第三章 再会と復活と ー後編ー
清志は家に向かって歩いていた。
何度も妹を切ったりしたらバレてしまう。
そう思って自分の血を
もっと欲しい。
もっと、もっと、もっと……。
頭の中が血の事で一杯になった時、あの女の人が公園のベンチの
清志が
中にドロッとした赤い液体が入っている。
それが何かは一目で分かった。
一滴残らず飲み干して、未練がましくペットボトルを見てから顔を上げると視界に映るものが違っていた。
目の高さがマンションの二階のベランダと同じだ。
「もっと欲しい?」
低い位置から声が聞こえて下を見ると女の人が見上げていた。
「これからは好きなだけ飲めるよ」
彼女はそう言って
気付くと手の肌は赤くゴツゴツとしていた。爪も長く鋭くなっている。
服はちぎれて地面に落ちていた。
そのとき
清志が見えてないらしい。
そいつを掴み挙げると柔らかそうな喉笛を
女は声を上げる間もなく絶命した。
女の首から吹き出した血が顔に掛かる。
清志は夢中になってその人間に
一口喰う
――茨木童子と呼ばれていた。
――大江山に住んでいた。
――大勢の鬼を従えていた。
――
――酒呑童子様が大江山で討たれ、
昔の記憶が次々と
今度は大人の男が通り掛かった。
地面に染み込んだ血には気付いてないようだ。
その男を
男は突然身動きが取れなくなって宙に浮いたのに驚いて騒ぎ始めたので黙らせるために首を
男は簡単に死んだ。
動かなくなった男に
こいつも
これからは、こんな極上のものが好きなだけ喰えるのだと思うと
茨木童子は夢中になって人間を
何人か喰って落ち着いた所で辺りを見回した。
大江山に住んでいた頃とはかなり様変わりしている。
清志として生まれ、物心付いた時から今までの事は覚えているが、その前は大江山に
てっきり核を砕かれると思っていたのだが、まさか人間に転生させられるとは思わなかった。
酒呑童子様はどうなったのだろうか。
そこまで考えてから討伐員の存在の事を思い出した。
おそらくこの地にも討伐員が派遣されているはずだ。
茨木童子は急いで気配を消し人間の姿に
スーツを着た人間が
周囲の樹々や土の匂いで分かり
土は血を吸って真っ黒く染まっている。
数日前のニュースを思い出した。
人間の手足が落ちていたと言っていた。
今のように全て喰ってしまってもコンクリートやアスファルトの上では血の跡が残るし臭いもすぐには消えない。
痕跡を残したら人間が気付いてニュースになり討伐員が捜しに来るに違いない。
大江山の時も貴族の娘を
討伐員に
茨木童子はしばらく人間の振りをする事にして家路に
朝――。
季武が登校すると六花がロッカーに鍵を掛けていた。
貴重品を持ってくる場合は鍵を付けるようにと言われていたが六花は今まで鍵を取り付けていなかった。
急に学校に貴重品を持ってくるようになったとは思えない。
六花に訊ねると「一応掛けておこうと思って」と言う答えが返ってきた。
もっと突っ込んで聞きたかったが、金時達に「思春期の子は繊細で傷付きやすいし、お前は口下手なんだから
昼休み――。
いつものように季武と六花は屋上で弁当を食べていた。
「どうして
「都に
季武は
昔は頼光や綱のように官位や官職を持っている者は官位や官職で、それらが無い者は通称で呼ばれていて
もっとも頼光にしろ季武にしろ元々本名では無いが。
「じゃあ、金時さんは
下毛野公時とは『御堂関白記』や『古事談』に出てくる実在の人物で金時のモデルと言われている人だ。
「いや、金時の正式な名乗りは
「偶然同じ読みの人がいたんだ」
「
確かに歴史に出てくる人の一族は名字だけではなく名前の一文字も同じ漢字の事が多くて混乱する。
頼光の次男と頼朝の長男に
頼朝は頼光の弟・頼信の子孫だが。
「偶然同じ時に『きん』に
「昔の人って似たような名前ばかりで混乱しなかったの?」
「
親友ですらうろ覚えなくらい普段は使ってなかったから似たような名前ばかりでも困らなかったらしい。
「じゃあ、親しい相手でも諱は知らなかったの? でも、名前書いてる手紙、残ってるよ。あれ、本名――
「知ってはいた。貞光も最初は忠通だったんだが
「偉い人と同じ名前にしたらダメだったの?」
