東京綺譚伝ー光と桜とー

第一章 桜と出会いと ー後編ー

　季武は貞光と街中を歩いていた。

　討伐員の日課は昼間は人間社会で情報収集、夜は管轄区域の見回りだ。

「ミケが？」

　貞光が怪訝（けげん）そうに聞き返した。

　六花の事は貞光にも話してあった。

「見鬼が化猫に気付かねぇ訳（わきゃ）ねぇだろ」

「だが猫を飼い始めた途端、鬼が出なくなるなんて普通じゃないだろ。近い内に家に行って確かめてくる」

　季武の言葉に貞光が意味深な笑みを浮かべた。

　翌日、季武は六花がテスト用紙を前に頭を抱（かか）えてるのを横目で見ていた。

　チャイムが鳴り解答用紙の回収が宣言されると六花は机に突っ伏した。

　然（しか）し一番後ろは最初に解答用紙を回さなければならない。

　何時（いつ）までも伏せてる訳にもいかず、渋々と言った様子で解答用紙を前の席の子に渡した。

　六花は直（す）ぐに教科書を開くと出来なかった問題に印を付け始めた。

「数学、苦手なのか？」

　季武が声を掛けた。

　季武君が話かけてくれた！

　六花の心拍（しんぱく）が一気に跳（は）ね上がった。

　然（しか）しテストの出来を考えると余（あま）り喜べる様（よう）な状況ではない。

「その……、あんまり……」

　まさか壊滅的にダメだとは答えられず言葉を濁（にご）した。

　必死で頑張ってはいるのだが数学だけは如何（どう）しても良く分からなかった。

「分からない所（とこ）、教えてやろうか？」

「ホント!?」

　六花が季武の顔を見た。

　社交辞令ではなさそうだ。

「弁当の礼」

　そう言う事なら遠慮しない方が季武も弁当を受け取り易（やす）いだろう。

「じゃあ、これと、これと……」

　六花が教科書にチェックした所はかなり有（あ）った。

　ほぼ全滅か。

　まぁ昔話が好きって時点で文系って事だしな……。

「此（これ）だけ有ると休み時間じゃ無理だな。放課後、家に行って良（い）いか？」

　家に行けば猫を見られる。

「え！」

「教室じゃ帰りが遅くなるだろ」

　と家の方が良（い）い理由を付け足した。

　季武君がうちに来る!?　来てくれる!?

　嘘みたい！

　季武の機嫌を損ねたくない六花に否（いや）と言う選択肢は無い。

　部屋、散らかってなかったよね。

　ジュースあったっけ？

　お菓子は？

　六花の頭がフル回転した。

　季武の方は六花の驚いた表情を見て「しまった！　唐突（とうとつ）過ぎたか」と臍（ほぞ）を噛（か）んだ。

「い、良（い）いよ！　あの、散らかってるけど、それでも良ければ」

　六花の答えに季武は胸を撫で下ろした。

「じゃあ、今日行くよ」

「うん、ありがと。あ、猫アレルギーじゃないよね？」

「ああ」

「良かった」

　六花が嬉しそうに微笑んだ。

　昼休み、六花と季武は連れだって屋上へ向かった。

　其（それ）を石川を始めとした女子達が不愉快そうに見ているのには二人とも気付かなかった。

　友達が殆（ほとん）ど良（い）ない六花も、人成（ひとなら）ぬ身の季武も、人間の感情の機微（きび）には疎（うと）かった。

「はい、これ」

　屋上の階段室の脇に座ると六花は弁当箱を差し出した。

「サンキュ」

　六花が渡した弁当箱は彼女の倍以上の大きさだったが季武はぺろりと平らげてしまった。

「足りた？」

　六花が弁当箱を受け取りながら訊ねた。

「ああ。御馳走様（ごちそうさま）」

　季武は弁当箱を返すと階段室の壁に凭（もた）れた。

「良かった」

　季武君、一人になりたいかな？

　邪魔したら悪いよね。

「じゃ、私は教室に戻るね」

「そうか」

　季武はそう言うと立ち上がって六花に随（つ）いてきた。

　え！　一緒に戻ってくれるの!?

