第三章 とりかえ子(1)
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ライアンが父親の葬儀を終え、家庭内の
ライアンはひとり息子なので、当然、彼が伯爵位を継ぐ。しかし、彼が頭首の座につくには、まず大公に騎士に叙任してもらった上で、〈五公国〉を統べる聖王に父が亡くなったことを報告し、承認を得なければならない。手続きについて知っているアイホルム大公は、戻ってきたライアンを上機嫌で迎えた。
「承知しておるぞ。喪があけ次第、叙任式を執り行おうぞ。トレナルも一緒にな」
「は。よろしくお願い申し上げます」
伯爵家の嫡男の騎士叙任式ともなれば、主君への奉納金は高額となり、式典も盛大なものになる。収入が増える大公に断る理由はなかった。
ライアンは主人への挨拶を終えると、トレナルをともない、城の外郭の
「ライアン……」
今日はティアナがセルマの先にたち、かしこまる厩舎係たちの前を通って入って来た。ティアナは深緑色の毛織の
ライアンとトレナルは、跪いて二人を迎えた。
「ティアナ様、セルマ様。このようなところへ」
「ライアン。急なことで、私、何と言ったらいいか」
ティアナは小走りに駆け寄ったものの、相手の弔事を思って立ち止まった。胸の前で両手を組み、声を詰まらせる。セルマは妹の隣に並んで立ち、悲しみに顔を曇らせた。
ライアンは、言葉にならない二人の思いを理解して微笑んだ。
「父は何年も前から病んでおりましたので、今は楽になったと思います。
ティアナの表情は晴れないが、セルマはやや頬を和らげた。
「まあ、
「そうです、セルマ様。我がグレイヴ家の守護者です」
ライアンは、にこりと笑って立ち上がった。
「アドラーが見守って下さっているので、グレイヴ家は安泰です。アイホルム大公領も。ご安心ください」
ティアナはまだ物言いたげに黙っていたが、ライアンが再度ほほえむと、肩に入っていた力を抜いた。
ライアンは愛馬の首を撫でた。
「天気が良いので外に出そうと考えています。セルマ様、ティアナ様、騎乗なさいますか?」
「いいえ。私は……」
「今日はいいわ。ありがとう」
姉妹は顔を見合わせたものの、ティアナは控えめに、セルマは首を振って断った。ライアンとトレナルが馬たちを引き出すのに合わせ、外に出る。
この日、大公の城には麓の農村から人々が集まり、やや騒然としていた。毎年、
馬場へ向かうライアンたちの耳に、罵声が飛びこんできた。
「これだけだと? 足らぬ! ちゃんと持って来い!」
ピシリと鞭の鳴る音とともに悲鳴があがり、城内にいた者たちは一斉にそちらを見た。村人たちの荷車が停止する。税を申告していた農夫は、妻とともに頭をかばってうずくまった。その前には、税を
凍りついた城内の空気は、おずおずと動きだした。領主の怒りに怯える農夫たちを残して。
「お、お、お赦しください。小作人どもがいなくなり、今年の麦の作付けは、昨年の七割に減ったのです。野菜も豆も、植えられる畑が減ったぶん、収穫は減っております。去年と同じ量を求められましても――」
「言い訳を
「三日? そ、それは無体な」
ライアンとトレナル、セルマとティアナは、思わず足を止めて聞き入った。セルマは眉根をよせ、ティアナは
初夏に目についていた耕作放棄地はさらに増え、麦の収穫は減った。人手不足で除草も肥料まきもとどこおり、作物は痩せてしまった。それもこれも、大公自身が発布した
農夫と妻は再三頭をさげて減税を懇願したが、容赦なく追い払われてしまった。
ライアンが見ると、村人たちの表情は暗く、絶望にこわばっていた。
「畑が七割に減れば、得られる作物も七割になる。そんな単純なことがお分かりにならないのか」
「トレナル」
流石に腹に据えかねたのだろう、トレナルが低く呟く。ライアンは小声で乳兄弟をたしなめた。
セルマが苦々しく囁いた。
