第3話 事件の気配
サムを起こすミッションを終えたマコトは、ようやく朝食にありついた。
ちらりと見たときにはわからなかったが、ハンバーグに使われている肉の正体は移民船の貯水池で養殖されている淡水魚のティラピアのようだ。白身の淡白な魚なので牛や豚に比べると軽い食感だったが、油をしっかり使って焼いているので、結構なボリュームだ。
ベンはマコトの前で黙々と大盛りのピラフを口に運び、ゆっくりと咀嚼していた。
ベンの咀嚼音に混じってシャワーを浴びているサムの鼻歌が微かに聞こえてくる。大昔のラブソングだ。軽快な曲調でいかにもサムらしい。
一方、エドは食器を片付け終わると、ダイニングテーブルの横に設置してあるダークブラウンの布製ソファにマコトたちに背を向ける形で腰を下ろした。
エドの正面、マコトやベンからすると横の空間に仮想モニターが投影された。エドが操作したらしい。内容は移民船内のイントラネット掲示板だ。通常は面白味のない移民船の『住民』向けお知らせ情報が表示される。
恒星間移民船アークは月の裏側の宇宙空間に停泊しており、現時点では地球圏のグローバルネットワークに接続することが技術的には可能だ。
しかし、将来的に移民船は閉じた世界になり、グローバルネットワークに流れている膨大な情報や娯楽とは無縁になる。そうした環境に慣れてもらうため、敢えて住民が直接グローバルネットワークに接続できないようにしていた。
イントラネットの掲示板に掲出される情報は、移民船の運営にかかわるお知らせか、運営事務局の情報担当がグローバルネットワークでセレクトした政治経済などの重要情報か、大量に積み込んでいる情報ライブラリのコンテンツに限られた。文化、芸術、スポーツ、芸能など娯楽関係の新規の情報は完全にシャットアウトされている。
その掲示板に、グローバルネットワークからセレクトした重要情報として、珍しくリアルタイムの動画ニュースが配信されていた。画面の上の部分に白い字幕で『LIVE』と表示されている。
「えっ、これ何? どういうこと」
その違和感のある光景にマコトは思わずつぶやいた。
地球の静止衛星軌道上に浮かんでいる軌道エレベーターの宇宙ステーション周辺に地球連邦宇宙軍の戦闘艦艇が何十隻も展開している。そのうち何隻かは宇宙ステーションに接舷中だ。
軌道エレベーターは地球から宇宙空間に安いコストで物資を打ち上げるための施設だ。
カーボンナノチューブを主な材料とする軽くて頑丈なケーブルで、赤道上空の高度約三六〇〇〇キロに浮かぶドーナツ型の宇宙ステーションと地上をつなぎ、ケーブルカーのような昇降機で物資の運搬を行っている。
普段、この宇宙ステーションの周辺に群がっているのは角ばったデザインの民間輸送船で、大型回遊魚のような紡錘型の軍艦が群がっているのは珍しい光景だった。
「なんかあったの?」
ベンはマコトの様子を見て、モグモグと口を動かしたまま怪訝な表情を浮かべた。
エドが気を利かせて動画ニュースの音声ボリュームを上げてくれる。
「本日、地球連邦政府に対し、テロ教団『神の国』から、軌道エレベーターの爆破予告がありました」
画面から低く張りのある男性アナウンサーの声が聞こえてきた。
「現在、宇宙ステーションの利用者や職員の避難を進めるとともに、地球連邦宇宙軍の爆発物処理班が、軌道エレベーター全域で爆発物の捜索を行っています」
「うそぉ!」
ベンが目を丸くした。マコトは緊張した面持ちで画面を見つめエドは冷静な表情を崩さない。
「犯行声明によれば、現在収監されている『神の国』の教祖及び教団幹部を二十四時間以内に釈放しない場合、軌道エレベーターは巨大な鞭となって愚劣な人類に鉄槌を下すことになるだろうなどと、主張しています」
画面にテロ教団『神の国』の教祖の写真が映し出された。顎髭を生やし、頬のこけた金髪碧眼の壮年の男で、聖人を思わせる厳かな雰囲気を漂わせている。正体を知らなければ、とても悪人には見えない。
「軌道エレベーターがなくなったら、すごく困るよね」
ベンが深刻そうな表情を浮かべた。そのベンの発言にエドが振り返る。
「なくなったら困るというレベルの問題じゃないぞ。犯行声明が虚偽の可能性もあるが、もし、これが事実で、地球の反対側に伸びている軌道エレベーターのバランサーが破壊されれば、先端に直径三キロの宇宙ステーションがついた長さ三六〇〇〇キロの鞭が、音速を超えるスピードで地球を打ち据えることになる」
