第六章 計略と罠と ー後編ー
土曜日――。
六花は四天王のマンションで料理をしていた。
頼光は今日も
「あの、頼光様の最初の歌、他の二首のどちらかと同じ女性へ贈られたんですか? それとも別の方ですか?」
六花は料理をしながら訊ねた。
「最初の歌? しょっちゅう
「あ、
「一首じゃないのか?」
頼光が訊ねるように四天王を見た。
四人も互いに顔を見合わせる。
『
「頼光様が
「全て
金時と貞光が答えた。
季武達も他の歌が残っていると言うのは初耳だった。
貞光が言ったように
頼光達は六花に視線を向けた。
「えっと、頼光様は三首載っているそうです」
「〝頼光様は〟って他に誰かの歌が載ってるの?」
金時が訪ねた。
「頼光様の家系は
「子孫まで調べてるんだ……」
金時の呟きに六花は赤くなった。
「当時は何かと歌のやりとりをしていたからな」
頼光が答えた。
確かに『金葉集』に載っている頼光の歌は、頼光が景色を見て呟いた言葉が和歌の下の句みたい――つまり七七――だったので、それを聞いた頼光の妻が歌になるように上の句を詠んだものだし、
「誰宛かは覚えとらんな」
「そうですか」
肉を
「……
六花の問いに頼光が首を
「『赤染衛門集』に赤染衛門さんが頼光様のお
『赤染衛門集』に載ってるのは「旅先で
しかもそれを日記や
と言うか和歌は特別なものだから勝手に壁に書いても
「都の邸は広かったし美濃には行ってないからどこかに書いてたとしても分からんな」
「え、『御堂関白記』に美濃に赴任するとき挨拶に来たって書いてありましたけど。あと道長さんのお
「実際に
当時の頼光達は都が任地だったから
だから
「つまり、赤染衛門さんは頼光様に断りなく書いたって事ですか?」
「実際に書いたならそうだな」
「そう言う事ってよくあったんですか?」
「簡単に紙が手に入る時代じゃなかったんでな。
六花は納得した表情で頷いた。
季武は六花の部屋にあった歌集を思い出した。
「頼光様の歌は三首なんだろ。お前の部屋にもっと和歌集あったよな?」
「頼政さんが歌人として有名で、勅撰集に載ったのだけで五十九首もあるから。『
「頼政?……ああ、鵺退治か」
貞光が言った。
相変わらずだな、と言う表情の五人を見て六花は更に赤くなった。
授業中――。
六花は体育を見学していた。
階段から落ちて床に叩き付けられた時は痛かったがお陰でしばらくは休む口実を考える必要が無くなった。
保健の先生に手当てをしてもらったのでわざわざ体育の先生に理由を説明しなくても
とは言え
少なくとも次の小遣いを貰うまでは体操服は買えそうにないから四回くらいは休む口実を考える必要がある。
そのうち二回は女の子の日って事にするとして、残り二回、なんて言おう。
六花は体育を見学しながら口実を考えていた。
土曜日――。
六花は四天王のマンションで夕食を作っていた。
頼光が来ていてリビングで四天王と話し合いをしている。
料理が出来上がり道具などを片付けると、
「お邪魔しました」
と声を掛けた。
「送ってく」
季武が立ち上がった。
「え、頼光様とお話し中でしょ」
「もう終わった」
季武の言葉に頼光を見ると
「そうですか。それでは失礼します」
六花は頼光と綱達にお辞儀をすると季武と一緒にマンションを出た。
「今日は定期報告じゃないよね?」
六花は季武と歩きながら訊ねた。
頼光は先週来たばかりだ。
「どうやら
「捜さないと見付けられないのに沢山いる事は分かるの?」
「都内で死んでる人間が急増してるんだ」
「病気とか事故とかじゃなくて?」
季武の説明によると死んだ人間の魂は〝上の世界〟に行く。
〝上の世界〟というのは異界より上の次元の事だ。
頼光や四天王の生まれた異界というのは上の次元と人間界の間に
人間界の生死を
人間に分かり
「つまり、異界の上の世界って天界?」
「良く分からんが天界って言うのは一番上の世界だろ」
上の世界が一番上の次元なのか、あるいは更に上が
普段、季武達が〝上〟と言ってるのは異界の上層部――統治者――の事で、かれらは上の次元の者とのやりとりが出来る。
上層部の者達が上の次元からの指示を受け、それを頼光のような管理職に伝えている。
