夢の醒めない魔法の国

七々瀬霖雨

プロローグ

ゆめのおわり

「花よひらけ!氷よ舞え!」

 ふわりと辺りに花の香りが満ち、まるでガラス細工のように美しい氷がシャンデリアのように空中で太陽を反射した。薔薇の生け垣に囲まれた庭園で、幻想的な光が柔らかくそれらを包み込む。

 その中心に、幼い頃の私がいた。

「あら、ハル、その魔法は新しく覚えたの?」

 声がして、私は振り返る。

「お母さん!」

「あらあら」

 走ってきた私を優しく抱き止め、お母さんは薔薇園の景色に目を瞠る。

「まあ……もう氷の魔法まで使えるの?私が教えたのはまだ水を出す魔法だけだったわよね」

「えへへー、すごいでしょ?こうなってほしいな、って思ってやってみたら出来ちゃった!」

「さすがね、ハル。それでこそ私の娘だわ」

 お母さんはちょん、と私の鼻を撫でる。一番褒めてくれるときの仕草だった。嬉しさにまた抱きついているうちに、お母さんは振り返ってお父さんを呼んでいた。がさがさと茂みをかき分けてお父さんがやって来る。

「見てお父さん。ハルがまた魔法を使えるようになったのよ」

「おお!凄いなあ……本当だ、俺の娘は天才なんじゃないか?」

「もう、お父さんったら!」

「いえ、あなたには才能があるわ、ハル。誰よりも強い力が」

 お母さんがそう強く言い切った。はっとして見上げると、お母さんはしゃがんで私の頭を撫でながら言う。

「あなたはきっと、この国の誰よりも魔法の才能がある。でも、その力は、使う人によって危険にも味方にもなるのですよ。よく言われることだけれど、魔法をきちんと制御するには信じることが一番重要。あなた自身を、きちんと信じてあげることか肝心よ。できる?」

 なぜだかその言葉は、私の心にずっしりと重く沈んだ。覚えておかないといけない気がして、私は慌てて「できる」と何度も頷いた。

 お母さんは優しく微笑む。「偉いぞ!」と言って私を抱き上げたのはお父さんだ。

「ハルはお父さんの自慢の娘だ!」

「あはは、お父さんたら大げさ―!」

 私はお父さんに抱きついた。世間でも有名な魔女のお母さんに、陸地を測量して回っているお父さん。私は二人から魔法を教えてもらい、国立の魔法学校にも入る予定で勉強していた。お陰で私は同年代の子ができないような魔法まで使うことが出来たし、どんなことでもできるような気がしていた。

 六歳の夏がくるまでは。


 その日は雨が降っていた。あんまり蒸し暑いものだから、雨が鬱陶しくて仕方なかった。

 だから、晴れを呼ぶ魔法を使ってみたのだ。

 天気を変える魔法は、辺りの環境まで変えてしまうから一番難しい魔法とされている。その魔法を使える人は世界にひとりもいなかったのだと、私はあとになって知った。

 そのときは、なんにも……本当になんにも知らなかったのだ。

「天気よ変われ!晴れになれ!」

 いつものように薔薇園で私が念じた瞬間、さあっと円形に雨が引いていった。太陽がふっと覗き、晴れ間と雨雲の境目が雨のカーテンみたいになってきらきらと瞬く。

「わあ、出来た!」

 ひとりでぴょんぴょんと飛び回っていると、家からお母さんが出てきた。お母さんはぽかんとして空の晴れ間を見上げ、それからゆっくりと私に目を移した。

「……ハルがやったの?」

「そうだよ!すごいでしょ?」

「……」

 お母さんは暫く黙り込み、踵を返して家の中に戻っていった。中にいたお父さんと話をする声がうっすら聞こえてくる。と、お母さんが出てきた。私の前にしゃがみ込み、きちんと私の目を見て口を開く。

「ハル。せっかく晴れたのだから、近くにある森で木苺を摘んできてもらえないかしら?魔法は使わずにね、下手にすると苺が潰れてしまうから。暫くしたら、帰ってきなさい」

「お、お母さん?」

「何でもないのよ。ハルが雨を止ませてくれた間に、少し魔導書の虫干しをしておこうと思うの」

 古いとどうしても虫が寄ってきちゃうから、とお母さんは言った。

 お母さんは有名な魔女だ。古くて希少な魔導書も沢山持っていて、虫干しをするのは我が家の習慣だった。

「なら、私が魔法で虫をやっつけてあげる!お母さんも魔法でやればいいのに――」

「駄目よ。魔法っていうのは、強ければ強いほど、他の人から反感を買うことだってあるの。いくら魔法に頼りたくても、頼らないほうがいいときは必ずある。それを忘れないで」

 お母さんは一息にそう言って、私をぎゅっと抱きしめた。

「さあ、行ってらっしゃい」

 お母さんが私の背をとんと押す。さあさあと促され、私は振り返り、振り返り、ゆっくりと森へ向かった。

 でも……一体どうして?何でお母さんは、そんなに焦っていたのだろう。

 首をひねりながら、私は一つ一つ木苺を摘んではスカートを籠のようにして集めていった。

 これが、お母さんを見た最後になるだなんて、このときは思いもしなかったんだ。


 帰ってきたとき、私の魔法の効力が切れたのか、辺りはすっかり激しい雨になっていた。最初におかしいと思ったのは、お母さんが言っていた魔導書が一つも干されていなかったことだ。

