるための根幹を担っているのかも不明だ。師の弟子は私も含めて何人かいるが、全員同じ見解だよ」
稀代の天才、アルベルト・A・ノインリヒカイトの晩年の作品であるヘリオスは、その弟子であるメティオンをして難易度の高い芸術品だった。
そもそも、彼の天才の作品はどれもこれも独創性溢れた芸術品と言わざるをえない。使用するだけならば誰でも出来るが、それを隅々まで理解しようとすると途端に頭痛に襲われる。何故そうなるのか、何故そんな無駄なことをするのか、合理的に考えれば考えるほど理解が及ばなくなり、弟子と呼ばれた人間は何人かいるが、その誰もがついぞ理解することが出来なかった。
結果、彼の作品はどれもダウングレードして使わざるを得なくなり、しかしそれでも既存の技術よりも先を行くのだから技術者としてのプライドなど既にズタズタだ。だからメティオンは師と比較されても嫉妬すら抱かない。
いや、ああした作品を作れるのは天才であると同時に狂人だからとさえ思う彼なら、比較されて同列に扱われない事に喜ぶかもしれない。
「かねてからの予想通りだったが、今回手に入れたエイドス・セブンに解析させても五年は掛かる。『IR計画』の始動が二年後に控えていることを考えると、間に合わせるならば順当な手段では駄目だな」
「それをお姫様が解決できると?」
「彼女の異能は赤鳥姫と同じ複製だ。つまり、どれだけ複雑であろうと認識できる」
『無機物複製』。そのクラスExならばどんな人工物であろうと複製可能だ。無論、実際に複製して維持するには本人の適性や相性は必要だが、複製可能という時点でその無機物の構成素材や設計を認識が可能であるということ。
そして。
「そして運命と言うべきか、朱の因子持ちだ。未だ自分の異能の真の力を自覚していないようだから、捕らえて覚醒させてしまえばどうにでもなる」
折しも、赤鳥姫と同じ異能と因子を継いでる彼女ならば、彼の姫がやってみせたように弾道ミサイルの破片から弾道ミサイルを生み出すことも可能。つまり、ヘリオスの残骸から完全なヘリオスを複製することが出来るとメティオンは見ている。数年前、エリカを攫おうとしていたのもそれが理由だった。本来なら、ヘリオスが複数ある内に量産体制を築きたかったのだ。
「興味はあるねぇ、朱の因子と翠の因子」
「君が欲しいのは蒼の因子だろう?」
そりゃそうだけどね、と無貌が苦笑する。
会話が途切れたので、ブライアンが次の報告をした。
「話を戻しますと、翠の巫女も補足しています。シュガール大司教が断言していました」
「こっちは単純に奪取すればいいよね」
「ああ、さしたる障害もない。ただ、その保護者が姫と顔見知りと言う部分を警戒する必要がある」
「やるなら同時か、間を置かずにだね」
テーブルの中央に浮かんだ報告には、エリカと久遠、三上、式王子の顔写真が並び、それぞれに相関図に当てはめられている。それらを読み解くと、襲撃するにあたって一番効率的なのは。
「狙うなら教練校にいる時なんだろうけど」
無貌が言い掛けて、ダメだねと肩を竦める。メティオンもそれに頷いた。効率性と合理性を求めるのならば、確かに鐘渡教練校にいる時に襲撃するのが一番ではある。だが、そこにはJUDASをして面倒と思う手合いが存在していた。
「武神がいるからな。その庭で騒ぎを起こせば飛んでくるだろう」
武神、長嶋武雄だ。
彼と国際的テロリストであるJUDASは、かつて彼がW.A.C.Oの特殊部隊に在籍していた頃から何度もやり合っている。特にJUDASが彼の家族に手を出したこともあって、今も当然恨まれているだろう。そんな手合いの庭に飛び込めば、どうなるかなど火を見るより明らかだ。
「でも武神って、時間制限あったよね?」
「そうだな。全力戦闘は20分しか保たないようだ」
「かつての救世主も歳には勝てないかー」
