第4話 午前の仕事

 恒星間移民船アークの乗組員を選定するにあたっては、社会を支えるための技能を持っているか否かが重視された。だから、みんな何らかの資格、能力を有している。希少性の高い資格や複数の資格をマルチで取得していることが選抜試験では有利に働いた。

 クリスは看護師、サムは機械設備の技師、ベンは農業技術者で、午前中はそれぞれの資格を生かして、クリスは病院、サムはリサイクル工場、ベンは野菜製造工場か地上の耕作地で働くことになっている。

 そして、彼ら若手のメンバーは、午後は運営事務局を兼務し、宇宙船であると同時に、ある意味『新しい国家』ともいえる移民船のこまごまとしたことを処理していた。

 マコトは通信設備の技師であったが、その資格の需要は低かったらしく、おまけの能力の『剣道』という日本武道の経験を買われて午前中は『自警団』という治安維持を目的とした組織で勤務することになっていた。


 恒星間移民船アークは、慣性航行時、数珠つなぎになった球形の居住ブロックを円筒形の中央ブロックを中心軸に回転させることで、遠心力による疑似重力を発生させている。

 十二階層からなる居住ブロックの地下第八階層が一Gになるよう調整されているため、地下深い階層では重力が地球より強くなった。

 自警団の訓練施設は、団員の身体を鍛える目的で重力の強い居住区最下層、第十二階層に設置されていた。だから身体が重く感じる。

「本日は公安委員長殿が見学されている。日頃の鍛錬の成果を存分にお見せするように」

 自警団の団長を務める『ダルーヴ・ダッタ』が胸を聳やかせ、野太い声を響かせた。

 浅黒い肌、黒々とした太く濃い眉、長いもみあげが印象的なインド系の中年男で、元軍人と説明されて思わず納得する武張った雰囲気を漂わせていた。

 身長はマコトとそう変わらなかったが肩幅が広く、胸板が信じられないくらい厚い。

 メタルフレームのティアドロップタイプのスマート眼鏡をかけ、ジャケットの色はインディゴブルーだった。

 訓練施設は小ぶりの体育館くらいの広さで、天井は普通の家屋の二倍くらいの高さ、床には申し訳程度の弾力があり、全体の色調はアイボリーだった。

 施設の一角には筋肉トレーニング用の機器が十数台置いてあり、夜の時間帯は住民に開放されている。エドも夜はここでトレーニングをしているらしい。

 その訓練施設に自警団に所属する十数人の男女が集っていた。正面に公安委員長と団長のダルを迎え、長方形にきれいに整列している。全員が背筋を伸ばし、腕を後ろに組んで、顎を引いていた。ピリピリとした雰囲気が場を支配し、しわぶき一つ発せられない。

 団員たちは全員が左の腰に長さ五十センチほどの銀色の電磁警棒を下げていた。電磁警棒は相手を打ち据える鈍器であると同時にスタンガンとしての機能も有する。できるだけ相手を傷つけずに取り押さえるために自警団に用意された武器だ。

 団員の前で威厳を放っている公安委員長は、頭髪が真っ白で額に深いしわが刻まれたネグロイド系の男性で、どちらかというと痩せており鋭い眼光が印象的だった。白いセルフレームのスクエアタイプのスマート眼鏡をかけ、糊の利いた白いワイシャツに上下黒のスーツ、赤いチェックのネクタイを身に着けている。年齢は団長のダルよりもかなり上だ。

 マコトのスマート眼鏡には『ウガラ・ウガビ』と表示されていた。

「最初に、犯人確保を想定した模擬戦闘を行う。マトバ・マコト、アイーシャ・アブラハム、前へ」

「はい」

 鋭い返事とともに長方形の列の中からマコトと、アイーシャと呼ばれた若い女性が、腰の電磁警棒を押さえながら小走りに進み出る。

 アイーシャはアラブ系と思われるストレートの長い黒髪を頭の後ろで束ねた凛とした雰囲気の若い女性で、形の良い濃い眉毛と切れ長の目が印象的だ。黒目勝ちの目には強い意志の力を滲ませている。長身で手足が長く、ほっそりして見えるが、身のこなしからかなり身体を鍛えあげていることがわかった。セルフレームのアンダーリム型の眼鏡をかけ、ジャケットの色はヴァイオレットだ。

