第三十章 ある天才の遺産
低い駆動音が響く空調の効いた部屋で、端末に向かって作業する年寄りの男と、その背中をつまらなさそうに眺める巨躯の男がいた。
互いに白い法衣と黒い法衣に身を包んでおり、一見すると宗教関係者のそれではあるが、その風貌は科学者のソレとチンピラのソレだ。この二人に教えを請うたなら返ってくるのは片方は数式、片方は暴力の使い方ぐらいであろう。
白い法衣の老人の名はロマノフ・メティオン。
黒い法衣の巨漢の名はシュガール。
共にJUDASの役職持ちだ。現在進行中の計画、その進捗状況の確認にシュガール大司教がメティオン枢機卿の元を訪れていた。
「で、このエイドス・システムってのは結局何なんだ?」
部屋を見回しながら、シュガールが口を開いた。
鉄とプラスチックのジオラマシティが如く乱立する機械群を、胡乱げに見やる彼に、操作する端末から視線を逸らすこともなくメティオンはしゃがれた声で答える。
「師の遺産だよ。稀代の天才科学者、アルベルト・A・ノインリヒカイトのね。尤も、弟子の一人である私でもその総数は把握できていないが」
その言葉に、シュガールは部屋の中央に鎮座した棺のような形をした鉄塊を見た。
その鉄棺こそがエイドス・システムのコア。およそ一ヶ月程前に行った人工知能研究所襲撃時に奪取したものだ。それに接続されている機械群は自前で再現が可能だったのでこちらで用意したものになる。
まぁ、幾つかの工作を行ったとは言え、仮にも政府関係の施設なのだ。襲撃して安全に撤退するまでの時間は限られている。そんな中でシステム丸ごと持っていこうとすると最低でも半日仕事だ。そもそも、周辺機器まで持っていこうとすれば10tトラックで数台は掛かる計算になるし、幾つかは施設基礎部に埋設する形で作られているために、重機だって必要になる。
「世界で確認されているのは12基。だが、そのいずれもエイドスの名を冠しているもののオリジナルではない」
広く認知されている数は12基ではあるが、幾つかの組織が俗にハイド・ナンバーズと呼ばれる番外品を持っている、と言うのが都市伝説でありネットミーム的な笑い話―――そして事実だ。過去には17番をJUDASも保持していた時代もあるのだが、ある事件で破棄する羽目になってしまい、今は所有していない。今ここにある
「そもそも、エイドス・プロジェクトは
イデアという固有名詞にシュガールが反応した。よく分からない機械よりは、心の踊る存在だ。
「イデア、ね。異世界の神ってのは分かりやすい説明ではあるが、実際は違うんだろう?」
「神の如き万能性を持っているのは事実だよ。だが、その考えや思想はこちらの常識では不理解なもので、それは向こうの神々も同じだから敵対しているようだが」
教義的に、JUDASではイデアとそれに敵対する存在達を神としている。
消却者の世界、即ち燐界を統べている
それがイデアと呼称されるソレと、イデアに敵対する神々―――始まりの八王。
「始まりの八王か。何なんだろうな、そいつ等も」
教皇が記す教義で、その存在を知っているシュガールにしても首を傾げずにはいられない。
自分を打ち負かした教皇が語るのだから信じはするが、何故それを教皇が知っているのか、あるいはその存在は一体何なのかと疑問は尽きないのだ。
「名前だけなら神話や伝承の類でこの世界にも残っている。歴史には明るいか?」
「本を読むのは好きでな。大抵は分かる」
「シュメール文明については?」
「そこそこは」
なら聞いたこともあるだろう、とメティオンは続ける。
「八王の名はシュメール神話に連なったものが多い―――と言うよりも、ほぼそれだ」
即ちアムリル、アラルガル、エンメンガル、ドゥムジ、エンシブジ、エンメンドゥル、ウバル・トゥトゥ、パンテオン。8つある名前の内、7つがシュメールに纏わる名前になる。
