第6.5話 心の強い者
永遠に外から聞こえてくる虫の音、ページをめくるたびに紙がこすれる音、窓の外に見える色鮮やかな世界、当たり前のようであたりまえじゃない日々が一日一日と過ぎていく。
——むかし、毎日同じ夢を見ていた。
俺は深く、暗い白黒な森の中でただ一人立っていて、何の音もしないし、誰もここには来ない。ただ一人その場所から抜け出せずに、迷い続けている。
そんな夢だった——
2年先に生まれていた兄は優秀で、俺は劣等感を感じていた。どんなに努力しても乗り越えられない壁、それが兄のジュリウスだった。
俺は最初から何もしなかった、何もできなかった。兄は『賢才』と言われ、周りから将来を期待されていた。「次男だから、長男のほうができて当たり前」、その言葉を頭のどこかで考えて、勝手に自身が超えられない壁を作った。
そんな壁を壊してくれたのが父親と妹だ。
毎日続く同じような風景、同じような色褪せた世界、ただ過ぎていく時間を無駄に浪費して、つまらなかった。そんな俺を外に連れ出したのが父親だった。
連れてこられたのは国の国防を担う筆頭騎士団だった。馬車で1時間ほどかけて行ったそこではあちこちで金属が交わる音が聞こえており、それを見た父親はこう言った。
「ディオ、見てみなさい。この国が設立されて最初にたてられたのがこの騎士団なんだ。その騎士団は今もこうやって続いている。お前が今まで学んできた歴史は今もこうして繋がっているんだよ。」
懐かしそうに彼らを見ながら目を細めた父親は続ける。
「もし、世界が完全に平和になったら、騎士団はこの先無くなるかもしれない。使う武器や、剣術は必要のなくなる、そんな世界が創り上げられてくのかもしれない。でも、きっとそんな未来はやってこないと私は思うんだ。」
少し憂鬱そうに瞳に影を落とす。
「誰しも野望があり、その大小は様々だ。選択というのは時に犠牲を出す必要がある。我々は過去を繰り返さないために、歴史書に過去のことを正確に記していく必要があるんだよ。それが正しい事柄だったかどうかは過去をみられるものにしかわからないのだけれどね。」
この国の大臣をしている父にはいろいろ思うところがあるのだろう。
「さて、変わっていくだろう未来の中で変わらないことがある。それはどんなことだと思う?」
瞳に光を取り戻した父親は俺の方を向く。突然の質問に戸惑った俺は視線を外して剣を交えている騎士団員を見ながら考えて答える。
「国を守ることですか。」
父親は頷く。
「確かに、自国を守ることは大切だ。…私はそれぞれが目標を持って仲間都ともに協力し合うこと、それが一番大切だと思っている。」
「…それは、どうしてですか。」
「ディオ、国は一人では作れないんだ。国には多くの人がいる。その一人一人の行動が小さいものでも、歴史書に残るような大きいものでもたった一人では成り立たないんだ。」
当時、幼かった俺にもようやく父親の言いたいことが分かる。
「確かに歴史に名を残す人は偉大なのだろうが、誰かの協力なくしてその人は有名にはならなかっただろう。ディオ、何年かかってもいい、自分自身でやりたいことを見つけなさい。他の人が立てた目標はやる気が出ない、私がそうであったようにね。」
父親に言われたことが頭の中をぐるぐると回転させる。
そして、俺は静かに頷いた。
父親はどこか向かう場所があるのか歩き出した。
「そもそも人間は人という枠組みを形成して、国という人の集合団体を作ったんだ。人は一人で生きていけないとは言うが、今でも一人でどの国にも属さない人も存在する。そんな彼らは一人でなんでもできてしまう、人にとっては人間の枠組みを超えた存在なんだ。最初は人の形をしていればみんな同じというような大まかな物差しで測っていたのが、国に属する人がどこの国にも属さない人のことを『人外者』と言ったことで彼らは人間ではなくなってしまった、と言われている。」
その話は家庭教師から聞いたことがあった。この世界に存在すると言われている『人外者』の元は同じ人間であった、と。
「何年、何百年、何千年の時を経て人間の枠組みは範囲を狭めてきた。次第に『人外者』は増えていき、『人間』という狭い範囲に入るのはもう僅かながらの人だ。そうすると私たちヴァルキトア家は皆、人間ではないことになる。しかし、国に属している限り私たち家族は人間とみなされている。国に属すことで私たち、『人外者』と呼ばれるような者でも周りと協力している姿勢を見せることで、国は成り立っているんだ。そう考えると『人間』も『人外者』でも協力する時代になったのだろうな。」