事態の深刻さを補足するように、エドが顔色を変えずに解説した。
「それって、都市が消滅するレベルの被害じゃ済まないよね!」
マコトは思わず腰を浮かした。
マコトの想像が正しければ、宇宙ステーションの落下地点のみならず、広範囲にわたって津波や衝撃波、大量の土砂や岩石が被害を及ぼし、地上の文明に回復不能な大ダメージを与えるはずだ。
「現在、軌道エレベーター全域に避難命令が出されています。関係者の皆さんは、落ち着いて当局の指示に従ってください」
画面が切り替わり、四角い顔の男性アナウンサーが深刻な表情で視聴者に呼び掛けた。
「本当に爆弾テロが行われたら、地上の被害を最小限にとどめるために軌道エレベーターを破壊するつもりなんだろう。そのための宇宙艦隊だ。被害を最小限にするためにはケーブルを含む軌道エレベーター全体が遠心力で地球から離れていくのがベストだから、軌道エレベーターの基部を破壊するため、地上部分にも軍が展開しているはずだ」
エドは冷静に論評している。
「ねぇ、そもそも、この教団の主張ってなんだっけ?」
エドの説明に安心したのか、ベンは多少落ち着きを取り戻した。
「人類の宗教、文化、思想を統一することによって世界平和をもたらすことだそうだ」
「世界平和を口にする奴らがテロ行為を働く意味が分からないな」
エドに、というよりも教団の考え方に嫌悪感を抱き、マコトは吐き捨てるようにつぶやく。
「必要悪、生みの苦しみだそうだ」
エドはマコトに感情のこもらない視線を向けると、静かに答えた。
「あり得ねえだろ朝から魚肉ハンバーグとか! 朝はカフェオレとクロワッサンだってえの」
マコトたち三人が緊迫した空気を醸し出しているにもかかわらず、サムがパンツ一丁で頭をバスタオルで拭きながらシャワー室から出てきた。
漆黒の身体はスリムでよく引き締まっており、綺麗に水をはじいている。
身体から水を滴らせダイニングテーブルのに歩み寄って大声を出す。
発言から察するに、サムは朝食に関して、大昔のフランス人のような強いこだわりを持っているらしい。
「今日の朝食当番は、オイラだからね」
ベンが悪びれずに平然と言い返す。
サムの文句をいちいち気にしていたらキリがないとでも言いたげだ。
「それで話はおしまいか? 胃にもたれるし、だいいち、もったいないだろ、朝からそんな贅沢しちゃ!」
サムしてみれば、朝から肉類は贅沢ということらしい。
「バターやミルクみたいな乳製品もかなりの贅沢品だよ、この船にはあんまり牛がいないからね。それよか、ちゃんと体拭いてから出て来なよ」
マコトはビシャビシャに濡れた床に目を向けながら、ベンに援護射撃をする。
「ハンバーグ食べないんなら、オイラが食べるよ」
ベンは逆に笑顔を返した。彼にしてみれば、みんなと同じでは量が足りないらしい。
「じゃあ、私は出かけるが、濡れた床は、ちゃんと拭いておいてくれよ」
エドは立ち上げるとブロンズ色のジャケットのジッパーをきちんと上げ、冷たい視線をサムに投げつけた。サムは言い返すことができず押し黙る。
エドが出て行きリビングの扉が閉まると、思わずサムは毒づいた。
「はぁ、仕切っちゃって。エドの奴、感じ悪いな」
「仕方ないだろ、この家では一番年上なんだし」
朝食を食べ終わったマコトは朝食の皿を片付け、モップを出してきてサムが濡らした床を拭いた。
「あっ、ワリい」
「わぁ、マコトって、お人よしだな。サムにやらせればいいのに」
「今日の掃除当番は僕だからね。もう汚すなよ」
ベンの呆れたようなセリフを聞き流しながら、マコトは穏やかな表情をサムに向けた。
マコト、サム、ベンの三人は、揃って家を出た。
三人とも象牙色のつなぎの詰襟の上に、色とりどりのジャケットを羽織っている。
マコトはワインレッド、サムはダークグリーン、ベンはスカイブルーだ。
それは恒星間移民船アーク乗組員の制服だった。体温調節機能を有し、過酷な環境の使用に耐える作業服であると同時に、黒いブーツと白い手袋をきちんと装着し、専用ヘルメットを被れば、簡易宇宙服にもなる優れものだ。
玄関を出ると目の前は緩いカーブを描く幅四メートルほどのブルーグレイの路面の通路で、通路の向かい側は総合病院になっていた。
温かみのある照明に照らされた鋼鉄製の壁は灰色で、赤い塗料で病院を表すロゴマークが描かれている。出入口は少し離れたところに設けられた間口四メートルほどの大きな自動ドアだ。
