弐
テオは皇国のある場所より東に位置するセトメの町の出身だった。セトメの町はどこの国の所有でもなかったが、テオが十五歳のとき、皇国の化学工場から漏れ出した化学兵器により人口の過半数は死に絶えた。テオと血縁関係のある者も大勢死んだ。もちろん顔も名前もわからないが、心にはすっぽりと得も知れぬ空白が生まれた。幼い頃からセトメで暮らしてきたテオの記憶は、ほとんど失われてしまったのだ。
この事故があってから、軍に志願する者に限り白虎に移住してもよいという策が白虎側から提示された。なんとも一方的で怒りしか湧かない解決策だろう。白虎政府は人の命をなんとも思っていないのだろうか、軍人を増やしたいがためだけに故郷を滅ぼしたのだろうかとさえ考えた。だが、テオに選択肢はなかった。身内が全員死に、生きていくには自ら養うしか他に生きていく術はなかったのだ。そうして、テオは白虎の軍人として歳を重ねていった。
それから時は流れ――オリエンス四大国の一つ、玄武との領地境界線抗争の際、テオは試験投入されたばかりのコロッサスという人型の大型兵器乗りとして最前線に繰り出された。コロッサスの圧倒的な火力は、クリスタルの力によって強化された玄武の鎧をも飲み込んだ。衰えを知らないコロッサスにテオは狂酔し、気が付けば辺り一帯は火の海と化していた。勝利の歓喜に浸る白虎軍であったが、もろくも次の瞬間には悲鳴に変わっていた。
「ル、ルシだーッ! 玄武の甲型ルシが出たぞ!」
あの光景を一生忘れることなどできない。玄武の甲型ルシ、ギルガメッシュが大剣を軽々と振り回しながら、尋常じゃない速さで仲間のコロッサスを一刀両断したのだ。
「お前らの武器をよこせええええ!」
高笑いする玄武のルシにテオたちは戦慄した。背筋に一筋の汗が垂れる。
勝てるわけがない。そう判断した白虎軍の指揮官は非常事態宣言を発令。戦線を離脱、撤退を余儀なくされた。退く白虎軍に対しギルガメッシュは頭を掻いてしばらく立ち尽くしたが、運悪く、そのときギルガメッシュはまだ敗走兵が奥にいることに気付いてしまったのだ。きっと偵察部隊として先に繰り出された部隊だろう。助けを求める声が聞こえる。テオは後ろ髪を引かれる思いだったが、立ち止まろうとはしなかった。しかし、一目見た偵察部隊のなかに、テオのセトメの町から共に出てきた友人がいるのを、幸か不幸か気付いてしまったのだ。テオの意思は頭のなかで逡巡していた。見捨てたくはなかったが、助けようとすれば自分が殺される。
俺に力があれば――。そう強く願ったときだった。
『――汝、白虎のルシとなりて、兵を護れ』
頭のなかにどこからかはっきりと響く声がした。ルシになれ、と。
途端、テオの乗っていたコロッサスを緑色の光が包み込んだ。操縦桿を握ると、コロッサスは思いもよらぬ速さでギルガメッシュに突進をしかけた。敗走兵に夢中だったギルガメッシュは後方からの突然の衝撃に耐え切れず、百メートル以上吹き飛んでから岩にぶつかって静止した。
このテオの活躍により敗走兵は無事に自陣まで復帰、負傷者は最小限に済んだ。
テオと同郷だった偵察部隊の友人は礼を言おうと、コロッサスから降りてきたテオに近付いたが、テオは既に人としての意思を失いかけていた――。
皇国から西ネシェル地区に向かう途中、テオは人だった頃の記憶を思い出していた。道中には彼の故郷であるセトメの町があったからだ。ルシにされてからは人だった頃の記憶は薄れていったが、この町の近くを通るときだけは不思議と頭に懐かしい記憶が流れ込んできた。
セトメの町はあの事故以来、崩壊の一途を辿っていたが、ルシとなったテオの力によって経済復興がなされ、いまではテオが暮らしていた頃か、それ以上にまで豊かになったようだ。テオはそれだけ見届けると、再び目的地まで円盤状の一人乗り小型飛行機に乗って移動を開始した。
西ネシェル地区までそう時間はかからなかった。テオの乗る円盤は、白虎クリスタルから供給される魔導エネルギーを、乙型ルシの力で何倍にも強化して飛んでいるのだ。高度を地面ぎりぎりまで落とし、推進力を最大限に発揮している。
