第2話みつき


「ぷはー やっぱいつ食べてもここの醤油ラーメンはサイコーだぁ」


敦史は部活終わりの高校生のような勢いでラーメンをすすった。「追いニンニクしよーっと」とニンニク容器の蓋を取るついでに隣りに座るケイをちらりと見てギョッとした。


「と・・トオル・・」


高校の時に同じ軟式野球部だったトオルがそこに居た。よく共にラーメンをすすった仲なのだ。しかしここに本物のトオルが来たらどうその場を切り抜けたら良いものかと、敦史はいつか来るかもしれないピンチの対処法をスープを飲みながら考えた。それと共に生身の人間ではないケイが食べたものはいったいどこに行くのだろうかと喉の動きを観察していた。そしてついには後者の方が気になりケイに聞いてみた。


「さあ 自分でもわからない」


ケイの不可思議な体の構造はケイ自身にも不明ということだった。ケイが現れてから敦史はその行動を観察していたが、ケイは未だトイレへ行ったことがないのだ。排泄をしないということは食べたものは体内で消えてしまうのだとあり得ないことだが、数々のあり得ない現象を目の当たりにしていたため、「消えてなくなる」というのが最も納得のいく結論だった。


「ケイ、ラーメンおいしい?」


敦史は、ケイの味覚はどれほどか確認してみた。


「敦史、これおいしいんだろ?だからおいしいってのを今インプットしてる。」


「おぉっ」


映画などで見るアンドロイドの言いそうな言葉に敦史は感動した。一方でケイの味覚は自分次第ということに多少の責任を感じた。


久々に会うトオルは、敦史の記憶の中のトオルなので当然ながら昔のままだ。敦史は懐かしみながらトオルの姿のケイに高校時代はこんなことがあったとか良いこと嫌なこといろいろと一方的に話した。当然だが偽物のトオルと話しても張り合いはない。だがケイはどうなのだろう。張り合いどころか何もかも知らないことだらけで何に興味があるとかもなくただ敦史と同じことをするだけで、そこに感情はない。敦史次第でころころと姿が変わり、自分というのが何なのかも定まらない。そう考えると敦史はケイを不憫に思えてきた。敦史のこれまでの人生は冴えないものだったが様々な経験を経て思い出はそれなりにあるし、感情も人並みに備わっている。ケイはこれから・・・


「さっきから何だよ 私の顔に・・」


敦史は咄嗟にケイの口をふさいだ。


「トオルは自分のことを(私)と言わない。いいか、ケイ、見た目が男だったら(オレ)か(ぼく)だ。女の場合は(私)だから、覚えておいて」


ケイは口を覆う手のひらをペロンと舐めた。

トオルに手のひらをなめられて敦史はゾワッと鳥肌がたった。どうせなら波原ユイの姿の時にしてもらいたかったとタオルで手を拭きながら残念に思った。


「おぉー!敦史じゃね?」


聞き慣れた声が敦史の脳に飛び込んできた。瞬時に脳内に危険を知らせるサイレンが響き渡った。


「まずい!トオルだ・・!」


敦史はメニューで顔を隠した。


「おい、敦史だろ?久しぶりじゃーん、あれ?連れがいるの?」


「マズイマズイマズイマズイ!!他の人、他の人ーー!!」


敦史はフルパニックでごにょごにょ呟いた。


「あ、彼女?悪りぃ邪魔したねー んじゃ敦史また連絡すっから!」


「彼女」と聞いてケイの方を振り向くとどこかで見たことのあるような女性が居た。「セーフ!グッジョブ俺!」と心の底から安堵し、問題が起きる前に店を出た。ところで誰だったかな、と周りを見ながら敦史の脳内人物図鑑をペラペラとめくっていると、再び脳内でサイレンが響いた。


「木更津みつきだぁぁぁ」


姿が変化することで周囲がざわつくのを恐れ、外に出るときは黒い帽子を深めに被るようにしているケイだが、売れっ子タレントの木更津みつきに姿を変えた今、それは逆に芸能人である疑いを招くようなものであった。「なぜだぁ・・」と嘆く敦史はラーメン屋の店内にチューハイのポスターが貼られていた記憶が甦り、「んあ”ー」と野太い声を発した。そのチューハイを手にして笑顔を輝かせていたタレントこそ今隣に居るケイ扮する木更津みつきなのだ。これはまずいことになったとアワアワしていると、「オイッ」とケイの肩をガシリと掴む者がいた。


