第22話 チェックメイトのはずなのに
時間は少し遡る。
アイーシャがオスカーのことを蹴り飛ばした後、マコトとユルゲンが戦い始めた様子を見て、リーファが動いた。自分の席に戻り、機械を操作し始める。
「そういうことね」
フローラもリーファを見習うように自席に戻った。テロリストたちに奪われていた移民船のコントロールを取り戻すことが目的だ。
「マズイだろ」
その二人に向かって、エドが怯えたように小声でささやいた。
「あなたも自分ができることをやりなさいよ」
フローラが冷たい視線をエドに向ける。
「お前ら、何をしている!」
アイーシャに蹴り飛ばされて、しばらく床に座り込んでいたオスカーだったが、リーファやフローラの動きに気づいて、立ち上がった。
「やめなさい」
フローラたちに近づこうとするオスカーを制して、船長とクリスが立ちふさがる。
「じじいは引っ込んでろ!」
オスカーは大きなモーションで、船長の頬に強烈な右ストレートを叩き込んだ。
ブロックしようとした船長だったが、うまくいかずに殴り飛ばされる。
「やめて!」
なおも船長を蹴りつけようとするオスカーにクリスがしがみついた。
「なんだ、てめぇは!」
激しくもみ合う二人がたまたま目にしたのは、マコトに倒されるユルゲンの姿だった。
「馬鹿な、ユルゲンが!」
オスカーは呆然とした。
次に、頼みのユルゲンがいない状況で十数名の敵に取り囲まれている事実に気づき、恐怖した。もはやオスカーが頼れる味方は偽イリーナしか残っていない。
「マコトくん!」
「お前はこっちだ!」
オスカーは、マコトのケガに注意を奪われたクリスの首に腕を回し、締め上げた。
そして、事務局長席の前で爪を噛んでいる偽イリーナのところに引きずっていく。
「きゃあ!」
クリスの悲鳴が、コントロールルームに響き渡った。
「寄るな! 寄るんじゃねぇ!」
オスカーは、先ほどアイーシャに蹴り飛ばされて床に落ちていた剣を拾うと、クリスの頬に刃を当てた。
「クリスを少しでも傷つけたら、お前を殺す」
アイーシャが、氷の視線で静かに宣言した。
「この状況で、一人でなんとかできるとでも思ってるのか?」
サムが長いバールをオスカーに向けて叫ぶ。
あれだけいたテロリストたちも、偽イリーナとオスカーの二人だけになっていた。
しかも、残っているのは小柄な少女の姿をした司令塔の偽イリーナと、気性は荒いものの技術担当のオスカーだ。
「クリス!」
左腕から血を滴らせながら、マコトが歯を食いしばって立ち上がった。
草食動物のような優しい瞳は、今やギラギラした虎狼のような強い光を放っている。
「マコトくん!」
オスカーに抱えられたまま、クリスはマコトに向かって手を伸ばした。
「もう、あきらめなさい」
船長も口の端から血を流しながら、事務局長席に歩み寄る。
事務局長席の近くにたたずむ偽イリーナたちを中心に、二重三重の包囲網が完成した。
どこかに逃げるにしても背後の船長室くらいしか残っていない。しかも、そこは袋小路だ。
しかし、そんな絶体絶命な状況でも偽イリーナの強気は崩れなかった。マコトたちを睨みながらポシェットから注射器のセットを取り出す。
「えっ、嘘だろ!」
その偽イリーナの動きを見て、なぜかオスカーが顔色を変えた。
「何をする気だ」
マコトが低い声を発しながら偽イリーナを睨みつける。
「おまえらを片付けて兵を引き入れる。予定に変更はない」
偽イリーナが宣言した、その時だった。
「こちら宇宙護衛艦ミカヅキ、接舷を完了した」
コントロールルームに意図的に拡大された音声通信が流れた。
正面モニターがスペースポート内部の映像に切り替わる。
大型回遊魚のような紡錘形の宇宙護衛艦三隻が、移民船の直径数百メートルの円形のスペースポートに次々に降下し、ごついロボットのような装甲強化宇宙服を身に纏った戦闘部隊を艦外に吐き出しているところだった。
「畜生、シールドをカットしやがったな!」
オスカーが、リーファとフローラを睨みつけた。
リーファたちが自分たちの席でやっていたのは、今まで宇宙護衛艦の接近を阻んでいたシールドを切り、スペースポートのゲートを開き、地球連邦宇宙軍と連絡を取って、彼らを呼び込むことだった。
地球連邦宇宙軍の戦闘部隊は、手際よくイグナチェンコ評議員のプライベートロケットを取り囲んだ。人数は軽く一〇〇名を超えている。
電磁誘導ライフルや高出力レーザーライフルの銃口が、一斉にプライベートロケットに向けられた。装甲の薄い民間の宇宙船であれば、これだけで破壊可能だ。
しかも、テロリストたちに向けられた火器はそれだけではなかった。
