第一章 非魔人と龍使い
第一話 世界のお荷物
「よいですか、皆さん。あなた方は世間一般の人々が持っている力を持っていません。その分働き口も少なくなります。しかしいつまでも政府からの援助に頼る訳にもいきません。より多くの技能、知識、身体能力を身につけることが大切です。その心構えを忘れないように」
「はい」
広い講堂に、先生と私たちの声が響く。私たちはメイドみたいなエプロンドレスの制服を着て、等間隔に長机に座ってノートを広げていた。
「本日は薬学の授業です。魔法に頼らず薬を作ることができる薬剤師は、複雑なテクニックも必要ないので必然的に需要が高くなります。確実に覚えるようにしなさい」
私は、はあ、と小さく息をついて、窓の外を眺めた。夏らしく蒸し暑い天気。白い雲が空の殆どを覆い尽くしている。
と、ガツン、と音がした。見れば私の机でチョークが割れている。
「ハル、またあなたはよそ見をして!」
こちらを睨みつける先生と目が合った。それから、同級生たちがどことなく面白そうにこちらの様子を窺う。
……しくじったな。もう少しあとにさり気なくよそ見するんだった。
「すみません」
「もう……あなたは本当に、いつもそうなんだから。で?この問題わかる?毒薬としての使い方が主流だけど、他の薬草と合わせることで睡眠薬にもなる――」
「ディリアの葉です」
「……分かってるのならちゃんとなさい」
先生が溜息を吐き、後ろの黒板をくるりと振り返った。
「そう、ハルが言った通り、ディリアの葉は手軽な毒物として有名です。毒性はそこまで高くはなく、少しの量なら三日分ほどの魔力を削ぐだけでしょう。しかしその分、他の薬草と混ぜることで治療には有用な成分を取り出す事が可能です」
先生がつらつらと説明を始める。同級生たちはぱらぱらと前に向き直り、板書のメモを取っていった。
私はペンも握らず頬杖をつく。くだらない。私にとっては百も承知の話だ。大体、薬学に複雑なテクニックが必要ないって?馬鹿じゃないの。そんな訳ないだろうが。
この程度しか教えてくれないから、私たち魔力を持っていない人々――通称
ここは普通の学校ではない。魔法世界・エヴァクシア、五つある国家のうち南東の大国であるコンサジア共和国にあり、非魔人たちが通う、国立非魔人教養専門学校である。
エヴァクシアの住民は皆、多かれ少なかれ魔法を使える。日常生活ですら魔法に頼って生きているのだけれど、中には魔力を一切持っていない私みたいな人たちも千人に一人くらいはいる。私たちは生活に支障をきたすほど魔力がないので、こうして国に集められて生き抜く術を学ばされるのだ。
でもきっと、こんなのは実際役に立たないだろうな。薬剤師なんて魔法が使えたほうがずっといい薬を作れて有能だし、他の仕事だって非魔人を雇わなきゃいけないほど手が足りないなんてことはほぼない。非魔人たちが本当に生き抜くには、何処かのお屋敷に使い捨てのメイドとして働くか、いかがわしい仕事をするしかない。でも、私はそのどちらになるのも、嫌だ。
やりたいこともないし、将来への見通しも立たない。私はきっと、安定した仕事にも就けずだらだらと一生を過ごすのだろう。
じっと耐えているうちに、チャイムが鳴って今日の授業は終わりになった。
「名簿順に今週分の支援金を受け取りに来てください。受け取ったら自由解散となります」
私は列に並んで、今週分の生活資金を受け取った。働き口の少ない非魔人たちのために、国から毎週送られてくる支援金である。今の私の収入はこれだけだ。少ないけれど切り詰めれば十日は生き延びられる。
……そういえば、うちの食材が切れてたよな。せっかくお小遣いも手に入ったし、ちょっと買い物して帰ろ。
一人で学校を出て、そのまま近くの市場に向かう。同じ方向に向かう同級生は一人もいなかった。
しん、と一瞬私の周りが静かになった気がした。一本道の両側に色んな店が立ち並んでいるのに、そこに立つ人たちはみんな横にいる人と顔を寄せ合ってなにか話をしている。ひそひそ、と小さな声が追いかけてきた。聞かなくてもわかる。どうせ私の噂話だ。無視してさっさと歩いていくしかない。
「あ、ハルちゃんじゃないか!いらっしゃい。今日はなにがいいかい?新鮮なオレンジが入ってるよ」
いつもの青果店のおじさんに声をかけられた。昔からの顔なじみである。
「りんごでいいですよ。いつもどおり、五つ」
「またかい。そんな食生活じゃ体壊すよ?ちゃんとりんご以外にも食べてるんだろうね?食べざかりなんだから肉を食べなさい、肉を」
「わかってますって」
にこり、と薄っぺらい笑みを顔に貼り付ける。さっさと受け取って帰りたい。喋れば喋るほど、市場の人達に私の噂話の種をまきちらすだけだ。
「それで、最近はどうしてるんだい。学校はどう?」
それなのに、おじさんはりんごをわざわざ一つずつ紙で包んで、少しでも私と話す時間を伸ばそうとしている。じれったい。
