第二十四章 殴り合い格技場

 そんな風に新学期開始からのドタバタが落ち着いてきた頃、唐突に、あるいは必然的にその再会は発生した。


「うげ」

「あぁ?」


 昼休みでの行動は大体の班がそれぞれの班員と一緒に食堂で取る。無料ではないが格安であるし、量も多く味もいい為余程カツカツの懐事情か自炊が好きな者か、あるいは人混みや並ぶのが嫌いと言う人間以外は食堂を利用する。


 特班もその例に漏れず、いつもの五人で食卓を囲むため一人が場所の確保、残りで注文と言う役割を振って行動した。


 今日の三上の役割は場所の確保。指定席こそ無いが、大体いつも使っているテーブルの場所を陣取った時、不意に背の低い男子生徒と目があった。


 上着を肩に引っ掛け、カッターは着崩し、髪は天を衝くようなポンパドールリーゼント。ギラついた、と言うよりは飢えた野犬のような鋭い眼光は身体の小ささを補うような圧力を周囲に振りまいており、顔には幾つもの青タンを作りながらもふてぶてしい態度でこちらを睨む。


(また面倒な奴が………)


 嫌なヤツに会った、と三上は胸中で頭を抱えた。


 そのちょっと化石チックな不良スタイルの少年―――木林勝蔵とは小学生からの腐れ縁だ。悪友と言うか喧嘩友達と言うか、気が合うようで合わない関係だ。それでも長い付き合いだが、去年の秋に色々あって仲違いしてからは疎遠になっている。


 お互いに無視しあっている訳ではなく、どちらかと言うと三上の方が避けている。


 場所は人も多い食堂だ。奴も問題を起こさないだろう―――。


「オイ、んだよデカブツ」


 と言うのはこの狂犬相手に希望的観測だった。


 肩を怒らせながらこっちに近づいてきて、睨め上げるように吐き捨てる。風の噂では班決め初日に早速問題を起こして教官と先輩に噛み付いたらしい。尤も、その生傷だらけの様子を見ればボコられているようだが、全く悪びれておらず、反省の様子もない。


 相変わらず唯我独尊と言うか引き際を知らないチンピラと言うか、根性だけは無駄に座っている。


「うっせぇなチビ。どっか行ってろ」

「あぁ?喧嘩売ってんのかヘタレ」

「お前に関わり合いたくないんだよ。今から飯なんだ。ここでやり合ったら埃が立つだろうが」

「はっ!お上品なこって。人を殴れなくなったら常識人の真似事かぁ?つっまんねー奴!」

「うっせぇ野良犬。所構わずションベンでマーキングしちゃぁボコられやがって、情けねー奴」

「あぁ?やんのかよコラ」

「おぉ?はっ倒すぞチビ」


 売り言葉に買い言葉というか、段々と言葉の粗さと大きさが周囲に響くようになって、今や一触即発の気配が食堂に広がっていた。周囲が騒然とする。


「お?なんぞアレなんぞアレ。絵に描いたようなメンチの切り合いじゃねーか。つーかなんぞあのオールドヤンキー。今時随分気合いの入った髪型してんじゃねーか。ポンパドールにリーゼントたぁ超美学してんな!」