季武のような末端の者は上の次元に在る世界の者とは接触出来ない。
季武が
季武の
上の次元に人間(に限らず人間界の全ての生物)の魂が行くと
「それで上の次元の者が異界の上層部に都内で異常な数の人間が喰われてると伝えてきたらしい」
大勢喰われてるのだとしたらそれは大量の
「この前の蜘蛛や茨木童子以外にも沢山いるって事?」
「そうなる。明後日の月曜からは当分学校は休むから弁当は
「うん、ありがと」
「明日も朝から
「ああ、どうして?」
「お昼食べに帰ってくるなら、早めに行ってお昼ご飯も作っておこうかと」
「戻れるか分からないから作らなくて
「なら、夕食と明後日の朝食だけ作っておくね」
六花はそう答えた。
月曜日――。
「送ってくれてありがと」
六花は校門の前で季武に礼を言った。
「何かあったらすぐに呼べよ。それと何かあったら必ず逃げろよ」
季武はしつこいくらい「逃げろ」と繰り返し、六花がやんわりと、
「貞光さん達が待ってるんでしょ」
と言った事でようやく去っていった。
四天王が一日中鬼退治を頑張ってくれているのだから食事はちゃんと作りたいし、そうなると仮病で学校を休む訳にはいかない。
仮に食事を作らなかったとしても何日も休んだりしたら季武を心配させてしまう。
一瞬、四天王のマンションへ行く事も考えた。
しかし
それは出来ない。
とは言えいつまで耐えられるか自分でも分からなかった。
放課後――。
校門で季武が待っていた。
「何か分かった?」
六花が季武に訊ねた。
「まだ何も。今探してる」
季武は六花と並んで歩き出した。
「何か手伝える事、ある?」
「変な事が有ったら教えて欲しい」
「変な事?」
六花が聞き返した。
「何かおかしいって思うような事とか、妙だなって感じるのは裏で鬼が何かやってる可能性がある」
季武達の情報収集はネットが
四人とも今は人間の家族が
ネット社会とは言え全ての人間が書き込みをしている訳ではないから
それに書き込んでる人間でも違和感を覚えた程度で上手く言葉に出来ないような事は書かない。
そう言うのは人間達の口コミに頼るしか無いのだ。
「じゃあ、お母さん達の話に注意しとくね」
「頼む」
夜――。
見回りの途中、季武と貞光は公園でコンビニの弁当を食っていた。
季武は空を見上げた。
都会の夜はいつも曇っている。
ヒートアイランドによるダストドーム現象のせいだ。
昼間は都市部も郊外もそれほど温度差は無いが夕方になって郊外が一足先に温度が下がると、暖かいままの都市部で上昇気流が起こる。
都市部の空気が上昇する事で郊外から冷たい空気流れ込んでくる。
そのとき昼間巻き上げられた埃や排気ガスなどのダストが一緒に流れてきて空を覆う。
それがダストドーム現象だ。
異界では考えられない空だ。
六花に異界の星空を見せたらどんな反応を示すだろう。
星がひしめき合って溢れそうな夜空を見せてやりたい。
なんて、無理か。
小さい鬼でさえ怖がっているのだ。
異界の者ばかりの世界になんて来られる訳が無い。
それでも……。
「おい、向こうで気配がすんぞ」
貞光の声に季武は立ち上がった。
弁当の
放課後――。
「六花ちゃん、今日は一緒に帰れる?」
五馬が声を掛けてきた。
「途中までで
「うん、
六花と五馬は並んで歩き始めた。
二人は話しながらスーパーへ向かっていた。
やっぱり五馬ちゃんとのお喋りするの楽しい。
六花は夢中になって話をしていた。
五馬が何か言い掛けたのと、悪寒がして六花が道の先に視線を向けたのは同時だった。
六花のクラスの女子達が悲鳴を上げながらこちらに走ってくる。
道路沿いの駐車場に鬼が
一瞬、身体が凍り付いたが季武の言葉を思い出してスマホを取り出すと画面のアイコンを押した。
逃げようと踵を返した時、
「助けて!」
鬼の方から叫び声が聞こえた。
見ると石川が鬼に腕を掴まれている。
逃げようと
クラスメイト達は石川が捕まってるのを見て逃げたのだろう。
このままでは石川が喰われてしまう。
「六花ちゃん、私達も逃げよう!」
五馬が声を掛けてくる。
六花は首の後ろを押さえた。
季武の
あれはどちらだろうか。
かなり大きいから大物の可能性がある。
仮に鬼避けが効くとして六花が近付く事で石川を連れて逃げられたら?
