真夏のブレンドコーヒー

 アイスは最初と最後の一口が美味しい。次は、ソーダ味のアイスを買おう。木の棒をゴミ箱に放り投げる。

「いいえ、はい、あの、プールとか水着を着ないって出来ないんでしょうか」

 急に話題が変わる。ただこのゲームではよくあることだった。

 一応ルールらしきものはあった。夜明けまでに相手の正体を答えられなければ、俺の負け。

 挑戦者は、俺にキーワードを言わせれば勝ち。そのために、話題を変えて、誘導する必要があった。

 まあ、そのルールも最近はほとんど守られることはなかった。

「全裸はまずいでしょう。着たくないなら、入らなきゃいいんです」

 全然ウケない。いつもなら、くだらないことを言うと笑いが起こるはずだった。高校の頃は、何を言ってもウケたし最近は酔っ払いが多かったから笑いが取れた。

「人に体を見られたくないんです」

「見せなきゃいいんじゃないですか」

 心の底から嫌そうに言う。さすがにおかしい。電話相手の言い方は、演技にしてはうますぎる。

「そんなことできません」

「できますよ。誰もあなたに嫌がることを強制なんてできませんよ」

 出来るだけ優しい言い方をしてみる。もしかして「本物の」間違い電話なのか。

「私は嫌なんでしょうか」

 

 今回は俺をイラつかせる目的なのかもしれない。相談をしてきたわりに、他人事のような言い方だ。

「少し待っていただけますか。今コーヒー淹れるので」

 また沈黙だ。それもそうか。『コーヒー淹れるから待て』だなんて。

「コーヒー、お好きなんですか」

 不意打ち。違う文脈でも好きとか言うなよ。自然な言い方が余計に恥ずかしい。

「はい」

 返事がかなりぎこちなくなった。客観的に見て、今の俺ってかなり気持ち悪いか?

 落ち着くために、コーヒーフィルターをいつもの黒いマグに準備する。

「お待たせしました」

 右手でやかんを持ち、最初のお湯を注ぐ。

 エアコンの効きが悪い部屋に、香りが漂う。

「先程から、相談を受けているのに下らないことばかり言って申し訳ありませんでした」

 数秒たってから、二回目のお湯を注ぐ。

「俺はいつだって適当なんです」

「そんなことないです。断ってもいいって言ってくれたので」

 小声なのに、目が覚める。いつまでも聞いていたい。囁き声なのに、耳に残る。

 淹れ方が下手でも、ドリップコーヒーは出来上がった。

「失礼ですけどおいくつですか」

 嘘をつこうと思ってやめた。本物だろうが、ゲームだろうが同じことだ。

「今年で三十一です。ところであなたは?」

いたずら電話にしてはおかしい。想像上の人物になりきっているようには思えなかった。

「私は十七です」

「十七!?」

 これはまずい。万が一でも、間違い電話で女子高生と長々と話すのは良くないだろう。例えそれがネタになるとしても。

 バレなければ、面白く女の子と話せるのはいいだろう。

 ただ「若い女の子」に十七歳を入れるのはおかしい。せめて二十歳は過ぎていてほしい。

「あの、もしかして間違ってかけていましたか」

 相手が焦っているのが分かる。ただ俺の心臓の方が、破裂しそうな勢いで動いていた。

「もしかしなくても間違いだよ」

 背筋を冷たい汗が滑り降りる。

「それじゃ、子供は寝る時間だ。おやすみ」


 電話を切ろうとしたのに、一瞬遅れた。

「もう少し話してもらえませんか」

 部屋は深夜のせいか、怖いくらい静かだった。電話越しの声がいつもより大きく響く。

「俺が同年代ならまだしも。三十過ぎのおっさんはこんな時間に女子高校生と電話しないんだよ」

 背中にまた汗をかき始める。ただ電話をしているだけなら問題ないのか。だいたい、なぜ人の番号を知っているのか。

「タケかマサに聞いたのか?」

 思わず会話を続けてしまう。

「あの、こちらは県の相談窓口じゃないんですか」

「残念ですが、間違いです」

 どう考えても、電話番号は似ていない。この番号に、間違い電話なんて、一度もかかって来たことはない。とにかく落ち着こう。まだ大丈夫。

 コーヒーに口をつける。苦味が広がった後に、ほんのりと酸味を感じる。

 確かに、知り合いに高校生はいる。

 正確には高卒の子だ。建築関係で働いているので、たまに高卒が採用される。

 ただ個人的なことは話さない。たいてい聞き手に回る。

 だいたい家電の番号を教えるような相手はいなかった。

 とすると、高校の同窓生に限られる。

 昔からの知り合いで、未だに電話ゲームを続けている奴は数人だ。

 妹がいるやつはいない。はずだった。俺の記憶が間違っているのかもしれない。

 いつのまにか午前二時になろうとしていた。

 卒業アルバムにメモが入っている。

 本棚の端から引っ張り出すと、自分のクラスを探す。

 並んだ写真を見ても、すぐに記憶は甦らない。

 委員長だった本田さんが目に入る。肩の長さで切りそろえられた髪は、少し茶色い。

 美人でテニス部だった。それだけか。他にも何かあったはずだ。


「では、どうしてお話しして下さったんですか」






 

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