「お母さん?お父さん?」

 やけに静かだった。私は家に入り……そして、はっと息を呑んだ。

 お母さんとお父さんが、眠っているように床に倒れていた。

「お……お母さん?お父さん?どうしたの、何で寝てるの」

 私は木苺を床に撒き散らして二人の元へ走った。揺さぶってみても二人は起きない。触って初めて、二人の体の冷たさに驚いた。

「お、お母さん!お父さん!起きてよ!」

 二人には傷もなかった。だから、寝ているだけだと思ったんだ。でも――二人は冷たかった。返事をしなかった。私を見て、もう笑いかけてくれることはなかった。

「あ、ああ、……目を覚まして、起きて、目を開けて‼」

 二人の体をばしんと叩いて魔法をかける。淡い黄色の光が二人の上で舞ったけれど、何も起こらなかった。絶望的なくらい、なんにも。

「目を開けよ!起きよ!……っ、生き、返れ……!」

 魔力をひたすら二人に注ぎ込む。魔力だけはいつまでも湧き上がってくるのに、二人にはどうすることも出来ない。悔しい。悔しい。どうしてこんなことに……!

「ああ、あああああ……!」

 いつからかわからないけれど、涙で顔がぐちゃぐちゃだった。それでも魔力を流し込み続ける。ついには魔力同士が激しくぶつかって火花が散り、空中で爆発が起きた。私はふっ飛ばされて家の外まで転がる。木苺が潰れ、私の体は血まみれみたいに真っ赤になった。

 それでも這っていって、私は二人に手を伸ばす。大丈夫、私の魔法ならなんとかなる。信じなさい、って言ったのはお母さんだ。信じれば何でもできる。二人を助けられる。

 爆発音を聞いて駆けつけてくれた近所の人が来たときも、私はずっと二人に魔法をかけ続けていた。

「ハルちゃん……ハルちゃん、ハルちゃん!」

 ぐいっと押しのけられ、二人の体が担架に乗せられるのを見た。

「待って、まだ、やれる……!私が助けるの、邪魔しないで!」

「ハルちゃん……死んだ人は、生き返らせられないよ。もう手遅れだった」

「何で!まだわからない、信じれば……」

「心臓発作だったみたいだ。ハルちゃん、今は何より、二人がきちんと天国に行けるように最後の魔法をかけてあげることが大事だよ」

 天国。

 なにそれ……二人が、死んじゃったって言うの?

 集まっていた人たちが重苦しく下を向いて、なにか祈るように手を合わせている。裏切られたような気分になった。……みんな、助かるとは思ってないんだ。

 嘘だ……嘘だ、嘘だ!

 そこから先のことは、よく覚えていない。

 ただ、神殿に寝かされた二人の体の前で、青い光を出すように言われたことだけを覚えている。死者を悼み、天国へ行ける道標になると言われる青い光。死んだ人の子供がその光を上げるのが慣例だった。

 気がつくと、私は両親のお墓の前で立ち尽くしていた。

 雨が降っていた。

 周りには誰もおらず、私はひとり、傘もささずに雨に打たれている。

「……どうして」

 どうして、二人はこんなところにいるの?

 お墓に二人の名前が刻まれているのを見て、私はまた涙が頬を伝うのが分かった。雨と混ざって生温くなり、気持ちが悪い。

 そうだ。

 死んじゃったんだ。

 私は崩れ落ちた。

 どうして?一体何があったの?私が森に行っている間に。心臓発作なんて嘘だ。急な病気は魔法でも防げないけど、二人はそんなんじゃなかった。だって、直前に見た二人は元気だったもの。私の魔法で、治せないはずがない。回復魔法は一通りできるようになっていたから。

「……お母さんの嘘つき」

 信じたのに、私は二人を助けられなかった。信じても、何にも出来なかった。

 私の魔法なんて……なんの役にも立たないんだ。

 私はお墓の前に突っ伏して、声を上げて泣いた。雨が止んでもずっと。目が腫れて顔も土でどろどろになって、前が見えなくなるまで。そうすることで、何も出来なかった私と、私の魔法を呪うように。

 どこかで、パキンと何かが割れる音が響いた。


 その瞬間から、私は一切の魔法を使えなくなった。


 もう十年が経つ。

 魔法を失っても、それなりに生きていく手段はあった。魔法学校への入学はできなかったし、突然天涯孤独になったものだから毎日毎日泣いていた時期もあったけれど、十年も経てば悲しみは薄れるし、状況にも慣れてくる。

 そうするうち、両親のことも忘れかけてしまった。何を言われたかは覚えているのに、顔を思い出すことがどうしても出来なくなってしまったのだ。いつか二人の存在自体が薄れてきてしまうのかな、と思うと、少し寂しいような気もしてくる。

 だから、私には分からない。

 私を送り出したとき、二人はどんな顔をしていたのか。

 両親は、あのあと自分たちが死ぬことを知っていたのだろうか。


 きっともう、二度と分かることはないのだろう。

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