第7.5話 嵐の前触れ

「…た…て。」

声がした瞬間、まただ、と思う。


「…たすけて。」

どこからかかすれたような、女のつぶやくような、助けを求めるような声が聞こえる。


声で目を覚まして起き上がるが辺りは暗く静まり返っており、近くに人の気配すらしない。時刻を確認するとまだ日は登っておらず寝てから1時間も経っていないようだ。まだ寝る時間があると二度寝を決め込もうと思うと小型通信機に着信があった。


『午前3時 依頼開始』


人差し指で通信機押して脳内に書かれたものは、情報伝達と組織のブレーンを務めている彼らしい完結的なものだった。現在の時刻は午前1時半、寝るのにも微妙な時間である。任務の支度を早いところ済ませておこうとのそのそと起き上がることにした。


少しの音も出さないように遮音魔法と元々の気配を薄めてベランダへと出る。ベランダに出ると手すりに最近拾ってきたフクロウの『ゼクス』が鋭い目をしながらこちらを見ていた。


「さすが夜行性なだけあるね、君も一緒に行く?」


話しかけても返事が返ってこないことを知りながらも僕は話しかける。このでかいフクロウが何を考えているか分からないが、この鳥はとある人から貰った『普通の鳥』だ。鳥のことなんて詳しくないし、特に興味もないが裏社会の人間のために訓練されているという訳ではないので任務についてくるならせいぜい足手まといにならいといいのだが、先週貰ったばかりだからこの鳥の戦闘能力は未知数だ。


(何も言ってこないし、時間もそこまでないからほっておくかな…)


僕は手すりに手をかけて軽く飛んで、手すりを飛び越えて、三階から飛び降りる。降りたときにズシリと左肩が重くなったのでどうやらゼクスが音もなく左肩に乗っかってきたらしい。


「足手纏いになりそうだったら魔法で転移させるからね。」

聞いているか聞いていないかは分からないが一応言い含めておく。


一歩踏み出すとさぁっと足元に揺れる草が足にかかり、夜のにおいが鼻腔をくすぐる。今日は10個のうちのどれかの月が満月なためか、月光花が咲いているらしい。甘いとも言い難い何とも言えないにおいが鼻先を通り抜けていく。僕は自然の空気を目一杯吸ってから任務地へと転移した。




それからしばらくして、任務が一も通り滞りなく終わり、足元にはもう誰の血か分からなくなった程の人間の血が次第に床を侵食していく。いつも任務終わりににおうのは人が終わりを迎え、朽ちていくにおい、次第にあたりに広がっていく血液のにおい、国で違反とされている違法薬物のにおいがする。昔はもっと抵抗があったが、慣れとは怖いもので、場数を踏むごとに何とも思わなくなった。鼻が麻痺しているのかとも思ったが、未だに季節のにおいなどを嗅ぎ分けられるのでそうでもないのだろう。


左肩に乗っていたゼクスはいつの間にかに窓の枠に移動しており、僕が仕事をしている間ずっとじっとその様子を見ていたらしい。人間でもこの惨状を見たら怖がって逃げ出すだろうに、さすが肉食の猛禽類というべきか、血肉のにおいは気にならないらしい。


一人二人と倒れていく様子を確認しつつゼクスを観察していたが彼はどうやら興味津々といった様子で僕の仕事を見ていたらしい。まるで品定めしている貴族のような目をして僕のことを見ていたのは気のせいかもしれないが、ある程度人間の言葉も理解できることからなかなかに優秀な鳥であるらしい。これは鍛えれば僕たちにとって利益のあるものかもしれない。


「さあ、終わったから帰ろうか。」

そう言って後の掃除は一足遅くその場に現れた部下に任せてその場を後にする。ゼクスは当たり前のようにまた左肩に乗ってきてついてくるようだ。


まだ太陽も出ていない暗い森の中を鳥一匹と一緒に歩く。森は静まり返っており、何も出てこなければ良かったのだがどうやらそんな平和な世界ではないらしい。


ガサガサという音を立てて向こうの方から獣型の魔物が威嚇しながらやってくる。さてどうしたものか、と思っていると急に左肩が軽くなった瞬間に目の前の魔物の断末魔が聞こえた。少し遅れて僕の目がとらえたのは発光していたのが元に戻っていくゼクスとどさり、という音をたてて横たわっていく魔物の姿だった。


「ホー、ホー」

何と言っているか分からないが、ゼクスは目を光らせながら魔物が横たわっている横に降り立って、死体をつつく。僕は遅れながらも魔物に近付くが、先ほどまでしていた息が完全に止まっているのを確認する。思わず僕は口の端を上げて笑った。