「トレナルの言う通りよ、子どもでも分かる理屈だわ。お父様は、先住民と混血の人々を追い出して土地を没収した分、彼らが得をしたと考えているのよ」
「そんな」
見当違いも
「それだけではないの。お父様は、隣のヒューゲル大公に支援をお願いしたわ。麦と羊毛、それに葡萄酒をね。でも、ヒューゲル大公はうちから逃げていった
「えっ?」
ライアンは耳を疑った。トレナルが素早く周囲に視線を走らせる。ライアンはセルマに近寄り、声をひそめた。
「本当ですか? セルマ様。ヒューゲル方から観れば、非があるのはむしろこちらでしょう。ご迷惑をお掛けしていると謝りこそすれ、攻めるとは」
「お父様にとっては、口実に過ぎないと思うわ。本音は南の豊かな土地が欲しくて仕方がないのよ。昔から、『先祖は何故〈
(だから騎士が集まっているのか……)ライアンは改めて城内を見渡した。単に収税を整然と行うためだけとは思えない数の騎士たちが、外郭のあちらこちらに集まっていた。日の光にきらめく鎧と剣、馬具に槍に、色とりどりの盾が目を惹く。それは無言のうちに民を威圧し、萎縮させている。
(俺のいない間にそんなことが進んでいたのか。しかし、これは理が通らぬぞ。)
ライアンが考えこんでいると、再び鞭の鳴る音が響き、ティアナはびくりと身をすくませた。
ライアンは公女を気遣った。
「大丈夫ですか? ティアナ様。あちらに参りましょう」
「いえ。私は平気です」
あらごとに向かないティアナが怯えているのかと思ったが、意外にも彼女は唇を結び、その
「ティアナ様、それは?」
ティアナははっと息を呑み、長衣の袖を下ろして手を隠した。しかし、ライアンの目は、それが鞭で打たれた痕だと見抜いた。まだ新しい。
(いったい、誰が公女に鞭をふるうと言うのだ?)
愕然とする彼の斜め後ろで、セルマが小さく舌打ちをした。
「お父様よ」
「……何ですと?」
「セルマ」
「嘘をつく必要はないわ、ティアナ。ライアン。正確には、お母様が、お父様にティアナを鞭打たせたの。この子のふるまいが気に入らないと言ってね」
ティアナは袖に隠した左手を右手でおおい、うなだれた。ライアンは、身のうちに震えが走るのを感じた。
セルマはため息をついて続けた。
「お母様は自分の手を使うのが嫌だから、お父様にやらせるの。私たちが小さな頃からそうよ、知らなかった? 城内の誰も、お父様の行為を止めることはできないから、お母様の思い通りなのよ」
「ライアン! 待って。かまわないで」
ライアンは思わず城へと足を踏み出しかけ、ティアナとトレナルに阻まれた。傷ついた痛々しい手を見下ろし、ライアンは歯軋りをした。
「ティアナ様」
「おやめになって、どうか。……ゲルデはもっと酷いの」
「ゲルデ?」
ライアンはあたりを見回した。家令は大公の傍で税の記録をつけているが、公女たちの教育係の女性は、姿がない。
ティアナはうなずき、セルマは沈んだ口調で説明した。
「ゲルデはティアナを庇ってお父様に鞭打たれ、熱を出して寝込んでいるわ」
「セルマもよ……。私はもう、私のせいで傷つく人を見たくない。ライアン、トレナル、お願い。かまわないで」
潤んだ湖水色の瞳で懇願され、ライアンは折れた。
「ティアナ様がそうおっしゃるなら……」
(仕方がない。だが、将来ただでは済まないぞ、これは。)
ライアンは固く拳を握って耐えた。ティアナは彼の拳にそっと触れた。
「……ありがとう」
ティアナは
「卑怯者よ、お母様は……。お父様も。このままでは終わらないでしょうね、きっと」
「セルマ様は大丈夫なのですか? その、傷は」
トレナルの問に、セルマは気を取り直したように微笑んだ。
「私は大丈夫よ。これくらい、剣の練習に比べればね。さっ、行きましょう。私もやっぱり馬に
ライアンは、ティアナの去った方向を何度も振り返りつつ、馬をひいて行った。
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