第九章 涙と光と ー中編ー
翌日の休み時間――
季武と六花は教室に
季武は五馬を倒したら六花に彼女が死んだと告げる事にした。
貞光達から生きてると思わせておくと偽の呼び出しに騙されて人質にされるかもしれないと警告されたのだ。
ただ、確実に討伐したのを確認する前に言ってしまうと本物が生きて出てきた時に敵に付け入る隙を与えてしまうかもしれない。
だから討伐後に話す事にしたのだ。
出来れば言いたくないんだが……。
季武は溜息を
「どうしたの?」
六花が心配そうに季武を見た。
季武は慌てて、
「あ、いや、頼光様と話してて都に
と
「都で何かあったの?」
六花が興味を惹かれた様子で訊ねてきた。
「都で
「物語?」
「『源氏物語』。当時は章の名前だけで
「あ、そっか。その、覚えてないからよく分からないけど、欲しいって言わなかったなら読みたいと思ってなかったんじゃないかな」
「今は? 手に入るって言われたら読みたいか?」
「え? う~ん……」
六花が考え込んだ。
まず最初に容易に手に入るかどうか聞いてくるかと思ったがその事は訊ねてこなかった。
入手のし
もしかして
一条帝は『源氏物語』を読んで作者は歴史書をよく読んでいると言ったそうだが『源氏物語』は歴史書ではなく物語だし、イナが好きなのは昔話やお
お伽噺も物語と言えば物語だが『源氏物語』とは毛色が違う。
「それ、
「そりゃ、原本じゃなくて
「せっかく
そう言えばそうだった。
だから頼光からの
六花は民話研究会で課題の古典文学を読むとは言っても活字になったものだし、現代語訳ではなくても注釈などが付いてかなり分かり
確かに今更手に入れても読めないか……。
入手自体は頼光に頼めばなんとかなりそうだと思ったのだが。
しかしこの返事だと八重が読みたいと思っていたかどうかは判断が付かない。
欲しいものは時代によって変わるから欲しい時にねだってくれないと分からないのだ。
イナは自分の希望や
夕方――
六花が家に入ると、
「六花、出掛けるわよ」
母が慌てた様子で声を掛けてきた。
「どうしたの?」
「お祖母ちゃんが入院したんですって。ほら、行くわよ」
六花は季武に連絡する間もなく母親に外に連れ出された。
六花は地下鉄の中で季武に行き先を連絡した。
入院していた祖母は意識もはっきりしていてすぐに退院出来そうだと告げられた。
病院から出ると母は祖母の着替えを取りに行くと言って六花と別れた。
六花は駅に向かって歩き出したが、途中で迷ってしまった。
もう日は沈んで西の空に
目の前に大きな樹が立ち並んでいる。
来た時には大きい公園の
困ったな……。
道を調べるためにスマホを取り出そうとした時、目の隅に見覚えの有る何かが映った。
顔を上げて辺りを見回すと樹の陰に隠れるようにして人が立っている。
薄暗くて
あれって……金時さん、だよね?
金時が見ている方を見ると綱と五馬が
五馬ちゃん!?
無事だったんだ!
六花は嬉しくて思わず駆け出した。
しかし表情が分かるくらい近付くと二人は険しい顔で
思わず足が止まる。
近付くのが
綱を
貞光さん……。
なら、季武君もどこかに……。
辺りを見回そうとしたとき背後から肩に手が掛かった。
振り返ると季武だった。
「季武君……」
六花が口を開こうとすると、
「帰るぞ」
季武が六花の腕を
危険から遠ざけようとしてるのだ。
でも危ないんだとしたら五馬ちゃんだって……。
再度五馬に目を向けると彼女の姿は無く、代わりに巨大な蜘蛛が
六花は
五馬ちゃんが消えた!
蜘蛛は綱の方を向いている。
綱がいつの
「五馬ちゃん!」
五馬が
「六花!
六花はその手を振り
「五馬ちゃん!」
「六花ちゃん、来るな! 季武! 六花ちゃんを止めろ!」
綱が季武に怒鳴りながら刀を蜘蛛に向かって振り下ろした。
蜘蛛はその巨体からは信じられない速さで後ろに下がった。
「五馬ちゃん!」
六花は辺りを見回したが五馬の姿は無かった。
まさか……あの蜘蛛に喰べられちゃったの!?
