第三十一章 クロスランブル

 旧世紀と色々と様相が違う現代日本にも、国民の祝日は存在している。


 というのも、それは単なる習慣ではなく、法律でしっかり定められた祝日だからである。平和な時代からは想像すらできなかった激動を迎えた黎明期の日本では有名無実になりかけていたし、全国民を戦闘態勢にさせるための改憲時に無くしてしまうことも考えられた。


 だが、ここで日本国の悪い部分―――一度明文化したものは中々変わらないという悪癖が発動した。まぁそもそも、対消却者と国防の為の改憲に労力を使い過ぎてその他に気が回らなかったというのもある。何しろ国の興亡云々の前に人類の滅亡の危機にですらあって、尚も防衛のための軍事力強化に難癖つける勢力を内外に抱えていてそこにカロリーを使っていたのだからさもありなん、である。人類最大の敵は人類、とはよく言ったものである。


 だが、結果としてある程度落ち着いた現代では国民の祝日という休日は運送やサービス業などの一部を除いて、以前と同じように機能しており、土日や有給を絡めることによって連休に変わるというコンボパーツになっていたりする。


 広義では学生である教練校生には有給という概念はまだ無いが、土日祝を当てはめた連休が入校一ヶ月後に他の学生と同じように発動する。


 俗に言うゴールデンウィークGWと呼ばれる連休である。


「パパ!ママ!こっちこっちー!!」


 ぱたぱたと雑踏もまばらな公園を手を振りながら駆ける久遠を追い掛けて、式王子は。


「あぁ………可愛い………尊い………癒される………」


 一眼レフを手に隈で落ち窪んだ目をギラギラさせながら至福の表情を浮かべて鼻血を流していた。元は美人なはずなのだが、今は圧倒的に不審者の極みである。


「小夜、鼻血、鼻血」

「ああ、ごめんなさい正治君。ふふふのふ………ほら、天使、天使がここにいますよ………?」

「いいからいいから、ほらちーんしろちーん」


 そのゾンビか酷い戦場帰りの帰還兵かもしくは減量し過ぎた計量前のボクサーのようなズタボロ加減になっている幼馴染の世話をしつつ、三上はここ1週間を振り返る。


 鐘渡教練校にも当然、国民の祝日は適応されGWに突入しているわけだが―――学業を休めても、バイトはまた別だったりする。人によってはここが稼ぎ時なのでバイトを梯子して朝から晩までシフトを入れている猛者もいる。


 三上と式王子はどうなのかと言えば、普通の学生と違って久遠の事もあるし、むしろ連休中ぐらいは一緒の時間を増やした方がいいかと話し合い、普段通りのシフト量にするつもりでいた。


 だが、世の中とは予定通りに行かないものだ。


 二人のバイト先、つまりアトリエ・フォミュラに修羅場がやってきた。


 いや、予想できる繁忙期であった。そもそもGWと言う連休前なのだから、それに合わせた催事が各地で催され、当然それに関わった仕事というのが発生する。まぁ毎年の事なのでアトリエ・フォミュラもそれに関した仕事を例年通り受けており、慣れたスケジュール通りに消化していたのだが、ここでイレギュラーが発生する。


 最初に、一人が産休を取った。これ自体は予定されていたもので、仕事に支障が出るぐらいに大きくなって来ていたし、むしろもっと早くに取れと周りからも言われていたのだがそこは偏屈、もとい芸術集団と名高いアトリエ・フォミュラの住人である。プライドも無駄に高く、『妊娠ぐらいで仕事を休んでられるか』と出勤し続けていたのである。一般企業ならばコンプライアンス的に迷惑極まりないが、『それでこそ職人!でも無理そうなら言えよ!』と好意的に見て割と臨月直前まで働いていた。自らブラックな働き方をするなど、社畜の鏡ではある。


 次に、社員の身内に不幸があった。とは言えこんな時代ではあるが幸いにも畳の上で亡くなったらしく、歳も80を超えていた大往生とのことで、寂しい気持ちはあっても悲しくはないと元気そうだった。忌引、ということで一週間程休み。