我が家の家系の血筋は公には晒されていないものの、ほとんどが『人外者』の血統で成り立っている。実のところ『人間』の血はごく僅かしか混じっていないのだ。隠されてはいるが、王家自体が『人外者』の血そのもので、この世のものではない。筆頭公爵家である俺たちはその王家の血を濃く受け継いでおり、1000年に一度その血を必ず取り入れるようにしている。
「…さて、剣術をしようか。」
しばらく無言の時間が続いたと思えば、父親は重厚感のある扉の前で立ち止まり、そう言った。
「…え?」
訳が分からず思わずそう口にしていると、父親はためらいもなく「アルス、入るよ。」と言いながら扉を開けた。
部屋の中には手を組んで執務机の椅子に人好きしそうな笑顔を浮かべた男が座っていた。
「やあ、君がテウドの息子、ディオルウェか。話は聞いているよ。さあ、剣術をしてみようか。」
突然の出来事に頭がパニックになっていると立ち上がった彼は俺の前に来て自己紹介をする。
「初めまして、ディオルウェ。私はアルスコウル・スティード、この国の筆頭騎士団の騎士団長をしている者だ。今から剣術を教えることになった。気軽にアルスとでも呼んでくれ、先生はいらん。そういう柄でもないしな。」
そう言いながら手を差し出してきたので少しためらいながらも握り返した。
その後、アルス様とのスパルタな剣術の授業を経て俺は剣術に興味を持った。アルス様からは「お前はもっと成長できるだろう。どうだ?このまま続けてみないか?」と言われたのでその後からは家に来てもらって直々に教えてもらえるようになった。中東部に入学したら学園の騎士先行学科に入ろうと思っているので、外部講師として来ているアルス様とそちらでも目を合わすことになるだろう。
時間は進んでいき、セレナが生まれてから約2年が経った。きっと彼女は特別な存在、あるいはこの世のならざる者だ。節々の言動が大人びており、人生2週目といったところだろうか。これはそんな日常の中で起きた俺の人生の中で印象に残る記憶だ。
冬が終わりに近づき、もうそろそろ春が来て、庭の花々が満開に咲き誇る季節になった。まだ視認はできないものの、祝福も多く存在するこの公爵家全域は空気も澄んでおり、とても呼吸がしやすい。
早朝、いつも通り剣の素振りを終えて眠い目をこすりながら公爵家の本館に戻って自室に向かっていると、書斎の扉が少し開いており、中から光が漏れ出ているのが見えた。まだ日が昇るには少し早い時間帯なので警備が回っているのだろうかと思い書斎の中をちらりと見つつ通り過ぎようとしたが、中の光景を見て朝の眠気が一気に覚めた。
中にいたのは妹のセレナで、後ろには彼女専属のメイドが控えており、彼女が座る場所の机の上には膨大な数の本が積み上がっていた。もうそろそろ2歳児になるセレナが最近文字の読み書きを覚え始めたと聞いたように気がしたが、気のせいだろうか。彼女は大人と同じぐらい、いや、そこら辺の大人の数倍の速度でページをめくっている。
「…」
思わず扉の前で立ちすくんでいると彼女が振り返った。
「ディオお兄様、どうしたんですか?」
彼女は一瞬であどけない顔になり、なぜここに俺がいるのかを不思議がるそぶりを見せた。普段はそこまで気付くことはないが、彼女の言動に言い知れぬ恐怖を感じた。背中に冷たい汗が辿っていく。
(セレナは俺がどうしてここにいるか理解している…)
目の前には華奢な妹しかいないはずなのに、世界最恐の生物と対峙したかのような圧を感じる。そのまま立ち止まって何も言えずにいると彼女がまた口を開いた。
「剣の稽古をしているとジュリお兄様からお聞きました。もしかして、その帰りですか?」
全く頭が回らず「ああ。」とだけ言葉を返す。
「お疲れ様です。良ければお兄様もお読みになりますか?面白いですよ。」
そう言って彼女は山住の本の右側から一冊取り出した。
俺は何の本か確認するために書斎に足を踏み入れる。すると、踏み入れた瞬間、廊下の少しの肌寒さが嘘のようにふわりと生暖かい空気に触れた。
(空気中の魔素で部屋の温度を調節しているだと…?)