一瞬、目の前が真っ暗になり掛けた。
だが四天王が、人間が
そう思って気を取り直す。
きっとどこかに……。
六花は周囲に視線を走らせて五馬の姿を探した。
「六花、八田五馬はもう
季武の言葉に六花はハッとして巨大な蜘蛛に目を向けた。
「土蜘蛛……五馬山の五馬姫……」
六花の呟きに季武はようやく思い出した。
そう言われてみれば〝八田〟も〝五馬〟も『
大分にはスコリア
全滅したとされているが生き延びた者が
九州の土蜘蛛討伐は四天王が来る前だし何より任地でもない。
昔のイナから
いつの間にか土蜘蛛の左右に金時と貞光が武器を構えて立っている。
「綱さん!」
土蜘蛛に向かって刀を振り下ろそうとしている綱の腕を
「綱さん、待って下さい! この土蜘蛛、五馬ちゃんなんでしょう!」
六花はそう言うと土蜘蛛を振り仰いだ。
「五馬ちゃん! 五馬ちゃんだよね!?」
「六花ちゃん、ごめん。こいつはエリの
綱が低い声で言った。
「季武! 六花ちゃんを下がらせろ!」
綱は厳しい顔で蜘蛛を睨み上げたまま怒鳴った。
「六花!」
季武が六花の肩に手を掛けた。
六花が身を
「季武君、放して! 五馬ちゃん、なんで!?」
――
――わたしの仲間達は討伐員に滅ぼされた!
――北山に
土蜘蛛から聞こえてきたのは人の声では無かった。
季武と綱は「北山」と聞いてハッとした。
北山の残党か!
覚えがある気がしたのは戦った土蜘蛛達の中で感じた気配だったからだ。
「お前らが
――お前らだって来ているだろう。
「お前らを倒す為にな!」
綱が刀を振り下ろす。
同時に左右から金時と貞光も斬り掛かった。
土蜘蛛は高く飛び上がると道路の向こう側のビルとビルの間に去っていった。
綱達は六花を
「五馬ちゃん!」
六花が叫んだが五馬の姿はとっくに見えなくなっていた。
季武は六花を下ろすと手を取って歩き始めた。
地下鉄の駅の方へと向かう。
「季武君、エリさんの
「八田に付いていた
口を
「
「じゃあ、エリさんは?」
「……あいつに喰われた。エリだけじゃない。あいつは最近だけでも大勢殺してる。餌にしただけじゃない。俺達を
それきり季武は黙ってしまった。
頼光と四天王はマンションの
「見失った?」
四天王から報告を受けた頼光が聞き返した。
「気配が全くしないので一度視界から消えてしまうと……」
「そうか」
「これから
貞光の言葉に頼光が考え込む。
「俺は六花を見張ります」
「六花ちゃんを? 土蜘蛛に味方したりはしないだろう」
季武の言葉を聞いた頼光が言った。
「味方はしなくても呼び出されたら俺達に内緒で会いに行くかもしれません。人質にでもされたら厄介です」
季武がそう言うと頼光達は顔を見合わせた。
季武は五馬がエリを含め大勢の人を殺した事を六花に話したと言っていた。
イナなら大勢の人を殺し、この先も同じ事を繰り返すと分かっている土蜘蛛に味方したりはしないだろうし、季武達を危険に
だが五馬は六花のたった一人の友達でもある。
それも
人質になる気は無くても呼び出されたら友達として会いにいって結果的に捕まってしまう可能性は考えられる。
鵺を操っていたのは五馬だろうし、それなら今日の様子から六花が使えると判断すれば利用するだろう。
正直、季武にも六花がどんな行動に出るか読み切れなかった。
放課後――
季武は六花を送ってマンションの前に着いた。
「六花、
季武が六花の家の前で訊ねた。
明日は七月二十二日だ。
「その……五馬ちゃん、捜さなくても
「綱達は捜してる」
「あの……
六花が黙り込むと季武はそれ以上は何も言わずに六花の頭を撫でて帰っていった。