 次に、出勤途中に事故にあった社員が出た。職人の生命線たる腕を折ってしまい、戦線離脱。


 次に、食中毒で救急車に運ばれた社員が出た。生牡蠣に当たったらしい。


 次に、尿路結石で仕事中にぶっ倒れた社員が出た。検査の結果、4mm超えの元気な結石お子さんらしく、10日近く離脱。


 この時点でスケジュールは狂いまくり、その後もぞろぞろと不運が重なって社長曰く『やっべー修羅場になってきた』と顔を引き攣らせていた。何故かこういう時に限ってバタバタと不運が重なる泣きっ面に蜂がリアルで起こり、アトリエ・フォミュラは遂には不夜城になった。


 ここで一般的な企業ならば応援を呼ぶなり緊急で人を募集するなりして乗り切るのだろうが、先述したようにアトリエ・フォミュラは1つの芸術集団、つまり職人だ。当然、名目上は社員であっても替えの効く部品ではない。無論、それを見越してある程度は業務をスワップをして人を育てているが程度がある。


 そこで白羽の矢が立ったのが式王子小夜である。社長の娘で、小さい頃から作業場に出入りしていて仕事のイロハは小学生の時には本人も気づかぬ内に修めていた。今までに起こった修羅場にもちょこちょこ投入されており、職人達からの評価も高く、即戦力以上に強力なので女神扱いされるレベル。ついでに、家業の手伝いということにしておけばこき使っても労働基準局とか言う煩い外野はいない。


 結果、式王子はしばらくアトリエ・フォミュラに缶詰になっていた。解放されたのはGWも半分近く過ぎた昨日であり、先述したゾンビとか帰還兵とか計量前のボクサーとか言う比喩はある意味正しかったりもする。


「まさかそんな修羅場の中で久遠の服作ってるなんてなー。しかもゴスロリ………」


 ティッシュを式王子の鼻に突っ込みながら、三上ははしゃいでいる久遠の着ている白と赤色のフリル増量仕様のワンピースに視線を遣って感心したように呟いた。


「ふふふ、結局は分業ですから。手待ちの時間はどうやったって出来るので、スキマ時間にちょこちょこ作ってたんですよ。フリル作業は心の安定剤なので。………えぇ、生地を筆頭に諸々は労働基準法をぶっちぎった超過労働代わりに失敬しましたとも………!」

「いやそれ横領………と言うかあの服の質が無駄に良いのはそれが理由か」

「結局お母さんの目は誤魔化せなくてバレましたが、作りかけの服を見せたらくーちゃんの写真送るならタダだそうで」

「それでいいのかアトリエ・フォミュラ」

「いいんですよどうせ趣味をお金に変えているだけの社会不適合者の偏屈集団なので、自分の欲望が最優先なんです。全く、良い年した大人が我慢が効かないだなんて恥ずかしいですよね?」


 こてん、と首を傾げてくる以前強制撮影会で圏警にしょっぴかれた前科者がカメラを構えているので、三上は1つ頷いて尋ねてみる。


「小夜、鏡って見たことあるか?」

「私これでも女の子ですよ?毎日身だしなみを整えるので見るに決まってるじゃないですか。手鏡なら今だって持ってますよ?」


 すっと不思議な顔でポーチから手鏡を出してくるので、三上はそっかーと上の空で相槌を打ちながら、常識と言うのは時代の流れとともに移り変わっていく曖昧で儚いものなのだと理解して一つ大人になった。


「パパ?ママ?」


 そんな風に二人がぐだぐだやっていると、久遠がとてとてと戻ってきた。


「あぁ、ごめんなさいねくーちゃん。ほら、あそこでアイス売ってますよ?食べませんか?」

「アイス!食べるー!」


 その様子にほっこりしながら、三上と式王子は久遠の手を引いてキャンピングカーを改造した移動販売車のアイスショップに立ち寄った。それぞれに注文して、子供だからと店主が先にストロベリーのアイスを久遠に渡すと、彼女は目を輝かせアイスを掲げてくるくる踊りだし。