 周囲が遠巻きにしていると、一つ脳天気と言うか楽しそうな声が響いた。


 飛崎だ。両手に今日の日替わり定食を自分の分と三上の分をウェイターよろしく持って、ピリ付いた空気を物ともせず近寄り、テーブルにトレイを置く。


「あぁ?んだテメーはよ」

「おう。そこのデカブツと同じ特班の班員だ。チンピラ、お前さんは?」

「戦闘科5班。木林勝蔵。文句あっかコラ」

「ほう、いいなお前さん。いい面構えをしてる。うん、自分の美学がある漢の面だ」


 飛崎は木林に真正面から対峙すると、ニヤリと笑ってすぅっと息を吸い込んで大音声で叫ぶ。


「そもさん!」

説破せっぱァ!」


 突然の問に、しかし木林は即座に反応した。


「学ランの短さは!?」

「気の短さァ!」

「リーゼントの高さは!?」

「誇りの高さァ!」

「突っ張ることが男の―――!?」

「たった一つの勲章ォ!」


 問答が終わると二人は互いの拳をぶつけた。割と本気だったのか、ゴン、と鈍い骨がぶつかる音が響いた。しかし痛みも何のその、二人はニヤリと口角を上げる。


「やるじゃねぇか」

「そっちこそヤンキーの美学してんな!」

「テメーも名乗れよ。覚えてやる」

「連時だ。飛崎連時。―――勝坊でいいか?」

「ああ、オレもレンと呼ぶぜ?」


 昭和生まれと昭和テイストヤンキーがよく分からないやり取りで意気投合した。非常にむさ苦しい化学反応である。


「狂犬と和解しやがった………」


 その様子を見て、三上は若干引いていた。


 この木林勝蔵という少年。見た目の通り素行が悪い。ヤンチャしている、と言う範囲で収まらず子供の頃から暴れまわっている。


 引かない媚びない顧みないと時代によっては覇王街道を一人突っ走るので、とかく周囲に馴染まない。


 そうした事情も相まって『狂犬』などという二つ名と言うか札付きというか、そうした認識を地元では持たれている。何の因果か三上は彼と絡むことが多く、その都度殴り合ってきた。


「ん?飛崎………ひょっとして、あの新任の関係者か?」

「あん?ティアのことか?ありゃ儂の義姉だ」

「はん、どうりで。若いチャンネーのくせにタダもんじゃねーぞアレ。見ろよこの傷と青タン。殆どあのアマにやられたんだぜ?パイセンからの仕置は大体避けたってのに」

「傭兵ん時の階級は中佐だぞアイツ。しかも現場に居たいからって傭兵協会からの昇進推薦蹴りまくった結果でソレだ。かつての下級者に階級が追い抜かれても下にも置かない扱いされてんだもん。北米に拠点を置くY&C社って傭兵団があんだけどな、そこの大将に最敬礼された時は流石の儂も引いたわ」

「マジかよ」

「マジマジ大マジ。怒らせると一番怖ぇタイプだぞ、アレ」

「はぁん。だからつって今更ヘタれてゴマすりすんのは性に合わねぇな」

「いい根性してんな勝坊。まぁアイツも儂の身内だけあって、美学のある奴が大好きだ。どうせ一度突っ張ったんなら、いっそ最後まで突っ張り通しな。ブレない限りアイツは見捨てねぇと思うぞ。あれで情が深い女だからな」

「はぁん。そりゃいいこと聞いた。根性据えんのは得意なんだよ」

「そのボコられた顔見りゃ分かるわ!」

「そりゃそうだ!」


 ゲラゲラ笑い合う二人に周囲は割とドン引きである。


「つーか何しに来たのお前」


 三上が口を挟んで見れば、彼はつまらなさそうにこっちに視線をやって、見下すように嘲笑する。


「あん?ヘタレがポツンといたからノケモンにされていると思ってからかってやろうとしただけだ」

「こんのチビ………」

「それより丁度いい。飯食ったらツラ貸せ。―――久し振りに喧嘩の相手になってやんよ」




 ●




 教練の予定が急遽変更されることは、実は割とある。


 事故的な要因では少ないが、教官による気まぐれ、あるいは諸事情による教練内容の意図的な変更はいっそ推奨されている。


 些か以上に緩い校風の鐘渡教練校ではあるが、それでもいずれ軍、またそれに準じた組織に所属する人間を育てる場所であり、現場に配属されれば予定通りに行かないことなど枚挙に暇がない。それは現代に限らず、旧世紀でもホットスクランブルなどの緊急発進に代表される即応性が必要だったことからも見て取れるだろう。


 まして現代では消却者イレイザーへの対応―――非人間的な思考に基づく行動に対応しなければならないのだ。他国の侵略的軍事行動の方がまだ読み易いまである。であるからして、即応性を養うためにちょくちょく予定は変更される。