 マコトは自分が犯人役をするものだと思った。

「二人には暴れる犯罪者を取り押さえるというミッションを実演してもらう。シナリオはない。犯罪者役は自分ダルーヴ・ダッタだ」

「うっ」

 予想外の展開に、マコトは動揺が表情に現れる。

「はい」

 それに対しアイーシャは眉一つ動かさず返事をした。

 マコトは団長であるダルに遠慮をしたわけではない。二人がかりであっても、実力差がありすぎると思って嫌になったのだ。警棒を使用してのルールのある試合ならともかく、何でもありの状況設定にされてしまうと取り押さえる自信がない。もともと『剣道』はやっていたが、格闘技は移民船に乗るまでは学校の授業で柔道をかじった程度だった。

 それに対して、ダルはインド武術カラリパヤットの達人だ。格闘技も武器を使った戦闘のどちらもこなす。

 普段の訓練では全く歯が立たないし、ダルには昨年暮れに第二街区で発生した酔っ払い六人による乱闘を一人で制圧したという武勇伝もあった。しかも、その時喧嘩をしていたのは、全員が体重九十キロオーバーの屈強な男たちだったと聞いている。

「マコトとアイーシャは前に残り、他の者は、後方に下がれ」

 ダルの指示で十数名の男女が後ろに下がった。マコトたちの周辺に数メートル四方の空間が広がる。

「電磁警棒は、お互い出力を最低にセット」

 オフにするんじゃないのかと落胆しつつ、マコトはダルに倣って電磁警棒の握り部分に設置されている出力調整ダイヤルを操作した。

「では公安委員長、ジャッジをお願いします。そして、制圧完了を判断したら、お声がけください」

「わかった」

 公安委員長のウガラ・ウガビは重々しくうなづく。

 マコトの表情に緊張が走った。気乗りはしないが、もう逃れることはできない。電磁警棒の握りの部分にそっと手を添えて身構えた。

「はじめ!」

 公安委員長の鋭い声を聴いた瞬間、ダルは腰の電磁警棒をひっつかみ、空気を切り裂いていきなりマコトに打ちかかった。

 本気だ。まともに当たれば電気ショック以前に大怪我を免れないだろう。

 しかし、マコトは最小限の動きでダルの攻撃をかわした。風にそよぐ柳の枝のように。

 そして、電光のような素早さで電磁警棒でダルの手首を打つ。

 が、浅い。かすめただけだ。十分な電気ショックを送り込めない。

 ダルも少し顔をしかめただけだ。

 当然、公安委員長からは何の声も発せられない。

 電磁警棒が出力最大に設定してあるのなら、あるいは本当の刀で斬り合っているのなら、これで決着がついているのにと唇をかむ。

 直後、アイーシャが疾風と化して、鞭のようなローキックをダルの膝の裏に叩き込んだ。

 ガックリと体勢を崩したダルは無理にこらえようとはせず素早く転がる。

 剣道を得意とするマコトとは違い、アイーシャが得意としているのは空手だった。それもかなりの実力者だ。何でもありの設定でも落ち着いていられるのは多分そのせいだろう。

 マコトは体勢を崩したダルを追ったが、その結果、マコトがダルとアイーシャの間に入る形になってしまった。起き上がろうとしているダルに上段回し蹴りを放とうとしていたアイーシャは同士討ちを恐れて思わず攻撃を思いとどまる。

