第2話 一日の始まり

 マコトは小鳥のさえずりのような電子音で目を覚ました。音の出どころは左腕にはめた携帯端末だ。目を開くと、柔らかい光が目の中に飛び込んできた。

 目の前は天井までの高さがある大きなガラス窓で、その向こうには小さな魚の群れが銀鱗を煌めかせている。水面はそこから十数メートル上にあって白く輝いていた。

 マコトは、あの頃に比べ随分と大きくなっていた。青年といっていい年齢だ。

 身長は一七〇センチをいくらか超え、筋肉質で引き締まっている。

 癖のないまっすぐな黒髪、草食動物を思わせる穏やかな大きな黒い瞳は昔と同じだ。

 宇宙植民地研究開発機構(Space Colony Research and Development Organization)の白抜きのロゴが入った厚手の赤いTシャツと、膝までの長さの黒い短パンを身に着けている。

 マコトはネイビーブルーの毛布をはねのけると、白いシーツの上で思い切り体を伸ばし、両足を振り上げて、その反動で勢いよくベッドの上に起き上がった。

 三メートル四方の窮屈な室内には、窓際に置かれたシングルベッドと文机、出入口付近に造りつけられた本棚とクローゼットが効率重視のレイアウトでコンパクトに詰め込まれている。

「グッ、モーニン(おはよう)」

 机の上に置いてあったセルフレームのスクエア型眼鏡をかけながらベッドルームを出ると、マコトは共通英語でリビングダイニングルームの先客たちに声をかけた。アメリカ英語でもイギリス英語でもない簡素化された世界共通言語としての英語だ。

 大昔に『エスペラント語』という世界共通言語が発明されたそうだが、結局は根付かなかった。現在、様々な地域の出身者が集う場では、文法や発音を簡素化した『共通英語』を使うことになっている。

「おはよう」

 白っぽいパイン材のダイニングテーブルに腰を下ろした金髪碧眼の背の高い男が、背筋を伸ばしてティーカップを口元にもっていくところだった。象牙色のつなぎの上にブロンズのジャケットを羽織っている。姿勢がよく、とても優雅な佇まいだ。

 少し冷たい印象を与えるが知的で目鼻立ちは整っている。

 マコトのスマート眼鏡が反応して、金髪碧眼のイケメンに注釈をつけるように『エドワード・エルドレッド』と表示した。イケメンの手のひらに埋め込まれたマイクロチップの信号をマコトの左腕の携帯端末が解析して、透過モードのモニターや骨伝導スピーカーの機能を有するスマート眼鏡が表示した結果だ。初対面では役に立つ機能だが、ルームメイトにまでいちいち表示するのは煩わしいなとマコトは思っていた。

「早いね。もう朝ごはん食べ終わったの?」

 イケメンのエドの目の前には空になった皿があった。今は食後のお茶というところだろうか。

 紅茶の豊かな香りが周囲に漂っている。

「ああ、今日は、この恒星間移民船アークがテスト航行を開始する日だからな。航路計算のチェックやら対消滅エンジンの最終調整やらで忙しいのさ。君たちも手抜かりなく頼むぞ」

 エドはメタルフレームのボストンタイプの眼鏡の向こうから、静かな視線をマコトに向けた。

 マコトたちがいるのは、一見、とてもそうは思えないが、大型宇宙船の中だ。

「うん、わかってるよ」

 マコトのフレンドリーな態度とは異なるエドの生真面目でビジネスライクな態度に、マコトは多少閉口した。

「そうだ、ベン。君の携帯端末の不具合は調整しておいたぞ。ダイニングテーブルの上に置いてある」

 エドは、マコトとの会話はそこそこに視線をキッチンに移す。

「ありがとう。エド」

 エドの視線の向こうには、マコトと同じデザインの水色のTシャツを着た、身長も体重もマコトより一回り大きい赤毛の巨漢が立っていた。筋肉質という感じではなく、色白でぽっちゃりした柔らかそうな身体をしている。身体はでかいが、そばかすが目立ち、顔つきも声も幼い感じだ。メタルフレームのティアドロップタイプの眼鏡をかけている。

