17:20―ノズリザの到着

 三四区を配達していた私は、うまく糖蜜雨をやりすごすことができた。雨と雨の隙間を見つけて、ちゃかちゃかと運んでしまうに限る。配達こそ遅れ、日が大きく傾いているが、物数の増加に比べたらむしろ出来は並程度だろう。こういうのはあまり自分を責めすぎない方がいい。

「さて、どうしよっか。もうチユヒコの方は終わったかもな。」

 とは言え、彼女より早く終わってしまった事実に浸るのは、ここだけの話、少し気がいいのも真だ。彼女とは決して仲が悪いわけではないのだが、張り合ってくるような彼女の競争心に軽く指紋を付けておくのは、少々悦に入る。

 私の性格が悪いんじゃない。彼女の性格がもあって、私を楽しくさせてしまうのだから。手伝ってあげようか、なんて私が声を掛けても、彼女は手を振り切ってしまう。それが分かり切った事であればこそ、私は尚更、彼女を手伝いに行く。

 …と、ここまで考えて、じわじわと昼ミーティングを思い出した。そういえば、彼女の配達エリアは竜巻が起きて、敵も増えているはずだ。流石に配達の進捗は私より遅いのが当然だろう。

 そうなってくると私が向かうのは当然のことだし、何も面白いことはないのだ。残弾数や装備品の過不足を思い返しながら、三三区に向かう。

 河川を挟み、橋と陸橋を超えたふもとにあるそのエリアは、今では彼女の非番日に私が配達する故に、すっかりお馴染みの地域となっていた。そして、広い河川の上からそこへ臨むと、私は、胸中でごみごみとした感情が波打つのを抑えることができなくなった。

 雷と、みぞれ。そして刺激的なにおい。まだテレビが健在だったころ、自然番組でみた蚊柱の映像。またはどこかのお祭りで焚かれているかがり火。この世の物とは思えない、ダイナミックな狂気が、街で踊っていた。

 例の三三区地域は、すっかり伏魔殿へと変容していたのだ。


 とっかかりの信号から奥へ走らせる。と、すぐにチユヒコは見つかった。珍しく雨合羽を着て、重装備の彼女は、私を見ると諦めた顔をして「お疲れ様」と言った。私も私で、受け入れる様に「お疲れ様」と言い、恐らく、汚れ切った制服の上から、意味もなく羽織っているに過ぎない、遅すぎる合羽の登場に苦笑した。

「で、私は何を手伝えばいいんだい?」

「西部シェルター前だ。この辺はもう片付けるから、西シェルター前の敵をやってほしい。」

「あっちがまだなの。」

「あそこの雨がピンポイントで強すぎてな。」

 たぶん彼女がそう言うとすれば、竜巻はほとんど区の中央に出たのだ。それに彼女がそこの対応を苦戦しているのなら、そこから南西にかけての一帯が天候不良かもしれない。そもすれば、南の上司もそう簡単に駆けつけることはできないだろう。

 本当、嫌な時代になったなあ、気象兵器。

 私は空中制動機のハンドルを切り、巡回しながら西を目指す。町の安全の為にできるだけ敵は潰すべき、との前提からだが、お巡りさんや消防団やその他もろもろの業者が戦った後であろう痕跡ばかりがあり、ノイズはそう多くない。すぐ向こうでお巡りさんがドンパチやっているのが聞こえてくる。

 明日の午前になれば、この辺のゴミ収集のプロが戦闘と残骸回収を一部やってくれるのだからそれまでの辛抱だぞ、みんな。


 横殴りで風が吹き始めると、雨足は退き始めた。雲が流されていく。同時に外務業務の限界である十八時三十分まで、あと一時間を切った。

「よし、やっと雨上がり。ラストスパートいくよ!」

 三三区の西に向けて、空制機を突っ込ませる。後ろから敵の小群を殲滅したチユヒコが追いかけてくる。


 ねえ、私にあなたの戦う所を見せてよ。久々に。終わらせよう、とかそうじゃなく。私は私の速さの為に、あなたはあなたの速さの為に。お互いが早くなるために、磨きをかけるって素敵なことじゃない?


 西部シェルターはぴっしりとシャッターが閉ざされていて、敵は駅前の鳩のようにあっちこっちに散らばっていた。電柱は倒れ、ブロック塀は鉄筋を露わにしている。地獄絵図か何かを見ているようで、ほとんどの家は半壊している。もうこの辺の配達は当分ないだろう。

「家まで壊しちゃうノイズって久しぶりだね。」

「ふん、何楽しそうにしてるんだ。不謹慎だぞ。」

「楽しんでなんかないんだなー。疲れすぎて私の顔に幻覚を見ているんだよ、チユヒコは。あーあ、可哀想。」

「いや疲れたよ。帰りたいよ。」

「そうね。早く帰ろうね。」

 こっちに気付いた敵が襲い掛かってくる。見たこともない速さで。

 僚友も私も銃口を打ち鳴らした。燃える西の空と、闇の訪れた東の空との間に、敵の流血と体液で土を濡らす。撃って、撃って、撃ちまくる。回転する重火器の薬室と、空中制動機のモーターが、私たちに「すべてを務めに捧げよ」とはやし立て、爆音とともに理性をはじき飛ばす。

 この危険すぎる仕事に勤務上限があってよかった。一度夕闇に足を突っ込むと、もう戻ってこれないだろうから。敵が多い日は、私たちが狂気と攻撃本能に支配され、最も理性から遠ざかる日だから。

 帰ろう。血に美しさを求め出す前に。残酷だよ、この仕事は。ただの郵便屋さんなんだよ、お巡りさんじゃないんだよ、私たちは。

 戦いは銃から刀に移り、日はどんどん傾いていく。それと同時に終わりも見えてくる。雨から晴れへと移った空模様に応じて、敵もぐっと弱くなってきた。遠くでは例のボス敵の悲鳴が響き、戦いの音は止んだのだが、そんなことさえ知る由もない。


 空には巨大な虹が架かっていた。見えざる虹。戦いに没する私たちに、失われてしまった美―

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