「アーイース―――!」

『あ』

「おっと」


 背後に並ぼうとしていた喪服姿の壮年にぶつかった。ぶつかられた男は素早く反応して久遠が転倒する前に身体を支えるが、彼女の手にしたアイスはそのまま重力に従ってべシャリと落ちた。


「すんません大丈夫ですか―――って、先生!?」


 すぐに三上が壮年の男に声を掛けるが、その顔を見て驚く。普段はジャージ、仕事着はスーツである水無瀬景昭が喪服を着ていて、片手には献花用の花まで持っていたので一瞬誰だか分からなかったのだ。


 彼は三上の姿を認めると、腕に抱えた久遠に視線を落とした。


「三上君かね。おっと。大丈夫かね、お嬢ちゃん」

「アイス………」


 だが、幼子にそんな気遣いが分かるわけもなく、無惨にも石畳に叩きつけられたアイスを悲しそうに見つめている。


「ああ、先生、喪服にアイスが………」


 久遠を受け取る際、三上が気づいたが確かにべったりと腹部にアイスが付着していた。


「いや、構わんよ。喪服はどうせ年に一回ぐらいしか袖を通さないから、明日にでもクリーニングに出す予定だしね。―――店主、アイスを2つ頼めるか?味は………ふむ、どちらもイチゴで。一つは持ち帰りで袋に入れて欲しい」

「筆頭教官、お金は私が」

「式王子君、男やもめがそれなりに稼いでいるんだ。ここは教師を立てると思って払わせてくれ」


 水無瀬は事も無げに言い含めて、店主からアイスを受け取ると久遠の前にしゃがみ込み、それを彼女へと渡した。


「はい、どうぞ。お嬢ちゃん」


 目の前に差し出されたアイスに久遠は嬉しそうに受け取って。


「ありがとう!ハゲのおじちゃん!」

「あ、こら―――」


 お礼を言うは良いが同時に最大級の失礼を無邪気にブチかます娘に三上は大いに慌て、しかし水無瀬の視線に制される。彼は久遠に視線を戻すと。


「はっはっは。喜んでくれたのなら嬉しいよ」


 と、特段気にした様子もなく彼女の頭を優しく撫でていた。


「筆頭教官、上着を脱いでください。今染み抜きをすれば間に合いますので。せめてそれぐらいはさせて下さい」

「ふむ。では、お願いできるかね?」


 式王子の申し出に、水無瀬は少し考えてから喪服の上着を脱いで渡した。彼女はポーチからウェットティッシュとポケットティッシュを取り出して、ポンポンと手際よくシミ取り作業を開始した。


「いや、なんか色々すいません先生」

「構わんさ。幼子の悪意のない粗相に目くじら立てるほど若くはないよ」


 頭を下げる三上に水無瀬は苦笑しながら、店主からお土産用にドライアイスを入れて包まれた商品を受け取る。


「アイス、好きなんですか?」

「家内が好きだったのでね。墓前に供える用に、だね」

「そりゃまた………その、すんません。無神経でした」

「いや、どの道私が食べるんだよ。供えたままにすると溶けるし、虫が寄ってくると以前住職から苦情を受けてね。あまり甘いものは好きではなかったはずだったんだが、コレだけは好んで食べられるようになったよ」


 水無瀬はカラカラ笑って、視線を久遠に向けた。


「それより、この子は例の?」

「あ、はい。久遠です」


 三上と水無瀬は朝の稽古こそ止めているが、別に物別れしたわけではない。教練校で顔を合わせれば雑談や近況報告ぐらいはするし、久遠の件は彼の上司の長島武雄も絡んでいる為、そこからも聞き及んでいたのだろう。


