第三章 とりかえ子(1)


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 ライアンが父親の葬儀を終え、家庭内の諸々もろもろの仕事を片付けて、トレナルとともにアイホルム大公の居城へ戻ったのは、約二ヶ月後のことだった。

 ライアンはひとり息子なので、当然、彼が伯爵位を継ぐ。しかし、彼が頭首の座につくには、まず大公に騎士に叙任してもらった上で、〈五公国〉を統べる聖王に父が亡くなったことを報告し、承認を得なければならない。手続きについて知っているアイホルム大公は、戻ってきたライアンを上機嫌で迎えた。


「承知しておるぞ。喪があけ次第、叙任式を執り行おうぞ。トレナルも一緒にな」

「は。よろしくお願い申し上げます」


 伯爵家の嫡男の騎士叙任式ともなれば、主君への奉納金は高額となり、式典も盛大なものになる。収入が増える大公に断る理由はなかった。 

 ライアンは主人への挨拶を終えると、トレナルをともない、城の外郭のうまやへ向かった。厩舎係に留守中の労をねぎらい、愛馬の世話を交代する。城で働く下男や同僚の従者スクワイヤたちが、ライアンをいたわる。言葉少なく礼をのべて飼い葉を与えていると、ざわめきとともに公女たちがやってきた。


「ライアン……」


 今日はティアナがセルマの先にたち、かしこまる厩舎係たちの前を通って入って来た。ティアナは深緑色の毛織の長衣ドレスを着て、濃い金色の髪を背に流している。セルマはティアナより明るい金髪を編んで後頭にまとめ、男物の上衣チュニック脚衣ズボンを合わせたいつもの出立だ。

 ライアンとトレナルは、跪いて二人を迎えた。


「ティアナ様、セルマ様。このようなところへ」

「ライアン。急なことで、私、何と言ったらいいか」


 ティアナは小走りに駆け寄ったものの、相手の弔事を思って立ち止まった。胸の前で両手を組み、声を詰まらせる。セルマは妹の隣に並んで立ち、悲しみに顔を曇らせた。

 ライアンは、言葉にならない二人の思いを理解して微笑んだ。


「父は何年も前から病んでおりましたので、今は楽になったと思います。大鷲アドラーが迎えに来て下さったので、満足して逝ったことでしょう」


 ティアナの表情は晴れないが、セルマはやや頬を和らげた。


「まあ、大鷲アドラーが? 天空神セタムさまのお使いよね」

「そうです、セルマ様。我がグレイヴ家の守護者です」


 ライアンは、にこりと笑って立ち上がった。


「アドラーが見守って下さっているので、グレイヴ家は安泰です。アイホルム大公領も。ご安心ください」


 ティアナはまだ物言いたげに黙っていたが、ライアンが再度ほほえむと、肩に入っていた力を抜いた。

 ライアンは愛馬の首を撫でた。


「天気が良いので外に出そうと考えています。セルマ様、ティアナ様、騎乗なさいますか?」

「いいえ。私は……」

「今日はいいわ。ありがとう」

 

 姉妹は顔を見合わせたものの、ティアナは控えめに、セルマは首を振って断った。ライアンとトレナルが馬たちを引き出すのに合わせ、外に出る。

 この日、大公の城には麓の農村から人々が集まり、やや騒然としていた。毎年、収穫祭ネワンが行われるこの時期に、収穫物のなかから税を集めるのだが、今年は祭りの華やいだ雰囲気はない。荷車を押してくる民の顔はいちように不安げで、武装した騎士たちがその動向を見守っていた。

 馬場へ向かうライアンたちの耳に、罵声が飛びこんできた。


「これだけだと? 足らぬ! ちゃんと持って来い!」


 ピシリと鞭の鳴る音とともに悲鳴があがり、城内にいた者たちは一斉にそちらを見た。村人たちの荷車が停止する。税を申告していた農夫は、妻とともに頭をかばってうずくまった。その前には、税をあらためる家令とアイホルム大公その人が並んでいる。鞭を手にしているのは大公だ。

 凍りついた城内の空気は、おずおずと動きだした。領主の怒りに怯える農夫たちを残して。


「お、お、お赦しください。小作人どもがいなくなり、今年の麦の作付けは、昨年の七割に減ったのです。野菜も豆も、植えられる畑が減ったぶん、収穫は減っております。去年と同じ量を求められましても――」

「言い訳をかすな! 規則は変わらぬ。三日以内に、きちんと揃えて持って来い!」

「三日? そ、それは無体な」


 ライアンとトレナル、セルマとティアナは、思わず足を止めて聞き入った。セルマは眉根をよせ、ティアナは悄然しょうぜんとうなだれる。ライアンにも、危惧していた事態が起きたのだと分かった。

 初夏に目についていた耕作放棄地はさらに増え、麦の収穫は減った。人手不足で除草も肥料まきもとどこおり、作物は痩せてしまった。それもこれも、大公自身が発布した先住民ネルダエ追放令のせいなのに、従来と同じ額の納税を求められる。ネルダエではないから追放を免れていた北方民フォルクメレの民も、これではたまったものではない。