 マコトのスマートメガネには『ベンジャミン・ベイカー』と表示された。

 彼は、ちょうどキッチンで皿の上に何かを盛り付け終わったところだ。

「携帯端末、どうかしたの?」

 テーブルに自分の朝食の皿を運ぶベンに、マコトは怪訝な表情を浮かべて話しかけた。

「ネットワークになかなか繋がらなくてさぁ」

 ベンは自分の朝食の皿をテーブルに置きながら人懐っこい表情をマコトに返す。

 皿には、何かのひき肉で作ったハンバーグとサラダ菜と山盛りの長粒種のピラフがワンプレートに盛りつけられていた。

「サムには頼まなかったの?」

 マコトはもう一人いるルームメイトの名前を出した。

 サムは恒星間移民船アークの機械設備を担当しているハードウェアのエキスパートだ。

「うん、サムは面倒くさがりだからね。それに、困ってたらエドが声をかけてくれたから」

 ベンは少し困ったような笑顔を浮かべた。

 確かにサムは面倒ごとを嫌うし、嫌なことはハッキリ嫌だというタイプだ。

 それに対してエドは何を考えているかわからないところはあるが、少なくとも表面上は紳士的だ。おまけに何でも知っているし何でもできる。希少性の高い一級航宙士の有資格者で惑星間航行能力を持つ宇宙船の船長を務めることもできた。引く手あまたのエリートだ。

「そういえばサムはまだ起きてこないの?」

 マコトの問いかけにベンは首をすくめて微笑むことで肯定した。

「マコト、悪いがサムを起こしてくれないか」

 紅茶を飲み終わったエドは、立ち上がって食器を片付けながらマコトにうんざりしたような視線を送った。


 マコトは子供の頃の夢が叶い、くじら座タウ星系第四惑星を目指す恒星間移民船アークの乗組員選抜試験に合格した。地球全体での希望者、約五〇〇万人のうち、船に乗ることが許されたのは、たった四〇〇〇人。倍率一二五〇倍の超狭き門だった。

 そう言うとマコトがとんでもないエリートのように聞こえるが、別に頭のいい順で採用されたわけではない。

 閉鎖された社会を長期にわたって維持できるように、乗組員は宇宙船の操縦や機械設備の保守のほか、医療や介護、農業生産、生活物資の製造やリサイクル、治安維持、行政運営など、様々な知識、技術、能力を持った人間を年齢、性別も加味してバランスよく採用する必要があった。

 おまけに閉鎖環境における協調性や倫理観なども重視され、それを実地でチェックした第三次試験では、資格や能力をクリアした多くの候補者が、ふるい落とされた。

 その結果、マコトよりも、知能、知識面で遥かに優れた応募者が大量に脱落している。

 現在は、地球から見て月の裏側の重力均衡点(ラグランジュポイント)に停泊している恒星間移民船アークで乗組員に実際の宇宙旅行を疑似体験させ、気の遠くなるような長い旅に本当に参加するか否か、最終確認を行っているところだ。

 今、マコトたちがいるのは恒星間移民船アークの居住ブロックで、窓の外に見えたのは生活用水の貯水槽兼食用魚の養殖池だった。

 居住ブロックは直径五〇〇メートルにも及ぶ巨大な球形で、上半分は『地上』を形成し果樹園や耕作地、下半分は『地下』を形成し工場や住宅になっている。

 恒星間移民船アークは、そうした球形の居住ブロックを内部に六つ抱える直径一二〇〇メートルの球状宇宙船であり、数珠のよう連なる居住ブロックの中心には、推進機関やコントロールルームなどからなる中央ブロックが設けられていた。


 気の遠くなるような長い旅、それは心構えではなく冷徹な事実として宇宙船の中で死ぬ覚悟が必要だった。

 恒星間移民船アークの最高速度は、設計上、光速の十二パーセント。

 その程度の速度では、宇宙船内の時間の進みが遅くなるウラシマ効果も、たいして発揮されない。目的地である十二光年先のくじら座タウ星系第四惑星まで、船内時間で一〇〇年以上かかる計算だ。

 おまけに、一〇〇年以上のオーダーで安全に人体を冷凍睡眠させる技術も今のところ存在しない。平均寿命の伸びた昨今でも最初の乗組員たちは船内で寿命を終えることになる。そのため、移民計画は世代宇宙船に委ねられた。

 スペースコロニータイプの巨大移民船の中で乗組員たちは生活を営み、子を産み育て、最初の乗組員の子孫たちが目的地に到達するのだ。人道的に問題がある計画と言えるかもしれない。