何とか何も考えないようにしながら机に着いて彼女の差し出した本を受け取るとそこには『剣術に魔法を付与して戦う戦術』という内容の本だった。一体彼女は何を目的としてこれを読んでいるのだろうか、勧めているということはもうすでにこの本を読んでいるということだろう。
ぺらぺらとページをめくると、そこにはとんでもない文字数と魔法陣がびっしり書いてあった。パッと見るだけでも100を超える戦術が記載されており、中には高等部を卒業しないと使うことのできない魔法などが記載されていた。
彼女の方を思わず見るとにっこりと笑いながら口を開いた。
「面白いでしょう?きっとディオお兄様ならできると思うんですよね…」
最後の方はつぶやきのようだったがわざわざ相手に伝わるぐらいの音量で言ってくるあたり、けっして年下とはいえ、侮れないと思った。どうやら彼女は俺にこの本の内容をやらせたいらしい。
どんな顔をして言っているのかと思えばこちらを見ながらきらきらとした目で何かを訴えていた。その時の彼女の感情は理解しがたいものだったが、今となってはただただ本の内容を実際に目にしたかっただけなのだと思う。
その後その目から逃れるために、どうにか理由をつけて彼女から逃げて自室に戻った。逃げるように出てきたので手に本を持ったままだったが部屋に帰ってから冷静になってから本をもう一度見ると案外この本の内容を実行できるかもしれないということに気付いた。
妹が何を目指しているかは今も全く分からないが、俺とは思考回路が違うのだろうということが分かった日だった。その後も何度も書斎で机に向かう彼女を見たが、集中しているようなので声はかけなかった。まあ、時間ができたら彼女になんであの時、あの本を勧めてきたのかを聞いてみようと思う。
こうして、父親は好きなものをするきっかけをくれ、妹のセレナはスキルアップするための技を貰った。今の俺は過去の自分のように暗い森の中をさまよい続ける夢をみなくなったし、これからも見ることはないだろう。
——夢をみた。
月が見える夜の森が朝日を浴びて光り輝いていくその景色を、光の方向から小さな手を振る妹の姿が見える。
今そっちに行くよ、こちらにはもう意味がないから。
足を踏み出すと一瞬にして景色が変わる。
「ディオ」「あれ、ディオじゃん。今来たの~?」「ディオお兄様、お茶を飲みませんか?」「ディオお兄様!また剣を見せてほしいです!」「ディオお兄様、セレナお姉様が…」
眩く光る空間の中で兄弟が次々に言葉を発する。最後にノースが光の奥に指をさす。
そちらを見るとこちらに笑いかけながら、「ディオお兄様、だから言ったでしょう?ディオお兄様ならできるって」
さあっと花がどこからともなく舞い上がり、降ってくる。
もうあの一人の空間は存在しない、俺は前を向くことができる——
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