 ダルは追ってきたマコトに起き上がりざま下段からの警棒の一撃を加えた。

 身体を開き、これをかわすマコト。

 そこにダルが中段の回し蹴りを叩き込んだ。

 マコトは両腕を使った十字受けでこれを受け止めようとする。自警団に入団してから習った技だ。しかし、骨の髄に響くような重い蹴りは、マコトをブロックごと弾き飛ばす。

 そして、衝撃を叩き込まれ動きの止まったマコトの頭上に、ダルの後ろ回し蹴りがうなりを上げて降ってきた。

「うっ」

 何とか頭部や首への直撃を免れたが、肩口にモロに蹴りを浴びせられる。

 マコトは衝撃を逃がすため膝をつき、転がった。

「はっ!」

 その瞬間、アイーシャが低い軌道の飛び足刀でダルに襲い掛かる。

 マコトをブラインドに利用した攻撃だ。

 かわすタイミングを逸したダルは十字受けでこれを受けたが、威力に負けて仰向けに転がる。

 慌てて起き上がるダルの脳天にアイーシャがうなりを上げて電磁警棒を振り下ろした。

「そこまで!」

 公安委員長の鋭い声が響き、アイーシャはダルに当たる直前で電磁警棒を止めた。


 公安委員長に対する訓練成果のお披露目が終わった自警団のメンバーは、二人一組でダルの指示した逮捕術の訓練を行っていた。

 公安委員長は司法制度に関する打ち合わせがあるとのことで早々に訓練施設から引き揚げている。

 マコトとアイーシャは、ダルとともに各自のスマート眼鏡が録画した先ほどの模擬戦の映像を再生し、反省会を行っていた。

「アイーシャは及第点だが、マコトは相変わらず闘争心と覚悟に欠けるな」

 一通りの映像を見た後のダルのコメントは、マコトにとっては不本意なものだった。

「最初の攻撃をかわして俺の腕を警棒で叩いた動きは素晴らしいが、叩き方が優しすぎる。その後の動きでアイーシャの邪魔をしているよな。二対一のメリットを潰している。それから回し蹴りを十字受けで受けた後、完全に動きが停まった。反撃するのか、相手の連続攻撃に備えるのか、どちらかにしないと」

 要求が厳しすぎると思ったマコトの口から、思わず言い訳の言葉がこぼれる。

「ダルはカラリパヤットの達人で、アイーシャは空手の黒帯なんだから、何でもありの格闘戦で僕の動きが見劣りしても仕方ないじゃないですか」

 マコトの発言を聞いて、アイーシャは表情を曇らせ、ダルは小さなため息をついた。

「あのなぁマコト。相手に格闘技の心得があったんで取り押さえることができませんでした、なんて泣きごとを自警団の団員が言えると思うか?」

 そうはいってもダルみたいなレベルの人間は、そういるもんじゃないと思っていたマコトは素直になれなかった。今日は警棒と打撃系の技しか使わなかったが、ダルは投げ技や関節技までこなすオールラウンダーなのだ。

「でも、普通、警官は強化スーツを着ていたり、レーザー銃や電磁誘導ライフルで武装したりしてますよね。今時、警棒と格闘技だけだなんて」

 マコトは地球にいる警官の平均的な姿を思い浮かべる。

「地球には、軍を退役した戦闘用サイボーグや、実際にお目にかかったことはないが、薬物で肉体を強化した超人兵士くずれがいるからな。強化スーツでも着てないとやっていられないだろう。しかし、この船にはそんな奴らはいない。長旅に出発すれば、そんな奴らが途中で乗り込んでくることもない。それに飛び道具は宇宙船の機器を意図しない形で破壊するかもしれないから御法度なのは知ってるはずだ」

 ダルは太く濃い眉毛の下の黒く大きな瞳をまっすぐマコトに向けた。

「ええ、まあ」

「旅に出たら俺たちは外部に応援を依頼することができなくなる。俺たちだけで何でも解決しなくちゃならないんだぞ」

「わかってますよ」

 ダルの言うことは、いちいちもっともだったので、マコトは何も言い返すことができなくなった。

「そうだろ、なら精進することだ。お前は決して弱くない。気持ち次第だ」

 黙ってしまったマコトの様子を見て、ダルは思わず頭をかいた。

 言い過ぎたかなと思ったらしい。

「そうだ! 今日、午後の仕事が終わったらウチに飯を食いに来い。アイーシャも一緒に」

「はい!」

 ほとんど無表情だったアイーシャの顔がその瞬間、明るくなった。そんな嬉しそうな表情をするなんて珍しいなとマコトは思った。

「団長の家で食事ってことは、カレーですか?」

 多少、元気を取り戻したマコトは、急に口が滑らかになった。

「偏見だな」

 言われ慣れているらしく、ダルはニヤリと笑って見せる。

「違うんですか?」

「インドにカレーという名の料理はない」

 ダルは胸を張った。

「へっ?」

「今夜、しっかり教えてやる。もっとも、この船では手に入る香辛料が少ないから本格的なインド料理はできんがな」

 アイーシャはマコトを見ながら、はにかむような笑みを浮かべていた。

 マコトは食事当番のベンに『今日は晩御飯はいらない』と言っておかなくちゃと思った。

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