第9話 読書

 昼食を終えて、数分後。

 美羽と俺は部屋にあった漫画を読み進めていた。

 クスクスと笑えるシーン。感動するエピソード。気持ち揺さぶられる物語。

 こんなにもたくさんの感情にさせられる漫画やライトノベルがある。それに出会えたことの幸せがある。

「ふふ。俺、このシーン好きだな」

「何を読んでいるの?」

 美羽は漫画から顔を上げて訊ねてくる。

「忍者学園チャーシュー。この自分の価値を認めさせていくのが、いいんだよなぁ~」

 しみじみ呟いていると、美羽はクスクスと笑う。

「えー。それって大輝くんと同じじゃない。みんなに認めさせて、自分を貫く……できるようで、できないよ」

「……そんなこと、したか?」

「え。気がついていないの?」

 笑いを止める美羽。

「ああ」

 俺は身に覚えのない疑問に素直に答える。

「いじめ、止めたじゃない」

「なんだ。その話か。俺はたまたまだよ」

 そう。俺がたまたまいじめの現場に居合わせていただけだ。それで解決したなんて、可笑しな話だ。

「もう。自分のことには感心がないんだから」

「いじめは良くないからな」

 少し強がってみせるが、俺としてはあまり認識がない。

「まあ、お陰で生活が楽になったけど」

 美羽も注目されるのは嫌いだ。だから俺のような一般モブに惚れたのかもしれない。

 じとっと見つめてくる美羽。

「変なことを考えているでしょ?」

「へ?」

「言っておくけど、大輝くん、中学校の時から目立っていたからね?」

 ジト目を向けてくる美羽。

「そうなのか?」

「そうそう。おとなしいから何考えているか、分からないって話になっていたんだから」

「ほう」

 なるほど。モブを演じていたつもりだったが、大人しいと思われていたらしい。モブってなんだ? 大人しすぎてもいけないし、目立ってもダメだ。

 いやこの場合は大人しすぎて目立っていたのか。

 なるほど。モブは興味深い。

「モブになりたいのにな」

「モブ?」

「ああ。誰にも邪魔されずにひっそりと暮らしたいのさ」

「そんなのダメ。わたしが見逃さないんだから」

 ゆっくりとしゃべりながら、人差し指を俺に押し当てる美羽。

 その距離感と言葉にドギマギしてしまう。

「そ、そうか……」

 心臓がバクバクいっているのを抑えるように胸に手を当てる。

 美羽は背を向けて、漫画を読み始める。

 俺もそれに習うように漫画に目を向けるが――。

 全然集中できねー!

