第三章 とりかえ子(2)
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アイホルム大公が戦争をはじめるという噂がひろまると、領内の騎士たちが大公城に続々と集まってきた。爵位をもつ高位の騎士やその城つき騎士たちだけでなく、武功をあげて士官を目指す城をもたない騎士や、流れ者などだ。いくさは要するに略奪なので、一攫千金をねらう盗賊まがいの者や、身分を得たい武力だけのならず者も、蜜に集まる蟻のごとくやってくる。
大公は彼らを歓迎し、武器や食事を与えて優遇した。もちろん、食事と酒は領民から徴収したものだ。
かつて〈聖なる炎の岳〉を祀る神殿だったアイホルム城には、素朴な石造りの礼拝堂と、円柱型の塔がある。その日、一羽のワタリガラスが塔のてっぺんにとまり、羽繕いをしていた。剣の稽古や馬の調教にいそしむ騎士と従者たちを見下ろしつつ、風切り羽の羽先をそろえていたカラスは、ふと視界の端を小さな影がふたつよぎったことに気づいた。下男が門番のところへ夕食を入れた籠をはこび、厩舎係がガチョウと犬を連れて内郭を通っていく。せわしない人の流れが途切れた隙を見計らい、影はちょこちょこと
灰色の
ワタリガラスは首を傾げると、翼を半分ひろげて塔から本丸の屋根に飛び移り、ぴょんぴょん跳んで、開いている窓から中をのぞき込んだ。
ちょうど夕食の時間で、広間には人びとが集まっていた。上座の
ティアナは暖炉の前の椅子に腰をおろし、人々の会話の邪魔にならない程度に竪琴を奏でていた。
大公妃エウィンは豪華な金糸刺繍をほどこした艶のある紅色の
ライアンは、両親と異なり清楚なたたずまいのセルマとティアナを眺めては、苦い気持ちを噛みしめていた。ベリーソースをそえた鹿肉のソテー、キャベツとフィンフェリ茸のスープ、干し葡萄入りのパン、洋梨とチーズのトルテ(タルト)といったご馳走すら味気なく感じられた。
食事が終わると、騎士たちは領主に挨拶をして広間を去りはじめた。
「たのもう! たのもーう!」
広間にいた人々は顔を見合わせた。
家令の指示をうけて下男が扉を開くと、子どものように小柄な人物がふたり並んで入って来た。灰色の頭巾をかぶった彼らは大公の前に進みでて、体格に似合わぬしわがれ声でこう言った。
「やれ。やっと到着したわい。話をさせてもらおうかの」
「何者だ?」
ライアンの位置からは頭巾のなかは見えない。侵入者を目にした大公が驚いて腰を浮かし、エウィン妃とセルマが目を
侵入者は背をそらして胸をはり、名乗りをあげた。
「わしはこの〈聖なる炎の岳〉に住まう〈
「同盟だと?」
大公の声には苦笑が含まれ、エウィン妃は口元をおおって頬をゆがめた。
驚くライアンの耳に、トレナルが早口に囁いた。
「〈小さき人々〉の種族のひとつです。
ジョッソは人間たちの反応には構わず、重々しく続けた。
「人払いを願おう、アイホルム大公よ。これは、貴殿らの
*
ジョッソの求める「人払い」の対象は騎士たちに及び、ライアンとトレナルは後ろ髪をひかれる思いで本丸を出た。アイホルム大公とエウィン妃、セルマとティアナと家令のウォード、公女たちの教育係ゲルデが残された。
ジョッソと彼の娘は、頭巾を外して姿を現した。セルマが思わず呟く。
「かわいい……」
まるい耳にまるい額、ずんぐりした体をふさふさの毛に包んだ
アイホルム大公は長卓に頬杖をつき、にやにやしながら促した。
「さて、人払いをしたぞ。〈山の民〉の長がなんの用だ?」
ジョッソは頭をかしげ、小さな黒い瞳で大公を胡散臭げに眺めていたが、軽く息を吐いてきりだした。