「そして彼等は、ある時を境に歴史から姿を消している」
「確かウル第三王朝の時にエラルに侵攻されて滅びたんだっけか」
「一般的な認識はそうだな。だが、謎は大量にある」
そもそも、シュメール文明は現代から振り返ってみてもとても優れて、且つ当時からしてみれば進みすぎている文明であった。それが、どうしてこうもあっさりと滅びたのか。国が滅ぼされた後、混血化が進んで死文化したというのが一般的な認識だが、ここまで栄達を誇った文明がこうも綺麗に痕跡が消えるものだろうか。
「と言うよりも、物的証拠が殆ど残っていない。シュメール文明自体が、創世神話や北欧神話などの、おそらくちょっとした事実を元に過大に誇張された作り話、あるいは全部が創作だとした方がまだしっくり来る」
「シュメール文明は存在しなかったってか?」
「さて、ね。私は科学者だが考古学者ではないのでね」
話が脱線したな、とメティオンは一息入れて。
「話は戻るが、師はとある仮説を元にイデアに接触を試みることにした。とは言っても、燐界に人の身で出向いても消却者よりも先に霊素粒子に殺されるだけだ。歴史上、燐界に赴いて生き残って帰ってきたのは蒼の因子―――しかも蒼の王に最も近い因子を持っている武神、長島武雄だけ」
2004年に長嶋武雄は燐界に赴き、6年後の2010年に帰還している。その時の膨大な調査記録は今日の
「生身で無理ならば機械で行くべきだが、そもそも燐界は次元位相が違う文字通りの異世界だ。次元を隔てているのに電波による遠隔操作など出来ようはずもない。ナガシマ・レポートも定期的に次元に壁を空けてそこから放り込まれてきたからな。ならば、投入後に独自判断が出来る
「そこでコレを作ったって訳か」
「色々と複雑な事情もあってだね。結果だけ言うとオリジナルのエイドスには、師の娘が検体となった」
「へぇ、流石天才科学者。身内を実験体に使うとはロックじゃねぇか」
面白そうに揶揄するシュガールに、メティオンはそれほど意外なことではないよと首を横に振った。
「
現代医学は度重なる消却者との戦い、そしてそこで流れる血を養分とするように進歩し、今では手足を失った程度では不具扱いされる事はない。使い勝手と耐久性の良い機械式義手から、触覚さえ再現できる生体式義手まであり、術後一週間程のリハビリで元と変わりない生活に戻れる。ナノスキンコーティングを施せばパーティションなども無く、見た目も触り心地も生身の腕と変わらないのだから。
しかし、それほど進んだ技術を持ってしても解決できない病は当然ある。以前語った心の病しかり、癌や遺伝病然りだ。
「だから、師はその時携わっていた電脳界構築計画を流用して、オリジナル・エイドスに娘の遺伝子情報からバイタルパターンまで全て余さず転写した。スワンプマン計画と呼ばれていたよ」
それを生きていると言えるかは人によるだろう。
同じ生体情報を持っていて、同じ記憶を持っているのなら、果たしてそれを同一個体と呼べるのか。
「計画は成功。電子の中で、娘は確かに生きていた。その後バタバタして時間がなかったから生体復元まではされなかったが」
何でだよ、とシュガールが疑問を口にするとさもありなん、とメティオンは答えた。
「副産物として、いろいろな勢力に狙われることになったのさ。見方を変えれば、永遠の命のようなものだ。精神をシステムにバックアップして、生体義体と言う肉体を用意してダウンロードできるのならね。それを躱すために、師はオリジナルのダウングレード版であるエイドス・システムを作り上げて提供した。娘の感情パターンをオミットした管理A.Iを乗せてそれを黙った上でね。そして、唯一イデアに接触できうる可能性を持つオリジナルを持って行方を眩ませた」
「愚人議会が保護してたんだっけか」