「あっはは…ゼクス、君は強かったんだね。…最高だよ、もちろんいい意味で、期待外れだ。」

するとゼクスは笑っている僕を鋭い目は呆れたように見てくる。どうやらこの鳥にも一人前の感情があるらしい。


ひとしきり腹を抱えて笑うとだんだんとおさまってきて魔物を放置していることに気付いた僕は収納空間にそれを投げた。この魔物は美味しい肉になるので後で兄弟にお裾分けしようと決める。


「さて…」

と、と言い終わる前に今まで感じなかった気配が森に現れていることに気付く。ゼクスも今気づいたようで周りを鋭い目で見まわしてから音もなくある方向へ飛び立っていった。ルスはそれに続くように追いかける。


風を切るように走ると頬に冬の冷たい空気が勢いよく当たってくるのを感じたが、それどころではない。この森に入れる人間は限られているはずなのだ。


近付けば近づくほど血のにおいが濃くなっていく、咽かえるようなその匂いは人間の鼻を麻痺させるには十分なほどの醜悪なにおいを放っていた。その気配の近くまで来ると魔物の咆哮と声が聞こえてきた。


「んー、これも違う…か。やっぱり弱いな…もうちょっと強く設定するべきだったかも。」

相手からは見えない位置に足を運んでそちらの方を見るとそこには女とも男ともいえない人間のような者が百を超える魔物の遺体の上に立っていた。


(…こんな夜更けに魔物討伐…?それにしては死んでいる魔物の数が尋常じゃない気がするけど…)


目の前に出ていこうかどうしようか迷っていると何も映していなかった何色とも言えない目がこちらを向く。一度も音を立てた覚えはないのにその存在は最初からルスの存在に気付いていて、当たり前のようにこちらを向いた。


見られた瞬間、ぶわっと身の毛がよだち、何か分からないが、体が危険信号を出す。コレに無闇に関わってはいけない、そもそも会ってはいけない存在、それが頭の中に渦巻いていく。


「お客さん?こんばんは、いや、もうそろそろおはようございますかな?初めまして、私はイスミ。君は…ルステラン・ヴァルキトアだよね?」

当たり前のようにルスの名前を当てて、知っていて当然というような顔をしている。しかし、不思議と相手が名前を知っていることに対して怖いという感情は沸かなかった。


ただ近付いてはいけない存在、普通だったら話すこともない存在だということが分かる。ルスが口を開けないでいるとイスミと名乗った相手はまた口を開いた。


「あ、ごめんね。ちょっとにおいが気になった?」

そう言って手をさっと流すように動かすと一瞬にして魔物の死体がすべてどこかに行き、そこには血の匂いさえも残っていなかった。


(…いや、違う。どこかに行ったんじゃない、完全に世界から消えたのか…いったいどうやって…)


「んー、いろいろ考えてるみたいだけど、そんなに考えても全部丸聞こえだから意味ないと思うよ?大丈夫、一度つくったものは壊さない主義だから。」

相手が意味不明な言葉を言っているのは分かったがどうやら考えていることがすべて筒抜け状態らしい。一体、どんな特殊能力なのだろうか。


「特殊能力ね~、まさにこの状況を見ていたなら言いえて妙って感じだけど違うかな…」

またもや考えていたことを読んだらしい。これは考えてもしょうがない相手だ、そう思ったら今まで感じていた緊張感がほぐれていくのを感じた。


「君はどうしてここにいるの?」

僕がそう言葉に出すとイスミは驚いたように目を開く。

「…喋った、すごい。…ってごめん、どうしてここにいるかだよね。ちょっと試したいことがあって実験しに来たんだよ。」

「実験ってさっきの…」

「そう、さっきのやつ。ちょっと失敗作だったかなって感じかな。」

「武器の性能がってこと?」

「違うね。でもこれ言っちゃうとこの先面白くないからな…教えないよ。」

武器ではないなら何をしていたのか聞こうと思ったら先回されて止められてしまった。聞くこともなくなってしまったため、また二人の間で沈黙が流れる。


「あ、もうそろそろ終わっちゃうみたいだから帰るね。」

何が終わってしまうのか分からないが、聞いても答えてはもらえないことがなぜか分かる。イスミは踵を返すように後ろを向いたがふと立ち止まってもう一度こちらを見た。


「そういえば言ってなかったけど多分私と過ごした記憶は残らないから、それじゃあね。」

そう言うと同時に姿が消える。


一瞬頭がクラっとするような眩暈に襲われ———



僕が生まれる以前から上に2人の兄がいた。どちらも優秀な兄で、どちらも僕に優しい兄だ。


三男だからというのもあるのか大人たちから将来を期待されることはなかった。最初は「なんで僕は期待されることがないんだろう?」と思ったりしたが、いつの間にかそんなことを考えないようになった。


