禁煙前の煙草
今は一人で出歩いてるのに?子供がお化けを怖がるような、甘えた声になる。
「安楽椅子探偵って聞いたことある?」
「はい」
即答だった。
本は読むのかもしれない。
「今書いている小説の主人公が、寝たきりの女の子なんだ」
「その子ひとりで謎を解くんですか」
俺が小説を書いてるのを意外に思わないのは、直接会ったことがないから。
「いや親友の女の子と二人で」
「面白そうですね」
暗い部屋を照らす、明るい声だった。
新人賞を取った後、鳴かず飛ばず。
二作目は売れなかった。
この三作目が売れなければ、きっと見限られるだろう。
初めて出版された本は女子高校生が探偵役だ。助手の男が振り回されるというミステリー物を書いた。
年齢が上がってくると、高校生を探偵役にするのはどうしてもきつくなった。
本業の仕事は、疲れた人間相手に働く。鏡を見ているようなものだ。若いころの気持ちなんて、どこにも残っていない。昔は将来を悲観したことはなかった。
デビューする前に読んだ本が、いまだに本棚に収まっている。少女漫画も小説もあった。
女の子向けとか、正直どうでもいい。心理描写が面白く、ミステリーならなんでも読んだ。
男らしく、女らしく。家で言われてきたことだ。両親はそれが正しいと思っている。
俺の本棚にある漫画を見れば、下らないと言ってケチをつけるだろう。
「バカみたいだと思うけど諦めたくない。
売れない小説なんか書いたところで何の役にも立たないんだけど。もうやめてしようと思うのに今も書いている」
相談される側がこんなこと言うのはおかしい。自分でも笑いがこぼれた。
「誰がそんなこと言ったんですか」
地を這うような怖い声で尋ねてくる。
「まあ、いろいろだよ。実際売れてないから言い返せないし」
「私、ひどいこと言う人嫌い」
『俺、お前みたいなやつ嫌い』
いつだったか、そんな言い方をされた。
山浦和哉。
思い出した。
三年の時に同じクラスになった。
アイツがこのゲームを始めたんだ。
そういえば初めは悪ふざけだった。ただ、高校を卒業しても続いた。大学に入っても、どうやってか番号を調べてかけてきた。それで、仕方なく固定電話の番号も教えた。
いつだったか、山浦と本田さんが付き合っているとか噂が流れた。本当かは知らない。でも、だろうなと思う自分がいた。
「親戚の病院はどう?」
忘れてたなんてどうかしてる。山浦の親は医者だ。あといくつかヒントが欲しい。
「さすが平岡さん。おかげさまで順調です。母は経営のことで毎日頭がいっぱいみたい」
山浦のいとこか姪か。
話しながら煙草を吸うというのもよくない。
ただ吸わずにいられなかった。
火をつけて、一息吸い込む。
「勉強しろってうるさいの。本も読んじゃダメって」
思わず笑ってしまう。
「禁止したのに、娘が小説家と深夜に電話するようになるなんて」
息を吐くように笑い声がこぼれた。
「おかしな話ですよね」
確かに面白いけど、他人には言いたくない話だ。
「売れることが大事なのわかります。でもそれだけじゃない」
半分独り言のようだった。
「平岡さんの本を読むと、私どこでも行けるって気持ちになるんです」
本当にそう思うなら、明るい時に外へ行きなさい。
「作家さんってお店屋さんみたいですよね。いろんな商品を並べて売る店長さん」
じゃあ、俺が売ってるものは何だ。いつも売れ残る。
「平岡さんのお店は花屋さんかな」
別に恋愛要素はない。
「花屋?」
どこかで聞いたことがある話だ。
「いつも女の子がキラキラしてるから。頭が良くて可愛くて勇気がある子」
「それは光栄です」
ふざけて返すしかなかった。煙草の灰を、チョコレートが付いた皿に落とす。
「本当に花みたい。謎が解ける時は悲しいから。枯れる時に似てる」
電話の向こうから、物音がする。
「家に戻った?」
「はい。何でもいいから話して」
子供のような言い方になる。山浦はこの子が心配じゃないのか。
「祖父母の家は、東北の田舎で。よく夏休みに泊まりに行ったんだ。夜は涼しいからって、窓を開け放つ。扇風機だけで寝てた。田んぼもないような山奥なのに、雨が降るとカエルの鳴き声がした。鈴虫の声がうるさいくらいなんだ。でも数日たつとなれる」
返事がない。もう眠くなったのかもしれない。
祖母も煙草を吸っていたな。毎晩晩酌をする人で、祖父は下戸だった。漫画を読んでいると、本を読めってうるさい人。
「どうして私の電話に付き合ってくれたの?」
聞き逃すかと思った。まだ起きていたらしい。
「電話は零時までにしなさい」
「シンデレラみたい。零時を過ぎると魔法がとける」
「そうだね」
たいていの女の子は、シンデレラだろう。
「どうして優しいの?」
「お嬢さん、もうおやすみなさい」
「森のくまさんみたい。ピアス買ってくれますか?」
「そこはイヤリングだろう」
「ピアスはかわいいのが多いから」
年相応なのか、女の人は可愛い物が好きなのか俺には分からない。
「ピアスホール開けてくれませんか」
「皮膚科に行きなさい」
絶対に俺はやらない。怖いだろ、穴開けるなんて。
「原稿を書いているの、見に行ってもいいですか」
「無理」
「弦の恩返しみたい」
「ああ、そうだな。見られたら困る」
「どうしてこんなにたくさん話せるのかな」
換気扇をつけ忘れていた。煙を手で追い払って、スイッチを押す。
「がらがら声の男なんて信用しない方がいい」
がらがら声の狼。七匹の子ヤギを食べにくる。吸いかけの煙草を皿に押し付けて、火を消した。
「平岡さん知らないんですか?ちょっと悪そうな男の人の方がモテるんですよ」
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