 農夫と妻は再三頭をさげて減税を懇願したが、容赦なく追い払われてしまった。

 ライアンが見ると、村人たちの表情は暗く、絶望にこわばっていた。


「畑が七割に減れば、得られる作物も七割になる。そんな単純なことがお分かりにならないのか」

「トレナル」


 流石に腹に据えかねたのだろう、トレナルが低く呟く。ライアンは小声で乳兄弟をたしなめた。

 セルマが苦々しく囁いた。


「トレナルの言う通りよ、子どもでも分かる理屈だわ。お父様は、先住民と混血の人々を追い出して土地を没収した分、彼らが得をしたと考えているのよ」

「そんな」


 見当違いもはなはだしい。ライアンは絶句し、セルマは柔らかなバラの花弁のごとき唇を噛んだ。


「それだけではないの。お父様は、隣のヒューゲル大公に支援をお願いしたわ。麦と羊毛、それに葡萄酒をね。でも、ヒューゲル大公はうちから逃げていった先住民ネルダエの人々を受け入れるだけで精一杯だと、お断りになったの。お父様は腹をたて、国境をこえて攻め入るつもりよ」

「えっ?」


 ライアンは耳を疑った。トレナルが素早く周囲に視線を走らせる。ライアンはセルマに近寄り、声をひそめた。


「本当ですか? セルマ様。ヒューゲル方から観れば、非があるのはむしろこちらでしょう。ご迷惑をお掛けしていると謝りこそすれ、攻めるとは」

「お父様にとっては、口実に過ぎないと思うわ。本音は南の豊かな土地が欲しくて仕方がないのよ。昔から、『先祖は何故〈アルバ山脈〉の南側の土地をたまわらなかったのか。我が領土が〈五公国〉のうち最も寒冷で貧しいのは納得できない』と言い続けているもの」


(だから騎士が集まっているのか……)ライアンは改めて城内を見渡した。単に収税を整然と行うためだけとは思えない数の騎士たちが、外郭のあちらこちらに集まっていた。日の光にきらめく鎧と剣、馬具に槍に、色とりどりの盾が目を惹く。それは無言のうちに民を威圧し、萎縮させている。

(俺のいない間にそんなことが進んでいたのか。しかし、これは理が通らぬぞ。)

 ライアンが考えこんでいると、再び鞭の鳴る音が響き、ティアナはびくりと身をすくませた。

 ライアンは公女を気遣った。


「大丈夫ですか? ティアナ様。あちらに参りましょう」

「いえ。私は平気です」


 あらごとに向かないティアナが怯えているのかと思ったが、意外にも彼女は唇を結び、そのまなじりには意志の光があった。喧騒を避けようと促すライアンは、彼女の白い手首に赤いひも状の傷を見つけた。


「ティアナ様、それは?」


 ティアナははっと息を呑み、長衣の袖を下ろして手を隠した。しかし、ライアンの目は、それが鞭で打たれた痕だと見抜いた。まだ新しい。

(いったい、誰が公女に鞭をふるうと言うのだ?)

 愕然とする彼の斜め後ろで、セルマが小さく舌打ちをした。


「お父様よ」

「……何ですと?」

「セルマ」

「嘘をつく必要はないわ、ティアナ。ライアン。正確には、お母様が、お父様にティアナを鞭打たせたの。この子のふるまいが気に入らないと言ってね」


 ティアナは袖に隠した左手を右手でおおい、うなだれた。ライアンは、身のうちに震えが走るのを感じた。

 セルマはため息をついて続けた。


「お母様は自分の手を使うのが嫌だから、お父様にやらせるの。私たちが小さな頃からそうよ、知らなかった? 城内の誰も、お父様の行為を止めることはできないから、お母様の思い通りなのよ」

「ライアン! 待って。かまわないで」


 ライアンは思わず城へと足を踏み出しかけ、ティアナとトレナルに阻まれた。傷ついた痛々しい手を見下ろし、ライアンは歯軋りをした。


「ティアナ様」

「おやめになって、どうか。……ゲルデはもっと酷いの」

「ゲルデ?」

 

 ライアンはあたりを見回した。家令は大公の傍で税の記録をつけているが、公女たちの教育係の女性は、姿がない。

 ティアナはうなずき、セルマは沈んだ口調で説明した。


「ゲルデはティアナを庇ってお父様に鞭打たれ、熱を出して寝込んでいるわ」

「セルマもよ……。私はもう、私のせいで傷つく人を見たくない。ライアン、トレナル、お願い。かまわないで」


 潤んだ湖水色の瞳で懇願され、ライアンは折れた。


「ティアナ様がそうおっしゃるなら……」

(仕方がない。だが、将来ただでは済まないぞ、これは。)


 ライアンは固く拳を握って耐えた。ティアナは彼の拳にそっと触れた。


「……ありがとう」


 ティアナはきびずを返し、長衣ドレスの裾をからげて城の本丸キープへ戻っていった。なびく金髪をなすすべなく見送るライアンの隣で、セルマはつぶやいた。


「卑怯者よ、お母様は……。お父様も。このままでは終わらないでしょうね、きっと」

「セルマ様は大丈夫なのですか? その、傷は」


 トレナルの問に、セルマは気を取り直したように微笑んだ。


「私は大丈夫よ。これくらい、剣の練習に比べればね。さっ、行きましょう。私もやっぱり馬にりたいわ」


 ライアンは、ティアナの去った方向を何度も振り返りつつ、馬をひいて行った。





〜第三章(2)へ〜




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