東京綺譚伝ー光と桜とー
月夜野すみれ
第一章 桜と出会いと ー前編ー
その人は光を背に、ゆっくりこちらを振り返りました。
十五、六歳くらいのその男の子は、背が高くて
午後の新宿中央公園。
背後に
満開の桜の花吹雪の中、その男の子は背筋を伸ばして
白い道着に落ち着いた黄緑色の
私はただ、その男の子に目を奪われていました。
私と同い年くらいのその男の子は、私の額に手を
私には男の子の言葉が聞き取れませんでした。
その男の子はすぐに
「ただいま!」
靴を脱ぎ捨てながら母に声を掛け、玄関から自分の部屋へ向かった。
部屋に入るとベッドの上で寝ていた猫のシマを抱き上げた。
シマはキジトラという黒と焦げ茶の縞模様の日本猫だ。
腹の部分が白い場合はキジトラシロと言う。
シマも腹の部分は白いから正確にはキジトラシロである。
「ね、聞いて、シマ。今すごい事があったんだよ!」
シマはどうでも
六花は構わず話し始めた。
中学の始業式からの帰り道、六花が横断歩道を渡っていると、思わず
年は六花と同じか少し上だろう。
真っ直ぐでさらさらの長い黒髪を
うわ、可愛い……。
すごい綺麗。
スタイルも
足、長い。髪、
天使の輪がある。
モデルみたい……。
少女と
近寄ってみると
かなり色が
巾着に付いている布の紐が切れていた。
布にタイヤの
巾着の口の
六花が小石と巾着を拾い上げた時、クラクションの音がした。
信号が赤に変わっている。
歩道は目の前だし大通りだから引き返す訳にはいかない。
六花は横断歩道を渡りきってから振り返った。
女の子が向かい側の歩道を歩いて行く。
六花は、じりじりしながら信号が変わるのを待った。
信号が変わると中央公園に向かって駆け出した。
公園の入り口は細い道で上り坂に
両側には木が植わっていて土と木の匂いがした。
小道を通って広場に出た所で辺りを見回したが女の子の姿は見えなかった。
左に別の出口へ向かう小道が有るが
六花は考え込んだ。
新宿駅に向かうなら超高層ビル方面に行くだろうけど、待ち合わせならデッキテラスか池(自称「滝」)だよね。
それとも散歩かな。
中央公園はかなりの広さが有る。
散歩と
ふと公園の反対側に有る喫茶店が目に入った。
そっか、お金がある人ならお店で待ち合わせも有り
振り返ると
巨大な
鬼の手に握られてる物が
大きな鬼の周囲に小鬼が何匹も
小鬼と言っても大鬼の側に
大鬼が
逃げなきゃ!
そう思うものの足が
鬼の手が伸びてきた。
捕まる!
思わず目を閉じた
目を開けると
地面に立たされて
鬼から百メートル以上離れている。
一瞬だった。
六花を鬼から引き離してくれた人は数歩移動すると
白い胴着に落ち着いた感じの黄緑色の袴。
六花と同い年くらいの男の子だった。
彼は立て続けに矢を放った。
矢に貫かれた小鬼が次々と消えていく。
この距離から小さくて動き回ってる鬼に当てられるなんて……。
全て
大鬼が
鬼が飛び
大鬼は振り下ろされた刀の側面を腕で
刀の少年が後ろに
弓の男の子は一気に間合いを詰めて懐に飛び込むと刀を横に払った。
鬼が背後に跳んだ。
鬼が両断される。
鬼は絶叫を上げて跡形もなく消えた。
小鬼も全て
六花は信じられない思いで二人の少年を
弓の男の子は
木の陰から気配を消して様子を
「鬼はともかく、男の子達も近くを歩いてる人達には見えてなかったみたい。どうしてかな」
六花はシマを
「すっごく
にやけた顔でシマの背に
シマは顔を
「また会えるかな。会えると
シマは身を
六花は
何度か知ってる人が消えた。
消える少し前に必ず小さな鬼が
大人達の感情は子供達にも伝わり、六花は
学区制の
同じ保育園だった子達が他の保育園や小学校から来た子達に六花の話をするから中学生に
そう言う子は大抵霊感が有ったりして怪奇現象を信じていた。
学校が終わった後で会う
六花は
ずっと友達と遊びに行ったりする事に
同じ小学校や中学校の子が
そう思って志望校は家から通えるぎりぎりまで遠い高校にした。
幸か不幸か友達と遊んだりしないので勉強する時間は嫌というほどあった。
残念ながら数学の成績が
翌日の朝、六花は信じられない思いで学校の玄関へ向かっていく少年を見ていた。
昨日助けてくれた子だ!
弓を持っていた男の子だ。
長い刀を持っていた子は一緒じゃない。
転校してきたのかな。
この学校の制服着てるし、前から同じ学校だったのに知らなかっただけかな。
だとしたら下級生?