「ああ、その終生までね。全く、愚か者の名に相応しい行動だよ。あの天才を軟禁させておくなど」
JUDASが彼の勢力を襲撃した時には、既に本人は墓の下だった。だが、死ぬ直前まで幾つもの発明を手慰みに遺しており、その幾つかは世に出ている。
「元々、エイドスプランには日本政府も噛んでいた。だから、人工知能研究の天才と呼ばれた三村なぎさにその継続をさせたのだろうね。エイドス・システムはダウングレード版と言っても感情をオミットされているだけで、性能はオリジナルとほぼ同一だ。まぁ、正直な話、今回の計画には感情は必要無いから問題ないのだが」
「ダイダロスを動かすのにコイツがいるんだっけ?お前が作れなかったのかよ」
「無論、一から建造することも考えたが、アレは小さく作っても下手な飛空戦艦よりも大分コストがかかる。いくらなんでも
だが、と老人は続ける。
「動かすだけならば既存のマシンを改造するなり、新造するなりで構わんし、実際ここに持ってくる時にはそうした。ただ、ダイダロスは元々師が設計していたもので、基礎制御から何からそのアーキテクチャが独特過ぎる。戦闘行動させるのには、それに適合できるエイドス・システムが必須だ。ダイダロスの設計図を見てみるかね?」
そう告げると、虚空に映像が投影された。それが何かの設計図なのは理解できるが、余りに緻密に描かれているために設計図というよりはむしろ細密画の様相を呈していた。
「頭が痛くなってくるし読めねぇ。お前はどう見るんだよ」
「科学者からしてみると芸術の域だよコレは。無駄一つなく完成されているので、下手に弄ることも不可能だ。兵器としては冗長性がないのは欠陥に等しいが、単一の機械としてみるとまさに芸術作品だよ」
悔しいが凡人の私には手に余る、とメティオンは苦笑する。
「それに私には、
「防空用のシステムだっけ?それもまだ未完成なんだろ?」
「だからエリカ・フォン・R・ウィルフィードが必要なのだ。あの赤鳥姫と同じ、朱の王の因子と複製の異能を持つ彼女が」
急に感情を押さえたメティオンに、はいはい私怨私怨とシュガールは呆れながら幾つかの報告を思い出す。
「そっちもなぁ、上手くいかないって嘆いてたぜ」
「そうだね。かつて一度だけ身柄の確保に成功したが、洗脳して手駒にする前に奪取されたからね」
一番上手く行ったのは数年前の誘拐事件だ。
その直前までは腕の立つ護衛がずっと側にいたために実行に移せなかったが、その傭兵の契約が切れるという情報を掴んだJUDASが動き、成功させた。尤も、その直後に件の傭兵に一つの拠点諸共焼滅されたが。
以後は流石に警備が強化されて下手に出が出せなくなっている。日本に来てからなら少しは緩むかと思ったが、意外と隙がないし単一人種国という環境も悪い。
「だが、今回は預言者の言葉もある。今度は上手くいくだろう」
「取り敢えずは明日だっけか、予定では」
今は確かに隙は無いが、JUDASに三人いる枢機卿の一人に『事象予言』の異能を持つ適合者がいる。全てを見通せる訳では無いが、見ることが出来た未来はその通りに行動すれば必ず的中するという。実際、その言葉に従って動いたJUDASの作戦は全て成功している。そんな預言者と呼ばれる彼女の言葉によれば、翠の巫女もエリカ・フォン・R・ウィルフィードも、予言の通りに動けばメティオンが手中に収めるとのことだそうだ。
その行動プランも、既に立てている。
「ああ、頼んだぞ。シュガール。明日、君は翠の巫女に出会うはずだ」
「まぁ、街を散歩するだけで見つかるってんなら、そうするけどよ」
肩を竦めるシュガールは軽く請け負って、しかし胸中では違うことを考えていた。
この妄執の老人が作った沈み行く泥舟で、どうやって楽しもうかと。
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