第1章
第4話 普通の公爵令嬢として過ごそうと思います
眺めた庭先は今年一番の花盛りの季節となっており、色彩様々な花々が咲き誇っている。どこからともなく蝶が庭先を舞い、庭に咲いた桜の木からはひらりひらりと花が舞い降りている。花の匂いもあたりに充満しており、目の前には今日も寝坊してきたお母様が優雅に紅茶を飲んで座っている。
「セレナちゃん、今日はどこにもいかないの?いつも食事をするときにしか顔を出さないでどこかに行ってしまうのに…珍しいわね。」
お母様はカップをソーサーに置き、目を眇めて言う。
私は無邪気な子供のような笑顔を作って明るい声でこたえる。
「おかあさま。わたし、ふつうのれいじょうをめざすことにしたの!」
お母様は頬に手を当て、困ったような顔を作った。
「あらあら、いつもみたいに流暢な言葉で話していいのよ?…そうね、どうして普通の令嬢を目指しているのかしら?」
元々お母様の前では子供じゃないような話し方をしていたので、わざと片言な言葉を話していることに気付いたようだ。
「実はこのお屋敷の使用人達がヴァルキトア家の人間は異端しかいないって言っていたんです。だから、少しだけでも外面だけは取り繕うかと。」
お母様は一瞬、険を含んだ眼をしたがすぐ切り替えて元の美しい笑顔に戻る。
「そうだったのね、でもセレナちゃんはそんなこと気にしないでもいいのよ?」
私は考えるようなしぐさをした後に口を開く。
「確かにそうですね…でも、1日だけ試してみます。」
「…そうね、1日ならいいのかしら。それでその話をしていた使用人は誰かしら?」
笑顔ではあるのだが瞳の奥に鋭いものを感じる。
私は小首をかしげるしぐさをする。
「さあ、誰だったか私は覚えていません。」
「あら、残念ね。面白いことを屋敷の中で話しているようだから、私も面白い話をきこうとおもっていたのだけれど…セレナちゃん、思い出したら教えて頂戴ね。」
お母様はこちらがゾゾっとするような気配を一瞬まとわせたが、何もなかったかのようにまたカップに口をつけた。実は言っていた使用人は名前と出生まで記憶しているのだが、このお母様の前では一生、言わないほうが良いだろう。
私はそのまま数分静かにお茶をするお母様を眺めていたが、いくら相手が絶世の美人だとはいえ、すぐに飽きてしまった。そのため、「昼寝がしたい」とその場を後にすることにした。
セレナが次に向かったのは昼寝をする場所だ。もちろん専属メイドのモカも一緒に行動を共にしているが、今日の主人の行動に疑問を抱いているのか、いつものポーカーフェイスは変わらないがたまに目線を外にやって、何かを考えているようだ。
日差しを遮るカーテンが窓から吹いてきた風でゆらゆらと揺れる。ちょうど日が傾いてきたようで、カーテンの向こう側では白い床に反射した太陽がきらきらと輝いている。
(さて、どうしようか。すごく暇だから何かやりたいね…)
寝転がったはいいが、こちらの世界でもショートスリーパーは発揮されるらしく全く眠くならない。こんなに睡眠ができていないで栄養が体内をめぐるか、甚だ疑問だ。
しばらく無意味な時間を過ごしているとベランダのほうで物音がした。
(だいぶ静かに入ってきたところからすると、刺客だろうか…いや、これは)
思考している間に侵入者は私のところに来たようでシャッとカーテンがめくられる。おおよそ予想通りといえばいいのだろうか。そこに立っていたのは三男のルステラン・ヴァルキトアこと、ルスお兄様だ。
「セレナ、起きてよ~。面白い話があるんだよ!」
と私が元々起きていることを知りながら体をゆする。いくらゆすっても起き上がらないセレナを見て起こすのをあきらめたのか、ベッドの脇にちゃっかり座って足をぶらぶらし始めた。
「本当は兄上達に遊んでもらおうと思ったんだけど、二人とも勉強しててさ…セレナはどうせもう終わっているかなって思って来てみたんだけど、やっぱりセレナは課題終わらせるの早いよね。」
かく言う彼も課題を終わらせているのだろう。自分の課題と仕事が終わって、暇になったからと言って妹の部屋に侵入するのはどうかと思うが、私にとっても好都合なので良いとしよう。
「ルスお兄様、ご令嬢の部屋に無断で入るといくら公爵家の人間だったとしても、捕まりますよ。お気を付けくださいね。」
「大丈夫だよ!気付かれる前にやってしまえばいいからね!」
少し不穏なワードが出たような気がしないでもないが、ルスお兄様はいつもこのような感じなので無視することにする。
「それで、どんな面白い話なのですか?」
ルスお兄様はライトグリーン色の目を細めて何かたくらんだ顔をする。
「最近の話なんだけどね…」
ルスお兄様は『面白い話』をし始めた。ルスお兄様にとって面白い話なのであって面白いかどうかは微妙なところだ。
————これはとある友人から聞いた話なんだけどね。まずは、この話はティアドラ王国に伝わる昔話から話さないとかな。
昔々、とある村では小さい子供を生贄にして豊作を願う祭りごとが行われていた。毎年のように生贄を出すその村はチギの村と言われていた。生贄は山の神にその身をささげるために毎年山に一人で向うことが恒例となっていた。その村の規則で、生贄となる子供は決して山を下りることを禁止されていた。生贄となる子供は生まれた時から生贄として育てられるため名前を持たなかった。村の住人は生贄の子を『イムコ様』と呼んだ。