　嬉しいけど、嬉しいけど、嬉しいけど……。

　どうしよう!?

　こう言う時、気の利（き）いた台詞の一つも言えたら良（い）いのに。

　何も話せない自分が歯痒（はがゆ）かった。

　並んで歩いている二人を他の生徒達が信じられないという顔で見ていた。

　片や美少年でモテてる男子、片や気味悪がれている女子。

　さぞ奇妙な取り合わせに見えるだろう。

　なんか女子の視線が痛い気がする。

　六花は俯（うつむ）きながらそっと左右を見ると、やはり女子達が睨んでいた。

　そうだよね、季武君、格好良（かっこい）いもん。

　私となんかじゃ釣り合わないよね。

　教室に入ると弁当箱を机に置きながら左脇に下がってる筈（はず）の鞄に手を伸ばした。

　手は空を切った。

　あれ？

　机の脇に目を遣（や）って鞄が無いのを確認する。

　右側は今、席に向かいながら見ていたのだから掛かってないのは分かっている。

　椅子を引いてみたが其処（そこ）にも無い。

「如何（どう）かしたのか？」

　季武の問いに、

「な、なんでもない」

　六花は慌てて首を振ると、教室の床に視線を走らせて落ちてないのを確認してから廊下に有るロッカーに向かった。

　ロッカーの中にも上にも無いし廊下にも落ちてない。

　六花は途方に暮れた。

　他にどこを探したら良（い）いんだろう。

　六花は嫌われていると言うより気味の悪いものとして避（さ）けられていた為イジメらしいイジメは受けた事が無い。

　化物みたいな扱いだったから近付くと祟（たた）られるとでも思われていたのか何かされた事が無かった。

　人に嫌がらせをされたのが初めてだから如何（どう）したら良（い）いか分からない。

　其（それ）でも遣（や）ったのは女子だろう、くらいの見当は付いた。

　女子に聞いて回（まわ）れば誰か教えてくれるかな。

「おい、如何（どう）したんだ？」

　季武の声に驚いて心臓が飛び出しそうに成（な）った。

　何時（いつ）の間にか季武が隣に立っていた。

　自分が嫌われていると季武には知られたくなかった。

　今は未（ま）だ。

　嫌われ者だって知られたら季武君にも嫌われる。

『嫌われ者』

　其（それ）だけで嫌われる理由に成（な）る事を六花は身を以（もっ）て知っていた。

　何度か何も知らない転校生と仲良く成（な）れた。

　けれど『嫌われ者』と知られた途端皆（みんな）離れていった。

　少しの間だけでも季武と仲良くしていたい。

　一回でも多くお弁当を食べて欲しい。

「あ、えっと……」

　ロッカーを閉めようとして辞書に気付いた。

　次は英語の時間だ。

「辞書、取りに来ただけ」

　英和辞典を手に取ってロッカーから出した。

　季武は其（それ）を見て納得したらしく教室へ足を向けた。

　取（と）り敢（あ）えず誤魔化（ごまか）せたが休み時間中に鞄を探し出さなければ次の授業を教科書やノートが無い状態で受けなければ成（な）らない。

　鞄を隠されたのは季武と一緒にお昼を食べたからだろうし、六花の隣は季武しか居（い）ない。

　季武に教科書を見せて貰（もら）ったりしたら更に嫌がらせをされるのは目に見えている。

　どうしよう……。

「如月さん」

　声の方を向くと鈴木が六花の鞄を持っていた。

「これ、如月さんのだよね？」