 さて、場所を移して第二格技場。そこに戦闘科第五班と特班の面々が集っていた。


 基礎格闘訓練、とお題目を掲げてはいるが、その実ただ一つのカードを実現するためだけに組まれた教練だ。


 対峙するのは三上と木林。


 そしてそれらを前にして特班は。


「河川敷!夕日!殴り合ってからの―――友☆情!」

「河川敷じゃないしお昼過ぎだけどね?」

「エリカ様がお望みです。さっさと用意しなさい班長」

「ちょっと無茶振りが過ぎない?」

「あっはっは。良いではないか班長。漢の殴り合いにロケーションとシチュエーションは大事だぞ。例えば女子風呂で女体について仲違いした男が殴り合っても単なる変質者の諍いしか見えんだろ?どっちを応援するかの前にまず圏警に通報してお廻りの応援呼ぶわ。趣大事、超大事。つまり―――美学だ!」

「言わんとすることは分かるけどその例えは極端すぎない?」


 非常に緩い観戦モードに移行していた。ここに某かの売り子でもいれば大量購入して飲み食いしていたに違いない。


 そもそも事の発端は、木林が第五班の教官に提案し、特班の教官である山口が許可した為に起こった。その理由も大概なもので『ちょっとぶん殴りたい奴がいるからお膳立てしろ』である。普通ならば懲罰とともに却下されるであろう提案だったのだが、第五班の教官に直談判した時に、折よく山口もその場にいた。


 山口としても、三上が抱えた問題を軽くは見ていない。いずれという但し書きがあるにしても、早めに治せるならばその方がいいのだ。結局、『それなりに付き合いが長いオレならあいつも殴れるだろ』と言う言葉に折れる形で教練の変更がなされた。


「その、すまない新見」


 やんややんやと楽しそうにしている班員に新見がため息をついていると、横合いからおずおずと体格のいい少年から声を掛けられた。5班の班長の若松わかまつだ。プライベートまで仲良くしているわけでもないが、去年から教練で何度かかち合っているのでそれなりに見知った顔だ。


「ああ、気にしなくていいよ若松。うちの教官も面白そうって乗っかった口だから………」

「苦労してるんだな、お前も」

「うん。分かってくれる?」

「ああ。問題児だと聞かされてはいたがこれ程とはな………」

「カツ君、割と見境無いからねぇ………」

「知ってるのか?」

「去年ちょっとあってね。だから顔見知りではあるんだ。まさか教練校でも関わることになるとは………」

「そっちも苦労してそうだな………」

「聞いてよ若松!こっちもね………!」

「男同士の慰め愛は気になるところですが、始まるようですわよ」

「今何か字面おかしくなかった!?」

「はんちょーも友☆情するんですか!?」

「どうしてそんなに嬉しそうなの君!?」


 中々にカオス極まる外野をさておいて、山口が出した始めの合図と同時に、木林が速攻を仕掛けた。


 三上の身長が189cmに対し、木林の身長は155cm。無差別級でも中々実現しないであろう身長差での対戦ではあるが、三上の精神に問題がある以上、木林に流れがあった。


「勝坊、喧嘩殺法の癖にいい動きすんのな。んー………ちょっとタケの動きも入っているか、コレ」

「去年から長嶋理事長に師事しているんだって」

「相変わらず防戦一方ですわね」

「そうかしら」


 余裕がないのか、真剣な表情で木林の攻撃を防ぐ三上を見て、エリカは今までと違う何かを見る。


「相手がいいのかも知れないわね。少しショージの動きが違うわ。―――ちょっと、楽しそう」




 ●




木林にとって三上との関係は一言で表すのは難しい。少なくとも当人達はそう思っている。


 好敵手と言うには啀み合い過ぎているし、恋敵と言うほど善戦したわけではない。


 初対面で負けたし、初恋相手に出会った時には失恋していた。


 気に入らないし仲良くもなれないが、それでも心の何処かで木林勝蔵は三上正治と言う少年を認めていた。生まれて初めて土をつけられた。年齢の差で負けることはあっても、少なくとも木林は同年代で負けたことはなかったのだ。


 そこからは事ある毎に食って掛かった。勝つこともあれば、負けることもあった。悪友と言うには互いを知ろうとしなかったし、喧嘩友達と割り切るには互いの性根が気に入らなかった。


