第9.5話 尊敬すべき人

自分の中には前の人間の記憶がある。いや、正確に言うと『あった』が正しい。



それを知ったのは物心がついた時だった。最初は自分と同じ人が前世を持って生まれてきたのかと思っていたが、実際は違っていた。




これは、生まれて少し過ぎた頃の話。いつも一緒にいるノースは三男のルスに連れ出されておりおらず、いつも通りの2人用の部屋で絵本を読んでいた時のことだ。季節は今と同じような夏で、外は緑のカーテンに覆われ、どこからともなく透き通るような澄んだ空気が風と共に室内に流れ込んで来ていた。


その時は既に物心がついており、言葉も単語であれば話すことができた。そのころ、イルは物心がついた時から繰り返しみている夢があった。今日もその夢をみた。


——杖のようなものを持ちながら、魔物に立ち向かう『誰か』とそれを補助するように立つ一人称視点の、おそらく自分。


「…何故なんだろうな、人間というのはいつになっても理解に苦しむ。くだらないことで争い、自分たちの安全の保身のために生き物を殺し、時に生かす。まるで生殺与奪の権利は自分たち、人間側が握っているかのように言うんだ。」

前に立っていた杖を持つ青年は一瞬にして魔物と思しきものを倒すと、そう言いながら表情を浮かべない顔をこちらに向ける。杖をあらぬ方向に放り投げると杖は光の粒子となって散っていった。彼は右側の鞘に刺さった剣の柄の部分を撫でながら続ける。

「本当は違うんだがな…」

少年がふと、下を見ることによって瞳に影が落ちる。さらりとした髪が風になびき、暗かったその場に光が戻ってくる。瞳の中に一瞬だけ不思議な模様が見えたが、すぐにそれは見えなくなる。


そして、場面が変わる。開けた花畑にいて、斜め前には巨木が立っていた。先ほどと同じ青年が目の前に立っていて、自分は座っているようで、青年を見上げる形になっている。

「久しぶり。」

「久しぶりだね。」

「——、元気そうで何よりだよ。」

「・・・相変わらず、ここは静かだね。お前は変わっていないが、ここの景色はだいぶ変わったようだね。」

「確かに、ここは変わってしまった、でも変わらないものもあるんだよ?例えば、何年経っても君は若い頃から姿が変わっていない、とかね。でも口調は前とは違うみたいだね?」

「…いや、お前もずいぶん色褪せたかな?今、私は生まれ変わって違う世界で暮らしているんだよ。」

「そうなんだ、そこでは楽しくやってるの?」

「ずっと、探していた子が見つかったんだ。」

「それって、昔一回だけ君が話してくれた子のことかな?」

「今はその子は私の妹として生きているんだ。毎日が幸せで、毎日が楽しいよ。」

「…そっか、それは良かった。君はいつも、つまらなそうだったからね。」

優しい風が吹き、彼が後ろに結んだ髪を揺らす。


「…本当に、不思議なものだ。情はないと思っていたお前が命を落としたと聞いて、私はどうでもよかったのに、彼女が会いに行けというから…また、ここに来るとはね。」

そう言いながら、手に持っていた花束をだいぶ雑に墓石の方向に投げた。そうだ、自分はもう既に死んでいるんだった——


いつもここで夢は終わる。それがきっと自分の、いや、彼の最期だったのだろう。それを何度も見ているうちに夢に出てくる一人称視点の人物は自分ではないことが何となくわかった。元の性格が違い、彼はそもそも人間ではないからだ。イルには一応、人間の血も流れている。絵本を読んでいたらその事実に気付いたのだ。


(よく気付いたね。)


誰か知らない声が頭に響いた。一体それが誰で、なぜそこにいるのかと思った。

(ああ、私は——、って言っても多分聞き取れないんじゃないかな?)

声の主が言う通り、名前を言っているところだけが何故か聞き取れなかった。

(まあ、もう既にこの世にはいない『人ならざる者』だと思ってくれていいよ。)

この世界にはいまだに道の生物が多く、いわゆる『人外者』と言われる生物も多く存在している。つまり、この声の主は人外者ということなのだろう。

(さすがイル、賢いね。そう、私は人外者、元は違う星に住んでいた者だ。)

何故、僕の中にいるの?

