風呂上がりのチョコレートアイス

 シャワーを浴びて、タオルで拭くとようやく涼しくなった。

 よれよれの半ズボンをはくと、冷蔵庫からアイスを出す。棒付きの、チョコレートがけのバニラアイスだ。一口かじると甘くてうまい。

 固定電話が鳴る。以前のように誰かがかけてきたのだろうと思って、一瞬迷う。 

 かじったアイスを見て、子機に手を伸ばす。

「はい、二階堂です」

 本名は平岡だったが、深夜の電話なら偽名で出る。相手は何も言ってこない。

 無言電話か。どうやり返そうか考える。とりあえずアイスをかじると歯にしみた。

「あの、こちらでは何でも相談して大丈夫なんですよね」

 こんなに甘い声を聞いたのは初めてだった。声は口の中のアイスより儚く消えた。

 若い女の声だ。優しい声なのに緊張して、小声になっていた。きっと笑い声も綺麗に決まってる。

 俺の頭はどうかしてるらしい。ガキの時だってこんな妄想をしたことはない。


 論理的に考える必要がある。

 友人の友人の友人という、ほとんど他人から電話がかかってくるというふざけたゲームがあった。

 最近もたまに。運よく副業をしていて、気が向けば電話に出ていた。

 相手は酔っ払いの外交官とか、離婚した警察官という設定だった。

 それで俺を驚かすという遊びだ。今回は相談女の設定らしい。

「もちろんですよ。秘密は誰にも漏らしません」

 固定電話があるのは、副業を始めたときにファックスを使うかと思って買ったのだ。今思えばメールで十分だった。まあ、あの時は念願の職に就いたという浮かれた気持ちで買ったのだった。

「本当に何でも大丈夫なんですよね。困ったことがあって、誰かに聞いてもらいたかったんです」

 こんなに遠回しなのは初めてだ。大抵の奴は、俺をからかうために台本でも用意してきたかのような話し方をした。

「私は聞く事しかできませんよ。まあ、もし良かったら何か私に質問してみてください」

「私があなたに質問するんですか」

 急に声が大きくなる。よほど驚いたらしい。

 意外と声が低い。

 この人、ラジオのアナウンサーに向いてるな。高校の時、英語のラジオ講座を聞きながら勉強していた。

「あなたはずいぶん話しづらそうでしたから。言いにくいことがある時は、相手に何か話させるといいんですよ」

 適当なことを言う。相手に話させないと意味がなかった。

 友人との遊びでは、電話をかけてきたやつの正体が分かったら、メールか電話で答えと感想を言って終わりにする。


 まあ、深夜ということでエロネタを使ってくることは過去にもあった。ただ、ほとんどの場合は泥酔した奴が武勇伝とか自慢をするというパターンだった。

正体を見破るのは簡単だ。友人の名前や、店名、地名から推理する。

「何に困っているんですか」

「食事のことなんです」

  わりとひねりのない設定だ。しかも食事に困るってことは、金がないって意味か。

「周りからもっと食べろって言われるんです」

 電話の子機を左手にしたまま、お湯を沸かす。

「そうですか。じゃ、食べなきゃいいんじゃないんですか」

 電話の向こうは黙ってしまう。別に、買えなくて困っている訳ではないようだ。

「でもしつこく言ってくるんです。食べなきゃいけないって」

 今になって気づいたが、女の声はだいぶ若い。俺と同年代でかわいくしゃべったとしても、声をごまかすには限度がある。

「自分のことは自分がよく分かるもんですよ。あなたがお腹を空かしているって勘違いしてる人は、なんでそんなこと言うんでしょうね」

「それは心配して」

「そうでしょうか」

 今回はどんな方法で人をからかうつもりなのか見当もつかなかった。まるで真剣な相談をしているようだった。

 アイスを皿にのせる。

 お湯が沸いたので、右手と口でワンドリップコーヒーの袋を開ける。

「でも実際私はあんまり食べないから」

 全然食事をしない人間の話も面白い。もしかしたら、狸か狐が人間を化かす話かもしれない。


 アイスを持ち上げると、チョコレートが模様を描いた。

「いつ何を食べたらいいのか悩むことだってあるんです」

「それは大変ですね。俺なんか今アイス食べてますよ」

 実際、相手がしゃべっている間に食べている。よく考えれば失礼な話だ。ただ、食べ始めたのと電話がほぼ同時だから仕方がない。

「今ですか?」

「まあ、こんな時間に食べるのは健康によくないですが、うまいんで。風呂上りに食べるアイスは」

「今、お風呂入っていたんですか」


「はあ、いけませんか」

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