15:49―チユヒコの交戦と離脱

 私たちは雨雲に追いかけられながら、時間に追いかけられながら、同時に仕事が終わるその瞬間、達成感という至福を追いかけている。

 でも、薄靄と霧雨に覆われたこの町の、ビルの影、公園の草むら、牧場の柵、墓場の墓石、ボート小屋、ひしめく人々の市場のそこここから、彼らの需める呼び声を溢れさせ、かつては働く意思によって輝かんばかりだった我らが勤労意欲を、すっかり傷物にしてしまうのだ。時計の秒針が刻一刻と、盤上を歩みゆくその呼吸音に、私たちは責め苛まれている。

 馬鹿みたいだよね。最初から世界は壊れてなんかいないのに、あたかもかみ合わない歪みを見つけて嘆くに終始する自分達に気づかない。そのために、鮮烈に世界を照らす爆弾が投下さえたのだろうか、なんて考えて、崩落した世界を私は見た。

「ああ、郵便屋さんが来たよ…」

「まさか家ごと壊されるとは。俺達もシェルター暮らしになってもうた。保険が効くからいいけどな。がっはっは。」

「とりあえず、あのノイズ早くなんとかしてくれよ~」


 街の人は皆どうかしている。住処を壊されたのに、意にも解さず、へらへらとしている。途方にもくれず、逆に気丈に振舞っているわけでもない。

 積み上げて、崩されて、また積み上げて、崩されて…。

 この短期的な変化と循環に、完全に順応しきっている彼らを見て、私は、熱に浮かされるような、悪夢を見ているような、あの気持ちの悪い浮遊感が背中を這い登るのを感じた。

 既に警察と猟友会、消防団なんかが、抑え込もうと必死にと戦っていた。糖蜜雨を吸って巨大化したその敵は、いつも見る「NLN(偽りなき昼)」や「ChickenEcho(鶏鳴どき)」とは異なる敵。まあグロテスクな奴だ。

「郵便屋さんだな!こっちでやってるから、加勢してくれ!」

「お巡りさん、こんにちは。」

「手ごわいぞ、コイツ。コードはRecomingCheval(シュヴァルの再来)だな。初めて見たけども!二体目三体目が降って来たら終わりなんじゃないかなぁ!」

 そもそも警察で無理なのだから、一介の配達員である私が出る幕はないんじゃないか。配達途上で現れた敵を倒すための軽装備しか、私たちには支給されていないのだ。でも、ピンクなのか茶色なのか分からない奇抜な線を着た巡査殿は、さも当然と言った様子で私に指示を出してくる。

「糖蜜雨が強まる前に倒してしまうしかない。雨が強いとコイツ回復して再生するからな。なんとかフォローに尽力して頂きたい。メインは私たちがやりますので。」

 いわばザコ処理係だ。敵はうねるように奇怪な体…それもシュルレアリスム派の彫刻のような外見を震わせて叫ぶ。私にはよく分からない感性をしている。

 この後の天気は、確かに強まりそうだった。空中制動機にはまだ半分くらい郵便が積まれているのが気にかかった。


 だが、私は答えていた。

「かまいませんよ。もう時間指定された配達物はありませんので。」


 何が「かまいませんよ」だ。帰りたいんだよ。


 しかもキッ、とした目しちゃってさ。


 あたかも働けて嬉しいみたいに。


 人々のおだてる声を受け入れるみたいに。


「私共は優秀な配達員ですので。こなせます。四十五分もかからないでしょう。」

 直後、私は空中制動機に飛び乗っていた。三丁目市街中心部から迂回するように、近場のシェルターへの網目に突っ込むと、さっそくノイズにぶち当たる。雨を帯びてつやつやとした敵は、興味に満ちた顔を私に向け、うってかわって私は無感情な銃口をそいつらに向けてやる。

「四十五?いいや、三十分だ。三十分で片付けてやる!補助が来る前にな!」

 コルク抜きが瓶口をがっちりとホールドして、ギリギリと鋭い牙を食い込ませるように、距離を開けずに力任せの攻撃をぶっぱなす。圧倒的な火力で制圧し、次の道へ飛び移る。赤い空制機は本体で大きな弾道を描き、あみだくじのような家々の壁ギリギリで進んでゆく。慣性が私の体を襲うが、身を低くかがめてやりすごす。

 補助のノズリザは北部の陸橋側から、上司は南の局側からやってくるから、西側の大シェルター前が一番重いだろう。北東部の小シェルター周辺は、最悪でもノズリザがやってくれるはずだ。


「…?」


 待て、おかしい。敵の動きがおかしい。

 私はヘルメットと活動帽のつばを持ち上げて上空を見た。

 べっこう色の空。明るい空とは裏腹に、小雨は本格的に降っていた。単位時間で二ミリといったところか。しかも糖蜜雨なんてだるいものじゃなかった。


 酸だ。


 しかも酸に交じりながらみぞれまで降っている。町に吐瀉物のような独特なにおいが立ち込め、雷音が雲海の腹を列車のように走っていく。

 敵は速い。しかもクソ強い。地面を叩く雨と共に、背後からの連撃が私に襲い掛かる。

「くそっ、空制機の銃口を操るより敵が回り込む方が早い…!砲火戦から肉弾戦寄りになるまでが早すぎるよなァ。勝てるわけないぞこれ。」

 殴りかかってきた敵をいなし、背後から切りつける。かわいいバディであるはずの愛機1223-3号を盾にしてしまっている自分が憎い。大きなダメージを叩きこむことができないまま、二体目の加勢を許してしまう。

 自由自在に滑る敵に、ついに三体目が加わったとき、私は戦うことを諦めた。こんな奴ら、私なんかでは―少なくとも今の私では、とてもじゃないが相手にしていられない。発煙筒を投げて、泣く泣く西シェルターから遠ざかる。

「北東だ、北東からやり直す!西シェルターはもう雨が止むのを待つしかない…!」

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