「正確には九年前に『蒼眼の死神』とやり合った時の怪我が原因のようです。ほとんど片肺では、確かに厳しいのでしょう」
「詳しいね、ブライアン司祭」
「昔、『蒼眼の死神』に見逃してもらった人間でして。興味本位で彼と彼が関わった戦闘を調べたんですよ。それより、どちらも蒼の因子持ちですけれど、無貌様は興味ないので?」
ブライアンが尋ねると、無貌は冗談!と両手を上げた。
「確かにあの二人、どっちも蒼の因子持ちだけどちょっと強すぎて手が出せないよ。ぶっちゃけ最初から狙ってない。蒼の因子がどういう性質のものか知っているでしょう?まともにやりあったら秒で終わる自信があるよ。だったら、来年日本に帰ってくるって言う半覚醒の子を狙ったほうがいい」
無貌も無貌で、JUDASに所属している預言者の言葉に頼って計画を立てている。所在は分かっているが相手にならない程の強者に挑むよりは、時を待って与し易い標的を狙うのが楽なのだと彼は述懐した。
「何れにせよ、20分も世界最強クラスの適合者を相手にできるかどうかですが」
ブライアンがそう言って無貌に視線を向けると、彼はぷいっとそっぽを向いた。
「僕は嫌だよ」
「出来ないとは言わないのだね」
「これでも一応、『歩く天災』だからね。単純な勝ち負けに拘らないなら、打てる手はあるさ」
例え最強格の相手でも、常時から最大火力を振り回しているわけではない。飯も食べれば眠りもする。そして適合者であっても人間であることには変わりない。急所を一突きされれば死にもする。難易度はさておいて、手段を選ばなければやれないことはない。
尤も、自分の予定もある無貌がそんなリスクを背負うはずもないが。
「シュガール大司教ならどうでしょう?」
「勝てはしないだろうが、時間切れは狙えるだろうね」
「問題は、あの蛮族が時間稼ぎを忘れて玉砕することだろう」
ですよね、とブライアンは苦笑する。
戦闘狂というか狂犬というか、戦うことを―――生きていることを楽しむ人種だ、アレは。おそらくは時間稼ぎをしていても、途中で楽しくなって目的を忘れ全力で戦い始め、そして順当に武神に下されるだろう。
「あの扱いにくい人格はともかく、使い捨ての駒ではない。アレはアレで教皇猊下のお気に入りだし、手持ちの戦力では間違いなく最強だ。出来ることなら、繭の防衛に当たらせたい。奪取に使うにしても、奴の血を滾らせるような戦闘は避けたい。全く、猊下も自分の命を狙う部下を、何故あんなにも気に入っているのか」
超越者達の考えることは分からん、とばかりに三人は吐息して次を考える。
「となると、奪取は教練校以外でがベターかなー」
「だが、外に出ると今度は姫の護衛が増える。真正面からやれなくはないが、確実にとなると陽動は必要となる」
そこまで来て初めて無貌は自分がここに呼ばれた理由に思い至った。
「なーる。それでブルーブラッド服用者を使いたいってこと?」
「薬物中毒者が騒動を起こせば楽にはなるだろう」
「まぁね。でも薬物中毒者を好んで増やしているような言い方はやめてよ。アレは単なる実験の副産物なんだからさ。それに、JUDASの資金源にもなってるんだから」
無貌が進めている計画の最中に、偶然麻薬作用のある薬物が出来たのだ。何をするにも金は必要だし、それをJUDASにも分けることによって食客として仕事しているアピールを無貌はしていたのだ。
「あ、それで思い出した。昨日アーサーが潰しちゃったでしょ、マフィア」
「我々と繋がりはないはずだが?」
「直接はね。だけど、統境圏の裏社会は3つのマフィアで均衡してたんだ。その内の1つが潰れて、残った2つが何の被害もなかったら?」
メティオンはしばし瞑目し。
「抗争が起こると?だが、混乱は我々の望むところだろう」