成長していくにつれて僕は絵本や小説に出てくる『悪役』と『陰の活躍』に憧れを抱くようになった。基本的に座学は苦手だし、一度読んで内容を知っているものをもう一度見る意味もよく分からなかったが、絵本や小説に出てくる登場人物のセリフと行動は何度も読み返した。


どうやったら陰で活躍できるか考えながらいつも通り座学を抜け出して考えていると僕は閃いた。「外に出れば探しているものが見つかるかもしれない」と。それからの行動は早く、いつも追いかけてくる教師に見つからないように僕は敷地の外まで走った。不思議と息切れすることはなく、僕は外に出ることに成功した。


公爵家の敷地から脱走したはいいものの、どこにいけばいいのか分からない。


そんな時に僕の前に同世代ぐらいの男の子が計ったように現れた。

「これ、君にあげるよ。私にはもういらないものだから。」

そう言って小さい宝石のようなものが付けられたネックレスを渡された。


「ねえ、これって何に使える?」

彼は笑う。

「…そうだね、これはとある組織のリーダーが持つものだ。さっき君専用にしておいたから君にしかそれは使えない。私はもう飽きちゃったからたまたま会った君にあげるよ。大切にしてね。」

そう言って彼は翼を広げてどこかに飛んで行った。誰もいなくなった平坦な道で数分間貰ったネックレスを見ていたが飽きてきたのでそれを首にかけた。


『所有者認定されました』と機械的な音が聞こえた後にネックレスが光を出し始める。僕の視界は真っ白になり思わず目をつぶった。


目を開けると目の前に年齢不詳の男が現れた。

「目が覚めましたか?あなたが今日より主様だと伺っております。さあ、こちらへ」

そういいながら男は僕の手を取ってさらに奥の部屋へと招いた。


その部屋は先ほどの真っ暗な部屋とは打って変わって白い壁に、煌びやかな照明、どこかの会議室のような部屋が広がっていってそれぞれフードを被った人たちが左右の席に座っていた。僕は一番奥の上座へと連れていかれてその責に着席させられる。


「今回のリーダーも若いな。」

「前回のリーダーもそこまで歳をとっていなかっただろう、何も不思議なことでもない。」

「あの人は設立のために組織のリーダーを一時的にしていただけよ、きっと今回のリーダーの方が立派に仕事をこなしてくれるはずよ。」

「それもそうだな、でもとりあえず私たちの自己紹介からした方がいいかな?」

「じゃあ、年齢順で行こうぜ。俺はもちろん最後な。」

「…ということは最年長からということかね。」


勝手に目の前で繰り広げられているフードをかぶった怪しげな集団の話に全くついていけないがどうやら自己紹介タイムに突入しそうな予感だ。


「じゃあ、私からかね。」

そう言って一番最年長らしい女がフードを取った。最年長なはずだが全く実年齢が分からない年齢不詳の女性が現れた。

「私はエルだ。魔法のことならなんでも私に聞くと良い、大体のことは答えるぞ。」


次にローブのフードを取ったのは僕の近くに座っていた男だ。フードを取っ払った瞬間、銀髪の長い髪がさらりと方に落ちた。

「私はエール、この組織の副司令官をしている。まあ、こんな老いぼれだからあまり動かない仕事なら任せてくれ。」


今度は金髪で若そうな、いかにも夫人という人が口を開く。

「私はシエン、普段は夫人としてやっているわ。ここでは書類担当をしているから過去のデータのことで何かあれば言ってちょうだい。」


次はどこかで見たことあるような青紙の人が話す。

「私はザックだ。主に情報伝達役をしている。分からないことがあれば調べるからいつでも聞いてくれ。」


いかにも頭が切れそうな眼鏡をかけた人が口を開く。

「私はサルマだ。今までこの組織のブレーンとしてやってきている。迷ったらまず私に相談してくれ。」


最後に僕と同世代に見える男の子が口を開く。

「俺はヒート、まあこの組織の指導役だ。多分だけど、俺とお前は同じぐらいの年代だから学園でもよろしくな。」

と爽やかに笑う。とりあえずフードを被っていた人の紹介が一通り終わったようなので僕も自己紹介をするために口を開く。


「僕はルス、よくわからないけど急にここに来た。よろしくね。」

それを聞くと、後ろに控えていた執事らしき人が礼をしてから話し出す。

「この組織名は『Reaper』。ルス様、貴方には今日からここのリーダーになってもらいます。紹介が遅れました、私はアシスと申します。主に諜報とここの執事をしておりますので不自由があれば私にお申し付けください。」