「誰が偉くなるかは分からなかったから同じ名前になるのは
「都って下毛野って名字の人が多かったの?」
「都にって言うか、
近衛舎人とは
下毛野公時は近衛府から派遣されて道長の随身をしていた(役人なので他の仕事もしていた)。
今で言う要人警護の警察官のようなものらしい。
「明治維新までは
確かに親友ですらうろ覚えなのでは後世の人には尚更よく分からないだろう。
六花は納得して
土曜日の午前中――。
茨木童子は自分の家を
家族はとっくに喰ってしまった。
その後は夜になると人間を捕まえて家に連れ帰って喰っていた。
このマンションの住人には手を出していない。
ニュースでここの住所が出ると
部屋の中はかなり汚くなっていた。
片付ける人間が
生ゴミも腐臭を漂わせている。
近所の人間が文句を言ってきて
大江山の時は人間にやらせていた。
世話用の人間を捕まえてこよう。
茨木童子は清志の姿に
六花は母に頼まれて買い物に出た。
清志に化けた茨木童子は路上で人間を物色していた。
大人しそうな女が
家事だけなら性別はどちらでも構わないが、役に立たなければ喰ってしまうのだから
若ければ若いほど旨いが、子供で家事が上手い者はそう
必然的にある程度大人でなければならない。
辺りを見回していると、人間だった頃、転んだ時に手を貸そうとしてくれた娘が目に止まった。
あの娘ならわざわざ捕まえなくても子供が助けを求めればあっさり信じて
家に連れ込んでから脅して言う事を聞かせれば
大人しそうだから簡単に言いなりになるだろう。
「お姉ちゃん!」
少年の声に六花が振り向いた。
何か嫌な感じがした。
そっと辺りを見回したが鬼は
気のせいかな。
六花は屈んで顔を同じ高さに合わせ、
「どうしたの?」
と少年に訊ねた。
なんだろう……。
なんだか嫌な感じがする。
でも近くに鬼はいないし……。
「お母さんが倒れちゃった! 助けて!」
「え! 大変! 救急車……」
六花はポケットからスマホを取り出そうとした。
「お母さんのとこで呼んだ方が
「あ、そっか」
六花がポケットから手を出すと、少年が手首を掴んだ。
その瞬間、鳥肌が立って思わず手を払ってしまう。
「あ、ごめんね。
六花が慌てて謝ると少年が駆け出したので
中央公園――。
「綱! ナンパしてんじゃねぇ!」
女性に話し掛けていた綱を見付けた貞光が怒鳴った。
女性は貞光に睨まれると足早に去っていった。
「貞光! 邪魔す……」
文句を言おうとした綱は異界の者の気配を感じて振り返った。
そこに
中型犬くらいの大きさの四つ足の動物だが犬でも猫でもない。
しいて言えば猫に近い。と言っても日本猫よりずっと大きい。
焦げ茶色の短い体毛が生えている。
貞光と金時も獣に気付いた。
獣はこちらを見ていた。
「あれミケじゃね? こんなとこで何してんだ?」
金時が言った。
「んなこたどうでも
ミケは貞光が向かってくるのを見ると身を
「待て!」
貞光が駆け出す。
綱と金時は顔を見合わせた。
「仕方ない。行こうぜ」
「ミケ捕まえるのくらい貞光一人で十分じゃん」
「
うっ、となった綱は「しょうがないなぁ」と
貞光はミケを追って走っている途中で鬼の気配を感じた。
気配を殺してはいるが強力過ぎて消し切れていないのだ。
貞光は気配の方に向きを転じた。
そちらへ向かうと六花が少年に化けた鬼と一緒に走っていた。
「六花ちゃん! そいつから離れろ!」
貞光は大太刀を抜くと六花に駆け寄った。
六花は貞光の声に振り返った。
貞光が鎧姿で刀を手に駆け寄ってくる。
貞光の少し後ろを走っていた綱と金時も鬼の気配に気付いた。
綱は大鎧姿になると腰から
金時も大鎧姿に変わると背中の
「頼光四天王!」
野太い声に少年の方を見ると巨大な鬼が立っている。
六花は恐怖で身体が凍り付いた。
鬼が六花に手を伸ばしてくる。
貞光が六花を飛び越えて大太刀を振り下ろす。
鬼が後ろに跳ぶ。
貞光が追い掛けて大太刀を横に薙ぐ。
鬼が更に後退して六花との距離が開く。
動けずに
「季武! 六花ちゃんは任せた!」
綱の言葉が終わる前に六花の前に胴着姿の季武が目の前に飛び降りてきた。
「間違いありません、茨木童子です」
季武はスマホで話していた。
茨木童子!?
