わるい子

春ノ宮 はる

第1話 わるい子

 また、彼女のことを思い出していた。

 いい大学に合格しなければならないことも、それが未来のしあわせに繋がることも、わかっている。わかっているのに、私にはそれがどうでもよく思えて仕方がなかった。

 なんて言ったところで、気づけば止まっているペンを肯定なんてさせてもらえない。

 ときどき思う。

 私は、今もこれまでも、きっとこれからも彼女に囚われながら生きていく。それなのに、私がどれだけ泣いても叫んでも彼女にはもう届くことがないというのは、どう考えても不公平じゃないだろうか、と。

 それならいっそ、あんな日々があったこともきれいさっぱり忘れてしまいたい、とも。

 特に、今日みたいな夏の夜は、窓から這い寄る蒸し暑さがあの夜に似ていて。気づけば静かにのぼっている円かな月が、あの夜の笑顔に似ていて、どう息をしていいのかもわからなくなる。

 あの夜。甘い夢が終わった夜。

 私は10才で、友達のいない子どもだった。

 そんな私のことを、彼女は妹のようにかわいがってくれた。そのことが私には、テストで100点を取った時よりも家族でテーマパークに行った時よりもうれしかった。

 家が近いからいつでも会えたし、仲良くなれたのもそのおかげだった。

「凛ちゃん! 今日の花火大会はこの町いちばんの名物なんだよ!」

 その笑顔は、私がなにより大好きな笑顔だったはずだ。でも、もしかすると私が気づけなかっただけじゃないかと、今になって思う。

 花火の音と振動は、あの頃の私には少しだけ怖くて、彼女に、沙耶香ねえに触れた。触れてはじめて気がついた。

 彼女は、震えていた。

「沙耶香ねえも怖いの?」

「うん、ちょっとね。凛ちゃんがいっしょにいてくれたら、怖くないんだけどね」

 向けられる笑顔が涙に濡れていて、私はわけもわからず取り乱していた。

「凛、ずっといっしょにいるよ! ぜったい沙耶香ねえからはなれない。だから泣かないで?」

「ありがとう。……でもそれじゃだめなんだ」

 少しだけ間が空いた。花火の音も振動も、私にはもう届かなかった。

「……私ね、遠くに引っ越すんだ」

 私にはその言葉の真意は分からなかったけれど、彼女の顔があまりに悲しすぎて必死に慰めようとした。けれど、なにを言っても彼女は謝るばかりで、不思議と私はちゃんと向き合わなきゃいけないような気がした。

「沙弥香ねえ、どうして遠くに行っちゃうの?」

「私、呼ばれてるんだ。だからもうすぐ行かなきゃいけない」

「また帰ってくる? いつか一緒に花火見れるよね?」

「……うん。いつか、ね。きっと迎えに来るから、それまでは私のことは忘れて、いい子にしててね」

 その儚く麗しい瞳に夜空に咲く華を映して、彼女はそっと言い遺した。

 それが、私たちの最後の思い出になった。今では、私だけが知る思い出。

 私は、いい子ではいられなかった。

 彼女を忘れて生きることも、この思い出を過去に葬ることも、私にはできない。あの日々を忘れたいなんて嘘だ。

 本心では、これからもずっと彼女との思い出に縋って捕らわれていたい。

 最後の約束は守れない。

 私は、わるい子だ。

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