 だから、と言うべきか。拳で語るというほど大層なものではないが、適度な殴り合いが二人のコミュニケーションだった。


 その殴り合いも、ここ半年以上はご無沙汰であった。


 原因は三上だ。


 去年の6月に右腕を失い、戦闘に耐えうる機械式義手が出来上がるまで療養と義手、あるいは義手無しでの生活を行えるように訓練すること4ヶ月。その間にも変換式神経接続関節を手術で取り付けて、着々と準備を行い、去年の11月にようやっと腕を失う前までと変わらないぐらいまでコンディションを整えることが出来た。


 そしていつものように木林と三上はぶつかりあって―――木林が一方的に勝利した。


 PTSDトラウマだ。


 あのテロ事件で三上は危急を切り抜けるために、戦闘者として最善手を打って状況を打開し、しかし経験ではなくトラウマを得てしまっていた。


 余りのあっけなさに最初は木林も何の冗談だと笑っていたが、あの顔面蒼白を見れば冗談や遊びの類でないことは理解できた。


 それと同時に、抑えきれない怒りを覚えた。


 木林にとって三上正治とは、どれだけ殴っても壊れない玩具のような相手だ。だが決してサンドバックなどでなく、ちゃんと殴り返してくるし、怯えも恐れもせず噛み付いてきてくれる対等な敵だった。


 だから反撃しようとする度に立ち竦み、ただただ殴られるだけの三上に苛立ちを覚え―――挙げ句、女に庇って貰うなどという情けない姿に心底失望した。


 それ以来、木林は自分から三上に絡みに行くことも無くなったし、三上もそれとなく避けていた。


「何でいきなり俺を指名すんだよ。サンドバックはつまんねーんじゃないのか」

「けっ。何時までもテメーがウダウダやってんの見てんのが鬱陶しいんだよ」


 一合交わして距離を取った三上がそう訪ねてきて、木林は吐き捨てる。


 攻撃はやはり木林が一方的。だが三上の捌き方は様になっているし、半年前よりずっと上手くなっている。顔色だって悪くない。


(これならスパー相手ぐらいにはなるか………?後は攻撃さえ引き出せれば………)


 そんな事を考えながら、木林は考える。


 三上は同年代の少年に比べて、破格の体格を誇っている。大人にだってあそこまで大きくガッシリとした体型をしている男は少ないだろう。そしてその恵体から繰り出される打撃は非常に鋭く、受けてみれば凄まじく重い。慣れていなければ一撃で戦闘不能になることも多く、常にそれに挑み続けた木林はいなせるし躱せるが、それにしても数多の敗北の上に成り立っている。


 対する木林は同年代の少年に比べても小柄だ。およそ体重と体格が物を言う格闘に於いて、それは絶妙にきついハンデになる。軽量級が重量級に勝つためには素早い足回りを生かした立ち回りと読みこそ重要になるが、それは武器、あるいはそれに準じる技術を持って相手のリーチ外から攻撃できるからこそ有効な戦い方だ。余程地力の差があるなら別だが、実力がほぼ同格、そして互いの攻撃圏内でやり合う場合、体重差は明確な有利不利になる。


 畢竟、木林は三上に対して常に不利で有り続けた。彼が持ち得る反骨心は、だからこそ作用する。


「―――オラァ!」


 滑り込むようなダッキングからショートアッパーで三上の腹に左拳を捩じ込む。払うように右手で防がれるが、構いはしない。そのまま連撃に移行する。右のローキック、左正拳、右フック、からの左回し蹴り。


 そのどれもが防がれるが、怒涛の攻めの手を緩めない。


 相手の硬い防御をこじ開けるには、幾つかの手法がある。その中で木林にとって最も性格に合っているのがこのやり方だ。反撃をさせる間も無く果敢に攻め立て、択を散らし、防御の処理速度を遅らせる。


 対する相手の行動は主に二択。被弾覚悟で反撃するか、距離を取って仕切り直すか。


 だが、その決定直前に訪れる防御の綻びを、木林は見逃さない。


「遅ェよ、馬ァ鹿!」

「ぐっ………!」


 今まで以上に深く、そして捻り込むように踏み込んで右の掌底で三上の顎先を軽く押すと同時、踏み込み足を三上の左足に引っ掛ける。その上で慣性と体重移動を乗せ、がら空きになった鳩尾に背中からの体当たりで三上を吹き飛ばした。


