第3話 仄暗い感情の芽生えと誰かの視線

「まさかホントに付き合っちゃうなんて思わなかったわ~」

中途半端に下着を脱ぎかけ、大熊の上に跨って思いきり腰を振りながら彩は言う。

「ん?僕はいつでも真剣だよ。」

小さくため息をつきながら大熊は彩の身体を受け止めながら呟いた。

「あたしとこんな事してるのに?」

「彩だって旦那さん居るのにいいの?僕とこんな事して。」

「意地悪な男ね!」

彩はそう言って先ほどよりも激しく腰を打ち付け、同時に大熊はその中で果てる。


「彩はやっぱり最高だな~。」

グラスに入ったビールをグビグビ言わせて喉に流し込みながら大熊は言った。

「とても光栄だけど愛しのめぐさんは?」

「ん?悪くないけど経験がないからちょっとつまらないんだよね。受け身過ぎるっていうか。それに子供産んだ事ないのにあの体型はないよ。」

「処女貰っといて随分な言いようじゃない。」

「噂には聞いてたけどまさかホントに処女だとは思わないでしょ。」

2人は情事の後のピロートークを楽しんでいた。

チップスを口移しで食べさせ合ったり、相手の身体に落ちたケチャップを舐めたりと、一度果てた後もお互いの身体の感触を楽しんでいた。

「めぐさんとはこんな事出来ないからね。」

「その割にはスピーディーに進んでいったじゃない。」

「ん?もしかして妬いてるの?」

「まさか。めぐさんじゃ物足りないからあたしと会ってるんでしょ!」

彩は再び大熊の上に跨る。

「おいおい激しいな。せめてシャワー浴びさせてくれよ。物足りないのは自分もなんじゃないの?」

「うるさい。」

彩は大熊と舌を絡ませあって再び膨れ上がったペニスを掴んだ。


そしてふと昔を思い出した。

彩と大熊は就労支援での勤務で共に活動していて、さらに同世代だからか入社当初から意気投合して、よく仕事帰りに飲みに行ったりしていた。

施設の利用者の話をしたり、仕事の愚痴を行ったりし、新しく入ったバイトの子のダメ出しをしたりと、酒のつまみはたくさんあった。

(そこからしばらくして酔った勢いでやっちゃった事があって・・・今でもこんな感じなのよね。)

恵に大熊を勧めた事によって、大熊の良さ(?)を解ってあげていた自分が大熊にとって唯一の存在ではなくなってしまった事が彩の心に仄暗い感情を生み出していた。

今までは週に1回のペースで会っていたのが、恵と大熊が付き合い出してからは月に1回あるかないかになってしまった事も、仕事中に恵と大熊がさりげなくアイコンタクトを取ったりしている事も全て気に入らないのだ。