白虎ルシ・リーネのクリスタルは思ったより早く見つかった。辺りは先の大戦によりクレーンがいくつもできあがり、そのなかでももっとも巨大なクレーンの中心に透明なオブジェクトが目に入ったのだ。テオはクリスタルの近くで降りると、二、三歩歩み寄って右手でクリスタルに触れた。髪の長い金髪の女性だった。甲型か乙型かは資料を確認していないため不明だが、戦場のど真ん中にいるところを見るに、乙型である可能性は低いだろうとテオは推測した。
「それにしても――」
と、テオはリーネを見入るように顔を近付けた。白虎軍は女性の割合が比率でいうと極端に他の三大国と比べると少ない。そのなかでも最前線で戦っていたのが女性というのがテオにとっては考え難いものだった。人としての心はほとんど失っているテオだが、戦場のなかに身を置いた女性というのには、どこか同情めいた感情が湧いた。
テオはリーネのクリスタルを自身が乗っていた小型円盤に括り付けると、海上を通るルートで皇国まで先に帰らせた。行きに海上を使えなかったのはリーネの位置が不確実で、見落とす可能性があったからだ。
テオは乙型のため、自由に甲型のように単独で飛行することができない。「計画性を持つべきだった」と独り言をつぶやくと、皇国に迎えを寄越すよう無線機で連絡をする。小一時間もあれば迎えが来るだろうと、身を隠すように近くの崖に背中を預けたときだった。なにやら地鳴りとまではいかないものの、耳障りな地面を蹴るような音が聞こえてくる。
「……朱雀の
素早い身のこなしで崖の上に上り辺りを見渡すと、予想通りチョコボという朱雀兵が頻繁に騎乗して使役する黄色い生き物が大量に西ネシェル地区に向かって進行していた。その背中には朱雀兵と思しき人影も見える。なぜ朱雀兵がここにいるのだろうか。
テオはルシの能力を使って、白虎の無線機を朱雀兵の最近開発されたという無線機、『Crystal Oriented Messaging Medium』――通称COMMに同期させる。同じ魔導エネルギーを用いて作られているなら、盗聴できるはずだ。すると何度が『ガガ……ッ』というノイズ音がした後、クリアな音声が聞こえてくる。
『こちら1組! クラサメ指揮隊長、ここから先は西ネシェル地区になります。モンスターも凶暴化しているとの情報が9組より入電しています。注意されたし、とのことです!』
『了解した。西ネシェル地区を超えた先に、今回の目的地である滅びしヴァイルの地がある。この辺り一帯は白虎の管轄に近い。第一に自らの命の心配をしておけ』
『はっ! 了解です』
馬鹿な朱雀兵どもめ。盗聴されているとも知らずに、と思いつつ、テオは内心「最悪だ」と動揺していた。
クラサメといえば、朱雀が誇る最強とまで謳われた朱雀四天王のリーダー格で、「氷剣の死神」という通り名がある。その強さは白虎の前線基地が単独で攻略されたほどだという情報が元帥やルシにまで伝わっていた。
しかし――朱雀四天王のうちの一人が裏切り、クラサメは唯一生還できたものの、重傷を負ったと聞いていたが……。
テオはこのまま崖の上に隠れてやり過ごすつもりでいた。いま手元には魔導アーマーがない上に、先方には最強の朱雀兵がいる。とてもじゃないが単独で一個師団全滅するのは自殺行為に近かった。
時間が経ち、肉眼で観察できる距離まで朱雀兵たちが接近しても、幸運にもこちらには気付いていない様子だ。ところが、朱雀の通信に不審な情報が飛び込む。
『クラサメ指揮隊長! 白虎兵が後続から接近中!』
「最悪だ」
通信のなかに出てきた白虎兵というのは、きっとテオが呼んだ者だろう。この人数では太刀打ちできず犬死にするのが関の山だ。落胆するテオの耳に、さらなる通信が入る。
『数は二十ほどですが、うちコロッサスが三体いる模様!』
味方の数が不自然なほどに多いことにテオは不審感を抱いたが、コロッサスがいるなら好機だと、テオは決心を固めた。
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