(…手違い、と言いたいところだけどこれまた私とは違った『人外者』の仕業で、一つしか入らないはずだった肉体に2つの魂が入ってしまったようだね。)

手違い、ではなく人外者の仕業?

(イル、君はあまり考えなくて大丈夫。私の力でここから出ることはできるだろうけど、力加減を間違えるとイルの魂も離れてしまうだろうから、友人に頼んでおいたから。もうすぐ来るはずだよ。)

友人?それは一体…。

(もうそろそろ到着する…来たみたいだね。)


自分の意志に反して、勝手に目が窓の方に動く。自分が操っているようで、他人に操られている、という不思議な感覚を味わったのは今日が初めてで最期だった。どうやら声の主が自主的にこの体を動かさないようにしてくれていたおかげでこの奇妙な感覚を味合わずに済んだようだ。


窓の方には光を浴びる何かがそこにいた。

「どうやら私の同族が迷惑をかけたみたいだね。責任をもって彼女が魂を引き取りに来たよ。」

そこに立っていたのは二人で片方は見たことがある…そう、夢の中で何度も見た青年だった。その隣には性別不明だが、一目でこの世の者ではないと分かる者が立っていた。


「魂を弄るのは私たち、同族の中でも規律違反です。よって、弄ったものは既に対処させていただきました。そのためこちらに来る時期が遅れてしまい、半年かかってしまいましたが、今回片方の魂を引き取りに来ました。引き取る魂は、今度は正しい道を通れるように天界の管理者の一人である私が、責任をもってお届けする、ということで話がまとまりました。」

(助かりますよ。どうか、よろしくお願いします。)

「では、始めます。」

そう言って手を僕にかざした。一瞬ふわりとした感覚があり、瞬間的に閉じた目を開くと、目の前にもう一人増えていた。きっと彼が今まで僕の中にいた人外者なのだろう。


「イル、お世話になったね。きみのおかげで、生まれて間もない人間の感覚というものを初めて味わったよ。何だかんだ楽しかった。…また会うときは、違う世界だろうけど、今度は友人として関係を築きたいね。」

大人の姿で現れた同居人は僕の頭を撫でながらそう言う。彼の隣まで歩いてきた青年は今まで閉ざしていた口を開く。


「——、お前の記憶が一時的とはいえ、この子供の中にあることは危険だよ。人間と我々、人外者では記憶の保有量に大きな差がある。今、断片的だとはいえ、人間よりも圧倒的に生きた君の記憶がこの子を占めている状態は、彼の思考を遮断しかねない。あまりしたくはないが…今までの記憶を、この子の中から消してしまってもいいかい?」

「…随分と昔の君だったら聞いてこなかったことを聞いてくれるんだね?変わったじゃないか、彼女には会えたのかな?」


その会話を聞いて少し、違和感を感じたが、その時はそれを考えている暇はなく、会話がどんどん進んでいくのを見ていることしかできなかった。その後の記憶はあったのか、それとも気絶したのか、消されてしまったのか。


次に目を覚ました時にはもうすでに三人の姿はどこにもなく、あったはずの記憶はなくなっていた。しかし、その日の夜、何度も繰り返してきた最後の夢をみた。


僕は開けた花畑にいて、斜め前には巨木が立っていた。先ほどと同じ青年が目の前に立っていて、自分は座っているようで、青年を見上げる形になっている。

「久しぶりだね。」


「・・・相変わらず、ここは静かだね。お前は変わっていないが、ここの景色はだいぶ変わったようだね。」


「…いや、お前もずいぶん色褪せたかな?今、私は生まれ変わって違う世界で暮らしているんだよ。」


「ずっと、探していた子が見つかったんだ。」


「今はその子は私の妹として生きているんだ。毎日が幸せで、毎日が楽しいよ。」


優しい風が吹き、彼が後ろに結んだ髪を揺らした。


「…本当に、不思議なものだ。情はないと思っていたお前が命を落としたと聞いて、私はどうでもよかったのに、彼女が会いに行けというから…またここに来るとはね。」

そう言いながら手に持っていた花束をだいぶ雑に墓石の方向に投げた。



いつもの夢は、ここで終わる。


しかし、この夢には続きがあった。



「まったく、人の墓への扱いが酷くない?」

「死んだやつが、今はまた生きているというのに、なんでわざわざ花を供えに来なければいけないのか、まったく意味が分からないな。——に言われなければそもそも来なかったよ。」

