第11.5話 私の娘
剣を振るたびに冬の冷たい空気が横を通り過ぎていく。ヴァルキトア公爵夫人こと、ヴィアーネ・ヴァルキトアは朝から空気を割るような速さで剣をふるっていた。
彼女にはウルツライト帝国産まれの過去がある。
彼女は昔、『人形姫』と言われていた。すべては親の言う通りに、他の人に何か言われたところで冷めたような瞳を向けながら、微笑んで「そうですか。」というような少女だった。それを見た人々は口々に彼女のことを『人形姫』と言い、社交界では失礼な発言も大分されてきた。エルフの血を色濃く受けた彼女には全ての言葉が聞こえてきたが、気にしたことすらなかった。だからこそ、失礼な発言をした人々は処刑されずに済んだともいえる。
彼女の生家はエメラルド公爵家、つまり帝国で2番目に地位の高いところにいたのだ。帝国では未だに貴族階級に厳しく、上の貴族程人間の血は薄く、人外者の血が多い。人間よりも力が強く、叡智もある。だからこそ、長きにわたり大きな権力を持ち、その地位を確立させてきていた。
彼女は親の言う通りにしかしない、まさに人形のような者だった。彼女は興味がなかったのだ。何もかも、見るものすべてに興味が持てなった。生まれた時から多くの知識を持ち合わせ、世界のことを知って生まれてくる珍しい種族として生を受けた彼女には特にこれと言って興味が惹かれるものはなかった。
しかし、そんな色のない生活は今の旦那のテウドに会うことで大きく変わっていった。帝国記念日の時に開かれたパーティーで出会ったのだ。さらりとしたブロンドに海を思わせるような深い青色の瞳をした彼に一目惚れをしたヴィアーネは目の色を変えて直ぐに行動に移した。
『ヴィアーネ』としての時間が動き出したのはきっとこの時だったのだろう。それからの彼女の行動は早かった。自国に帰ってしまう前に猛アタックし、出会って2日で婚約を取り付けた。今まで彼女を心配していた両親も目を見開いて驚いた。今までそこまで感情の起伏の無かった彼女が突然元気になり、まさか他国から来た貴族に求婚するとは思わないではないか。このことは大きく社交の場をざわつかせ、他の上流貴族や王族たちの一部男性陣が頭を抱えたとか、抱えてないとか。
ヴィアーネはこの時の判断を後悔していないし、逆に良かったとさえ思っている。両親も最初は驚いていたが、自分達の大切な一人娘が他の輩に取られないうちに早々と婚約の儀を済ませ、背中を押すようにテウドが帰国すると同時に彼女を帝国内から外に出した。
感情を無くして生きてきた少女は、国を飛び出して感情を取り戻したのだ。このことは多くの劇場で題材にされ、国内外ともに人気な演目として、今でもどこかの街で上映を繰り返されている。
『人形姫』と言われた少女はもう既にどこにもおらず、今日も元気に剣をふるっているのはヴァルキトア公爵夫人だ。
「さて、今日はここまでにしましょうか。付き合ってくれてありがとう、ラック。体を動かすとすっきりするわね。」
「いえ、またいつでもお声がけください。」
「そうね、また明日にでもしましょうか。」
「ええ、もちろんお付き合い致しますよ。」
そう言いながら、彼女のボディーガード兼執事をしているラックは素早い動作で剣を鞘にしまい、家の者に目配せして指示を出した。彼はヴィアーネが帝国から連れてきた幼い頃から彼女についている者の一人だ。
最近、娘の恋人が娘さんを自分にくださいと言ってきたので、頭を悩ませているらしいが全く顔には出ていない。それもあって彼自身も少しストレスがあったのか、剣を交えた後は心なしかすっきりとした顔をしている。それが分かるのは長年一緒にいるもう一人のボディーガードと侍女、それと主のヴィアーネだけだが。
ヴィアーネも剣を鞘にしまって武器庫に置きに行こうとすると横からラックがすっと剣を取り上げる。
「奥様、貴方はこの後、用事があるでしょう。お子様たちがお待ちしているでしょうからお早めに行ってください。はい、今すぐ!」
「分かったわ、ありがとう。」
くすりと笑いながら、ヴィアーネは方向を変えて屋敷の方へと歩き出した。
ヴィアーネは過去の自分があまり好きではない、だからこそ自分の子供たちの個性をとても大事にしているし、皆同じだけの愛情を向けている。ただ、同性ということもあってか、少し娘贔屓なところもあるのだが、そこは仕方がないところだろう。
「さて、セレナちゃんはどこにいるのかしら?また書斎に行っているのでしょうね。」
一度言葉を切って少しため息をつく。
「いつか…話してくれる日が来ると良いわね。」
ヴィアーネは「ね?」と後ろに控えていた侍女に向けて同意を求めるが、侍女はただ静かにそこに立っているだけだ。「もう、ジュネも気付いているでしょうに…」と言いながら頬を膨らませている。
ジュネと呼ばれた侍女は、呆れた顔をして「そこまで気にしなくても、いずれ話すことがくるので大丈夫ですよ。」と言ったのであった。
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