明日の約束の話、覚えてるよね。
季武は知っていて止めなかったのだ。
行って、
六花は季武の背中が夕闇の中に消えるとマンションに入った。
七月二十二日――
六花は五馬との約束の時間に新宿駅南口の柱の
手には小さな紙袋に入れた誕生日プレゼントを持っていた。
来る訳ないよね。
四天王が捜してる上に季武は今日の待ち合わせの事を知っている。
ここは見張られてるかもしれないのだ。
見付かったら殺されるのに来るはずが無い。
それでも六花は五馬の姿を探して人混みに目をやっていた。
時間は過ぎていった。
人待ち顔の人達は次々と待ち人と合流して去っていく。
そしてまた誰かを待っている人が現れ、やってきた人と一緒に雑踏に消えていく。
夜の十一時を過ぎ、酔っ払いが増えてきた。
駅の売店ももうシャッターが下りている。
改札口が人の群れを吐き出しては飲み込む。
そろそろ終電が近いせいか改札口に駆け込む人がちらほら
いくらなんでも中学生がこの時間に出歩いているのは
スマホがさっきから振動しっ
親が早く帰ってくるようにと言うメッセージを送ってきているのだ。
六花は時計を見上げた。
十一時半――
日付が変わるまで。
明日になるまで待ってみよう。
そう思った時、
「振り返るな」
季武の声がした。
そっと横目で
「切符売り場に
季武の言葉に切符売り場の方を見ると確かに赤いスカートの女性が立っている。
「でも、あの人……」
どう見ても二十代だ。
「六花が知ってるのは中学生に
もう一度赤いスカートの女性を見ると目が合った。
その瞬間、女性は身を
「五馬ちゃん! 待って!」
六花は慌てて追い掛けたが五馬はすぐに人混みに紛れてしまった。
六花が立ち尽くしていると、後ろからやって来た季武が手を掴んだ。
「帰ろう、送る」
そう言って手を引いて歩き出す。
季武君、やっぱり覚えてたんだ……。
「あの、ごめんなさい……」
季武達は五馬を捜していたはずだ。
六花のせいで五馬は逃げてしまった。
「気にしなくて
六花はなんと言えば
「俺は謝れない」
「え?」
「俺達は
「うん。分かってる」
当然だ。
季武達が人間界に
人間を喰う
でも
綱は
「もし、五馬ちゃんが
「
六花は季武の言葉に俯いた。
「人間の一生は短いから一緒に
季武がそろそろイナと再会出来る頃だと期待して捜している時と同じように、綱もエリとの再会を待ち
「じゃあ、綱さんは……」
「俺と同じ事をする。俺もあの時、
再生出来ないくらい粉々に核を砕く。
それは異界の者にとって真の死を意味する。
人間のように生まれ変わる事すら出来なくなる、完全なる抹殺。
「俺には止められないし、止める気も無い。
六花の手を握る手に力が込められた。
多分、二十年前の事を思い出しているのだ。
季武を
六花は季武の横顔を見上げた。
季武は唇を
核を砕いても季武の怒りは
上層部に
その事に付いては後で頼光にこっ
だが早めてもらっても再会までに二十年も掛かった。
綾が生きていれば今頃は結婚して子供は小学生くらいになっていたはずだ。
綱は他に二人
どちらにしろ綾の死因は季武を
「えっと……ごめんなさい……」
「何が?」
「その……死んじゃった事、かな……」
「二度としないでくれ。俺の身体はすぐに再生するが人間はそうはいかない。俺にも……頼光様にだって人間の
「……うん」
六花は
翌日――
夕闇に覆われた一戸建て住宅の屋根の上から、土蜘蛛の姿の五馬は人間がやってくるのを待ち構えていた。
人間の足音が近付いてくる。
五馬はその人間を捕まえようと糸を飛ばした。
それを飛んできた矢が切り裂く。
――――!
