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 餌付けはすぐに完了した。


 戸川の体は兵器であるので、国からそざかしうまい飯でも食わされているかと思えば、ほぼ注射による栄養摂取のみなのだそう。パンを与えると、戸川はうまそうに貪り食った。


「あぁ、人間だってこと、思い出した」


 生き残りに配給される缶詰パン。うまくもないそれを食いながら、戸川は満足そうに言った。


「これさ、妹と避難してるってことにして、余分に一個もらってるんだ。だから遠慮なく食え」


 戸川は、ふぅん、とどこか挑発的な顔をした。それから罵るように笑って言う。


「図太い生き残りめが」


 餌付けられているとも知らずに、なかなかに生意気な奴だった。


 戸川が救世主の一人に選ばれた理由は、背骨が戦闘用として合致したから、だそうだ。

 この惨状のそもそもの始まりは西方面の国。生物兵器開発における有毒物質が海へ流出し、海洋の脊椎動物を大量に死滅させた。それと同時に無脊椎動物の変異的進化と爆発的増殖を引き起こしたのでさぁ大変。奴らは地球上すべてを飲み込む算段らしく、巨大化した体で海面ごと陸地へと進出、生息域の拡大を続けている。迷惑な話だ。

 極東に位置するこの国が、奴らにとっての最後の攻略域となったらしい。人々は上昇する海面から逃げつつ、同時に迫りくる無脊椎動物へと持ち得る限りの兵器で応戦した。いよいよそれも尽きた頃、最終手段として現在の戦闘方法に辿り着いた。

 無脊椎動物と戦うには、人間の、脊椎動物としての部位で挑むしかないというわけらしい。そのための背骨で、そのための救世主。


 俺は近隣の生き残りと共に学校の校舎に避難している。巨大な中高一貫校は五階建て。高台にあるとはいえすでに一階は水没した。避難者の混乱はすでに憔悴へと変わり始めている。

 通常なら立入禁止のそこに俺が忍び込めたのは、職員室から鍵を盗み、だいぶ前から出入りしていたからだ。まさかここから滅亡の危機に瀕した街を見下ろすことになるとは夢にも思わなかった。


 戸川は戦闘の合間を縫って俺のいる屋上に降り立った。怪我をしている時もあったが、いつも俺の前では平気そうな顔を装った。

 なかなかに見栄っ張りであるらしかったので、俺は奴の頑張りをいちいち称賛してやった。やりすぎると鬱陶しそうな顔をするので、うまいこと加減した。そうしてよき友達として振る舞った。


「焼肉食いてぇなぁ」

「俺はカレーかな」

「いいねぇ。あと、唐揚げ、とんかつ、ステーキ」

「肉ばっかかよ」


 なんでもない会話で、戸川はよく笑った。


 人類VS無脊椎動物の戦況としては芳しくなかった。戦いに挑む背骨合致者たちは次々と無脊椎動物に食い千切られ、あるいは絡み取られ、海の底へと沈んでいった。なんとも無惨なそれを、俺は屋上から何度か目の当たりにした。


「次あたり俺かもね」


 ふとしたタイミングで、戸川は弱音を吐いた。国の基地へと帰還すれば正しく処置をしてもらえるようで、頭にはしっかりと包帯が巻かれていた。そこに血が滲んでいて、戸川の手がわずかに震えているのを、俺は見逃さない。


「大丈夫だって。お前は大丈夫なんだ。俺が言うから間違いない」


 多少乱暴に、戸川の丸まった背中を叩いてやる。いてぇ!くそっ!などと言っているうちに、戸川の震えは治まる。


「大丈夫。お前は死なない」


 根拠はない。しかし、友達の俺が言うのだから間違いない。俺はそれを目で伝える。

 戸川はまともな奴なので、友達からの真っ直ぐな視線をちゃんと真っ直ぐに受け止める。そして自身の宿命を受け入れた救世主の顔つきへと戻り、また出撃し、ちゃんとぶっ殺し、帰還していく。それを繰り返した。


 しかし人類はいつまでも劣勢だった。海面の濁りが増し、校舎が二階まで水没した頃、戸川はこれまでになくでかい無脊椎動物から攻撃を食らい、無様に逃げ帰ってきた。


「死ぬ、だめだ、もう死ぬんだ……」


 悲惨な戦況になるにつれ、持ち前の見栄っ張りも発揮できなくなることが増えていった。恐怖心を苦しげに吐露する戸川の背中を、俺は躊躇なく蹴った。


「酷い状況だってことはわかってんだよ。そういうこといちいち吐くならもう来るな。気が滅入ってこっちが死にたくなる」


 蹴られた戸川はコンクリートの上に倒れたまま、それでも俺を睨み付けた。


「なんだよ。死ぬんだろ? 今死ぬって言ってただろうが。いいだろそれで。お前がいいならそれでいいだろうが」

「……うるせぇな、うるせぇ! うるせぇんだよ!」

「お前がうるせぇ。口ばっかかよ」


 しゃがみ込んで、戸川を覗き込む。


「こんなとこで死ぬの? 違うよなぁ。違うだろ?」


 それは脅迫で懇願で激励だった。戸川はくっと唇を引き結び、奥歯を噛み締めた。

 適度に煽れば、戸川は応える。それをかわす狡猾さもなく、打ち砕かれるほど柔でもない。俺は正しく戸川を読んだ。あらゆるやり取りが駆け引きだったが、俺は常にそれに勝ち続けた。


 その翌日、戸川はお土産を携えて屋上に降り立った。切り落とした巨大な無脊椎動物の足を一本、俺の方に投げてよこした。


「文句ねぇだろ」


 勝ち誇った顔の戸川。俺は大笑いしてしまった。


「よくできました、だな」


 気持ち悪い足の代わりに、俺は缶詰パンを投げる。


「なんと、今日はくるみ入りだ。喜んで食え」


 本当に喜んで食う。飼い慣らし甲斐があるというものだ。


 そういう段階を、俺は戸川にひとつひとつ踏ませていった。着実に、戸川の中にある俺の存在を大きくしていく。戸川は俺に操作されているとも知らず、俺を友達と認め、完全に心を開いた。

 俺との時間に価値を見出し、生きる気力を得て、それを糧として戦う戸川に死ぬ気配はなかった。背骨合致者たちが次々と死んでいく中で、戸川だけが唯一戦闘力を上げ続けた。


 そうして俺は、戸川という救世主を掌握することに成功した。今日滅びるか、明日滅びるかという毎日の中で、人類の運命の手綱を手にする側に立ったのだ。

 それを握り続けるためには、戸川の目から戦意の火を消してはならない。戸川が戦い続けている限り、俺は人類の運命の最前線に立っていられる。そのことは俺に、想像以上の生きる実感をもたらした。




 戸川の、背骨を内包したその首は細く、俺は自分の手でそれをへし折るところを想像をする。それが手の中で砕けると同時に、ゲームオーバー、人類滅亡。

 背後から手を伸ばすと、戸川が振り返った。


「うわ、びっくりした! いたのかよ」


 いちいちリアクションがでかくてウザい。到底救世主には見えないし、どちらかと言えばアホっぽい。濁った海に飲まれて半壊した街を背景に、戸川はいつもの顔で笑った。

 俺も同じように、笑い返した。

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