 流れるような鮮やかな手管と、それに似合わぬ重い衝撃音に観戦していた外野が色めき立つ。何処かの昭和生まれが『鉄山靠かよ!』と手を叩いて喜んでいたとかいなかったとか。


「おいおいおいパパさんよ、そんなんであのガキを守れんのかよ」

「あぁ?何でお前がそれを………」


 追撃を掛けること無くそんな言葉を掛ける木林に、吹き飛ばされて転がりながらも身を起こした三上は訝しげに眉をひそめる。


「静流のババアんとこ顔出したんだよ。したらテメーが親になったってんじゃねぇか」

「………」

「で?そんな木偶の坊で親なんぞやれんのかよ」

「―――うるせぇ」


 その問いに答えること無く、三上は立ち上がって構えた。今までと少々空気が違うのを木林は感じ取るが、まだ足りないと胸中で思う。


 ひりつくような空気と、それを掻い潜るスリル。かつて木林が三上に感じた危機感には程遠い。だが、その片鱗は見え始めている。後少し。もうひと押し。


「はぁん。人を殴れなくなったテメーが睨んだ所で怖くも何ともねぇわ」


 まだ足りない。とことんまで煽って追い詰めて引き出してやる。


 そんな事を思いつつ、木林は身構えて接敵。先程以上に果敢に攻めて、その回転数を上げていく。


「全く面白くねーなァ、オイ!オレはよ、テメーの事は嫌いだがそれなりに買ってたんだぜ!?」


 亀の子のように身を縮め、防御を固めて機を伺う三上に対し、容赦なくガードの上から攻撃を仕掛けていくが、いかんせん体重差が有りすぎる。スピードと慣性を乗せても、あの体格が生み出す鉄壁を崩すにはどうしても質量が必要だ。