「まあ、それも確かにそうだわ。」

後ろから突然、新しい人物が青年に話しかけた。そして、青年はくだらないという顔をしながら笑った。風が吹き、草花が巻き上がって彼らを覆い隠していく。

「さあ、こんなところで潰す暇はあいにく私は持ち合わせてない。——、まだいるなら置いて行くよ。——がソトで待っているんだから。」

「そうだね、——ちゃんが待ってるからもう行こうか…と、その前に。」

青年はこちらに手を向ける。するとその瞬間、数えきれないほどの光の粒子が視界を覆っていって、ついには何も見えなくなった。



———シャン。


その鈴の音のようなものを最後に、夢から覚めた。今ではもう見ることがなくなった夢だが、何度も見た夢で印象的だったので覚えている。記憶を消したと思われる人ならざる者のことも顔や声までは覚えていないが、そんなことがあったという程度には覚えている。不思議な体験をした、ただその事だけがイルの頭に残り続けたのだ。



イルは年々薄れていく幼い頃の記憶を思い出していると、隣に座っていたノースがこちらをじっと見ていることに気が付いた。

「…ノース?どうしたの?」

「イル、何か…思い出していたの?」

弟のノースはいつも鋭いところをついてくる。ここで「なにか考えていたの?」だったならまだ普通の子供だ、と思われるだろうが「何か思い出したのか」とはっきり聞いてくるところ、まるで相手の脳内を覗き見ていたかのような言動をするところをみると少し末恐ろしいところを感じる。


「…一週間前の夕食って何が出たかなって、考えてた。」

「…確か、ポトフじゃなかった?」

しかし、この弟は鋭い時もあれば、大分天然なところもあるから今の反応は、どちらなのだろうか。一瞬動揺してしまったが、適当に違う話題を思いついたのでそちらを口に出した。

「う~ん、そうだった気がする!今日は何が出るかな?」

「今日は…」

そう言ってノースは鼻をすんとかぐようなしぐさをする。

「…トマトスープ、だと思う。」

その後もどうでもいい話をしていたら、先ほどの話題は消えていったのだった。さらに付け加えると、ノースが言っていた通り、今日の夕食にはトマトスープが食卓に並んだ。そのことで片割れの能力の高さを思い知ったのだった。他にも、片割れの行動に驚くことがあったりしたのだが、この話はまた語るときがあれば語ることとしよう。


【おまけ】※前まで投稿していたものに少し変更を加えたものです。時系列的におかしかったので本編沿いでは無いと気付いたので、出すか迷ったのですが、せっかくなので出すことにしました。数年先の話だと思って見ていただければ幸いです。アーベイル視点でお送りします。

その日は、イルとノースの誕生日パーティーが盛大に開かれていた。パーティーの参加者はティアドラ王国内の貴族や商人など、様々な職種の者が集められていた。


僕はそのパーティーで不審な人物を見つけた。


僕の家、ヴァルキトア家はこの国の筆頭公爵家で注目を浴びやすいし、命を狙われることもそれなりにある。だから僕たちのような公爵家の生まれの子供は小さい頃から身の回りの危険を察知する能力に長けており、護身術を嗜んだりしている。我が家は家族全員嗜んでいるので、驚くことに普段のんびりしているように見えるお母様も習っており、かなり強いらしい。


不審な人物は見たところ伯爵家の者らしく、前お兄様たちがあまり良い噂は聞かないと言っていたことを思い出した。その男の顔は平常心を保っているようだが、少し挙動不審なところがあったのですぐにジュリお兄様にそのことを伝えるために横にいたお兄様の裾を引っ張る。

「ジュリお兄様!僕、少し喉が渇いてしまって…飲み物を取りに行きませんか?」

訳:ちょっとあそこに挙動不審な人が見えるので近くに行ってみませんか?