「魔法学校に行くはずだったのに……急にあんな事になっては大変だったろうねぇ。魔力が元に戻る気配はないのかい?」
イライラが喉元まで上がってきた。余計なお世話だ。りんごをひったくってそのまま立ち去りたい衝動に駆られる。私は何とかそれに耐えて、静かな声を絞り出した。
「なさそうです。別にいいんですけど。それより、早く渡してもらえませんか。後ろが詰まってきてるんで」
私の後ろに何人か人が並んでいた。どうせ私のことを見物しに来ただけだろうけど、おじさんは「あ、ああ」と半端な声を出して、私にりんごの入った紙袋を渡した。私は今日もらった支援金から銀貨を何枚か取り出す。
「代金九十イブロン、確かに頂きました」
イブロンは、世界共通の通貨単位だ。じゃ、と踵を返して店を出ようとしたとき、目の前にすっと足が突き出た。誰かが私を躓かせようとしたらしい。こんなことは慣れっこなので、私はさっとそれを避けて店を出た。チッ、と小さな舌打ちが聞こえる。
「非魔人が」
買いたい物は買った。でも、私の家は市場を抜けた先にあるので、ここをどうしても通っていかないといけない。私は顔をうつむけ、できるだけ早足で歩く。
「あら、あなたがハルさん?」
声をかけられたけれど、構わずに歩いていく。後ろから走って追いかけてくる足音が聞こえた。
「そうよね?あなたがあの、コンサジアのハルよね?」
「そうだったら、なにか問題があるんですか?」
鬱陶しい。こういうのは付き合わないほうが良い。しかしどうしても頭にきて、私は声を返してしまった。
「あなたに一言言いたくて来たの。あなた、元は天才少女として有名だったじゃない。それなのに、今こんな非魔人に身を落としてしまって。あなた自身、どう思ってるの?恥ずかしくないの?私はずっと前からこの国の未来を担う存在としてあなたに期待していたのよ。それを裏切って。こんなのでいいと思ってるわけ?」
「ええ、べつに。そうだったら何なんですか?」
たたっ、と走ってくる足音がする。声の主が私の前に回り込んだ。足を止められて見上げてみれば、その人は上品そうな帽子にドレスをまとった御婦人だった。どおりでお節介なわけである。
御婦人は私の前にしゃがみ込み、いかにも慈愛に満ちた、と本人は思っていそうな目で、私の肩に手を置いた。
「私は、非魔人たちに魔力を取り戻す手伝いをしている団体の者なの。あなたほどの才能の子が、魔法を信じられなくなったなんて、ただの気持ちの問題なだけよ。もしあなたに魔力を取り戻す気があるのなら、私はその手伝いをしたい。練習を始めれば、すぐに元の魔力を取り戻して普通の生活を送れるようになるわよ」
私は彼女の目を見つめた。優しげな微笑みが返ってくる。
「結構です」
彼女の手を振り払い、そのまま歩き出す。婦人の方はもう振り返らなかった。
と、コツン、と頭に何かがぶつかる。
石だった。店の周りで遊んでいた子どもたちが、私に向かって石を投げていた。
「お前、非魔人なんだろ!魔法を使えなくて仕事がないから暇人なんだろ!魔法が使えないとか意味わかんねえ!」
「やーい暇人!非魔人は暇人なんだな!」
「お前なんか役にも立てない、世界のお荷物じゃねえか!」
ゴツン、ゴツンとだんだん石が大きくなってきて、私は腕で頭を守らなくてはならなくなった。怒鳴りたくなってくるのを、なんとか自分に言い聞かせてこらえる。大丈夫。この子達はまだ小さい。大人に吹き込まれたことを、意味もわからず言っているだけ。……それがどんなに人を傷つける言葉であるかも知らず。
世間の人々が私たち非魔人を嫌がる気持ちもわかる。国からの支援金が税金で賄われているからだ。近い将来、額が下げられるかもしれないとも言われている。だから、「非魔人は暇人」なんて揶揄されるのだ。
この子達は悪くない。だから耐えるんだ。
と、ひときわ大きな石が飛んできて、私の腕をかすめた。
「あ……」
鋭い痛みが走る。右の二の腕がぱっくりと裂けていた。
子どもたちが責任をなすりつけ合うように目を見合わせていた。私はきっ、と彼らを睨みつけ、また歩き出した。早く帰って、応急処置をしなければ。既に血が滴ってきている。
悪くない。あの子達は悪くない。そんなことを吹き込んだ大人たちが悪いのだ。私はそう思いたい。だって、さっき私を勧誘してきた御婦人だって、私を助けてくれなかったのだ。
私は世界のお荷物。そのことは自覚している。冷たい目を向けられるのにももう慣れた。だからもうほっといてほしい。私はただ、静かに暮らしたいだけだ。世間からの目に耐えなくて済む、静かな世界で。
夢の醒めない魔法の国 七々瀬霖雨 @tamayura-murasaki-0310
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