 視線を感じたか、アイスをいつの間にか食べ終えていた久遠がぴっと右手を挙げて挨拶した。


「みかみくおんです!」

「うん。元気でよろしい。私は水無瀬景昭と言う。君のパパとママの教官だ」

「きょーかん?」


 言葉が難しかったのか、久遠がこてんと首を傾げた。


「先生、とも言うな」

「せんせーなの?」


 どっちなんだろう、と理解が及ばない彼女に水無瀬は口元に手を遣って。


「ふむ。―――ハゲのおじちゃんの方が分かりやすいだろうか?」


 危険なことを呟いていたので三上は最速で娘の両肩を掴んで。


「いいか久遠!?先生だぞ!?せ・ん・せ・い………!!」

「三上君、子供に無理強いは良くないよ。意図して貶めているならばともかく、事実、私の頭髪は薄いのだ。それを指摘されるのが嫌ならば、カツラをつけるなり植毛でもすればいいだけの話なのだから」

「えぇっと、あ、あの………そうだ!水無瀬教官!よろしければアトリエ・フォミュラ製のヴィッグをご用意しますが!?」

「おい小夜!?」


 まさかのテンパった幼馴染からのフレンドリーファイア後ろ弾に三上は絶望の表情を浮かべる。染み抜きを終えて会話に混じったは良いが何故にクリティカルな言葉選びをしてくれるのかと。


「式王子君、大丈夫だ。私は意図してこのままでいるのだから」


 しかし、水無瀬は上着を受け取って羽織り直すと問題ないと首を横に振った。


「人が何故ハゲを馬鹿にするのかは、色々な意見はあるだろうがね。何故私が禿げを隠さないままでいるのかは、明確に答えられる」


 薄くなった頭頂部を風に靡かせ、男は悠然と語る。


「若い頃、家内と賭けをしてそれが続いているのだ。年を取って、お互いに禿げても太ってもミニスカートが履けなくなっても、そのままの互いを愛せるかと。だから、身だしなみを見れる程度に着飾ることはしても、家内を前に偽った姿で立てはしない。―――尤も、彼女は若く美しいまま逝ってしまったがね」


 それを聞いて、三上は思い出す。


 十数年前、水無瀬は妻を病で亡くしていると。その後、周囲から再婚も何度か勧められたらしいが、全て断っていると。何時亡くなったかはデリケートな話し故に聞いてはいないが、喪服に百合の花束という今の彼の出で立ちを見るに、おそらくは今日は命日なのだろう。


「素敵なご夫婦なんですね」

「ありがとう、式王子君。それから湿っぽくしてしまって済まないね。毎年この時期になると、年甲斐もなく繊細ナーバスになってしまうんだよ」

「それは仕方のないことだと。―――因みに、水無瀬教官はどちらに賭けたんですか?」

「私は愛せないと言ったよ。恥ずかしながら私は若い頃から拳を握るしか脳のない男でね。身長も当時から低かったし、お世辞にも男前とは言える容姿をしていなかった。何の因果か美人を娶ったが、そんな男が年を取っておっさんになれば、流石に愛想を尽かすだろうと」


 いっそ枕元に立って答えでも聞かせてくれてもいいのにね、と水無瀬は笑うが、三上にしろ式王子にしろ反応に困る。


 乗っかって茶化すには重すぎる話題であるし、慇懃に対応しても気を使わせてしまう。歳の行った大人でもこの手の話題の扱いには困るのに、15の若造となれば何を況や、である。