 だが、木林の狙いはそこではない。あくまで、三上の攻撃を引き出すこと。弱くていい。当たらなくてもいい。ただ一発、来さえすれば。


「オレを負かした男が情けねぇツラしてんじゃねぇよ―――このヘタレがっ!!」


 右の回し蹴り。ガードの上から、しかも今までのように効かないと分かっていて繰り出した。通常の戦いであればそんな隙が大きい行動などしなかっただろう。


 だが、これでいいのだ。


「こんのっ!」


 案の定、その隙を見逃す三上ではなく、迫る木林の右足を左手で合わせて弾き、入れ替わるように右拳を突き込んだ。


 未だに迷いがある。躱そうと思えば躱せる。そんな腑抜けた拳。


 しかしそれは木林の顔面を正確に捉え、鉄と骨がぶつかる打撃音が格技場に響いた。


「その程度か?あぁ、コラ」

「お前―――」


 否、三上の義手による右正拳を―――しかも、身長差から打ち下ろしチョッピングのような格好になったのにも関わらず―――木林は己の額で受け止めていた。


 流石に機械式の義手相手に無傷とは行かなかったのか血が額から流れて木林の顔を伝うが、彼はそれをぺろりと舌で舐め取って、挑むような視線を三上へと向ける。


「テメーが殴れねぇってんならそれでいい。だったら、




 ●




 ザリザリと、サブミナルの様にあの瞬間がフラッシュバックする。


 霊素粒子の糸を使って武器を奪い取った。


 アサルトライフルでの牽制。運良く一人の頭に銃弾が当たり、死ぬ。


 接近して、相手のナイフを奪って顎下から突き込んで殺害。


 その死体を盾として利用して別の信者に接近し、押し倒すと同時に拳を顔面に叩き込み、床に叩きつけて脳挫傷。


 振り返ると同時に糸を飛ばし、足に巻きつけてこちらに引き寄せ、軽く飛んで全体重を乗せて頭を踏み潰す。


 流れるように四人を殺害した時には相手も混乱から立ち直り、三上を殺そうと銃を構えていた。だから三上も手にした銃を構え、幾重もの霊素粒子の糸を展開し―――。


 その時の狂気の笑みが、今も三上の脳裏に焼き付いている。


 殺されても笑みを絶やさず、信仰のためと謳って死ぬために行進してくる狂信者達を、三上は殺していった。


 相手に適合者が少なかったから成せたというのもある。


 そうしなければ自分や幼馴染が死んでいた、というのもある。


 元々は軍属だった祖母と父にそれなり以上に鍛えられていたというのもある。


 理由や言い訳は、幾つも出来る。


 しかしそれでも、三上正治が他人の命を奪ったことには代わりはない。


 法律に照らし合わせたのならば、過剰が付くかもしれないが正当防衛は認められる。何しろ相手はテロリストで、一般市民を巻き込んでいる。世論とて三上の味方だった。JUDASがテロリストであるが故に法廷には出てこず、世論の後押しもあって検察も三上を殊更吊るし上げるようなことをしなかった為、裁判すら行われなかった。


 世間は三上の行動を認めている。


 その殺人に対する正当性を保証している。


 しかしその是非は他人に決められることではない。


『英雄だなんて煽てられてのぼせ上がった糞ガキだ。ちょっと過剰に防衛本能が出ただけじゃねぇか』


 どこかの記者が、吐き捨てるように呟いた言葉が三上の胸に刺さっている。


 その記者に投げかけられた問いの数々が、自分の行動に疑義を呼び掛ける。




 




 それに対し、彼は未だに答えを見出せていない。それ故に、だろう。振り切りことの出来ない過去が罪過となって彼の手足を縛り、どんな相手にもその過去を投影させる。


 ザリザリと、まるでノイズのように視界に差し込まれ、三上行動を阻害する。拳を振りかぶる度に、攻撃の意思を見せようとする度に、本当にそれが正しいのかと問いかける。


 きっと、三上正治を知らない人間では気づかなかっただろう。彼もまた意地を張って、何でも無いように振る舞っていたから。


 何年と殴り合ってきた木林だからこそ、気づいたのだ。


「いい加減オレを見ろヘタレ!今戦ってんのはだ!!」


 呼びかけに対して、三上は拳を握る。


「分かってるよチビ!」


 今目の前にいるのは、狂信者でも何でも無い。


 ―――単なる腐れ縁なのだから、それを殴るのに正解も間違いも有りはしないのだ。




 ●




 流れが変わった。


 木林に対して、三上が攻撃行動をするようになった。以前のようなぎこちなさもないその一撃一撃は、正しく体重の乗ったもので、直撃する度に木林に深刻なダメージを与えていく。


 だが彼はそれに歯を食いしばって耐え、笑みさえ浮かべて三上に挑んでいく。防御を捨て、攻撃の一意に専心し、がむしゃらという言葉が似合う戦い方だ。


 対する三上もいなしや弾きを行わなくなった。迫りくる攻撃を全て恵まれた身体で受け止め、反撃に転じる。


 もはや格闘の体をなしていない。少なくとも、テクニカルなものは何一つ無くなった。


 まるで技を掛けないプロレスか魔法禁止のターン制RPGの如き様相―――もっと言うなら根性比べのソレだ。HPが無くなるまで殴るだけの、まるで華のない戦い。


「あーあー、酷い泥仕合」

「いいじゃねぇか。ここ最近の中じゃ一番頑張ってるし、案外楽しそうだぞ。お互い笑ってるし」


 その様子を見て、新見が呆れるが飛崎はカラカラ笑って観戦している。


 因みに最も白熱しているのは女子組で。


「あ、ショージまだ顔は駄目です!まずはボディボディ!次は心臓!」

「殺りなさい!目潰しか金的です!そこです!地獄突き!」

『特班の女子達血の気が多すぎて怖い………』


 割とエグい攻撃指示を出して第五班の面子に引かれていた。


 しかし防御を捨てた殴り合いなど、そう長く続くものではない。決着はすぐに来た。


『あ』


 全員が声を上げると同時、三上と木林が右拳と左拳をお互いの顔に着弾させた。そしてそのまま二人共仰向けでぶっ倒れる。


「これは………相打ち?」

「うむり。見事な失敗版クロスカウンター。勝坊、判断は良かったがタッパが足りんかったなー。もうちょいあったら文句なく勝ってただろうに」


 三上の右ストレートに合わせて木林が飛び込んで左フックを出したは良かったが、身長差が悪さをした。


 つまり、腕の長さだ。


 三上の右拳は木林の顔面にめり込むように着弾し、木林の左フックは三上の頬に僅かに届かなかったが顎先には届いた。相対速度も相まって義手によるストレートの直撃を顔面に受けることになった木林と、運悪く顎先を揺らされて脳震盪を起こした三上。