これで全員が名乗ったことになる。僕はみんなを見回してそれぞれの顔と名前を一致させていった。といってもそれは数秒で終わったのでまた正面に向き直る。


「とりあえず情報量が多くてまだ分からないところが多いけど…そうだな、ここの組織は何をしているの?」


するとサルマが答える。

「『Reaper』は国が認めた裏組織、つまりは国のために裏で動く『カゲ』のようなもの、と言えば分かるか?」

王族の影は聞いたことがあるので頷く。

「私たちがすることは人殺しから、迷子の手助けと幅広い。何か言葉にするなら何でも屋、とも言えるな。」

「何でも屋…か。それで僕はなぜかその何でも屋のリーダーになった、っていうことで合ってる?」

「ああ、そういうことだ。前のリーダーのルークが気まぐれで君を選んだ。だから今ここにお前がいる。やめたければ辞めて良い。」

「…なるほどね。なんか、楽しそうだからやってみるよ。ちょうど僕、暇だったんだ。いい遊びができそうで良かったよ、これからみんなよろしくね。」

僕は笑いながらそう言った。


それから約2年の歳月が過ぎた。


いつも通り、夜に集まりに参加する僕はみんなが集合するまでエールとチェスをしていた。


「エール、今回はどんな案件だっけ?」

「今回は、教会のお金を横領していた神官の情報を集めてルギーにそれを渡す、じゃったかな。」

駒を動かしながら対面に深く腰を掛けた彼は答える。


「何かつまらないな~、最近大きな事件がないよね…なんか、こう、ズドーンと大きな爆発とか起きないかな?」

僕はそう言いながら手をいっぱいに広げて爆発のポーズをとる。


「ルスは世界をいつか破壊しそうじゃな。大きな事件がないということは、平和な世の中ということだよ。ああ、それはそうと…」「あ、チェックメイト、僕の勝ちだね。それで何が『それはそうと』なの?」


「ルス、お主には4歳違いの妹がおったよな?」

「…そうだけど、セレナがどうかしたの?」

「どうやら普通の子供ではない、ということを風のうわさで耳にしてな…」

それを聞いた瞬間にどこから彼女の情報が漏れたのかに考えを巡らせると、あの親バカな父親辺りが他の大臣に愛娘自慢したのが容易に考えられてしまい、一人小さくため息をつく。


「セレナ、とはルスの妹君のことだったか。私も彼女はまだ3歳に満たないのに、とても優秀だと聞いたぞ。あの、ルアトアを懐柔したとか。」

「まあ、セレナは生まれたときから優秀だったからな~。」

「ああ、そう言えばそんなお前に朗報だ。」

「…ん?何々?爆発でも起きたの?それともこれから?」

「来年あたりにお前の妹君に暗殺者が送られてくる、という情報を得た。」


一瞬ザックが言ったことに耳を疑ったが、彼が嘘を言ったところを聞いたことがない。つまり真実なのだろう。




彼女が生まれたのは6年前の春、自然に愛され、彼女自身も自然を愛して生まれてきた。初めての妹で、兄弟でしばらく交代で彼女の部屋を訪れたものだ。まだ小さかったベリーでさえも初めての下の兄妹に目を輝かせていたぐらいだ。


もちろん僕にとっても、妹ができたのは喜ばしいことだった。座学の授業をサボるついでに何度も彼女の部屋を訪れたことを今でも覚えている。母親に似た兄妹揃ってのプラチナブロンドの髪に、世界に数えるほどしかいない金色の目をして生まれてきた彼女は公爵家にとっても、僕ら家族にとってもかけがえのない宝物になった。


成長するにつれ、彼女はあり得ないほどのスピードで全てを呑み込んでいった。すべて本から吸収している訳ではなく、しっかりと実践も試しているところを見ると彼女は普通の2歳児ではないのだろう。もうそろそろ3歳児とはいえ、他の家ならばお人形遊びを楽しむお年頃なはずだ。


かといって僕たち兄弟も3歳の時にはそれぞれやりたいことに熱中していたし、僕自身もちょうど組織に入って働いていたから同年代がそれぐらいやっていて当たり前だと思っていたぐらいだ。彼女はこの家の人間だからこそまだそこまで目立ってはいないが、あと十年もすれば誰もが気付くことだろう。