「みつき!探したぞ!」


周囲の目を気にして小声だが怒鳴った雰囲気を出している。当然いま旬の有名人のことなんて、ましてや有名人が街中で顔がばれないように変装しなくてはならない理由なんてのもケイは知るはずもない。本来なら見知らぬ人にいきなり肩を掴まれたら驚愕したり嫌悪するのが普通だが、普通がどんなことかも分からないケイにはどんなことも普通なのかもしれず、事実このような状況下で少しも動揺していない。


「次の撮影まで時間がないんだ。いくぞ」


ケイはいま人気タレントの木更津みつきで、仕事のスケジュールのことでみつきを連れ戻しにきたこの男は木更津みつきのマネージャーといったところか。そもそも撮影があるのにこんなところに木更津みつきがうろついているなんてどういうことなのか。「みつきのみっつキッスで元気満タン」というフレーズでエナジードリンクのCMをやっているみつきの笑顔の裏側は逃げ出したいほどの疲労に襲われているのかもしれない。そんなことを考えている間にケイはされるがままマネージャーらしき男に連れられていった。ケイが木更津みつきである以上、敦史が連れ戻す理由が見つからないため、ケイが現れてからの最大のピンチになす術もなく2人の後ろ姿を見送るしかできなかった。


「短い間だったなー・・」


妙に落ち着いている敦史だったが、ケイが入れられていた箱の中に同梱されていた手紙が頭をよぎった。


(誠意をもって共に過ごされることをお約束ください)


誠意?誠意とはなんだ?ケイに対しての誠意か?今のこの状況は誠意をもっているというのか?

敦史は陰キャのようにぶつぶつと呟きはじめ、頭の中を回るケイを追いかけていた。敦史の周囲の人間が、霊に憑依されたかのような敦史に最大限の警戒をしていたことにその後、警察官に「大丈夫ですか」と訪ねられた時まで敦史は気づかなかった。

ケイは今まで敦史の傍を離れたことがない。ケイの姿が変わるのは敦史だからなのか、傍にいる人間なら誰からでも影響を受けるのだろうか。ケイは今、木更津みつきのままなのだろうか・・・。


「考えても見つからない答えは、この目で確認するしかない!」


煮え切らない男の目が光を放った瞬間、「行き先はケイ!ぬおおおー・・」と人気アニメ映画のネコ型のバスになったかのように人混みを走り抜けた。

走りながら敦史の脳内センサーが反応した。人気のないベンチに座るひとりの女性にロックオンした。帽子を深々とかぶりサングラスをしている。今は曇っていて日は出ていない。敦史の足は女性の方に向いた。


「あのぉ・・」


女性はビクッとしたようだった。

敦史は変態的な眼差しでサングラス越しの目を観察し、確信してたずねた。


「木更津みつきさん・・ですよね?」


敦史は相手の返事を聞かぬまま話始めた。


「撮影、いいんすか?」


みつきはうつむいたままで敦史を無視していた。


「ぼく、芸能界の裏事情知らないっすけど、いつも元気でいるって疲れますよね、ぼく一般人でみつきさんほど疲れてないですけどいつも元気に、なんて無理っすもん」


無言のみつきに敦史は話続けた。


「ぼく、みつきさんの変わりに撮影いきましょうか!」


いやいやいや性別ちゃうやん!見た目ぜんっぜんちゃうやん!と心で自分にツッコミを入れてみつきの方を半笑いで見たが、芸能人とおしゃべりして浮かれている敦史とは裏腹にみつきの表情は依然として曇っていた。


「あ、スミマセン。こんなバカげた事言って笑えるような心境だったらマネージャーさんから逃げたりしないっすよね・・」


「逃げてなんか・・!!」


敦史のどうでもいい話に無視を徹していたみつきが勢いよく否定した。


「あ、なんかゴメンナサイ、何も知らないのに無神経なこと言って・・」


敦史は決まりが悪そうに頭をポリポリと掻いた。そしてケイを連れ戻すという任務を遂行するべく、本物のみつきの前から何事もなかったかのように立ち去ろうとした。


「ちょっと!」


元気のなさそうだったみつきとは打って代わって強めの口調で敦史を呼び止めた。


「あなたさっきから何なの?私を諭そうとするなんて。私のことなんか何一つわかってないくせに。勝手にマネージャーから逃げたなんて失礼なこと言わないでくれる!?」


ドラマのワンシーンなんじゃないかと思わせるほどのキツイ言葉と目つきに敦史はクラっとした。


「オコなみつきちゃんもカワイイ~」


みつきの真剣な怒りがキモ敦史によって中和され、さらには身の危険を感じたため怒りは一旦封印して、みつきはマネージャーに連絡をとった。


「は?撮影中!?私抜きで?」


みつきの電話の受け答えから推測して、ケイはまだみつきの姿のままであると確信した敦史は[2人のみつき!?]という見出しでケイがマスコミに囲まれてしまう事態を想像した。ピノキオ社からの約束事一覧から、みつきのそっくりさんとして芸能活動をさせるわけにもいかず、また世間をいたずらに騒がせるのは良くないと変態キモ敦史はまともな結論を出した。