男の子は校舎の中に入っていった。
「如月さん、顔、真っ赤だよ、どうかしたの?」
ぼーっとして少年の背を見送っていた六花に、隣のクラスの男子が声を掛けてきた。
同じ民話研究会に入っている鈴木だ。
鈴木は
「な、なんでもない」
六花は首を振ると玄関に向かった。
六花は教室で再度目を見張った。
弓の男の子が六花の隣の席に座っていた。
六花は窓際の列の五番目だった。
隣の列は四番目までしか無かったから
やっぱり転校生だったんだ。
嘘みたい、うちのクラスだなんて。
先生に紹介されるだろうから
ホームルーム中、六花は期待して待っていたが教師は何も言わなかった。
え……?
どうして転校生を紹介しないの?
他の
クラスメイトは誰も話し掛けてこないから教えて
休み時間、クラスメイト――主に女子――のお喋りに聞き耳を立てていると、どうやら
そんな訳ない。
隣の席の子を覚えてないなんて有り得ない。
それもこんな
そういえば一昨日、鬼から助けてもらったとき通りすがりの人達は鬼だけじゃなくて、この子達の事も見えてなかったみたいだけど、それと何か関係あるのかな。
でも今は
話の断片を総合すると彼の名は
卜部って名字だから頼光四天王にあやかって季武って付けたのかな。
『
それとも「けんこう」や「かねよし」より「すえたけ」の方が
六花は訳が分からないままクラスメイト達のお喋りに耳を
昼休み、クラスの女子のリーダー的存在の石川が取り巻きを引き連れて季武の横に
「季武君、お昼一緒に食べない?」
「
季武は冷たい声で石川にそう言い
石川がムッとした表情で
取り巻き達が口々に「感じ悪~い」などと言っていた。
六花は鞄から弁当箱を包んだランチクロスを取り出すと屋上へ向かった。
一緒に食べてくれる友達が
放課後、六花は急いで自分の教室へ向かっていた。
「遅くなっちゃった」
鈴木達と民話研究会で話をしていて時間を忘れてしまった。
民話研究会は一階の図書準備室で行われていた。
民話研究会に入るのは妖怪などに興味が有る子ばかりなので、六花が幼い頃に鬼を見たと言っていたと聞いても誰も気味悪がったりしなかった。
民話は大好きだし
六花は窓の外を見て溜息を
西の空は
鬼が見え
六花が鞄を持ってドアに向かおうとした時、季武が教室に入ってきた。
他に誰も
石川さんみたいに綺麗な子でさえ相手にされなかったんだから私なんか口も
六花は戸口で足を止めて振り返った。
「卜部君、昨日はありがとう」
「え……」
季武が戸惑った
「中央公園で助けてくれたでしょ」
「覚えてるのか? じゃあ、俺が昨日まで……」
季武は途中で言葉を切った。
最後まで言わなかったのは
やっぱり、いなかったんだ。
六花が頷くと季武は顔を
小さく舌打ちした
黙ってた方が良かったかな。
でも、助けてもらってお礼言わない訳には……。
「
季武が六花の方を向いて言った。
「うん」
六花は頷くと教室を後にした。
しかも二人だけの秘密まで!
刀の少年も
六花は飛び上がりたい衝動を必死で押さえた。
どうしよう、どうしよう、どうしよう!
ほんの
早く帰ってシマに報告しなくちゃ!
生まれて初めて鬼に感謝したい気持ちに
六花は母に頼まれていた買い物も忘れて家に向かって駆け出した。
夜、季武は
弁当に桜の花びらが落ちてくる。
昔なら風流で
名前が八重だったから庭に八重桜を植えて毎年春になると二人で眺めていた。
季武は弁当の上の桜の花弁を見た。
食っても死なないからと、おかずごと口に入れた。
「
貞光が言った。
「
季武が答えた。
当然、普通のイエネコではない。
ミケは
〝
異界にも人間界の生物同様、多様な生物種が有る。
人間界で人を喰った者は等しく討伐対象になる。
良く人間界に来て人を喰っているのは日本では「鬼」や「土蜘蛛」などと呼ばれる種族である。
季武達はそうした
「見付けたら捕まえて送り返せとさ」
貞光の言葉に、季武はどうでも
翌日の授業中、六花が隣を
私を見てるんじゃないよね。
季武が自分を見てるなんて
昼休み、六花は弁当箱の入ったランチクロスを持って立ち上がると屋上へ向かった。
屋上へ出て階段室の脇へ回った所で足を止めた。
横に緑色のエコバッグがある。
足音に気付いていたのか季武が
反対側も誰もいない
踵を返そうとした時、
「二人くらい座れるだろ」
季武が声を掛けてきた。
えっ!?