「ありがとう。どこにあったの？」

　六花は、ほっとしながら礼を言った。

「えっと……」

　鈴木は口籠（くちご）もった。

　余程（よほど）酷（ひど）い所に有ったらしい。

「とにかく、ありがとう」

　六花は再度礼を言った。

「良（い）いよ。気を落とさないでね」

　鈴木は慰（なぐさ）める様（よう）にそう言うと自分の教室に戻っていった。

「如何（どう）いう事だ？」

　季武の低い声に慌てて振り返った。

「鞄、誰かに隠されてたのか？」

「あ、その……」

　六花は自分の顔が青褪（あおざ）めたのが分かった。

　どうしよう。

　季武君に嘘吐（つ）いたのバレちゃった。

「ご、ごめんなさい」

　六花は頭を下げた。

「何（なん）でお前が謝るんだ」

「季武君に嘘吐（つ）いたから……」

　季武は不機嫌そうな表情で自分の席に戻った。

　嫌われちゃった……。

　六花は肩を落とした。

　まさか、こんなに早く嫌われるなんて……。

　六花は落ち込んだまま自分の机に鞄を掛けると席に座った。

　すると石川達の笑い声が聞こえてきた。

「ねぇ、なんか臭くな～い？」

「トイレの臭（にお）いだよね～」

「後ろの席からだよね～」

「きったな～い」

　石川の取り巻き達が聞こえよがしに言いながら此方（こちら）に視線を向けた。

　トイレに置いてあったんだ……。

　鈴木が持ってきたと言う事は男子トイレだろう。

「後ろの席」という言葉を聞いた途端、季武が椅子を蹴って立ち上がったかと思うと、石川達の方へ大股（おおまた）で向かっていった。

　六花がびっくりして見ていると石川達が怯（おび）えた様子で後退（あとずさ）っている。

　六花には季武の後ろ姿しか見えないが、どうやら怖い顔をしている様（よう）だ。

「お前達が隠したのか！」

　季武が凄（すご）い剣幕で詰め寄った。

　六花は慌てて席を立つと季武の元へ向かった。

「ち、違（ちが）……」

　取り巻きの一人が首を振った。

「鞄を持ってきた奴（ヤツ）は何処（どこ）に置いて有ったか言わなかった！　知って……」

「季武君！　これ、ちょっとしたイタズラだから……」

　六花が取成（とりな）しの言葉を掛けると季武が振り返った。

　相当腹を立てている様（よう）だ。

　かなり怖い顔をしている。

　六花の怯（ひる）んだ表情を見ると季武は不機嫌そうな顔で席に戻っていった。

　六花は季武が直（す）ぐに矛（ほこ）を収（おさ）めてくれた事に安堵した。

「あ、あの、ごめんね」

　六花が謝ると石川達はお前が悪いとばかりに睨んできた。

　六花は目を伏せると席に戻った。

　元から碌（ろく）に話した事も無いのだ。

　更に嫌われた所で此（これ）までと大して変わらないだろう。

　放課後を告げるチャイムが鳴った。

　六花は帰り支度をしながら季武の方を窺（うかが）った。

　今日家（うち）に来るって言う約束、どうなったかな。

「家、何処（どこ）だ？」

　季武が鞄を取りながら訊ねてきた。

「中央公園の向かい」

　六花は安心しながら答えた。

　でも約束したから仕方なくかも。

　明日からも口利（き）いてくれるかな。

　六花は鍵を開けて家に入ると、

「ただいま」

　家の奥に声を掛けた。

　母親と思（おぼ）しき女性の返事が聞こえた。

