第6話 ついに別れ
その後、一言二言父上と言葉を交わして通信魔法を切ったヤム兄上は、突然の展開についていけず、きょろきょろと辺りを見回しているだけのリサに目を向けた。
「そうだ、ミラの話によると、この女の子は人界から間違えて連れて来られたんだったな。ということは、早く人界に戻してやらないといけない。ーーミラ、やれるか?」
この場において、リサを人界に戻せるのはミラしかいない。俺もヤム兄上も十二歳以上なので、もう人界には行けないからだ。
こうやってヤム兄上にそれを現実的な事実として見せられると、どうも自分が昨日までとは全く違う環境に置かれてしまったことを実感せざるを得ない。昨日まで俺が妹として誰よりも大事に扱っていたリサが、イレギュラーな存在として、俺の新しい家族であるヤム兄上とリサに、今後の処置を相談されている。何か悔しいような、悲しいような、不思議な感じがする。
「でも、私はもう魔力がほとんどないのですが」
ミラが困ったように返事をする。確かにミラの魔力が回復するためには、あと丸一日は待たないといけないだろう。それはいい。俺もリサと今いきなり別れるのは嫌だ。そんなの心の準備ができていないし、リサにこの際伝えておきたいことはいろいろある。
「うーん、しかしリサさんをいつまでもここに置いておくわけにもいかないよな。そもそもこちらに人族の者が入るのはあまりよくないし。どうにかして早く人界に戻さないといけない。こうなったら、もうあれを使うしかないか」
ヤム兄上は何かを取りに行くのか、ばたばたと部屋を飛び出した。あとには俺とミラ、リサが残された。
「ミラ、『あれ』って何だ?」
ミラは少し嫌そうな顔をした。
「高級ポーションよ。ヤム兄上はどうしても私に今すぐリサさんを人界に送り届けさせたいらしいわ。あんなまずいものを飲まされるだなんて……」
ミラは顔をしかめた。
一般的に、魔力ポーションはおそろしく高価であるものだ。普通は肌身離さずつけておくようなものではなく、いわゆる超セレブの人々がどうしても魔力を回復したいときにケチりながら使うことが多いと聞いている。
いや……このショーリン家は、ポーションを使えるほどのレベルにあるのか。なかなか想像もできないけど、とにかくこの家はかなり金持ちであるらしい。
そのとき、ヤム兄上がポーションのようなものを持って戻ってきた。
「よし、ミラ、これを飲め。一応父上にも許可を取った。まあ味は悪いが、ポーションなのだから仕方がない」
ポーションがミラに差し出された。ポーションは瓶に入っていて、ぱっと見ただけでは高級なものには見えない。でも、これは本当は俺の家族の一年間ほどの稼ぎに匹敵するはずなのだ。
「………………」
まるで泥水を飲んでいるかのような顔でミラはポーションを飲んだ。
「はあ、やっぱり飲めたものじゃないわね……兄上、水を取ってきてもらえますか? これは口直しが必要ですよ……」
ヤム兄上が出て行き、また部屋には三人だけになった。途端にミラが普通の表情に戻った。
「さて、今のうちよ。リヒト兄上とリサさんはここで永遠の別れになるわ。リヒト、言いたいことがあるなら早く済ませちゃいな」
そんなこと言われても……何も思いつかないよ。とりあえず、これだけはということだけ言うしかない。
「ミラ、どうか父上……じゃなかった、父さんと母さんをしっかり手伝って、立派な人間になるんだぞ。それから、トキヤに俺が突然消えてすまないと伝えておいてくれ。いつか会う時には、勇者と魔王としてーーってな」
トキヤはーー人界での俺の一番の親友に、俺は何も別れを告げないまま旅立ってしまった。これからも毎日のようにトキヤと会って、どうでもいいことを話して、魔法の腕を磨き合って、いつかは二人で勇者になろうと話していたのに。もうおそらく彼と会うことはないのだ。
「お兄ちゃん……行っちゃだめだよ。お兄ちゃんが私のお兄ちゃんじゃないなんて、やっぱり受け入れられない。まだ別れたくたいよ……」
リサは今にも泣き出しそうになりながら、俺の手を握ってきた。
「………………」
俺はどうすることもできない。俺も本当はこんなことは望んでいなかったのだ。俺は昨日から、俺の意志ではない他人の力でここに連れて来られて、いいように動かされているだけだ。俺が不運なのか、そんなのに抗えるほど大人でないのか、とも思ってしまう。
何がセレブだ。ーーショーリン家が金持ちだと鼻にかけているようなミラも、よく考えたら気に食わなくなってきた。彼女は平穏な暮らしを突然断ち切られる庶民の気持ちをわかっていないのだ。
「ミラ、お待たせ」
「うん、ありがとう」
俺が悩んでいるのをよそに、ヤム兄上が戻ってきて、ミラはどこまで本当かわからないけど口直しだという水を飲んでいる。
俺はリサをぎゅっと抱き寄せた。
「……こんな無力な兄ちゃんですまない。今はどうか耐えてくれ。俺が大きくなったら、絶対にこの世界を変えてみせるから……」
思わずそう言った瞬間、俺の将来の夢が決まったのだった。俺は魔王にーー魔界最強の為政者になるしかない。こんな理不尽な、子供の気持ちが踏みにじられる魔界を、根本から変えないといけない。でないと、俺のような不幸な少年少女が、永遠に生まれ続けるのだ。
「うん……お兄ちゃん、信じてるよ……」
リサはまだ激しくしゃくり上げながら、それでも俺から離れて、ミラの手を取った。
リサは最後に振り向いたようだった。でも、その表情は俺にはもうよく見えなかった。ミラが「転移!」と唱えて、そしてリサは永遠に俺の視界から消えた。
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