第7話 平穏の兄

吐いた息が白い空気となり消えていく。季節は冬になり毎日肌寒く感じるようになってきた。外は昨日降った雪が少し積もっており、庭一面が白い白銀の世界となっている。


セレナは今日も朝から書斎で読書をして散歩がてら庭に出てきていた。


ざくざく、と積もりたての雪を踏みしめる音が辺りに響く。早朝であり、みな眠っている時間だからかよく音が響いていていた。辺りはしんと静まり返っており、頬をかすめるのはひんやりとした冷たい空気だ。


「今日も降りそうだな…」

空を見上げると今日も昨日と同じように曇天の空が広がっている。どこかで雪の魔術が動いている空気を感じるので少し離れているところでは雪が降っているのだろう。


公爵家の庭は春夏秋冬すべての季節に沿った庭が存在する。正確に言えばもっと区分けされているのだが、それは今度紹介することにしよう。


今いるのは『冬の庭』で冬の庭には前世であったような茅葺屋根が使われた小さな別邸が立っている。昔話が始まりそうなその家は意外にも今の最新設備を搭載しており、家の中は外と比べ物にならないくらい暖かくなっている。


ふと、別邸が気になり、セレナはその別邸に足を踏み入れることにした。


ガラガラと横開きのドアを開けると広い玄関が目の前に現れる。靴を脱いで上がろうとすると、別邸に先客がいるのに気が付いた。靴の大きさ的に上の兄の誰かがここに来ているらしい。


引き返そうかどうしようか迷っていると音もなく目の前に誰かが来た気配を感じた。そろりと窺うように正面を向くと目の前にルステラン・ヴァルトキアこと、ルスお兄様が立っていた。

「やあ、セレナ。良い朝だね。」


(良い朝と言いながらいつもより気分の悪そうな顔をしているのは気のせいだろうか…)


相手に悟られないようにいつもの兄の肌の配色と今の兄の肌の配色が違わないか観察する。

「ルスお兄様でしたか。早朝からこんなところにいるなんて珍しいですね。」

彼はにっこりと何の感情を浮かべているかわからない顔をしながら答える。

「実は先ほど仕事をしてきたばっかりなんだよ。最近は掃除ばっかりで飽きてきちゃったな~」

ルスお兄様は裏社会の人間だ。つまり彼の言う『掃除』とは暗殺のことを指しているのだろう。国から頼まれたことをやっているから公式な機関として機能しているし、この世界で暗殺は日常茶飯事だから仕事にしていてもおかしくはない。だが、なぜ兄がその機関に属しているのかは謎に包まれている。


「そうなんですね。では、ここには休憩を?」

そう聞くと彼はうんうんと頷く。

「そうそう!休憩中って訳、あと一時間ぐらいで朝食の時間だから、たまには別邸に行ってみようかなって。セレナも休憩中?」

「そうですね、読書のきりが良かったので散歩がてら寄ってみました。」


「そっか…じゃあ一緒に休憩でもしよう!」

彼は手招きながら私に部屋に入ってくるように促した。私は靴を脱いでそろえてから手招かれた方向に足を進める。


襖を開けるといろりがあり、ぱちぱちと火が爆ぜる音が聞こえてくる。どうやら串に刺された何かの肉を焼いているらしく、円形を描くように並べて刺さっていた。


「もうそろそろ焼けると思うんだよね…まあこれ、初めて使うから使い方が合っているかわからないけどね。」

彼はいろりを指さしながらそう言う。

「使い方は合っていると思いますよ。でも、何を焼いているんでしょう?」

「魔物の肉だよ。…と言っても人型をとる者ではなくて獣型だけどね。」


それを聞いた私は少し興味がわいた。生まれてこのかたこの公爵家の外に出たことがなく、外にいる生き物をあまり見たことがなかったのだ。公爵家というだけあって強固な結界が張られており、無害なもの以外ははじかれてしまうので大きい魔物は敷地内に入ってこないのだ。だから、肉塊になっているとはいえ、魔物と対面するのは初めてだった。


「さて、と。…うん!焼けてそうだからセレナも食べてみて!」

そういいながら隣に刺さっていた串刺しを手に取って差し出してくる。


私はその串刺しを受け取って一口、口に含んでみた。噛みしめた瞬間に肉のうまみが口内に広がり、じゅわっとした肉汁が食指を動かしてくる。また一口と食べ進めるとあっという間に食べ終わってしまった。


「美味しいですね。」

口をハンカチで拭ってからそう一言こぼす。

「でしょ、この魔物って見た目がアレなんだけど、食べるとそこら辺の肉より美味しいんだよね。」

そういいながら彼は器用に残りの串を両手に数本持って立ち上がった。


パッと見だとわからないが、魔法を学んだ者が見れば一瞬のうちに状態保存の魔法をかけたのが分かった。ルスお兄様も私と同じく、魔法を無詠唱で使えるらしい。


私たちはしばらくゆっくりとした時間を過ごしてからルスお兄様が立ち上がる。

「さて、もうそろそろ朝食の時間が近付いてくるから行こうか!」

「そうですね。」


少し疲れているように見える彼は、朝から一仕事終えてきたのだろう。ルスお兄様は裏社会の人間として毎日動いている。実際に本人が「何でも屋をしている」と言っていたのもあるが、お父様がルスお兄様以外の兄弟全員を集めて「ルスは国も関与する裏社会の組織に所属しているから数日家を空けることもある。基本的には彼の自由にさせるつもりだから、お前たちも理解しておいてくれ。」と言っていたので家族全員が知っている話だ。


仕事をしていく中では目を背けたいときもあれば、記憶にこびりついて消えないものもあるのだろう。しかし、今少し疲れているのは違う理由な気がする。普段から苦しんでいる事がふとした瞬間に表立って出てきてしまったような、そんな出来事があったような気がする。


勘違いかもしれないが、私の勘は外れたことがない。おそらく、彼が苦しんでいるのは元からある精霊の加護だろう。どのような効果があるかは分からないが、鑑定でもわからないような彼の奥深くの部分に精霊の緻密な加護がかかっているのが私には昔から見えていた。そのことが話題に上がったことすらないので周りには見えていないのに加え、彼自身にも認識できていない部分なのだろう。とはいえ、精霊の加護は良いものとされることが多いため何かしら彼の手助けになっているのだろうから、私は未だに彼にそのことを伝えられずにいた。


隣を歩く彼は一見、何を考えているかわからない言動をとることが多いが、前世で人の機微をよく読み取れるように訓練されていたからか彼の言動をなんとなく読み取ることができる。


ずっと見ていたからかルスのライトグリーンの瞳がこちらを向く。

「どうかした?あ、もしかしてもうお腹がすいて仕方がない感じ?」

わざとらしい笑みを張り付けた仮面の裏側に苦しむ彼の姿が見える気がした。考えていて何も言葉を発しないでいるとルスは近付いてきてひょいっとセレナを抱き上げた。


「…ルスお兄様?」

考えに集中していたセレナは少し目を見開いてルスを見る。

「さあ、セレナ。早く食卓に行こっか!」

そういうと彼は鼻歌交じりに屋敷へと猛スピードで走っていく。セレナは勢いよく庭を過ぎていく景色と楽しそうに鼻歌を歌っていたルスが今度は普通に歌い始めるのを呆れ交じりで見ながら考える。


(…でもまだ、まだ言うべきではないだろうね。)


時期が来れば話す時が来るだろう、今は話すべきではない、と思う自分の勘を頼りに口を閉ざすことにしたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る