しかし2人を引き合わせたのは自分という皮肉。


「なんて顔してるの彩。心配しなくても僕達は何も変わらないよ。」

彩の細い肩に肉厚感のある腕を回す大熊。

「もうほんとに意地悪なんだから。」

軽いリップ音を立てながらもう何度目か分からない口づけを交わす彩と大熊。

その感触は人の心の奥に潜む醜い嫉妬のようにどろっとしていた。


そして何もなかったかのようにまた朝を迎える。


ホテルの朝食サービスのトーストを頬張りながら大熊は身支度を整えていた。

「じゃぁ僕は行くね。」

「んー・・?もう行っちゃうの?」

「何寝ぼけてんの、しっかりしてよ。じゃぁね。」

少し荒めにホテルの部屋のドアを閉めて、大熊はその部屋を後にした。

「・・・・。」

彩はドアが閉まり切るのを見送ると、胸元に巻いていたタオルを投げ捨て、シャワーへ向かった。


今日もまた1日が始まる。


たった1人との出会い、愛し愛されるという事は人生で何度あるだろうか。

きっかけはほんの些細な事かもしれない。

出会いは最悪でもそれが徐々に変わる事もあるのだ。

気が付けばそこに生まれているものかもしれない。

無条件でこの人のために何かしたい、それが愛だと私は思う。

逆もしかりで愛が憎しみに変わる事もあるのだ。


40間近になっていまだ独身だと、もう結婚したいという気持ちは薄れてきていた。

だが今は違う。

「めぐさん!お疲れ様!」

「大熊さん。」

いつもより早く出勤してきた大熊を、恵は笑顔で迎えた。

結婚したらこれが「お帰り」に変わるのかなぁなんて妄想をしながら、恵は身体中の細胞から湧き上がってくるような感情を噛みしめていた。

少し照れながらも恵は大熊の方に手を回し、顔を近づけたが、大熊は手を出してそれを制止する。

「?」

「めぐさん、さすがに職場では・・・。」

首を傾げた恵に大熊は目を反らして言いかけた時、パートの職員達もちらほらと出勤してくる。

「・・・そうですよね!」

「こんにちは~!あら!朝からお熱いですこと!」

ベテランのパート職員で割と年配の萩原が横目で通り過ぎる。

後から付いてくるようにまだ入って間もないパート職員の羽生が入ってくる。

羽生は入職当初から萩原が娘のように可愛がっている職員だ。

その後ろから怠そうな顔で彩が入って来た。

「こんにちは~。」

「こんにちは。」

彩は機嫌の良い時と悪い時で周りの職員への態度が変異する。

特に新人やあまり親しくない職員に対しては当りが強い。

今日もまた機嫌が悪いのか萩原や羽生への挨拶は返って来ず、ズンズンと職員室へ入っていった。

「・・・・。」

萩原はちらりと彩の方を見て、ユニフォームに着替えた。


「めぐさん、今日久しぶりに飲みに行かない?」

彩がいつもの調子で恵を誘う。

「いいですね。大熊さん今日も移動支援で遅くなるみたいなので大丈夫ですよ。」

大熊の名前が恵の口から出た瞬間に彩は少し眉をひそめた。

どうやら恵と大熊はもう一緒に住んでいるらしい。

施設内を掃除している職員達は、恵の今の言葉でそれを察した。

「じゃぁ決まりね!!いつものバーで!」

「はい!」


さいたま市のJR線沿い、とあるイタリアンが有名なお店。

それが彩と恵の行きつけのバーだ。

2人はここで日ごろの愚痴を言って憂さ晴らしをすることが多いのだ。

大熊と婚約発表をしてからというもの、恵はいつもご機嫌だった。

もう2人の関係を隠さなくてよくなったからか、プロポーズされた事への高揚感なのか。

恵は喉に赤い液体を流し込みながら、大熊の口癖や、家での大熊の様子、最近あったエピソードを楽しそうに話していた。

「ねぇちょっと気になる事があるんだけど。」

お花畑のような脳みその恵を制止するように彩は切り出した。

「いきなりどうしたんですか?」

「大熊さんてちょっと臭わない?よく一緒に住めるわね。」

「何の事でしょう?」

彩の質問の意図を汲み取れていない恵に苛立ちを隠し切れないというように、さらにまくし立てた。

「体臭の事よ!!きつくない??あれ絶対腋臭でしょ!!」

「大熊さんがですか?確かに少し臭うかもしれませんが私そういうの大丈夫なんですよね~・・ていうか私も夏場は汗すごいですし。」

「後さ、ちょっと仕事しなすぎじゃない??やる気なさすぎっていうか。担当の児童が他の子に手を出そうとしてもパートさんに丸投げじゃない。」

「あ~そういうところありますよね。パートさんからもそういったお話聴いているので把握しています。」

「めぐさんと付き合ってからさらにさぼってるように見えるんだけど!?」

自分が何を言っても動じない恵に彩は声を荒げてしまう。

「どうしたんですか?彩さん・・何かありました?」

「・・・いえ。何でも。」

これ以上はさすがにまずいと感じた彩は冷静さを取り戻し、恵と同じレッドアイを飲み干した。

「そうそう!私もお話したい事がありました!」

恵の声にはっとして彩は顔を上げた。

「なぁに・・?改まって・・。」

まさか自分と大熊の関係がバレているのか?誰かに見られていたのか?などと自分にとって不都合な妄想が彩の中で繰り広げられている中、恵の声で再び我に返る。

「結婚式のスピーチを彩さんにお願いしたいと思っています。」

「すぴー・・・・ち?」

恵は気付くどころか大熊との結婚で頭がいっぱいだったのだ。

恵が自分と大熊を引き合わせてくれたのが彩だから、とか、色々協力してくれて嬉しかったなどと話しているが、彩は自分と大熊の関係がバレていなくて良かったという思いと、なんだか拍子抜けしてしまった事で恵の話などほとんど頭に入って来なかった。


「いやそれは僕でも焦るな~!」

「でしょ?ほんと世話の焼ける人達なんだから!」

大熊と彩の密会はもちろん未だに続いていた。

大熊の言う通り「僕達は変わらない」のだ。

その事実が嬉しくて彩は油断していたのかもしれない。


ホテルから出る時についいつもの癖で大熊に腕を絡めて歩く彩はいつも以上に身体を密着させていた。


決してそれを見られてはいけない。


見られてはいけなかったのだ。

絶対に。

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