 もしも同程度の身長であったならば、木林が多少の被弾をしつつも打ち下ろしの左フックを三上の頬に決めて、続く連撃で勝負を決めていただろう。


「あれ?友☆情は何処ですか?『やるじゃねぇか』とか『そっちもな』とかの友☆情は!?」

「どっちも沈んでいるので無いんじゃないでしょうか」


 騒がしい外野を他所に、共に沈んだ少年達は何処か満足気な表情で意識を手放していた。




 ●




 意識の覚醒は、まるで電気を付けたようにはっきりとしていた。


 まず目に飛び込んできたのは白い天井、周囲を囲うようなベージュのカーテン。


 それから。


「パパ!」

「おっと………」


 胸元に飛び込んできた久遠だった。


「あ、正治君、目が覚めました?」


 それを優しく受け止めた三上は、横から掛けられた声の方を見る。ベッドの横に置かれた椅子に座っていたのは、式王子だった。手には何かの絵本。おそらく、直前まで久遠と一緒に読んでいたのだろう。


 事情を聞くと、どうやらあの試合で気を失った二人は保健室に担ぎ込まれて安静にしていたらしい。少し前に本日の教練も終わり、式王子は久遠を迎えに行き、三上の見舞いに来たのだという。


「あー………いいとこ喰らい過ぎた?」

「顎先に一発、だそうです」


 狙ってやったわけではないだろうが、随分ピンポイントな位置に食らったなぁと三上は苦笑いをする。


「あの馬鹿は?」

「ちょっと前に起きて一人で帰りましたよ。相変わらずツンケンしてました」


 まだ隣で寝ているんだろうか、と思って訪ねてみると、どうやら先に帰ったらしい。相変わらずチビのくせに無駄に頑丈な奴、と呆れざるを得ない。


「んー。カツお兄ちゃん、こわいけどこわくないよ?きのうも遊んでもらったー」

「そういや昔から年寄りと子供には何故か好かれるタイプだったよな、アイツ」

「同年代には大体嫌われますけどね」


 狂犬だなんだと揶揄される彼ではあるが、あの見た目や態度に反して案外面倒見が良く妙に義理堅い。その影響か、一度慣れると年寄と子供は遠慮せず、木林もぶちぶち文句言いつつ付き合ったりするので意外と交友関係は広かったりする。


 尤も、歳が近かったりすると木林にとっては喧嘩を吹っ掛ける対象足り得るので、その辺りからはすこぶる評判は悪いのだが。


「あたた、久し振りだからって遠慮なく殴りやがって………」


 途中から防御を捨てたのもあって、体の節々が悲鳴を上げている。骨折や裂傷などの外傷は数日で治る現代医療であるが、打ち身の類は自己治癒に依存する。それも霊樹による代謝促進もあって常人よりは治りは早いのだが、それでもあそこまでボコボコに殴られれば数日は要するだろう。


「パパ、いたい?」

「ああ、大丈夫だ―――お?」


 そんな中、ぴょこんと三上に馬乗りになった久遠はおもむろに彼の額に口づけをした。


「お、おう………」

「まぁまぁ!くーちゃん可愛い!ママにも!ママにもして!」


 そんな可愛らしい行動に三上は照れて目を背け、式王子は蕩けた表情を浮かべて久遠を抱きしめる。


「いたいの飛んでくおまじないだって、みどりのお姉ちゃんが言ってた」


 久遠は式王子に頬ずりされながら、ドヤ顔しながら三上にそう告げる。


「いたいの、飛んでった?」

「あぁ、ありがとうな。もう、痛くねぇよ」


 三上はそんな義娘の気遣いに、頭を撫でて礼を言って微笑んだ。




 この時の彼女の微笑ましい行動が、三上正治と式王子小夜の未来を大きく変えていくことになるなど―――今はまだ、誰も知らない。

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