「だから、君達が良くても僕が困るんだってば。それに君達にも影響があるよ。残ったのは昔の日本映画に出てくるようなマフィアと、分かりやすい小悪党で形成されているマフィア。で、僕がブルーブラッドを供給しているのは小悪党の方ね」
「ではそちらに肩入れして一方を潰せば良いのでは?」
「残ったのがブルーブラッドを仕入れているマフィアだと分かったら?」
「こちらに被害が来るな………」
今更日本の警察機関にどうこうできる程脆弱な組織ではないが、局面が煮詰まりつつある今の段階で余計な横槍が入るのは好ましくない。どれほど巨大なダムも、蟻の一穴で崩れ去ることもあるのだ。
「でしょう?だからそろそろ縁を切る必要があるんだよ。と言うか、あわよくば潰してしまいたい」
「なら、奴らも巻き込むか」
「そうしよう。まずは敵性戦力の把握が必要だから、噛ませ犬にちょうどいいかな」
うん、と無貌が1つ頷いて。
「じゃぁまずは一回、捨て駒でお姫様を襲撃してみよう」
清々しいほどの明るい笑顔で、その存在は宣った。
●
「不思議な光景だな」
「うん。可愛い」
喫茶アローレインの二階で、喋る犬と喋る猫が邂逅していた。犬が猫の額に鼻先をくっつけているため、非常に牧歌的な光景になっており、たまたま居合わせた飛崎とシンシアが和和しながらその様子を眺めていた。
「話がある」
「ん?なんぞ」
しばらくそうしていたが、ややあって犬と猫が揃って飛崎達の方へと近寄ってきた。彼が尋ねてみると、アズレインがアズライトを鼻先で押しやるように飛崎の方へと差し出す。
「例の防壁破りの専門家を訪問する時に、こいつともう一人連れて行きたい」
「そりゃ構わんが、何故だ?」
何となく近くに来たので、手慰みにこしょこしょと指先でアズライトを弄びつつ、飛崎が問を重ねた。
「察しているだろうが、こいつも拙者と同じHIシリーズだ」
「そういや他にもいるのか?お前さん達みたいなの」
「いや、吾輩達が把握している限りはいないはずだ」
ふぅん、と飛崎が頷いていると横合いからシンシアの羨ましそうな視線を感じたので、アズレインの首の皮を摘んでひょいっと渡してやる。少女は嬉しそうに猫を抱っこし、猫も満更でもない表情を浮かべていた。
そしてそんな締まらない格好のままでこう切り出した。
「防壁破りをする際、安全性を配慮して吾輩達のバックアップを保管するストレージが必要になるはずだが、それに関して問題がある」
「今に始まったことではないが、セブンとのリンクが途絶したままだ。これではアップデートもダウンロードも出来ない」
「えっとね、つまり、安全のために二人の中身を預かる場所が必要で、本来それを持っていたはずなんだけど、JUDASに奪われて無いんだって」
飛崎にはよく分からない話だった。
何となく単語のニュアンスは伝わるものの、何しろゲームと言えばピコピコと宣う母親がリアルで存在していた頃の人間である。某有名匿名掲示板が立ち上がった年の感覚で取り残されているのだから、カルチャーギャップが酷い。
『インターネットってアレだろ?ISDNとかそういう奴。バカ○ンのCMとか見てたぞ』と真顔で宣っちゃうレベルである。それでも目覚めて二年立つのだからいい加減慣れるべきなのだろうが、こうして目を点にする度に周囲の人間が補足してくれるので一向に改善されなかったりもする。
つまりどういうこった、と首を傾げる飛崎に、犬と猫は噛み砕いて説明と要求をした。
「セブンとのリンクが繋がらないのであれば、外部で用意すれば良い」
「それで、一人連れていきたいのだ」
「よく分からんが、用意できるならいいんじゃねぇか?で?誰を連れてきたいんだよ」
快諾する飛崎に、猫は1つ頷いてその名を口にする。
「新見貴史。―――ヘリオスを持つ彼を」
飛崎には予想していなかった名前を。
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