　季武は六花の跡（あと）に付いて部屋に入った。

　白字に小さな小花柄の壁紙に桜色のカーペット。

　片側の壁際に勉強机と本棚が、反対にシングルベッドが置かれていた。

　本棚には予想通り『今昔物語集（こんじゃくものがたりしゅう）』や『御伽草紙（おとぎそうし）』等が有った。

　其（それ）に勅撰和歌集（ちょくせんわかしゅう）を始めとした和歌集も何冊か有った。

　和歌も好きなのか？

　中学の古文で此（これ）だけ沢山の和歌は取り上げない筈（はず）だ。

　机の上には図書館から借りてきたと思われる神楽の本が置かれている。

『滝夜叉姫（たきやしゃひめ）』だろうな……。

　季武は密かに溜息を吐（つ）いた。

「シマ……あれ？」

　六花はベッドを見て首を傾（かし）げた。

　何時（いつ）もベッドで寝ているのに見当たらない。

　ベッドや机の下を覗（のぞ）いてみたが居（い）ない。

「どこ行ったんだろ。季武君に紹介したかったのに」

　季武は辺りの気配を探った。

　台所（キッチン）の方から人間の、廊下の奥から人間界の動物の気配がする。

　異界の者の気配は無い。

「廊下の先には何が有るんだ？」

「お風呂と洗面所と押し入れだよ」

「其処（そこ）に猫が行く事は？」

「洗面所には猫のトイレがあるし、押し入れもお布団や座布団が仕舞（しま）ってるから入る事あるかも」

　部屋の中に動物の毛は落ちていない。

　六花の母が掃除をしたばかりなのかもしれないが異界の者なら毛は落ちない。

　だが人間界の動物が居（い）るのも確かだ。

　六花の言う通り結界は張ってないから反（は）ぐれ者が出なくなったのなら何かが近付けない様（よう）にしているのだ。

　ミケが喰っているのだと思っていたが季武の気配を察して隠れるような知能は無い筈（はず）だ。

　何時（いつ）も見付かったら大人しく捕まっていた。

　ミケじゃないのか？

　ミケは人間を含め人間界（こちら）の生き物は喰わないから討伐対象に成（な）らず異界（むこう）に連れ戻されるだけで済（す）んでいる。

　ミケ以外に討伐員でもないのに反（は）ぐれ者（もの）を倒している者が居（い）るとは聞いてない。

　少なくとも此（こ）の辺りでは。

　六花の母は人間だったから反（は）ぐれ者が六花の母親を喰って入れ替わったのではない。

　六花に家族構成を訊（き）いてみると両親と六花の三人暮らしだそうだ。

「季武君、そこにどうぞ」

　六花は何処（どこ）からか小さなテーブルを運んできて部屋の真ん中に置くと、其（そ）の前に座布団を置いた。

　季武が座ると六花は向かいに座って教科書を取り出した。

　念の為、後で父親を調べてみるが恐（おそ）らく人間だろう。

　だが、そうなると一体何故（なぜ）鬼が出なくなったのかが分からない。

　何者が遣（や）ってるにせよ敵ではないと思うが……。

　夕食後、六花が部屋で宿題をしているとスマホが振動した。

　電話が掛かってきたのだ。

　六花の番号は両親しか知らない。

　親でなければ間違い電話だ。

　両親は家に居（い）る。

　画面を見るとやはり親ではない。

　六花は掛け間違いだと告げる為に通話アイコンをタップした。

「あの……」

「俺だ」

　オレオレ詐欺!?

　六花は目を見開いた。

　ど、どうしよう!?

