第2話 いつも見守ってるんだから

 俺はその後、靴を脱いで手洗いうがいを済ませ、階段を上り二階の自室に戻って着替えた後に、あさひの感触を思い出し、一人ベットの上でボーッとしていた。


 姉に抱かれたのなんていつ以来だっただろうか。少なくとも俺が中学校に上がったころにはもうそのような過剰なスキンシップはとらなくなっていたように思う。


 恋人を「抱いた」ことはあっても「抱かれた」ことはなかった俺にとって、それは知らなかった感覚で、忘れられないものになる予感がした。


「おっぱい、でっかかったなぁ」


 思わず漏れ出た最低なひとりごと。あくまで推測であるが、彼女のより大きかった。付き合って半年で、お互いに初めての恋人だったこともあって、頻繁にスキンシップをとることはしてこなかった。というか、できなかった。


 せいぜいキスまでが限界であった。それもクリスマスイブにめちゃくちゃいい雰囲気になったときの一回だけ。


 だから、彼女の本当の胸のサイズは知らない。ただ、胸は盛ることはできても減らすことはできない。現代日本で日常的にサラシを巻いている人間なんていないだろうから。


 そんなくだらないことを考えていたら、玄関の開いた音がした。おそらく、二つ上の姉、夕が帰ってきたのだろう。


 夕は高校3年生ではあるが、大学は推薦入試で既に決まっているらしく、特に忙しそうにしているわけではない。ただ、俺が部活動なしですぐに家に帰った場合、通う高校の距離の問題で俺よりも帰るのが少し遅くなるのがいつものことであった。


 姉が帰ってきたタイミングで俺は一階のリビングに行き、食事の用意を始めることにした。うちの父は二年前から単身赴任で海外にいる。母は俺が中学を卒業したタイミングで父と一緒に暮らすために海外へ行ってしまった。


 去年の四月から姉は受験勉強をしているということもあって、多くの家事は俺が負担することになっていた。


 姉の大学の合格が決まってからは、彼女も家事をしてくれるのではないかと期待していたが、少し家事を手伝う量が増えた程度で俺にとって大きな変化はなかった。


「ただいま」


「おかえり、姉ちゃん」


 制服のままリビングに入り込んだ夕がソファに寝転んでスマホをさわる。いつもキッチンのほうに足を向けるため、そこまでスカートが短くないものの、太ももが見えるのが微妙に気になる。


 ただ、指摘するのも面倒なのでかれこれ一年近くこんな感じだ。姉は俺と二人きりになってからは、自分の部屋よりもリビングでくつろぐことのほうが多くなっていた。


「そういえば今日、あさひ姉さんが帰ってきてたよ」


 俺は冷蔵庫を開けながらそう言った。冷蔵庫の中を見てみると、牛肉が目についた。そろそろ使いきらなければいけないと思っていたので、晩ご飯は牛皿を作ることに決めた。


「ふーん、そう」


 夕はあさひよりもおとなしい性格をしていて、俺への態度もいつもそっけない。必要以上の会話はしないタイプである。

 二人で暮らすようになってから、よりその傾向が強くなったように感じる。しばらく携帯をいじった後、姉は黙って部屋に着替えを取りに行った。



 数十分で料理を作り終えた俺は、いつのまにかリビングに戻ってきていた姉に声をかけ、一緒に食事をとることにした。

 配膳はいつも彼女の役割で、コップにお茶を注いで、完成した品をテーブルに並べてくれる。牛皿だけでは物足りないので、カット野菜と漬物を冷蔵庫から出し、インスタント味噌汁も入れた。


「いただきます」


 姉と俺は軽く両手をあわせて食事をはじめる。六人掛けのテーブルの真ん中の席に、対面で座るのがいつものポジションだ。


 食事中もしばらく無言が続くのはいつものことだ。俺が話しかけると答えてくれるが、彼女が自分から話しかけてくることは滅多になかった。体感1割程度である。


 だから、食事が終わりかけたあたりで彼女の口から出た一言はかなり意外なものだった。


「あのさ、ヒナタ。もしかして彼女と別れた?」


「えっ?もしかして、あさひ姉さんから聞いた?」


 突然の発言に思わず声が裏返る。


「へえ、あさひには言ってたんだ。バレンタインなのに早く帰ってきてるし、なんか元気ないからそうなのかなって」


 夕はあさひが先に知っていることがなんだか気に食わないようだったが、俺が別れたことに関しては少し嬉しそうにしているようだった。広角が上がっているし声音も少し高い。


「そう、そんなに元気なかったかな?」


「まあ、気づくよ。ヒナタのことはいつも見守ってるんだから」


 そう言った夕の瞳は慈悲深い女神のように、温かくて、優しく感じた。


「ありがとう」


 俺は夕に感謝の気持ちを込めてそう言った。いつもそっけない態度ながら、俺のことを見てくれていたことは素直に嬉しかった。



「あのさ、これ」


 俺が食事を終えたタイミングで、彼女が足元の学生カバンから取り出したのは銀のリボンで結ばれたピンク色の箱だった。


「チョコレート、彼女がいるならいらないかなとも思ったんだけど、一応」


 夕が上目遣いで俺をじっと見つめる。実の姉にこんなこと思うのはどうかと思うが、かなり可愛い。


 黒髪ロングの正統派美少女。あさひと違ってスレンダーな体型の割に、少し身長が足りないような気もするが、それもギャップとなって可愛らしさが強調されている。


 内向的な性格の夕は、あさひと違って思ったことやしたいことをすぐに行動に移さない。


 そんな夕が俺のことを色々考えてくれていたことを知ると、彼女の弟でよかったなと感じた。


「本当にありがとう。大切に食べるよ」


「うん、今日は私が夕食の片付けをしておくからヒナタは部屋に戻ってていいよ。いつも任せきりでごめん」


 そう言って彼女は僕を部屋に行くように促した。僕は彼女の言葉に素直に甘えることにした。

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