その年も例年通りの生贄をささげる祭りごとは行われた。その年のイムコは10に満たない小さな娘が選ばれた。村には数人のイムコがいるが、年齢が高い順から生贄にされる決まりになっている。その年は稲の不作が起こり農村には多大な被害が出た。不作の原因は雨量の少なさからくるものだった。長い年月をチギの村は水田を雨水で溜まった水だけでやり過ごしていたのだ。その地域は程よく雨が降り、川などから水を引いてくる必要はなかったのだ。魔法か何かが作用していたのだろうか、それとも他の見えない御力があったのだろうか、今となってはわからない。
その年の生贄の祭りごとは例年よりも縮小された形で行うことになった。普段ならば、その年に取れた物資を使って、村全体でお祝い事かのように盃を交わしてイムコにとっての最期の晩餐を取らせる催し物が行われていたが、その年は不作のためそれを省いて送り出すことになったそうだ。
イムコは例年通り、獣道にしか見えない暗い山を登って行った。下からは松明でその様子を見ている村の人々がいたが、すぐに村の皆は家へと帰っていった。その夜は雲一つない満月が輝く夜で、イムコの足元をほのかに照らした。そのあとそのイムコを見たものはいない。
それから数日後、チギの村はなくなった。たまたまチギの村を経由していく予定だった行商人がその村を通りかかったのだ。まるでそんな村など存在しなかったかのように跡形もなくその村は、家も、村人一人たりともいなくなっていた。なにがあったかわからない、これは昔から小さな集落などで受け継がれている伝承だ。
さて、とりあえず昔話は終わったから本題に入ろうか。
セレナ、不思議に思わないかい?行商人が見たのは跡形もなくなったものしか見ていないのにイムコを生贄とした祭りごと、つまり催事があることを知っていたし、そのイムコが山に消えていく時の天気や、情景まで分かっているんだ。
さて、ここで話は一変して最近起きたことなんだけどね。
セレナも知っている帝国だと思うけど、ウルツライト帝国の東の都、つまり東都でとある町娘が最近までパン屋を営んでいたんだ。そのパン屋のパンを食べると願いが叶うと言われていた。
なんでだと思う?
実は、そのパンには薬物が使われていたんだよ。マジックマッシュルームって言うらしいんだけどね、そのキノコは幻覚を見せていたんだ。だから、願いが叶うなんて言ってたんだろうね。幻覚は実際ないものが見えてしまうからね。
どこがさっきの昔話に関連があるかって?
ウルツライト帝国で行われた尋問の結果、そのパン屋の娘の家系が元ティアドラ王国の住人ってことが分かったんだ。なぜウルツライト帝国に辿り着いたかっていうとさっき出てきた何もなくなっていた村を発見した行商人が関連していたみたいだね。その行商人は何もなくなった村を呆然と見ていたらしいんだ。そうしたら、イムコの娘が山から下りてきたって訳さ。そこで出会ったのも何かの縁、そう思った行商人はイムコの娘を拾って商売先のウルツライト帝国まで娘を連れていくことにしたんだって。
その娘はウルツライト帝国で結婚して、幸せな家庭を築いたって訳だ。そのイムコの家系はもともと薬の知識が豊富な薬師として生計を立てていたらしい。だからイムコ自身も薬学に関して詳しかったため、帝国では薬師として働いたみたいだね。
その娘の子はさらに娘を生み、代々薬師としての役目を果たしていたみたいなんだけど、その娘の子孫に変わり者がいたらしくてね。薬の使い方を誤ってしまったようだ。
—————とまあ、こんなところかな。
ルスお兄様は話終えるとモカが持ってきた菓子をつまむ。
「何が面白いってさ、ウルツライト帝国で犯罪者がまさかのティアドラ王国の伝承として受け継がれてくる話に出てくる子孫だったことだよね。」
ルスお兄様の感性はよくわからないが、面白い話だったらしい。私的には興味深い話であった。
「ちなみに、村人はどうなったのですか?」
私は疑問に思ったことを口にする。
「ああ、村人?不作だからってほかの地に移住することにしたらしいよ。」
(身勝手な話だな…生贄のイムコは最初で最後の生贄だったのだろうね。)
ルスお兄様はまだ話したりなそうだったがベランダから来た誰かがお兄様に耳打ちをすると、お兄様は何も言わずに足早にベランダから出ていった。
私は話し相手がいなくなったので部屋にある本を読むことにする。
最近王都で人気の小説を読んだが、こういう系統の本を読んだのは前世以来な気がする。
このような作品をこよなく愛していた彼女が脳裏によぎる。遥か遠くへ旅立ってしまったソウルメイトのことは転生した今でも思い出す。
日が傾き、教室内に淡いオレンジ色の光が射す空間。
毎日、学校に行くのが楽しくて、ソウルメイトと、ともに好きなことを分かちあったあの頃のことを。
今でも良い思い出だ。
一人感傷に浸っていると時間はかなり進んでいたらしい。モカが私の表情を窺うように見ていた。私がその視線に気付き、モカを見る。
「セレナリール様、もうそろそろご夕食のお時間ですので…」
「はい、わかりました。では、向かいましょうか。」
外はすっかり暗くなって空にはいくつかの月が並んでいる。
どこからともなく夜行性動物の鳴き声が聞こえる。
「今日も一日終わったか…。」
一人ぽつりとつぶやくがその声を聴いた人は誰もいなかった。
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