　自分に掛かってくるとは思っていなかった六花は突然の事に狼狽（ろうばい）した。

　こういう時、どうしたら良（い）いんだっけ？

　切って良（い）いかな。

　それとも引っ掛かった振りして警察に通報…………無理。

　六花は心の中で首を振った。

　そんな度胸は無い。

　第一、少し話せば声で若いと分かるからカモには出来ないと悟るだろう。

　けど話すの怖い……。

　どうしたら良（い）いんだろう。

　あ、そうだ、暗号は？って聞けば向こうから切ってくれるかな。

　でもオレオレ詐欺ってスマホにも掛けてくるものなんだっけ？

　六花は必死で考えを巡（めぐ）らせた。

　其（そ）の間、向こうも無言だった。

　気不味（きまず）い沈黙が続く。

　するとスマホの向こうで誰かが「名乗れよ」と電話の主に声を掛けた。

「季武だ」

「季武君!?」

　六花が驚いて声を上げた。

「ああ」

　電話の主はそう答えたが季武には番号を教えていない。

　季武君を装（よそお）ったオレオレ詐欺……の訳ないよね。

　それなら私を知ってるって事だし、だとしたら中学生でお金持ってないって分かってるんだし。

　……あ、そうか。

　六花を知っているなら詐欺ではなく嫌がらせだろう。

　だが学校の連絡はLINEだから電話番号を知ってる者は居（い）ない筈（はず）だ。

　切っちゃおうかな。

　でも怒らせたら、もっと嫌がらせされるかもしれないし……。

　何より本当に季武だったら嫌われてしまう。

　六花が思案に暮れているとスピーカーの向こうで再び声がした。

　恐（おそ）らく先（さっき）の声の主だろう。

　季武と名乗った人物に何か言ってる様（よう）だ。

「掛け直す」

　そう言って通話が切れた。

　まだ嫌がらせになりそうなこと言ってないのに。

　やっぱりオレオレ詐欺？

　でもオレオレ詐欺はカモの方に電話を掛け直させるんだったような……。

　六花が首を傾（かし）げた時、再びスマホが振動した。

　LINEのビデオ通話だった。

　受けるか拒否するかを選んでタップしなければならない。

　画面に季武の名前が表示されている。

　ビデオ通話で嫌がらせする方法が思い付かないし、本当に季武からだとしたら無視して嫌われる様（よう）な事はしたくない。

　でも季武君が何の用かな。

　恐（おそ）る恐（おそ）る画面をタップすると季武が写った。

　無視しなくて良かった……。

　六花は安心して胸を撫（な）で下ろした。

　季武は街灯の近くに立っているらしい。

　時々季武に光が当たって消える。

　車のヘッドライトだろう。

　何処（どこ）かの歩道に居（い）る様（よう）だ。

　白い胴着を着ているから鬼と戦いに行くのかもしれない。

　季武のスマホの画面に六花の顔が写った。

「どうしたの？」

　六花が訊ねてきた。

　背後に先（さっき）見た六花の部屋の壁が写っている。

　自室に居（い）る様（よう）だ。

「遅くに済（す）まん。聞きたい事が有るんだ」

「うん、何？」

「今其処（そこ）にお前の猫、居（い）るか？」

　六花の家からは六花達の気配が感じられた。

　カーテンが閉まっていたので先（さっき）気配を消してベランダに忍び込んだ。

　やはり鬼避（よ）けに成（な）りそうな物は何も無かった。

　六花の家に行った時、玄関からダイニングキッチンを通って六花の部屋に入った。

　ダイニングキッチンはベランダに面していてテーブルはサッシの側（そば）に有った。

　ダイニングのサッシの近くに立つと、中は見えなかったが三人の人間の気配がした。

　六花は男性に「お父さん」と言っていたし女性の声は六花と六花の母親だった。

　六花と話した時の様子では暗示が効（き）かなくなる物を持たされている訳では無い様（よう）だった。

　だとしたら六花は元から暗示に掛からないのだ。

　見鬼の能力と同じく稀（まれ）に暗示に掛からない人間が居（い）る。

　暗示が効（き）かないなら別人を親だと思い込ませる事は出来ないから両親は本物だろう。

　人間界（こちら）の小動物の気配も有ったが念の為ミケではないか確認しておきたかった。

「シマ？　いるよ」

　六花が答えながら後ろを振り返った後、スマホをベッドに向けた。

　ベッドの上に丸くなっているキジトラの猫が写った。

「見える？」

　六花の声が聞こえてきた。

　季武はスマホの画面に目を落とした。

　流石（さすが）に画面越しでは人間界（こちら）の猫なのか異界の者が化けてるのかまでは判別出来ない。

　だが動物の気配がしていて猫が写っているのだから恐（おそ）らく人間界（こちら）の猫だろう。

　ミケは猫に化けているだけで実際はイエネコでは無い。