季武は六花を
あの鬼も同程度の
注意を
「六花ちゃん、早く!」
五馬が再び声を掛けてきた。
「五馬ちゃんは逃げて」
そう答えて周りを見回したが手近な所に石や空き缶の類は落ちてない。
六花は鞄を開けると辞書を取り出し鬼に投げ付けた。
鬼がこちらに顔を向ける。
辞書はその一冊だけだったから一番分厚い教科書を出そうとしてペンケースが目に入った。
「石川さん! これ、使って!」
六花はそう言ってファスナーを開けたペンケースを石川に投げた。
片腕を鬼に掴まれてる状態でファスナーを開けるのは無理だと判断したのだ。
空中でペンケースの中身が散らばる。
石川が手を伸ばしてその中の一本を
石川は鬼の腕にペンを突き立てたが鬼は平然としていた。
この前、蜘蛛の目に矢が突き刺さったとき叫び声を上げてた……。
「石川さん! 目を狙って!」
六花の声に石川が鬼の目にペンを突き刺した。
鬼が叫び声を上げて石川から手を放す。
その隙に石川が逃げ出した。
鬼が跡を追う。
石川が六花の横を通り過ぎていったのを見て六花も逃げようとしたが、近付いてきた鬼を見て足が
それに気付いた鬼が標的を六花に変えて向かってきた。
「六花ちゃん!」
五馬が叫んだ。
鬼が六花に手を伸ばす。
だが近付いた事で
斜め後方に飛んだ鬼の脇腹を矢が
鬼はそのまま更に後方に飛んでから
「待て!」
大鎧姿の綱が六花の脇を駆け抜けていく。
「六花! 無事か!」
季武が飛び降りてきた。
「うん、ありがと」
「鬼を見たら逃げろとあれほど言っただろ!」
季武が六花を怒鳴り付けた。
「ご、ごめんなさい!」
六花が慌てて頭を下げた。
「季武! 後にしろ!」
貞光がそう言いながら走っていった。
季武は舌打ちすると、
「これ以上危ない真似するなよ!」
と言って貞光を追っていった。
「六花ちゃん、大丈夫?」
「うん、平気。ありがと」
六花は歩道に散らばったペンケースの中身を拾い始めた。
「なんで助けたの?」
五馬も拾うのを手伝いながら訊ねてきた。
「あのままじゃ石川さんが食べられちゃうと思って」
「六花ちゃんをイジメてる子じゃない。あの子が
「思わなかった訳じゃないけど……」
「なら、どうして?」
「石川さんがいなくなったら家族や友達が悲しい思いをするし、そんな理由で見殺しにしたなんて知られたらきっと
「何考えたかなんて黙ってれば分からないんだし、逃げるのは普通でしょ。卜部君だって逃げなかったの、怒ってたじゃない」
「他の人は知らなくても自分は知ってるもん。きっと一生後ろめたい思いをする事になるよ」
五馬は六花の答えに黙ってペンを拾い集めた。
そのやりとりを気配を消した異界の者が見ていたが、二人が歩き出すとその者も姿を消した。
六花はスーパーの前で五馬と別れると夕食の材料を買って四天王のマンションへ向かった。
留守のとき勝手に入れるように鍵を渡されている。
土蜘蛛は物陰から六花のマンションを見ていた。
それは上の者が問題視するような重大事件だった。
だが
あの娘が
あの娘は弱くてちっぽけな存在だ。
痛みに耐えられなくなれば死を選ぶような
けれど決して闇には染まらない。
あの娘は小さいけれど決して
そして、あの娘がこの世から消えてもその
だから季武も闇に
あの娘が死んでも彼女の輝きが消えなかったから。
死んだ後も
何をしてもその
親しい人間を殺されて
討伐員が鬼になるのは人間がなる以上に
特に殺したのが人間の場合に堕ち
しかし
娘を殺したのが鬼だったからではない。
殺したのが人間でも
あの娘と再び
人間の魂は消滅する事が無いから必ず生まれ変わってくる。
だからあの娘が死んでもあちら側に
おそらく人間というのは生まれ変わっても本質的な部分は変わらないのだろう。
堕ちたら討伐対象になるし、討伐された異界の者は核を砕かれるから二度とあの娘と逢えなくなる。
討伐されて再会出来なくなる危険を
あの娘に感化されてるなら再び逢った時、彼女に顔向け出来ないような事はしたくないと言うのもあるだろう。
例え彼女自身が覚えてなくても。
あの娘を利用するのは無理だ。
他の方法を考えなければ。
六花を見張っていた土蜘蛛は静にその場を離れた。
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