 しかし、子供には関係ないらしく、久遠は水無瀬の手にする花束をじっと見つめ。


「お花、きれいだね!」

「気に入ったのかい?ふむ、なら」


 水無瀬は百合の花を一本束から抜くと、久遠に渡した。両手でしっかりと持つ彼女に、最速で反応したのは変態だった。


「くーちゃん可愛い!」


 などと宣いながら持参の一眼レフを連写している。


「あの、先生、お代を」

「いいさ、一本ぐらい。子供に渡したと言えば家内も笑って許してくれる」


 どうにも先程から被保護者が迷惑をかけっぱなしなのを恐縮する弟子に、水無瀬はそう言えばと話を変えた。


「ああそうだ、三上君。最近、訓練でちゃんと殴れるようになったとか?」

「あ、はい。実戦ではまだ分かりませんが、訓練では何とか割り切れるようになりました」

「そうか。では、そうだな………GWの最終日に時間は取れるかね?」

「あ、はい。大丈夫ですけど」

「ならいつもの時間にいつもの公園に来なさい。そろそろ稽古を再開するとしよう」


 稽古の再開、と言われて三上は背筋を伸ばし一礼した。


「―――押忍」

「では、私はお暇するよ」

「せんせーお花ありがとー!」


 手を振る久遠に手を振り返して、水無瀬は去って行った。その後姿を最後まで見送ってから、三上と式王子は揃って大きくため息を付いた。


「はー………焦った」

「ええ、水無瀬教官が出来た大人で助かりました」


 子供が原因とは言え、余りにも失礼ブチかましすぎている。人によっては激怒されてもおかしくない。


「いや本当、世の親ってああいう時どうすんのかな。衆人環視の中で子供を叱るのか?それとも子供の言うことやることだからって笑って誤魔化すのか?」

「それはされた側が許す言葉ですよ。仮にも加害者側が言って良い言葉じゃないです。子供に責任能力を問えないなら、親に回ってくるんですから」

「―――お前に正論とか常識とか良識を説かれると何か違和感あるなー………」

「正治君正治君。私を何だと思ってます?」


 変態淑女、と口に出そうとして視界に久遠が入り、三上は露骨に話題を変えた。


「やーそれより週末には特訓再開かー、腕が鳴るなー」

「くーちゃんの前で本音を言わなかったことだけは褒めてあげます。否定はしませんが子供に聞かせる言葉ではないので」


 当の久遠は手にした花が気に入ったのか、掲げたりくるくると回したりして楽しそうに眺めている。


「拳聖の個人特訓ですか。―――よく考えると凄い贅沢ですよね」


 水無瀬景昭は今でこそ教職に付いているが、戦場に出ていた頃は拳聖と謳われるほどに活躍した将校だった。出世半ばで教職に転向したために最終階級こそ中佐だが、幾つもの逸話を遺し、長嶋武雄をして『素手に限ってやり合ったら水無瀬君の方が有利。勝てなくはないけどあの防御を崩すのに時間が掛かり過ぎる。時間制限のある今の私じゃ負けるね』と言わしめるほどだ。


 流石に前線を離れて久しいので、その呼び名と水無瀬を結び付けれる人間はそう多くないのだが、皇竜を倒した者に送られる屠龍勲章を持ち、今でも名鑑に名前が載っている。特に防衛戦にて目覚ましい活躍をした拳聖と言う名は『津久井湖の奇跡』や『鶴巻戦線』等の激戦でよく語られる。


「いやまぁ、だから拳を握るのがやっとのちょっと前の俺が割と本気で情けなかったんだが」

「その点に関しては木林君に感謝するべきですねー」

「あの狂犬が素直に感謝なんか受け取るかよ。だから、絶対しない」

「そういう意地っ張りな所はまだ子供ですよねー」

「パパも子供なの?」

「く、久遠?ソンナコトナイヨー?パパ、世間一般デハモウ大人ダゾー?」

「誤魔化し方も見栄の張り方もまだまだですねー」

「まだまだー」


 ママと娘を敵に回したパパに勝ち目などは無く、三上はぐっと言葉を詰める他に無かった。




 ●




 そんな弟子の微笑ましいやり取りを背中越しに見ながら、水無瀬はゆったりとした足取りで公園を出ようとした―――その時だった。


「―――!?」


 入れ違いに公園に入っていった外国人に、全身が総毛立った。


 思わず振り返りそうになったのを理性を総動員して抑え込み、歩みを止めること無く背後の気配を探る。一瞬だけ現役時代に戻ったかのような鋭敏な感覚は、直ぐに消え失せて、今の危機感がまるで白昼夢だったかのように朧気だ。