　季武の知る限り人間界（こちら）の何（ど）の動物にも当て嵌（は）まらない姿をしていて牙がある獣みたいな外見としか言い様（よう）が無い。

　常に隠形（おんぎょう）で姿を現（あらわ）す事は無い。

　人間に見えない状態の事を〝隠形（おんぎょう）〟と言う。

　異界の者は隠形が基本で敢（あ）えて姿を現（あらわ）さない限り人間には見えない。

　ミケは江戸の町が出来た頃から猫に化ける様（よう）に成（な）った。

　初めて化けたのが三毛猫の姿だったので其（それ）以来「ミケ」と呼ばれる様（よう）に成（な）った（其（それ）までは単に「彼奴（あいつ）」と呼ばれていた）。

　隠形なのは相変わらずだったから異界の姿だろうが猫だろうが同じだと思うのだが、意思の疎通（そつう）が図（はか）れないのでミケの考えは理解不能だった。

　人間界（こちら）に来る度に体毛の模様が変わるので見た目だけでは分からない。

「夜遅くに済（す）まなかった」

　季武はそう言うと通話を切った。

「用は済（す）んだか？」

　貞光の問いに季武は頷（うなず）くと懐（ふところ）にスマホを仕舞（しま）った。

　二人は中央公園に入っていった。

　季武は道着に落ち着いた黄緑色（若苗色（わかないろ））の袴、貞光は濃い茶色（朱土生壁（しゅどなまかべ））の袴を穿（は）いていた。

　突如、背後に鬼の気配が湧（わ）いた。

　咄嗟（とっさ）に左右に分かれて跳んだ。

　振り下ろされた斧が空を切った。

　二人が振り返ると大きな鬼が立っていた。三メートルは有る。

　其（そ）の背後に同じ様（よう）な大きさの鬼が更に何体も居（い）る。

「数が多い！　綱！　金時！」

「今行く！　中央公園だな！」

　懐に入れたスマホから綱の声がした。

　街灯の上に飛び乗った季武が鬼達に矢を立て続けに放った。

　鬼が次々に消えていく。

　刀を振るっている貞光の死角を狙ってくる鬼を優先して射貫いて近付けない様（よう）にしながら絶え間なく矢を放つ。

　不意に季武が立っていた街灯が揺れた。

　なっ！

　視線を下に向ける間にも街灯は倒れていく。

　季武は街灯を蹴って近くの木の枝に飛び移った。

　鬼に矢を放ちながら倒れた街灯の周囲に目を走らせたが何も居（い）ない。

　鬼達も街灯まで届く様（よう）な武器は持ってない。

「うぉっ！」

　貞光が声を上げて後ろへ跳（と）んだ。

「如何（どう）した！」

「分からん！　行成（いきな）り……くそ！」

　貞光の足下から一瞬何かが飛び出して直（す）ぐに地中に消えた。

　貞光が更に後ろへと跳ぶ。

　鬼達からどんどん遠離（とおざか）っていく。

　此（これ）だけの鬼を逃がす訳にはいかない。

　季武は鬼の討伐を優先する事にして地面に飛び降りた。

　季武は移動しながら鬼が射線上に重なる位置で矢を放った。

　鬼を貫いた矢が更に其（そ）の向こうに居（い）る鬼を貫いていく。

　二体、三体と同時に消える。

　突然足下（あしもと）から何かが突き出た。

　咄嗟に地面を蹴って上に跳んだ。

　十メートルほどの高さから周囲に視線を走らせ鬼の数を確認した。

　残り三体。

　其（それ）から真下を見た。

　地面だけだ。

　気配も感じない。

　其（それ）でも落下しながら地面目掛けて立て続けに矢を放った。

　一瞬、何かの気配がして即座に消えた。

　仕留めてはいないが手傷は負わせられた様（よう）だ。

　東と南へ向かった鬼が両断されて消えた。

　北へ向かった鬼も貞光が屠（ほふ）った。

「貞光！　季武！　無事か！」

　綱と金時が駆け付けてきた。

「遅ぇよ！」

　貞光が文句を言った。

「日比谷から来たんだぞ、仕方ないだろ」

　金時が言い返した。

「貞光、袴の裾ぼろぼろじゃん」

　綱の指摘に金時も目を落とした。

「季武も切れてるな」

「何（なん）かが地中から攻撃してきた」

　貞光が綱達に説明した。

「此処（ここ）昔は浄水場だったよな。下に浄水場の施設が残ってるのか？」

　金時が地面を見下ろした。

「良く見ろ。穴が空いて無いだろ」

　季武の言葉に他の三人が辺りを見回した。

「人間界（こっち）の武器じゃないって事か」

「地中からの攻撃だとしたら鬼じゃないな。何（なん）か居（い）たか？　土の中から攻撃出来るヤツ」

「頼光様（あのひと）に報告しておこう。先（ま）ずは……」

　季武が新宿駅の方に顔を向けた。

「東口と……南口の方にも居（い）るな」

「南に離れていってるな。代々木の方に向かうんじゃね？」

「北の方にも居（い）るぞ」

「俺は西の方を見回る」

　季武はそう言うと西側のビルの屋上に跳んだ。其（そ）のまま西に向かう。

　残りの三人も其々（それぞれ）別の方向に散った。