 しかし、核戦争による荒廃と環境破壊に疲れた多くの人類は「夢」を必要としていた。

 マコトが恒星間移民船アークの乗組員選抜試験に合格したことを両親に報告した時、母親は寂しそうに笑い、父親は顔をしかめた。

 出発してしまえば、もう二度と息子に会うことはできなくなるのだ。

 それでもマコトの両親は息子の夢を尊重した。

 こうして、ある意味マコトの夢は叶ったが、子供の頃に思い描いた状況とはだいぶ異なっていた。マコト自身は憧れの移民星に生きてたどり着くことは恐らくできないのだ。

 おまけに、移民船の中では宇宙のロマンとはかけ離れた些末な出来事の数々がマコトを翻弄していた。


「サム、起きろよ」

 ドアをノックをしても返事がないので、マコトはルームメイトのベッドルームに入った。初めてのことではない。もう日課のようになっている。

 部屋の中は基本、マコトの部屋と同じレイアウトだ。違うのは、狭いにもかかわらず強引に背の高さほどもある大きな観葉植物の鉢がベッドの横に置いてあること、机の横の壁に水着姿の若い女性のポスターが貼ってあることだ。また、困ったことに、床にはシャツや靴下が脱ぎ散らかしてある。マコトは軽くため息をつきながら、床に放置してある服を避け、観葉植物の大きな葉をよけてベッドの前に辿り着く。

 ベッドの上には上半身裸のアフリカ系の手足の長い痩せた男が、ネイビーブルーの毛布を抱きしめて横向きに眠っていた。楽しい夢を見ているらしく顔が思い切りニヤけている。

 マコトのスマートメガネには、『サミュエル・サンズ』と表示されていた。

「サム、いい加減起きないと仕事に遅れるよ!」

 マコトがサムの枕元に顔を寄せて肩をゆすると、彼は突然巨大な手のひらをマコトの後頭部に回し、自分の方に思い切り引き寄せた。

「う~ん、ジャネット。君は最高だよ」

 寝ぼけている。だが、力が強い。マコトの唇にサムの唇が迫ってきた。

 マコトは必死の形相で、サムの唇を自分の手のひらで遮り、渾身の力で突き放した。

「やめろ! 僕のファーストキスを、おまえなんかに奪われてたまるか!」

 マコトの叫び声を聞いて、ようやくサムは目を開いた。

「けっ、マコか」

 漆黒の肌、短く刈り上げた天然パーマの若い男は、ベッドの上に身体を起こすと、サイドテーブルからメタルフレームのロイド型眼鏡を取り出して鼻先に乗せる。

「マコじゃない、マコトだ!」

 マコトはベッドから離れると、うんざりしたような表情をサムに向けた。

「いいじゃないか。俺だって本当はサミュエルなのに、おまえはサムと呼ぶ。ベンジャミンはベンだ、エドは、ええと、何だっけ?」

「エドワードだよ!」

「おう、そうだ、そうだ。だから、お前はマコでいいだろ。お相子だ」

 サムは自分で言って自分で納得したように手を打った。

「そんなにちょこっと省略してもあんま意味ないだろ! で、ジャネットって誰?」

 毎日繰り返されているネタにうんざりしたマコトは、本日新たにサムから提供されたネタに話題を切り替えた。

「消防団に所属しているグラマーだよ。Gカップだぞ、Gカップ!」

 サムの細い目が大きく見開かれ、黒い瞳がキラキラ輝く。

「この間は農園管理主任のジャクリーンに一目惚れしたとか言ってたよな。その前は副操縦士のフローラが好みだとか言ってたし」

「古傷に触れんじゃねえよ! 人生、常に前向きがオレ様のポリシーだ。マコ、お前だって、普通に女が好きなんだろ。もっと自分に素直になれよ。このムッツリが。人生は短いぞ」

「うるさいな。早く飯食いに行けよ!」

 マコトの現在一位の懸案事項に触れてきたサムに、マコトは思わず声を荒げた。

「いや、まずシャワーを浴びる。女性に好かれるためには清潔が一番だ」

「どうせ午前の仕事が終わったら、またシャワー浴びるつもりだろ! 一日一回で済ませろよ。水がもったいないだろ!」

「午前中と午後じゃあ、会うメンバーが違う。それにオレ様は汗っかきだし。この移民船の水は、オレ様がばっちりリサイクルしてるから不足していない。大丈夫だ。じゃあな」

 サムはベッドから素早く立ち上がると、マコトを残して自分の部屋から出て行った。

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