隣に座って
どうしよう、ホントに
一瞬迷ったが、こんなチャンスは二度と無いだろう。
怒られたら反対側に行けば
六花は思い切って隣に座ると膝の上でクロスを開いて弁当箱を開けた。
レタスの上に載せた鶏の唐揚げ二個に、プチトマト、それに春雨サラダとタコさんウィンナ。
食べようとして、ふと顔を上げると季武が弁当をじっと見ていた。
六花も弁当に目を落とした。
別に変なものは入ってないよね?
季武に目を向けると
六花の視線に気付いた季武が顔を上げた。
「
「うん」
食べたそうに見えるのは気のせいかな。
「あの、良かったら食べる? 口に合うか分からないけど」
勘違いだったりしたら恥ずかしいと思いつつ訊ねた。
「
「うん! 食べて!」
季武の返事が嬉しくて勢いよく弁当箱を差し出した。
「じゃあ、
季武がエコバッグを六花に渡した。
「ありがと」
六花がバッグを受け取って中を見ると大量のパンが入っていた。
「これ、夕食の分も入ってるの?」
「え?」
弁当を食べようとしていた季武が
「昼の分だけだ」
男の子ってこんなに沢山食べるんだ。
六花はカレーパンを取りだして袋を開けると一口食べてみた。
「あ、おいし。一度食べてみたかったの」
そう言って季武の方を見ると、もう弁当を平らげてしまっていた。
「それだけじゃ足りないでしょ。私は一個で十分だから」
六花は残りのパンを季武に返した。
「
季武もそう言って弁当箱を返してきた。
どうしよう、聞いてみようかな。
怒られるかな。
六花は弁当箱を受け取る時、
「いつもパンなの?」
と訊ねた。
「普段は弁当だけど今日は売り切れてた」
「じゃあ、
季武が六花を
返事が返ってくるまでの短い間、六花の心臓は胸を突き
「
季武の言葉に六花はホッとして胸を撫で下ろした。
「うん!」
良かった、怒られなかった。
六花は弁当箱をクロスで包むと季武の邪魔に
「お前、
立ち上がり掛けた時、季武が前を向いたまま言った。
「けん、き?」
「鬼、見えるだろ」
〝
「暗示に掛からないって事は
「ううん、普通のサラリーマン。ね、どうすれば鬼を倒せるの? 倒せるようになれば怖くなくなる?」
六花は季武の横に膝を
「普通の人間には無理だな。
「そっか、残念」
「
『同じ異界の者』と言う言葉を指してるのは
「季武君は怖くないから」
しまった!
名前で呼んじゃった!
怒られるかと思って身構えたが季武は気にしてない
「家は? 陰陽師じゃないなら
「無いと思うよ。だから前は鬼がベランダにいる事もあったし」
「前は?」
「うん、猫を飼い始めたら出なくなったの。鬼って猫が苦手なの?」
季武は
「いや」
と答えた。
二人の会話は
六花は夢見心地で廊下を歩いていた。
足取りが弾みそうに
嬉しい、嬉しい、嬉しい!
きっと今、足が床に付いてない。
今なら空も飛べる!
季武君にこれから毎日お弁当食べてもらえるなんて!
顔がニヤけてるのは分かっていたから
季武君は沢山食べるから多めに作らなきゃ。
今日は唐揚げやウィンナだったから明日はお魚にしよう。
サラダはポテトサラダで
ご飯は
失敗しないように慎重に作らなきゃ。
教室に入り机に弁当箱を置いた時、ケースの中で箸がカタッと鳴って六花はハッとした。
お
季武君が使ったんだった!
季武君が使ったお箸。
このまま一生洗わないで飾っておきたい!
でも、カビが生えるよね。
つい冷静に現実的な事を考えてしまった自分を
とは言え季武が使った箸にカビが生えたり変な臭いがしたりするのは
あ、季武君の分のお弁当箱も買わなきゃ。
いっぱい食べるみたいだし、うちにあるお弁当箱じゃ小さいよね。
早く家に帰ってシマに報告したい!
午後の授業はずっと上の空で気付いたら放課後だった。
「如月さん、今日民話研究会に出る?」
六花が帰り支度をしていると、鈴木が廊下から声を掛けてきた。
「あ、鈴木君、ごめんなさい。今日は用があるの」
六花の返答を聞くと、
「そう」
鈴木は残念そうな顔で行ってしまった。
魚は
だから上手く作れる自信がない。
かと言って
「こんなに作ったって食べきれないでしょ」
と母に言われたが
明日の分の弁当の
六花がベッドに飛び乗るとスプリングと一緒にシマが弾んだ。
六花はシマを
シマが嫌そうな顔で六花を見た。
「シマ! ね、聞いて! 明日から季武君にお弁当作ってあげる事になったの! あ、季武君って言うのは――」
六花はシマに季武との
「美味しくなかったら作ってきて
六花はシマの背に頬ずりした。
「シマ~。嬉しいよ~」
シマは我関せずと言った表情で
お料理を教えてくれたお母さん、ありがとう~!
六花は心の中で母に礼を言った。
迷惑顔のシマを抱き
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