「地母神のお告げがなければ、わしらが人間と関わることはない。大公よ、わが地底の王国と同盟を結ばぬか。わしらは貴公を援助する用意がある。その証に、魔法を用いるわが娘とラティエ鋼製の
「ほう!」
ラティエ鋼とは
「ラティエ鋼とは
「わしらは大公家が続く限りの〈山の民〉の身の安全と、魂につながる『真の名づけ』を求める。そのために、貴公の娘をひとり預かりたい」
「娘を、だと?」
大公の表情が一変して険しくなった。セルマとティアナは不安げに顔を見合わせる。ジョッソはぴくぴく鼻ひげを動かした。
大公はしぶった。
「セルマかティアナを地底の国へ寄越せというのか……ううむ」
「わしは娘を預けるのじゃ。そちらも娘を預けねば、対等の同盟とは言えぬじゃろう」
「しかし――」
躊躇う夫の
「ティアナを
「なに?」
「奥方様!」
ゲルデが息だけで叫んだが、エウィン妃は得意げに自分の考えを披露した。夫の肩に身を寄せ、
「ティアナをやりましょう。この子はネルダエの血が強くて、セルマより色が濃い。セルマの方が将来つかい道があるわ」
ライアンが聞けば激怒しそうな台詞だが、あいにく外へ出されている。セルマは横目でティアナを見遣った。ティアナは凝然と目をみひらいて母親をみつめている。
ゲルデが抗議を試みた。
「奥方様。それはあまりなお言葉です」
「お黙り!」
鞭のような声をはりあげて、大公妃は言い返した。
「これは同盟なの。相応しい者を役目に就かせるだけよ」
「お断わりしてください。人質も同然ではありませんか」
「向こうも娘をよこすのよ、何が悪いの。魔法の力を得られれば、戦いで有利になるわ」
「しなくてはならない戦いですか? お考え直し下さい」
「うるさい!」
ジョッソは身動きひとつせず、硬い表情で会話を聴いている。二人の言い争いを聞きながら、ティアナは蒼ざめ、セルマは唇を噛んだ。
エウィン妃は己が胸に右手をあて、勝ち誇るように言い放った。
「ワタシには幸せになる権利があるのよ! もっと豊かに! 幸せに! 娘が親の希望をかなえるのは当然。産んでやって、育ててやっているんだから、恩を返しなさい!」
数秒の沈黙があった。
絶句するゲルデの傍らで、ティアナは項垂れ、小声で答えた。
「……はい。お母様」
セルマがはっとして妹を振り向いたものの、かける言葉がみつからない。ティアナはふるえる息とともに囁いた。
「仰せに従います……」
「決まったようじゃな」
ジョッソが荘重な口調で呟き、アイホルム大公は満足げにうなずいた。エウィン妃は「最初からそう言えばよいのよ」と言わんばかりに笑っている。
「戦にはセルマの力が必要だ。ティアナを派遣しよう」
「承知した。では、明後日に改めて迎えに来よう」
ジョッソは厳粛に応じると、娘を促して踵を返した。頭巾をかぶって去っていく後姿を、一同は立ったまま見送った。
思い通りに話がまとまったので、エウィン妃は得意げだ。上機嫌な夫婦とは対照的に、ゲルデもウォードとセルマも、言葉をうしなっていた。
**
辺りが紫色の夕闇にしずむ頃、ワタリガラスは、本丸から出てきた人影がこうささやくのを聞いた。
「あの
「わしは心配じゃ。悪評高き夫婦だが、あそこまでとは思わなんだ。ネルダエだけでなく、〈山の民〉にとっても害となろう。お前が酷い目に遭わなければよいが……」
「大丈夫よ、お父さん。ウチがくいとめるから」
人間の子どもくらいの二つの人影は、城壁の陰へとけこむように姿を消した。屋根にとまってこの様子を観ていたカラスは、クルクルと小さく喉を鳴らしたのち、塔の上に戻って眠りに就いた。
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