対してマコトたちの家がある側には、十五メートルほどの間隔をあけてクリーム色の玄関扉が規則正しく並んでいる。
「おはよ~」
マコトが玄関の鍵を閉めていると、背後から明るく元気な若い女性の声が聞こえてきた。
マコトの耳たぶがみるみる赤くなる。
マコトが呼吸を落ち着けながらゆっくり振り返ると、フレームレスのロイド型眼鏡をかけた小柄で小動物のような少女が、身体の前で手のひらをクルクルと元気よく回しながら、こちらに向かって弾むように歩いてくるところだった。『クリスティーナ・クレイトン』スマート眼鏡には、そう表示されている。
栗色のクセのない艶やかな髪は、襟にかからないくらいの長さのショートカットで、大きな薄茶色の瞳には生き生きとした光が宿っていた。
白磁のように白く滑らかな肌には一点の曇りもなく、幼い雰囲気を残してはいるものの目鼻立ちが整った美しい少女だ。マコトたちと同じ制服を身に着け、ジャケットの色は太陽のように明るいオレンジ色だった。
「おっ、おはよう」
マコトは少しどもりながらも必死で声を絞り出した。緊張した様子で、先ほどサムとやりあっていた砕けた雰囲気は微塵も感じられない。
「あ、あのさ」
「やぁクリス。おはよ~」
「クリスは相変らずテンションたけーな」
マコトが何事か口ごもっていると間を縫ってベンとサムがクリスにあいさつを返した。
「そお? テンション高いかな~ あっ、マコト君、今、何か言いかけた?」
クリスはベンとサムに笑顔を返しながらも、素早く口ごもったマコトに反応する。
「な、何でもない。どぉ、ギターの方は?」
マコトは、明らかに言いかけた何かとは違うことを話題にした。
「いい感じだよ。五人組のガールズバンドを結成して、来月、第二街区のライブハウスでデビューすることになったんだ」
クリスの話し方は元気な少年のようだ。色気が漂うことはなかったが、嫌みがなくカラッとしている。明るく元気でフレンドリーが持ち味らしい。
「す、すごいね」
「腕前はまだまだだよ。船のみんなに少しでもエンタメを提供できればと思ってね。だって、もう、この船には新しいエンタメが入ってこないし」
「そ、そうだね」
クリスは機関銃のように言葉を紡ぎだした。
一方、マコトは合いの手くらいしか言葉を発することができない。
「イントラネットの掲示板に、すごく上手なイラストや、面白い小説を投稿している人もいるじゃない。私も頑張らなくちゃと思って。ねぇ、マコト君も音楽やってみる?」
「えっ? あ、いや、僕、楽器苦手だし」
クリスの突然の誘いに、マコトは一瞬笑顔を浮かべたが、反射的に断った。
「そぉ?」
クリスは、顔を赤くして俯いているマコトにまっすぐな視線を向けた。何かを待っているような気配も感じられる。しかし、マコトが前言を撤回することはなかった。
「じゃあ、私はここで」
クリスは小さなため息をつくと、目の前の総合病院の入り口に視線を向けた。
「あ、うん、病院のお仕事頑張ってね」
「またね~」
クリスはそういいながらマコトたち三人に元気に手を振り、軽快な足取りで病院の中へと入っていった。
マコトは幸せそうな笑顔を浮かべ、クリスが見えなくなるまでいつまでも手を振っている。
「あのよ」
そんなマコトに、サムが感情を押し殺したような低い声で話しかけた。
「ん?」
マコトは手を振るのをやめてサムの方を振り返る。
「なんで、音楽やってみるって言わなかったんだ?」
長身のサムはマコトに視線を合わせるように、背中を丸めて猫背になっていた。
そして、じっとマコトの眼の奥を見つめる。
「え、えっ?」
いったい何を言われているのか、マコトはすぐには理解できなかった。
「ダメな奴だな」
要領を得ないマコトのリアクションにサムは溜息をついた。
「そうだね、すごぉくダメだね」
サムのダメ出しを後押しするように、ベンまでもが同じ発言を被せた。
「え、えっ、なんで?」
二人の意図が分からないマコトは、ただ狼狽するばかりだ。
「小学生かってぇの、おまえは!」
気になる異性とまともに話すことができず、目の前に提示されたチャンスも全く生かすことができないというのが、今のマコトの一番の懸案事項だった。
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