第5話 地獄の魔女裁判、女である事とは。
それから正職員は違う部署の者も含めて急遽「おひさま」に集結する事になった。
おひさまのパート職員も何人か呼び出され、その間に消毒や清掃作業をやらされるのだ。
正職員の人数の都合上、いつもおひさまで「始まりの会」を行う広い方の教室で職員会議は行われ、とてもじゃないが「この事は内密に」出来る状態ではなかった。
何も知らずに彩と大熊も参加している。
「本日の朝、こんなものがおひさま中に貼られていました。」
直美が施設内に貼り巡らされていた模造紙をテーブルの上に何枚か広げた。
職員達の目に飛んできたのはまず大熊と彩の濃厚なキス写真だろう。
「!!!???」
口元を抑える者も居れば思わず「うぇぇぇぇ・・・」と声に出してしまう者も居た。
無理もないだろう。
見た目も含めて癖の強い2人だ。
まさかこの2人が・・・・
とかそういう事を思っているのだろう。
「ここに写っているお二人に聞きます。これは事実ですか?」
いつも穏やかな直美だが、この時の口調は淡々としていた。
「待ってください!!!こんなもの誰が!!!」
羞恥と焦り、思わず声を張り上げる彩。
「誰がやったかなんて今はどうでもいいことです。お二人にもう一度聞きます。これは事実ですか?」
一見しれっと清掃や消毒をしているパート職員達にもその声は聞こえていた。
というか急に「早めに出勤してくれ」なんて言われた時はだいたい何かあった時だ。
大熊と彩の公開処刑は午後になってもまだ続いていた。
大熊も彩もはっきりと口を割る事はなかった。
付き合いが長いからよく飲みに行く事はあるだとか、酔った勢いだとかうやむやにするしかないのだから。
「ですから!これは・・・・酔った勢いでして!」
彩がどんなに弁論しても周りの正職員はとてもじゃないが納得している様子はない。
「大熊さんも何とか言ってよ!!」
彩はこの魔女裁判からなかなか解放されない苛立ちの矛先を大熊に向けた。
「・・・・もうやめよう、彩さん。何て言おうとこの写真に写された事実は変わらない。僕達の過ちである事に変わりないんだ。」
大熊は反論するどころか写真の事実を肯定するように彩を
「では、大熊さんはこの写真の内容が事実である事を認めるのですね?」
直美が裁判官のように大熊に確認を取る。
「はい。僕は数年間に渡り、彩さんと不倫関係にありました。めぐさんと婚約してからもそれは続いていました。」
「ちょっと!!!!!大熊さん話が違うじゃない!!!」
彩はまるで大熊と何か画策していたかのような口ぶりだ。
「今の発言は・・・恵さんと大熊さんの婚約は何か意図があったという事でしょうか?それとも別に何かあるのでしょうか?」
自分の発言によって、直美がさらに問い詰めてくるであろうことが判断できない位に彩の思考力は鈍っていた。
「いえ・・・僕が単純に馬鹿だっただけです。めぐさんという素敵な女を見つけたというのに、その幸せが当たり前に続くと思っていました。ですが、彩さんのしつこい誘いを断り切れずに受け入れてしまった事は事実です。」
「大熊さん!!??なんであたしだけ悪いみたいになってるのよ????」
彩が理性を失い己を貫けなかった事により、その日職員会議は一旦終了した。
「話は分かりました。恵さんはすでにこの事を存じております。とても仕事を出来るような精神状態ではないとこちらで判断させていただいたため、有給を利用してしばらくお休みしてもらう事にしました。皆様くれぐれも恵さんの事はそっとしておいてくださいね。」
直美が恵の現在の状態を正職員全員に伝えてこの魔女裁判は幕を閉じた。
近くで会議の様子を見ていたパート職員達が騒ぎ立てる。
「あの写真て誰がやったのかしら?」
「さぁ~・・・私は今日を無事に終えられればどうでもいいんですけど、気持ち悪いですね~・・・。」
所詮他人事のパート職員達はケラケラ笑いながらいつも通り適当に掃除していた。