「ん?…ああ、のどが渇いたの?じゃあ、取りに行こうか。」

僕が見ている方向を見て全てを察したらしく、お兄様はにっこりと笑って手を引いて行ってくれた。道中、学園の生徒と思われるご令嬢が話しかけていたが、それを難なくいなしながら飲み物がある場所に着くと、そこにはセレナお姉様がいた。


「イル、どうしたのですか?…ああ、飲み物を取りに来たのですね。」

ジュリお兄様と同様、状況を瞬時に把握したお姉様はにっこりと笑って、僕にぶどうジュースを渡してきた。「まだ飲まないでね?」お姉様はこっそりとそう告げる。


お姉様の言う通りにしていると僕の近くに立っていた不審な男は少し焦ったように言う。

「あの、お飲みにならないのですか?」

この男の狙いは公爵家のパーティーで飲食物に毒が見つかることなのだろう。どうやら、相手が悪いようだが。

「すいません、そこの少し高いテーブルのコーヒーを取っていただけますか?私では手が届かなくて…」

お姉様は男にそう言うと、その男は一瞬口角を上げこちらに背を向けた。その時にお姉様はこちらに向けて片目をつぶった。


「…こちらでよろしかったですか?」

背を向けたときに毒を仕込んだのだろう。男は完全に悪い笑みを浮かべていた。この人、良くこんなに顔に出るのにこんなことしようと思ったな、と頭の中で思ったが、馬鹿らしいので口には出さなかった。

「ありがとうございます。」

お姉様は脇に立っていた侍従に「スプーンを持ってきてもらえますか?」と言って取りに行かせた。そして、手の届くところに置かれた砂糖とミルクを手に取る。


侍従はすぐにスプーンを手にもってやってきて、お姉様に渡す。「ありがとう」と言いながら手の届くテーブルの上で手に取ったものを混ぜていく。


そこで、やっとお姉様がしていることが分かった。お姉様はかき混ぜたスプーンを取り出して「あら?」という顔をする。すると、タイミングよくお父様がこちらにやってきていたのでお姉様はお父様に聞く。

「お父様、スプーンが変色してしまいました。…っ、もしかして、毒でも入っているのでしょうか?!」

まるで今気付いたかのようなお姉様の演技力に尊敬の念を感じた。名演技ですよ、お姉様。どこかの劇団に入ったら主役を張れると思います。わざと大声で周囲に事実を伝えるところもポイントが高いです。


「…毒?それは本当か?」

「…恐らく…っどうしましょう、お父様。他のコーヒーにもこれが入っているかもしれません!」

「それはまずいな…即座に個々のン見ものをすべて撤去しろ!そして、この会場内にその毒を入れた人がいるはずだ…参加者全員に持ち物チェックをさせてもらおうか。」



そしてあっという間に男は捕まり、一時的に我が家の牢屋に連れていかれた。王宮から事情聴取する人が後から来たので、聞かれたことをそのまま答えた。その場でパーティーはお開きになったが、後日謝罪を込めた贈答品を伯爵持ちで送ることになったのだった。



パーティーが開かれたその次の日の夜、僕はお父様に呼び出された。ドアから入室するとお父様はしゃがんで僕の手を掴んでこう言った。

「イル、よくやった!お前には人を見分ける才があるのだな、セレナから話は聞いた。イルのおかげで毒を仕込んだ犯人を速やかに捕まえることができた、とね。」

「えっと、僕は…」「あれは、イルが気付いてくれたから犠牲者を出さなくて済んだのよ。きっと、あなたが気付かなかったら…今頃、死人の一人や二人は出ていたかもしれないわね。」

お父様の後ろのカウチに座っていたお姉様は、僕が何かを言おうとするのをさえげるように首を横に振り、口元に人差し指をあてて笑っている。

「これは、イルのおかげ。だって、私はジュリお兄様に目で訴えられただけよ?」


それは、きっと違う。お姉様は最初から男の方をじっと見ていたから。でも、僕にその功績を譲ったということは、そのことに何か意味があるのかもしれない。


やっぱりセレナお姉様は凄いな、そう思うのだった。

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