「ふふ。なんだか楽しいね♪」

 上機嫌な美羽はニカッと笑いを浮かべている。

 それを見て少しこみ上げてくるものがある。俺はすかさず本に目を落とす。

 頬が熱いのはきっと美羽のせい。

 こんな時間が愛おしく、嬉しく思えるのは美羽がいるから。

 ……って全然小説に集中できないな。

 その細い指が漫画の端をなぞり、美羽の柔らかな表情と相まって絵画のように思える。

「絵になるな……」

「え? なに?」

 漫画から顔を外し、こちらに向けるくりくりとした可愛い目。

「いや、可愛いな、って思って……」

 恥ずかしくなり顔を逸らす俺。

「あ、ありがと」

 満更でもない様子の美羽。だが、その顔はどこか恥じらいを感じる。

 さすが美羽だ。

 可愛いしか出てこない。

 自分のふがいなさ、語彙力を疑いたくなる。

 それくらい美羽が可愛いってことだ。

「どうしたの? チラチラと見てきて」

「い、いや。世界一可愛いなーって思って」

「もう。もう! そんなこと言わないでよ。こっちまで恥ずかしいって」

 ポリポリと頬を掻く美羽。

 俺もつられて頭をガシガシと掻く。

「いや、すまん。でもそう思えてしまったんだ」

「もう。もう。もう! 読書するだけでそうなるの?」

「そうなっとるやがい」

 目を丸くする美羽。

「なに、その言い方」

 クスクスと笑っているが、このセリフは有名な漫画の言葉だ。

「いやこれは漫画の抜粋で……」

 自分のボケを丁寧に解説することに、矢で撃たれたような痛みが走る。

「知っているよ。わざわざ説明始めるんだもの。おっかしい」

 恥ずかしい。死にたい。ここから飛び降りたい。

 あ。俺の部屋一階だったわ。

「恥ずかしさの最後って死だよね」

「ど、どうしたの!?」

 慌てて近寄ってくる美羽。

「熱でもある?」

 頭と頭をコツンとつけて熱を測り出す美羽。

 そんなことをする辺り、あざといなとは思う。でもその計算ずくのあざとさも美羽の魅力の一つだ。

「熱はないね。脈も普通、かな……?」

「うん。ボケの解説っていうはずか死ぬ行為を受けただけだよ」

「あ」

 ちょっと天然の入っている美羽はようやく気がつき、俺の頭を撫で出す。

「ご、ごめんね。そんなつもりで言ったんじゃないの」

「分かっているって」

「うぅ。ふがいない」

 美羽の言葉を聞き届けると、俺は視線を漫画に向ける。

「漫画だと、ラッキースケベってあるが、実際はないよな」

「そうだね。わたし、その展開は嫌いじゃないけど、えっちぃのは嫌」

「……? それはえっちぃのを目的として書いているんじゃないか?」

「え。そうなの? てっきりコメディ調に見せるためじゃない?」

 疑問に思ったのか、首をひねって傾げる美羽。

「いや、だって〝かぐや姫はこくらせる〟ではラッキースケベないじゃんか。それでもコメディ色を入れ込んでいるから、ラッキースケベはえっちぃのを目的としているんじゃないか?」

「ぅ。それを言われると痛い。で、でも意図せぬえっちぃのは悪くないかと」

 この期に及んでラッキースケベをかばい立てする美羽。

「なるほど。美羽はラッキースケベが好き、と」

「ちょっ、ちょっと。変なこと言わないでよ! もう!」

 幼馴染みの紅潮した顔は意外にも可愛いものだな。

 そもそもスケベと言う文字が入っているくらいだ。えっちぃのだ。

 それを理解していなかった美羽の天然さがツボに入り、クツクツと笑ってしまう。

「もう、そんなに笑わないでよ」

「だって、可笑しいんだもの」

「もう」

 手を扇いで熱を冷ます美羽。

 そんなに恥ずかしいなら、言わなきゃ良かったな。

「でもラノベや漫画では劇的な展開が続くよな。あれって日常にはありえないものな」

「そうかな。最近だとスローライフとか、日常系とか。なんでもない日常を送る漫画やラノベも増えているじゃない」

「それもそうか。なら、この俺たちのやりとりも、どこかで公開されているかもな」

「え。ならお化粧しなくちゃ」

 そう言ってポーチを取り出す美羽。

「待て。俺の前で化粧をするのはいいのか?」

 デリカシー的にどうなんだ。

「というか、俺と会うのに化粧はいらないのか」

「もう。今更だよ。大輝くんは化粧なくても会える貴重な存在だよ」

 確かに。小学校以来からの付き合いだものな。

「ははは。でもこんな場面を見ている人はいないから、化粧はしなくても大丈夫だよ」

「まあ、それもそうか。誰も読んでいないものね」

 クスクスと笑い合う俺たち。

「それが気楽で嫌いじゃないけどね」

「だな。誰にも読まれていないラノベなら好き勝手にしゃべれるものな」

「わたしがピーでピーなプーと言ってもいいものね」

 美羽がどや顔でそう言うが、俺は苦笑いを浮かべる。

「それ、俺には聞こえているんだよな……」

「は。でも、大輝くんなら知ってもらってもいいよ……?」

「まさか、そんな秘密があるとは。でもそんな美羽も好きだよ」

「もう。もう。もう!」

 照れた様子の美羽。顔をまっ赤にして呟く。

「美羽は可愛いな」

 俺は美羽の頭に手を乗せて、撫でる。

「むぅ。大輝くんは意外と意地悪なんだから」

 ぷくっと小さくほっぺを膨らませる美羽。

 そんな美羽も嫌いじゃない。

 ここまで素直に表情を見せる素敵な子だと思う。

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