「でも恵さんが心配ですね・・・。」
「彩さんが2人の仲を取り持ったって話ですよね?なんで?」
パートの主婦達は口々にその話をせずにはいられなかった。
そこにズカズカと不機嫌な足音を立てて彩が通りかかる。
「喋ってないでさっさと終わらせてよ!もう子供達の送迎まで時間ないよ!」
先ほどのイライラを全てぶつけるように彩は言葉を吐き捨てた。
「不倫がバレたからって八つ当たりか・・。」
羽生が今まで彩にきつく当たられていた怨みもあったのか思っていた事をつい口に出してしまった。
「羽生さん?あんた今なんつった!?」
「ご自身の不貞及び不倫がバレたからって関係ない私達に八つ当たりするのはおかしいって言ったんです。やはり高齢になると他人への配慮はなくなるってほんとなんですかね!」
羽生はこれ見よがしに先ほどよりも丁寧かつゆっくりとした口調で言った。
「はぁ!?あんたパートだよね?役職もついてないのに何なの!!??」
彩は完全に頭に血が上った状態なのだろう。
周りが全く見えていない状態で羽生の胸倉を掴もうとアラフィフの薄黒い手が近づいてくる。
「それ以上はパワハラです。身体的な。」
羽生は自らの手で薄黒い魔の手を制止した。
この一言から他のパート職員も羽生の後に続くように口を開いた。
「彩さん、前から思ってたんですけど、感情に任せてあれこれ言うのやめた方がいいですよ。相沢さんにもきつかったですし、新しい人に当たり強くないですか?」
「え?でも前に居たバイトの立花君には優しかったよね?あ、イケメンだからか。」
「じゃぁ立花さんとも!?きっつ・・・」
「ちょっとあんた達いい加減に・・・」
「やめなよ、立花さんに失礼だし可哀想!!」
今までの鬱憤を晴らすように彩を挑発した。
その負の連鎖を止めたのは直美の声だった。
「皆さん!!今は落ち着いてください。これから送迎ですよ!!」
直美の声にはさすがにみんな意識を向けた。
だが・・
「でも!!!私達もう我慢できません!ただの老害ならまだしも、不倫なんかする人にと一緒に仕事したくありません!!」
「お気持ちは分かりますが、おひさまに来る子供達には関係ありません!!!今日はとりあえずいつも通りにお願いします。今は私達も混乱している状態ですので、彩さんと大熊さんの処分については今はお答えしかねます。」
直美の一言でこの場は一旦収まったが、その日から職員達の彩への態度が一変すたのは言うまでもない。
無理もないだろう。
パート職員のほとんどが彩にいびられてきた。
正職員も合わない人は本当に合わない。
異動の話が来ても彩が居るなら「おひさまへは行きたくない」という職員も居たくらいだ。
今までのツケが回ってきたように。
自分が気に入らない職員にしてきたように。
今彩にその報いが返って来ている。
『大熊さん、会いたい。』
色んな感情が自分の体内を重圧している時に大熊に何度メッセージを送った事だろう。
自分と同じ気持ちなのを確認したいのと、単純に会って安心したかった。
だが大熊からの返事は決まっていた。
『今は無理だよ。自粛しないと。』
『辛いの。寂しい。1人で居たくない。』
『めぐさんも1人だったんだ。僕達も耐えないと。』
その返信で彩はやっと自分が恵を傷つけた事を自覚した。
あれから何日が経っただろう。
結婚を約束した人と友人に裏切られ、正気を失っていたのかもしれない。
萩原の写真を見て、大熊と一緒に住んでいた家から逃げるように出て行き、実家に戻ってあの号外を作った。
そこから直美と理沙の前で号泣して発狂した。
もちろん自分で作ったのだから2人が見るよりも先に知っていたけども、実際に萩原のスマートフォンから見た時は本当に発狂しそうだった。
やっと嫁の貰い手が出来たと喜んでくれた両親を心配させている罪悪感から、そろそろちゃんとしなくちゃと自分を奮い立たせた。
鏡を見たのは何日ぶりだろう?