 だが、水無瀬はこの危機感を信じたからこそ大きな怪我一つしないで現役時代を終えたのだ。


(今の男………)


 今すれ違った巨躯の白人男性。その直前まで気づかなかったために顔を見ることこそ叶わなかったが、相当場数を熟した戦士であることは理解できた。


(いや、こんな時代だ。無名の猛者がいたとしても不思議ではない)


 平和な時代と呼ばれた20世紀後半でさえ、世界中を見れば何処かで戦争や内戦は起こっていたし、消却者という脅威がある現代では何を況やだ。非正規戦や戦争にカウントされない争いなど山のようにあり、治安の悪い場所で育った人間ならば、名を上げる機会に恵まれなかっただけの隠れた強者はいる。


 だから、たまたますれ違った今の男が無名の強者であっても不思議ではないのだ。不思議ではないのだが―――。


(だが、アレは………)


 そうした気配の類に敏感な水無瀬が見るに、アレは単なる猛者や強者に留まらない。


 言うならば、修羅。


 そう呼ぶに相応しい危うさを水無瀬は感じていた。




 ●




(さぁて、取り敢えず指定された場所に来たはいいがどうするか………)


 背後で探るような気配が消えたことを確認した巨躯の外国人―――シュガールは、公園をしばらくぶらついた後、適宜置かれたベンチに腰を下ろした。


(預言者が言うにゃこの公園らしいが、時間までは指定されてねぇからな)


 預言者の言葉は確かに当たる。


 だが、それはあくまで予言の域を出ないあやふやな物だ。その精度だけで言うのならば、かつてW.A.C.Oの特務部隊に居たという『未来予知』を持つ適合者の方が余程高いだろう。彼の女傑は起こり得る未来を一秒の誤差もなく言い当てることが出来たらしいのだから。だが、預言者の真髄は未来を当てることではなく、彼女が告げる特定の行動を行えばその未来に誘導できると言うことだ。多少の誤差やルート違いはあっても、行動指示にさえ従っていれば必ずその結果に収束する。逆を言えば、キーとなる行動をしないことによって、不都合な未来をできる。


 予言はランダムで、来たり来なかったりもするが、彼女の命に直結する場合に限り必ず来るらしく、だからこそJUDASは国際的テロリストの烙印を世界から押されながらも未だ命脈を保っているのだ。


 JUDASの教皇、そして預言者は大体が本部に居て、彼等が無事ならば幾らでも再起は出来る。


(翠の巫女、翠の巫女、ねぇ………。巫女ってんだから女なんだろうが………)


 ベンチに背を預けて、サングラス越しに公園を行き交う人々をシュガールは眺める。今の時期、この国では何やらゴールデンウィークなる祝日の期間らしく、人通りは多い。


(ダーメだ。こうもごちゃごちゃいると、アジア人の顔なんぞどれも一緒にしか見えねぇ)


 仕方ねぇな、とシュガールは視線だけは周囲を巡らせておく。


 この国では公共での異能の使用は緊急避難以外だと条例違反になるらしい。言うほど厳格に管理されては居ないし、警備が厳しいところだと霊素粒子観測装置が置かれているので直ぐに圏警がすっ飛んでくるが、公園なら大丈夫そうだった。


 まして基本使用法が自己強化にあたるシュガールの異能は、クラスこそExにはなるが体内での変化のため観測しにくい。


「―――『選別しろ』」


 言葉と同時、視界にフィルターが掛かったかのように色を失う。感覚的には冷暗所をサーマルゴーグル越しに見た感じに近い。


 願ったのは、『因子を持っているかどうかを選別しろ』。


 シュガールの異能は『言霊』と呼ばれる希少型だ。自らが望む現象を口にすると、それが起こるという極めて強力なものだ。とは言え、言うほど万能ではなく、例えば人に『何何して死ね』というとその通りになるのだが、それは相手に抵抗値がない場合に限る。大抵の適合者の場合は全員があるので、この攻撃法は一般人にしか使えない。その上、発動者から離れれば離れるほどに実現性が低下していくので、過不足無く発動させたいのならば相手に触れている状態が望ましいのだ。