みつきの後をつけていき、撮影現場に到着寸前でケイを回収するという大雑把な計画を立てた敦史は、まるでどこかのRPGのようにみつきのすぐ後ろに付いて移動した。みつきは事態が飲み込めない焦りとともに真後ろから感じる敦史のなまぬるい息に気分が冴えなかった。ケイの身の上を心配しつつみつきの色っぽいうなじに見惚れて興奮気味の敦史は危うく本来の目的を失いそうになった。

撮影現場のスタジオ入り口まで来たところで「ちょっとキミいい?」と敦史は腕を掴まれ、木更津みつきから引き離された。


「みつきちゅわ~ん・・」


手を伸ばしたがみつきは振り返ることなく建物内へ入って行った。


「キミ、さっきの人とどういう関係?名前は?接近禁止命令出てない?」


敦史に尋問し、ストーカー扱いをしているのはもちろん警察官だ。敦史はみつきのうなじで頭がいっぱいだったが容疑をかけられた今ようやく艶っぽいまどろみから目が覚め、ケイの身の上を心配した。


「あ、ぼくストーカーじゃありませんから、ご心配なく!」


そう言いきってみつきの通った入り口へ向かおうとしたが、


「キミね、ストーカーの言う、ぼくストーカーじゃありません、なんて言葉だれが信じるのよ?はい、名前と住所言って。」


「何気にピンチじゃん、ぼくぅ」とそわそわし始めたその行動がさらに一層犯罪の匂いを醸し出した。


「じゃ、ちょっとこっち来てよ、話聞くから。」


敦史の腕をさっきより強く掴んだ警察官は近くの交番まで敦史を引っ張って行こうとした。


「ちょ、ちょ、ちょ、待って下さい、本当なんですって・・」


敦史、絶体絶命のピンチ!と脳内でナレーションをした敦史の横から「敦史!」とケイの声が聞こえた。「助かった!」とケイに抱きついた敦史はその体格の良さに一瞬止まった。


「ケイ?」


見上げた顔は木更津みつきではなく、さっきまで敦史を容疑者扱いしていた警察官だった。


「うわっ!!」


ゾッとした敦史は抱きついた事を深く後悔した。と同時に本人の目の前で本人登場というあってはならないシチュエーションに心の中で白旗をあげた。[2人のみつき!?]ほどは、世間を騒がす影響力はないにしても容姿が変幻自在なケイの存在が第3者に知られてしまうというのはピノキオ社からの約束事に違反してしまうのだった。


(貴方様だけで密かにお楽しみくださいますようお約束ください。)


もし約束に違反してしまったらどうなるのか、取り扱い説明書の殆どを読んでいないために今のこの状況が実刑なのか執行猶予がつくのか、はたまた無罪か、判断できなかった。

そもそもどうしてピノキオ社が敦史の元にケイを送りつけたのか・・・

ケイが現れてからのモヤモヤに今このピンチの時に気になり始めた。


「ピノキオ・・確かピノキオってじいさんが作った人形だよなぁ ひとりで寂しいから作ったとかだったよなぁ・・てことは何か?ぼくがボッチな寂しい人間だからってことか?ボッチ=寂しいとは限らないけどな、ふふっ」とボッチが独りの世界に入っているところ、「キミ、大丈夫?今日はとりあえず帰っていいから、はい、これキミの人形でしょ?」と青年男性には不釣り合いの人形を敦史に手渡し警察官は首をかしげて去っていった。


「え、これ、ピノキオ?」


敦史が抱えているその人形は物語でお馴染みのピノキオの姿をしていた。


「これはこれで助かったけど・・ケイ、人形になっちゃったね。家に帰ったらまた話せるようにするから、今は安全にこのままにしとくよ」


敦史は腕の中のピノキオの人形にそう話しかけ、頭をなでながら「ピノキオ・・ピノキオ・・」と絶えず呟き家まで歩いていった。

その間、周囲からの白い目も絶えることがなかったのは言うまでもない。

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