繋がりかけた眉毛にぼさぼさの髪の毛。
毛穴やシミだらけの顔。
そうだ。今日は美容院でも行こう。
そして今まで仕事のためだけに使っていたお金を自分自身のために使おう。
自分を可愛がるために。
恵は久しぶりに顔を洗っていつか大熊とのデートで着ようと思っていた花柄のワンピースに袖を通した。
(少し痩せたかな・・・ずっと寝込んでたし食事もまともに摂ってないもんな・・。)
体重を測ってみると72キロあった体重が66キロまで減っていた。
「えーーーーー!!すごい!!私痩せてる!!」
体重計に乗って喜んだのは学生の時以来かもしれない。
「まぁめぐ!もう起きて大丈夫なの??こんなに痩せて・・・」
「お母さん!心配かけてごめんね。まだ仕事に行く気にはなれないけど、とりあえずこの見た目何とかしなくちゃ。美容院行ってきます!」
「いいのよ!親は子を心配するのが仕事なんだから。あんな最低男の事なんて忘れなさい!」
「・・・うん。頑張る!」
浮気をされるのには理由がある。
髪型はずっとワンレングスで白髪が生えても放置していた。
体系はまるでビヤダル。
まだギリギリ30代なのに肌はシミやそばかすだらけ。
見た目が全てではないが、見た目も大事なのは間違いない。
「お客様おかゆい所はございませんか~?」
「は~い・・・大丈夫です。」
美容院のシャンプーは大好きだ。
あのツボ押しとかゆみをいっぺんに解消してくれる手つきにお気に入りのシャンプー。
どこを取っても最高だ。
ドライヤーで乾かしてもらって仕上がった姿を鏡で確認する。
「お客様いかがですか?」
マロンブラウンに綺麗に染め直された髪型は少しゆるめの内巻きカールがかかっている。
眉毛もきれいに整えられていた。
「あ・・・自分じゃないみたいです。久しぶりに感動しました!」
「あ~ほんとですか?今は眉を整えただけですが、お客様目元もはっきりしてますし、こういったメイクとか似合うと思いますよ~!」
スタイリストはにこにこしながら美容雑誌のメイクページを見せて提案した。
恵はあまりこういう事には今まで無頓着だったのでどう答えていいか分からなかった。
「良かったらメイクされていきますか?特別にサービスさせていきますよ!」
「じゃぁ・・・お願いします。」
恵はスタイリストにされるがままに顔をいじられた。
大きめのフェイスブラシでファンデーションを軽く広げた後にスポンジで顔を抑えられ、瞼にコーラルピンクの粉が降りかかる。
頬、リップも魔法をかけられたように色付けられた。
「はい、いいですよ~!」
目を開けて鏡に映っていたのは、いつもおひさまで仕事している自分とは程遠い、「女の顔」をしていた。
「これが私ですか?」
「そうですよ~!お客様まだお若いんですし、絶対ちゃんとメイクした方がいいですよ~!」
「あの!!!!」
「わ!!!ごめんなさい!!私少ししゃべり過ぎましたね・・・。」
「いえ、そうでなくて。このメイク用品どこで売ってますか?」
「え・・・当店で買えますけど・・。」
「ではそれも下さい。」
「あ・・・・ありがとうございます~!!」
スタイリストは恵が怒ったわけではなくてほっとしたようだった。
「お会計36800円になります。」
「一括で!!」
本当はカット、カラー、眉カットで8000円位に収まるはずが、化粧品やそれに使ったブラシなども購入したため、このような金額になったのだ。
恵は顔色1つ変えずカードを切った。
そう。
今まで仕事ばかりしていたため、あまり本人は自覚していないが、恵はかなりの貯金を貯めこんでいた。
化粧品の入った紙袋を受け取ってお店を出ると、あまり慣れていないヒールを履いたせいで地面のタイルにつまづいて転んでしまった。
「あった~~~・・・・もう慣れないヒールなんて履くもんじゃないですね・・・。」
恵が打った膝をさすっていると、目の前に若い長身の男が現れ、恵に手を差し出した。
「大丈夫ですか・・?」
見上げると若い男性は左右にしっかりと存在感を見せる八重歯を出して笑った。
あぁ・・・そうか。
私は女だったんだ・・・。
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