第10話 ブラック、好きなんですか?

 俺は降りたことのない駅だったために、彼女の横でついて行くことしか出来なかった。彼女の言っていた喫茶店は、駅から少しだけ線路沿いに歩いた後、一度曲がって数百メートルくらい歩いた場所にあった。


 近くに大きなマンションがあるものの、繁華街はもう少し向こうのほうにあるからなのか、町の雰囲気は小さくまとまっているようだった。


 喫茶店の中に入ることはあまりなかったので、なんだか少し体がこわばってしまう。彼女の後ろについて店に入った。


 店は俺と彼女以外には老人一人と老夫婦一組のみだった。彼女はカウンター席ではなくテーブル席を選択した。


 スマホをちらっと見たところ、時刻は6時を少し過ぎていた。メニューを手に取った後、彼女は暖かい紅茶とプリンを注文した。俺は普段あまりコーヒーを飲まないのに、なぜかホットコーヒーを注文した。


 食事を頼まないのか、と問われたが、家にご飯は用意されていると嘘をついた。姉には、友人と遊ぶので悪いが夕飯は適当に買ってくれとLINEしていた。


「では、そろそろ本題に入らせていただきます」


 注文を終えたタイミングで、彼女は俺の目を見てそう言った。正直半分くらいその目的を忘れていた俺は、何を言われるのか分からないがとりあえず気合いを入れ直した。


「まず最初に、実はあなたと彩が付き合っていることは彼女から聞いていました。」


「そうか」


「当然、別れたことも知っています。ただ、彼女があなたと一度会って話すと言った次の日から様子がおかしくなったんです。覚えていますか?二週間ほど前のことです」


「ああ」


 まさかそこに繋がると思っていなかった俺は急に気が重くなった。


「できれば、何があったのか私に教えてほしいのです。彼女は私に何も話してくれませんでした」


「…………」


 彼女に言ってしまうべきなのだろうか。時が止まったような気がするほど、永遠の沈黙に感じられた。


 気まずい空気の中、喫茶店のマスターが注文の品を持ってきた。彼女は何事もなかったように紅茶に口をつけた。


「冷める前に一口でもいいので飲んでみてください。美味しいですよ」


 俺は言われた通りに一口飲んでみる。やはり普段から飲み慣れていないからか、苦くて顔をしかめてしまう。


「ブラック、好きなんですか?砂糖とミルク、ありますけど」


 俺は彼女に言われるまで自分のコーヒーに付属した砂糖とミルクの存在に気が付かなかった。それらを入れて飲むと、幾分か苦味が緩和されて飲みやすかった。


「やっぱり、言いたくなければ言わなくていいです。相当思い詰めてるようですし。きっとあなたにも事情があるんでしょう」


 しばらくの沈黙の後、彼女は一度そう呟いて、もう一口紅茶を飲んだ。


「ただ、彩に話を聞いたときも今のあなたと同じような顔をしていました。それだけは覚えていてください」


 彩はなぜ話さなかったのか。自分が浮気されていた惨めさなんかではなく、俺がもしもそんなことをしていなかった時、その名誉を守るためなのではないか。


 一度広まった噂は戻らないから嫌いなんだ。俺たちの関係はできるなら秘密にしてほしい。


 わかった。私も信頼できる子にしか話さないし、もし話したとしても友達にそれは言っておくね。


 ふと、付き合った初めの頃の約束を思い出す。


 誰にも話さないことで逃げていた俺と違って、彩は誰にも話さないことで俺を守ってくれていたのかもしれない。


「泣かないでください」


 佐々木がそう言ったことで、自分が泣いていることに気づいた。


「ごめん、全部話そうと思う。彩にも直接言いたいから連絡しておいてくれないかな。話しかけるなって言われてるから」


「めんどくさい人ですね。まあ、そういうところもなんか聞いてた通りです。連絡先交換してもらってもいいですか?クラスラインから勝手にしてもいいんですけど、形式上」


 そう言って彼女と俺は連絡先を交換した。


「私は問題が解決しそうなら話を聞かなくてもいいんですけど、話しますか?もちろん秘密にはします。そのためにわざわざこんなところまで来たので」


「話させてくれ」


 多分、今話せなければ彩にも話せなくなる気がしたので、俺は覚悟を決めた。

 彼女はプリンを食べながら俺が話し出すのを待ってくれている。深呼吸して、頭の中を整理した。


「佐々木さんって女装についてどう思う?」


「え?」


 目を点にして一瞬固まる彼女。しかしすぐに元に戻って俺の問いにこう答えた。


「別にどうも思いません。本人がやりたいのならそれでいいと思います」


 彼女はやや怪訝な表情をしていた。突然そんなことを聞かれても話がつながらないのだろう。当然である。


 俺は彼女にひなてゃのアカウントを見せる。ログインはせずに、IDを検索して出した。


 知らぬ間にフォロワーは2000人近くになっていた。それともう一つ、姉の仕業だろう、固定ツイートが元に戻ってることに今更気づいた。


「これ、俺なんだ」


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