季武が話している相手は頼光だろう。
報告を終えてスマホを
綱の気配を背後に感じた貞光は大きく跳んで上から茨木童子に斬り掛かった。
茨木童子が腕で大太刀の
貞光はその反動を利用して茨木童子を飛び越えて背後に立った。
狭い道で両側は高いビルが建っている。
前後を
季武は突然背後に複数の鬼の気配が沸いたのを感じて振り返った。
何体もの鬼がこちらに向かってくる。
季武は六花を
屋上に降り立ち、六花から手を放すと弓を構えた。
上から次々と鬼達を射貫いていく。
綱達も増援に気付いた。
金時が背後から来る鬼達に向かっていく。
「茨木童子! 覚悟!」
綱が髭切で斬り掛かる。
茨木童子が
互いに
茨木童子は空中で後ろを向くと、着地の瞬間を狙っていた貞光に薙刀を横に払った。
貞光が薙刀を
茨木童子は着地と同時に反転すると綱に向かって行った。
茨木童子の薙刀を綱が髭切で弾く。
貞光が後ろから茨木童子に斬り掛かろうとした。
茨木童子は回転するように薙刀を薙ぎ払った。
綱と貞光が後ろに飛び
「貞光! どけ!」
頼光の声に貞光が横に跳んだ。
頼光が貞光の脇を駆け抜け茨木童子に向かっていく。
茨木童子が頼光に視線を向けた隙に綱が斬り掛かる。
茨木童子は
頼光が背後から膝丸を振り下ろす。
茨木童子が飛び退く。
膝丸が空を切った。
茨木童子が綱を蹴りを放つ。
綱が飛びさする。
茨木童子は反転すると路上に止めてあったバイクを掴み頼光に投げ付けた。
頼光はあっさり
茨木童子が斜め後ろに跳んだが、頼光と綱の刃先が左肩と右脇腹を切り裂いた。
茨木童子が
頼光と綱が後方に跳んで
茨木童子は周囲に視線を走らせた。
他の鬼はやられてしまっていた。
形勢不利と見た茨木童子は季武が
「逃がすか!」
「待て!」
頼光が追い掛けようとした綱を止めた。
綱が足を止めると頼光がビルに向かって膝丸を
季武が六花を
「ーーーーー!」
絶叫を上げたのは綱達だった。
頼光と季武だけが平然としている。
「都会の真ん中で何すんですか!」
「真っ昼間ですよ!」
「中には人間が……!」
「全員避難済みだ」
頼光は
言われてみれば季武が飛び移ったビルからも人の気配がしない。
前後と上を
季武も人の気配が無くなったのに気付いて頼光が何か仕掛けると踏んでいたのだろう。
だから茨木童子が逃げ込むのと同時に六花を連れて向かいのビルに移ったのだ。
「気配は消えたがもし出てきたら
頼光はそう言って納刀すると異界に戻っていった。
金時がふと見ると顔を引き
頼光が連れてきた
〝
暗示を掛けたのはあの者に違いない。
そしてこの後始末をするのも。
おそらく避難させるのは鬼から守るためだと思っていたのだ。
よもやビルをぶっ
突然のビル崩壊にどんな理由を付けて処理をするのか分からないが相当な手間と費用が掛かるだろう。
金時は密かに同情の視線を向けた。
「あーーー! また油断した! 真っ昼間だからやらかさねぇと思ったのに!」
「人払いしてあったならビルの中で戦えば
「ビルの中で戦ったら周りの建物に
スマホから季武の冷静な声が聞こえてきた。
「この辺一帯の人間避難させんのとビル一棟丸ごとぶっ潰すの、どっちが被害少ねぇかくらい分かんだろ!」
貞光がキレ気味に怒鳴った。
「どっちにしろこのビルは壊れてただろ」
「
「そんな事より茨木童子が出てくるかもしれないんだ。警戒を解くな」
金時が上に目を向けると季武はいつでも弓を構えられる体勢で
その隣で六花が
綱達も渋々ビルの残骸に目を向けたが茨木童子が出てくる様子は無い。
崩れた直後は
「この下、地下街は無いよな」
「地下鉄もな」
六花を抱いて飛び降りてきた季武が道路に目を向けながら言った。
「見えるの!?」
六花が驚いたように季武を見上げた。
「まさか」
金時が笑って手を振った。
「
「けど茨木童子の気配はしねぇな」
「死んだにしろ逃げたにしろ、もうここには
「他の鬼の気配も無いな」
綱が辺りを見回しながら言った。
「六花、家まで送っていく」
「じゃ、オレ達はミケでも探すとすっか」
「あ!」
六花の声に四人の視線が集まった。
「どうした?」
「男の子! 大丈夫だったかな」
「男?」
六花が「男」と言ったのを聞いた季武はムッとした表情を浮かべ掛けたが、貞光達から嫉妬深い男は嫌われると言われたのを思い出して平静を装う。
貞光達がそれを見て笑いを
「お母さんが倒れたって言うから一緒に行く途中だったの」
「六花ちゃんと一緒に
「え!?」
「一緒に
金時が首を傾げる。
「六花ちゃんがこっち向いた時に
「じゃあ、お母さんが倒れたって言うのは……」
「六花ちゃん、
「サプリとか水とかも
「土地もね」
「今時
貞光達の言葉に六花は赤くなった。
もしかして、前世で
六花は貞光達に礼を言って別れを告げると季武と歩き出した。
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