人間は何も気付かないまま歩み去った。
五馬の目の前に季武が立った。
五馬が身構える。
「八田、
――誰がお前の言う事など。
五馬の声には憎しみが満ちていた。
「六花にお前の事を全部話した。お前が六花の前で正体を
――…………。
「お前も六花が蜘蛛が怖いのを知ってるはずだ。でもお前の正体を見て、何をしたか知った後でも六花は昨日一日お前を待っていた。人に
――…………。
「俺達は人間界に
季武は言葉を切ると五馬に背を向けた。
本来ならこの場で討伐しなければならない。
五馬は既に何人も食い殺している。
今更討伐を免れる
だが出来れば六花の大切な友達を自分の手に掛けたくない。
討伐員として、
それは人間を喰うのを許してしまう事になる。
だが
異界で小吏に見付からないように隠れている。
それが季武に提示出来る唯一の妥協案だった。
――…………。
五馬はしばらく季武を見ていた後、姿を消した。
土曜日――
六花は新宿通りを新宿駅に向かっていた。
デパートに珍しい食材がないか見に行った帰りだった。
頼光が最近の料理に興味があるようなので何か見付かるかと思ったのだ。
残念ながら今日は収穫が無かった。
まだ午後の早い時間だった。
スマホの着信音に立ち止まって画面を見ると、季武から会えないかと言う誘いだった。
会えると答えて今いる場所を伝えると新宿駅東口の近くのファーストフード店を指定された。
六花は了解した旨を伝えるとその店に向かった。
六花が店の近くまで来たとき十代後半の女の子と
その瞬間、何か覚えのある感じがした。
六花は立ち止まって後ろを向いた。
もしかして……。
「五馬ちゃん?」
六花が声を掛けると女の子が驚いた表情で振り返った。
やはり五馬だ。
「…………」
六花と五馬は黙って向かい合ったまま立っていた。
やがて、
「ごめんね」
六花が頭を下げた。
「え……?」
五馬が驚いたように六花を見た。
「どうして六花ちゃんが謝るの?」
「五馬ちゃんの事、季武君達に頼んであげられないの。見逃して欲しいってお願い、出来ないから」
その言葉に五馬が苦い笑みを浮かべる。
「……わたし、六花ちゃんになり代わるために近付いたんだよ」
「え?」
「六花ちゃんと会った時、
六花は五馬と初めて話した時の事を思い出した。
手を繋いだとき背筋がゾクッとした。
あれは五馬が
「六花ちゃんの性格や好みなんかが分かったら殺してなり
「……じゃあ、なんで……」
「そのすぐ後、捕まえた人間から綱の気配がしたから」
その言葉に六花はハッとした。
エリさんだ……。
「六花ちゃん、卜部と知り合ったばかりで付き合ってないって言ってたでしょ」
六花は付き合ってもいない相手と寝るような性格には見えなかったし、季武は人間に冷淡な事で知られていたから短期間でそんなに親しくなったりするはずが無い。
だとしたら痕を付けたのは前世かもしれないと考えた。
それなら綱もその人間とは
そう思ってその人間の姿で近くを通り過ぎてみたら案の定綱は何の反応も示さなかった。
「知り合いだったら?」
「そしたらその人間の姿で綱に近付いたよ」
だが知り合いでは無かったから五馬の姿のままで四天王に紹介させた。
「綱に近付いたら
季武は
現に転校してみたら六花以外の人間は完全に無視されていたし常に彼女を見ていた。
あれだけ六花を良く見ているなら
実際一度六花の振りをしたがあっさり見破られた。
逆に綱は昔から女好きですぐに騙されるので有名だった。
美女が鬼だと気付かずに引っ掛かったのは宇治の橋姫が最初では無いし最後でも無い。
橋姫が有名なのは、他の鬼と違って討伐されずに逃げる事が出来たからだ。
他の鬼は正体を現すとすぐに討伐されてしまったから騙された事がバレなかっただけなのだ。
死人に口なし……。
六花は
「復讐は
五馬の言葉に六花が頷く。
「大勢殺されて、最後の生き残りが
仲間の一人が裏切った振りをして本当の裏切り者達からどこまで情報を流したか聞き出した。
その結果、そこに
ただ逃げただけでは戻った核を確認したとき生き残りが
生き残りの存在を隠す
それで何人かが自害し残った者がその核が異界へ戻る前に取って砕いた。
そして裏切った振りをした者が
「私が逃げた事を気付かれないようにする
六花は首を振る。
「人間は死んでしまう代わりに必ず生まれ変わる。魂を消滅させる
「…………」
「私が
五馬が唇を噛み締めた。
「いつも優しくしてくれて
「どう言う事?」
「私の決心を鈍らせないため。長い年月を過ごしている内にきっと
「『豊後風土記』で土蜘蛛を全滅させたのは季武君達なの? 季武君達の任地はずっとここだったって……」
九州で土蜘蛛討伐をしたなら話してくれたはずだ。
「土蜘蛛討伐の指揮をしたのは
「え、でも、季武君が来たのは二千年近く前って言ってたよ。その頃はまだ役人はいなかったから朝廷は無かったと思うって……」
「元々土蜘蛛を滅ぼしたのは朝廷じゃないから。九州に残ってた伝説を朝廷が自分達の手柄にしただけだよ」
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