 そういった使用制限と本人の気性もあって、シュガールは専ら自己強化して暴れる方向で使っている。こうした小回りの効く使い方ですら久し振りでもあった。


(さて、これで少しは見分けがつくようになったが、それでも人数の多さは変わらん)


 どれだけ時間が掛かることやら、とシュガールは吐息して、来日する前に会った預言者の言葉を思い出す。


『この計画についていくと、貴方は貴方の渇きを満たす相手に出会います。その相手は、翠の巫女の守護者ですから』


 確かに、シュガールは今の生活に飽きている。


 教皇に降される前は好きに生きていたが、今と同じように飽きがあった。望めば大体が叶うし、戦えば勝つ。彼の人生において敗北の経験は少ない。特に、こうした異能を手に入れてからは、教皇以外には負けたことがない。


 全力で力を振るって鎬を削るのは確かに楽しいが、戦闘狂と言うには理性は残っている。


 だが何をしても満たされないこの感覚を、渇きと表現するのならば確かにそうだとも言える。


 それを満たしてくれる相手が、この国に居て、そして出会うらしい。


(―――むしろさっきすれ違ったおっさんの方が面白そうだったんだが?)


 アレは良い獲物になりそうだった。


 少々歳が行っているのと小柄な為にフィジカル面で不安要素はあるが、その分練り上げられた経験値が手強いとシュガールをして思わせた。背筋に危機感が走ったのは久し振りだ。予定がなければあの場で仕掛けたいぐらいだった。


(ああ、人混みが鬱陶しい。太陽が忌まわしい。何だって俺はこんな猿ばかりの国でこんな事をしてんだ?)


 しばらく嫌いな日光浴を強制的にさせられつつ、胸中では段々と愚痴が溢れていく。


(いっそこの場の全員ブチ殺して、それを繰り返せばその内行き当たるんじゃねぇか?仮にも預言者と同じ巫女なんだから、そう簡単には死にゃしねぇだろ)


 そろそろ我慢の限界を迎え始め、物騒な計画が脳裏を過ぎり始めた頃、ふと視界にそれが止まった。


(―――あん?)


 緑の靄を纏った大2つと小。


 異能を解除して、サングラス越しにその姿を確認すると、背は高いが顔つきがまだ幼い少年少女と、その間に小さな子供が居た。


(こいつか?だが、ガキもガキだぞ?だが、守護者………親か?いや、親の方もガキだが。後は兄弟とかか)


 まるで仲のいい親子のように手を繋いで、シュガールから離れるようにして公園を出ていく。それを見送って、耳に引っ掛けたIHSを操作する。


「聞こえるか、司祭」

『もう見つけましたか?』


 尋ねると、部下から直ぐに返事があった。


 当たりをつけたら尾行するための人員を配置していて、彼―――ブライアン司祭はその統括だ。今も近くのビルの屋上で、ここを見張っている。


「それっぽいのをな。今、公園を出てった親子か兄弟みたいな三人組。その一番小せぇガキ。見えるか?」

『―――まだ小学校primary schoolにすら通ってなさそうなんですが?』


 どうやら確認はできたらしいが、声音が訝しがっている。確かに人員は配置しているが、それにも限りはある。今向かわせて、手薄な時に本命に出てこられては目も当てられない。


「俺だって半信半疑だっての。だが、異能で選別掛けたらソイツらが引っかかったんだよ。こんだけ人が居て、引っかかったんだ」

『分かりました。人を遣って着けさせます。大司教は―――』

「帰っていいか?」

『尾行に参加しますか?』

「―――はぁ。他にもいねぇかしばらくここで張ってるわ」

『お願いします』


 その言葉を最後に、通信が切れた。


 もう帰りたいと思いながらも、万一に供えてシュガールは異能を行使する。


(あぁ、太陽の光がキッツい)


 どうやら今少し、この日光浴という名の拷問を受けなければならないようだとうんざりしながら。

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