プライベートロケットを取り囲むように着艦した三隻の宇宙護衛艦の旋回砲塔が回転し、六基のパルスレーザー砲が、すべて、プライベートロケットに照準を合わせている。
「頼みの戦闘員も、これでおしまいだな」
公安委員長のウガラ・ウガビが、白髪の下の鋭い眼光を偽イリーナに向けた。
「神の国の戦士は死を恐れたりしない!」
偽イリーナは怒りに燃える目で公安委員長を睨む。
しかし、事態は偽イリーナが望むようにはならなかった。
プライベートロケットの中から両手を頭の後ろに組んだ黒い簡易宇宙服姿のテロリストたちが続々と姿を現した。投降の意思表示だ。
装甲強化宇宙服を身に纏った一〇〇名を超える地球連邦宇宙軍の兵士が、電磁誘導ライフルやレーザーガンの銃口をテロリストたちに向ける。そして、手際よく電磁手錠で拘束していく。
「残念だったな」
勝ち誇ったような公安委員長の発言をあえて無視するように、偽イリーナは何かの薬のアンプルを注射器に詰め込んだ。
「だめだ、もうすぐ、軍隊の連中も大挙してここにやってくる。俺たちも投降しよう」
クリスに剣を押し当てながらも、オスカーはすっかり戦意を喪失して偽イリーナに懇願した。
しかし、怯えた瞳のオスカーの頼みを偽イリーナは歯牙にもかけない。
「いいえ、皆殺しよ」
偽イリーナは怒りのためか片方の頬を痙攣させながら、自分の首筋に注射器を押し当て、一気に中の薬剤を注入する。
「嘘だろ、おい」
オスカーは色を失った。
クラウスたちに勧めていた様子から、興奮剤か麻薬のようなものだとマコトは思っていたが、薬剤を注入した偽イリーナの変化を見る限り、それは違ったようだ。
「うがっ、うごっ」
偽イリーナは背中を丸めて苦しんだ。
彼女は、突如痙攣をはじめ、皮膚に血管が浮き出し、筋肉が膨張を開始した。
小柄で色白だった偽イリーナは、みるみる大きくなり、皮膚も鉛色に変わっていく。
「がっ、ガァルル~」
服も所々ちぎれ、巨漢のボディビルダーのような姿に変貌していく。
目は血走り、皮膚のあちこちに太いミミズのような血管がのたうち回っていた。
そして、口からよだれを溢れさせながら、苦しげに咆哮しはじめる。
あまりの不気味さに、マコトたちは凍り付く。
「やべぇ、やべぇよ!」
オスカーは人質にしていたクリスを突き飛ばし、慌てて偽イリーナから離れようとした。
そのオスカーに向かって、偽イリーナは巨大化した腕を一閃させる。
「あ」
オスカーは何か言おうと口を開いたまま、首を刎ねられた。
オスカーの頭部が偽イリーナたちを取り囲んでいた自警団の若い団員にぶつかる。
「ひっ」
団員は肝をつぶして尻餅をついた。
オスカーの身体は、首から噴水のように血液を撒き散らしながら、床を転がる。
クリスは何とか死地を脱したが腰を抜かしていた。
「バケモノだな」
サムが思わず呟いた。
アメリカンコミックスの緑色の怪物や、日本の鬼のようだとマコトは思った。
「大人しく投降しろ!」
公安委員長の声に反応して、偽イリーナはマシラのように動く。
公安委員長の前にいた自警団員が頭を握りつぶされ、公安委員長は首をねじ切られた。
鮮血が撒き散らされ、フローラたちの悲鳴が響く。
勇気を奮い立たせた自警団員が怒号を上げ、電光を蛇のように纏わりつかせた電磁警棒が一斉に、偽イリーナに振り下ろされる。
偽イリーナは咆哮し、自警団員が、二人、三人と宙を舞った。
団員たちの手足が、あり得ない方向にねじ曲がり、内臓を撒き散らす。
フローラとリーファは顔を引きつらせて部屋の隅へ後退し、エドは後列の中ほどですっかり腰を抜かして震えていた。
『クリスを助けないと!』
満身創痍のマコトは、床にしゃがみ込むクリスの前を遮るように、刀を構えて前に出た。
そして、渾身の力を込めて、暴れる偽イリーナに袈裟懸けの斬撃を加える。
タイヤをバットで殴ったような嫌な感触とともに、刀が弾き返された。
血走った獣のような眼がマコトをとらえる。
危険な手のひらがマコトの頭部に襲い掛かかった。
マコトは腰をかがめ、かわしざま、喉笛に突きを入れる。
「ぐぇっ」
偽イリーナが怯んだ。
しかし、傷を負わせることはできない。
マコトは、再度、まったく同じところに突きを入れた。硬い手ごたえに弾き返される。
偽イリーナが巨大な手のひらで咽喉を押さえた。眼は怒りに赤く燃えている。
「ガァルル!」
偽イリーナがマコトに迫る。
また一人、自警団員が巻き込まれて掴み飛ばされた。
マコトは、船長室に向かって逃げる。偽イリーナを誘うためだ。
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