第7話 トキヤの悲劇

 そのころ、リヒトが去ったシグマ村では、リヒトの親友であるトキヤが、何も知らないままリヒトの家に向かっていた。彼は無邪気にリヒトの家の扉を叩いた。


「こんにちはー、リヒトくん起きてますか?」


 彼であればリヒトの家族に向かってもこれくらいの言葉遣いは通用する。


 ところが、扉を開けたリヒトの母は、なぜか憔悴しきった顔をしていた。


「ああ、トキヤくん……」


 彼女はトキヤを見た瞬間、絶句して顔を覆ってしまった。


「おばさん……いったい何が?」

「トキヤくんには本当に申し訳ないんだけど……実は昨日の夜、こういうことがあって……」


⭐︎


「えっ! リヒトが魔族だって!?」


 数分後、トキヤは居間に通され、リヒトの母の説明を聞いていた。


「さらにはリヒトは捨て子だったって……!? そんなことがあったのか……たまに魔界から子供が人界に送り込まれることがあるとは、前に本で読んだことはあったけど……まさかリヒトがそうだったなんて……」


 今日も当たり前のようにリヒトと会えるとばかり思っていたトキヤには、これは大きすぎる衝撃だった。トキヤは彼と昨日の夕方に別れたとき、そんなことは想像すらしていなかった。こんなことなら、もっと何か大きなことを、大事なことを聞いておくんだったーーと、トキヤは反省したが、もう遅かった。


 そして、トキヤは、リヒトの家にもう一つ空白があることに気づいた。


「あれ? リサちゃんは……?」


 トキヤがリヒトの家を訪問すると、だいたいリサは一番に走り出てくるはずだった。ところが、今日は彼女の姿も見えない。


「そう、そのことなのよ、トキヤくん。私たちも心配しているんだけど……私が思うには、リサはどうやらリヒトと一緒に魔界に転移してしまったみたいなの」

「えっ! 何だって!」


 リヒトの母の説明を聞いて、トキヤはさらに蒼白になった。リヒトだけが魔界に行ったのならまだいいと思っていたが、リサも魔界に行ってしまったのなら、これは魔界の人間に不信感を抱かざるを得ない。魔界の人間がリヒトとリサの兄妹を悪意を持って連れ去った可能性があるのだ。


 そのままトキヤとリヒトの母は、どちらからともなく黙り込んだ。心配は尽きないが、今できることはない。


 リヒトの父はこんなときでも畑に出て働いている。これはどんな日にも続けなければならないルーティンなのだ。だからリヒトの家の中には今は二人しかいない。


 そのとき、ポン、と転移魔法が使われたときの独特の音がして、部屋に二人の人が現れた。見ると、それはミラとリサであった。


「あっ、リサ! 無事だったのね!」


 リヒトの母はすぐにリサに駆け寄った。トキヤはリサが戻ってきたことに安心しながらも、リヒトたちを連れ去ったミラを厳しく睨みつけた。だが、ミラは意外にもおとなしく頭を下げた。


「ええと、奥様、このたびは私たちの手違いでリサさんを魔界に転移させてしまい、申し訳ありませんーー」


 ミラは昨日の夜から起こったことを順番にトキヤたちに話した。リサは生きた証人なので、魔力切れを起こしたくだりも含めて嘘は許されなかった。


「ーーというわけで、リヒトのご家族の皆さんには迷惑をおかけしてしまいました。まあこれはお詫びのしるしです」


 ミラは机の上に(本人は小遣い程度だと思っている)金額を置いた。


「まあ、こんなに! そんな、ありがとうございます!」


 しかしリヒト一家にとっては大金である。


「では私はこれで。もう会うこともないでしょう」


 ミラはそう言って再び転移魔法を使い、消えてしまった。


「リサ……」


 トキヤはリサを見つめた。今となっては彼女だけが彼とリヒトをつなぐ鍵なのだ。リヒトはいったいどんな気持ちで魔界に旅立ったのか、それを残らず聞きたかった。


 リサは自分が母と兄の親友に大事な説明をしなければならないことに大きな緊張を感じたが、必死に考えをまとめて、リヒトの様子を詳しく伝えた。場面展開はその前にミラが説明してくれていたため、あまり難しいことではなかった。それでも、そのときのリヒトの一つ一つの挙動は、リサにはもうこの世にない人のやったことのように思えて、リサは何度も言葉を詰まらせ、涙を拭った。そしてそれはリヒトの母とトキヤも同じだった。


 ついにリサは最後の、一番大事な部分にさしかかった。


「そうして、お兄ちゃんは私を優しく抱きしめて、こう言ったの。『リサ、どうか父さんと母さんを助けて、立派な大人になるんだぞ。それから、トキヤに何も言わずに行ってしまってすまないと伝えておいてくれ。またいつか勇者と魔王として会おう』とーーそうして、ああ、お兄ちゃんは……」


 トキヤにはそのときのリヒトの様子がありありと想像できた。リヒトはおそらく体を引き裂かれるような思いで魔界に残っているのだ。そして、彼はこの状況にあって、まだトキヤとの再会を望んでいた。


(いや……リヒトは俺を元気づけようとしてそう言ったのにちがいない。魔王になるなんて難しすぎる夢だ。でも……魔王にもしなることができたなら、勇者に、そして最終的には人界の人々と会うことができるのだ)


 あいつなら、もしかするとやるかもしれないなーーと、トキヤは思った。


「リサちゃん……僕は絶対に勇者になるよ。勇者になって、必ず魔王のリヒトと再会してみせる」


 トキヤも半分はリサを安心させるためにそう言ったが、しかしもう半分は彼の本心になっていた。


 魔界よりももう少し高い太陽が、トキヤたちの村をぎらぎらと照りつけつつあった。トキヤはリヒトの父に今の出来事を伝えようと駆け出していった。

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