彼女が『転生者』だということに…。






「…そっか、じゃあセレナがどんな行動に出るか見ておかないとね…ふふっ、今から楽しみだな~。」

今は事実に気付いているのは僕だけだろう。きっと他の兄弟も違和感を覚えているが、核心的なところにはまだ辿り着けていない。きっと辿り着く前に答え合わせをする時間が訪れる、これは僕の勘だけど、僕はなぜか勘を外したことはない、だから、確信に近いと言えるだろう。


(まだ他の兄弟は気付かなくていいんだよ…最初に気付いたのはこの僕だ。)


僕は、そのことに気付けたことに優越感を感じて、事実を知っているからこそ、どこか他の兄弟よりもセレナを近くに感じられ、少しの独占欲を感じているのだろう。まだこの優越感に浸っていたいという子供ながらの思いからこのことを誰にも話す気はないし、いずれ彼女自身の口からそのことを聞く日が訪れるだろう。


だからそれまでは…。



独り言を口にしながら僕は近くにあったグラスの中身を飲んだ。飲んだとたんに甘い味が広がるのが分かる。


僕は窓から見える王都の夜景を見ながらひとり笑った。



———次の瞬間には見慣れたヴァルキトア家の庭先に立っていた。ゼクスも肩に乗っており、どうやら無意識のうちに家に帰っていたらしい。任務を終えてゼクスが魔物を狩って、魔物を回収したところまでは覚えているが帰ってくるまでの経緯をまったく覚えていない。


記憶の欠落、これはルステラン・ヴァルキトアにとって初めてのことであった。その欠落を初めて味わったことに恐怖を感じて思わずその場にしゃがみ込んだ。


「…はぁ…はぁ、はぁっ…っ…」

意味もなく繰り返す浅い息遣いが冷えた庭に響く。いつもはかくことのない汗が出てきて頬を伝って落ちていく感覚がする。


今の時間は誰も起きていないため誰かが駆け寄ってくることもなく息が落ち着くのを待った。



やっと立ち上がってとりあえず近くにあった別邸に入って魔法で火をつける。先ほどゼクスが捕まえた魔物を取り出して空中で軽くさばいて串にさす。その途中で肩に乗っていたゼクスは自分の取り分として大きい生肉のブロックを加えてどこかに飛んで行った。


嘴のどこにそんなに重たいものをぶら下げる力を持っているのか不思議なところだが、魔物を一羽で倒すところをみると、そんな力があってもおかしくないと納得してしまうところがある。


とりあえず、すべて串刺しにして砂のようなものにそれを指していく作業を繰り返していく。すべて終わって一息ついたところで玄関から誰かが入ってくる気配を感じてその場から立ち上がって玄関に向かうと妹のセレナがそこに立っていた。


「ルスお兄様でしたか。早朝からこんなところにいるなんて珍しいですね。」

僕は一瞬さっきまで何か悩んでいたことがあった気がするが記憶にないので笑顔で今日の仕事について答える。

「実は先ほど仕事をしてきたばっかりなんだよ。最近は掃除ばっかりで飽きてきちゃったな~」


僕の発した言葉に対して呆れた顔をした彼女を見て謎の安心感を得る。

「そうなんですね。では、ここには休憩を?」

「そうそう!休憩中って訳、あと一時間ぐらいで朝食の時間だから、たまには別邸に行ってみようかなって。セレナも休憩中?」

「そうですね、読書のきりが良かったので散歩がてら寄ってみました。」


いつも通り彼女は書斎で本を読んでいたらしい。僕だったらすぐに飽きて外に出ちゃうのによくやるな~、と思うが読書は彼女にとって生きがいのようなものなのだろう。


「そっか…じゃあ一緒に休憩でもしよう!」

今は何となく一人でいたくない気分だった。何故かは分からないが、妹の人間らしさを味わいたかったのだろうか。といっても我が家の人間の血は半分以上人間じゃないので明確に『人間』とは定義できないのだが、そこは気にしないことにしよう。それから少し休憩して朝食を食べるために移動することになった。


何気ない妹と過ごす日常に幸せを感じながら隣を見るとどうやら妹は僕の心配をしているらしい。何かあったのか探ろうとしている目をしていたので僕は首をかしげてから閃いたポーズをとる。


「…ルスお兄様?」

突然抱き上げたからかセレナは目を見開いてこちらを見たがこちらは今上機嫌なので今日は抱き上げることを許してほしい。いつか君が僕のもとから去ってしまうことを知っていてもどうか今だけは僕の妹でいてほしい。



「さあ、セレナ。早く食卓に行こっか!」


だから、いつか来る別れの日を振り払うかのように、元気な声をわざと出したのは許してね。

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