第一話:カロネード商会
朝日に照らされた街道を馬車が走る。街道といっても舗装は全くされていない為、辛うじて出来ている馬車道を縫う様にして進む他ない。更に悪い事に、昨晩の雨により道が泥濘と化していた為、牽引している大砲が泥に捕まり身動きが取れなくなるアクシデントがしばしば発生した。
「エレン、一旦ここで休憩するわよ」
何度目かの泥濘を脱した姉妹は、比較的乾いた道の上で小休止を取ることにした。
「お姉ちゃん、何でわざわざ普段は通らない旧街道を進む事にしたの?オーランドに行くんだったら、新しくて綺麗な街道がつい最近出来たじゃん!」
家から持ってきた黒パンを食べながら、何度も馬車を手押しする事になった不満を姉にぶつけるエレン。
「新街道はオーランドとの国境に検問があるのよ。家出同然で出てきた私達をそう簡単に通してくれる筈ないわ」
モソモソと黒パンを食べながらエリザベスが答える。
「それに、何度かお父様とこの道を通った事があったから、新街道よりは土地勘があるのよ。あくまで付き添いとして、だけどもね」
「それってオーランドに不法入国するって事だよね?お姉ちゃん大胆だねー」
言いながらエレンは、馬車に積んでいた水筒をエリザベスに手渡す。
ありがとう、とエリザベスは水筒の水をふた口程飲む。
硬い黒パンに持って行かれた口内の水分が復活し、安堵の溜息が出る。
すると同時に、身体中に張り巡らされていた緊張の糸が一気に緩み、疲労感と心地よい眠気に包まれる。
朝日に照らされた水溜まりを見つめながら、ぼーっと、しばし物思いに耽るエリザベス。
武器商、カロネード家の長女として産まれた私は、父の経営するカロネード商会の跡取りとなるように、経営者としての教育を徹底的に叩き込まれた。商談があれば必ず同行させられたし、読み書き計算も三歳の頃から教え込まされた。
お陰で八歳になる頃には商談の内容を大体理解出来る様になったし、ちょっとやそっとの事では物動じない術を身につける事ができた。
「実はね、お姉ちゃんが家出するって言った時、正直やっぱりか〜って思ったよ」
エレンの声で我に帰り、自分が半分眠りかけていたことに気付く。
勿体無いが水筒の水で顔を洗う。まだ道程は長い、気を引き締めなければ。
「流石にエレンにはバレてたのね」
手拭いで顔を拭いながら応えるエリザベス。
「いつも一緒だったからね。お姉ちゃんは商人になりたくないんだろうなって、何となく雰囲気で感じてたよ〜」
エレンの言う通り、私は商人の仕事が嫌いだ。言葉遊びに終始する商談や、常に相手の顔色を伺う姿勢、裏の裏を読んで立ち回る商人特有の陰鬱な駆け引きが堪らなく嫌だった。むしろ、銀貨の枚数を数えたり、帳簿をつけたり、在庫の品数を数えたりといった細々とした作業をしている方がよっぽどマシだった。
「それで、決め手は何だったの?」
黒パンを水筒の水で湿らせながらエレンが尋ねる。
「決め手って、何のよ?」
「家を出るって決めたキッカケだよ!まさか昨日の喧嘩が原因ってこともないでしょ?」
「えぇ、まぁそうね……最近はお父様と毎日喧嘩しっぱなしだったから」
そう言うとエリザベスはうーん、と腕を組んだ。
「キッカケねぇ、どこから話そうかしら……五年前に、王国軍の軍事演習を観に行ったの覚えてる?」
「覚えてるよ!十歳の時にお父さんと観に行ったヤツだよね?あれ凄かったよね〜!兵隊さんの数もそうだけど、練度も凄かったね!」
「ええ、私は
「え、ソレってどれ?」
エリザベスはパンを食べる手を止め、エレンに姿勢を向き直し、答えた。
「軍隊そのものよ。私は軍隊に一目惚れしたの」
「……軍隊に一目惚れしたのが家出のキッカケなの?」
頭に大量のハテナを浮かべるエレンの姿を見て思わず苦笑するエリザベス。
「ええそうよ。私はあの時、軍人になる決意をしたの」
父に連れられて見た演習の光景。
まるで焼きついたかの様に、今でも私の中で燻り続けている光景だ。
戦列歩兵の整列射撃と、切先を揃えた銃剣突撃。砲兵の一斉発射に合わせて、サーベルを掲げ突撃する騎兵部隊――兵器を売る側ではなく、使う側に立ちたいと思った瞬間だった。
「え、え!?ちょっと待って!じゃあもしかして後ろの大砲ってお姉ちゃんが自前で使う用なの!?」
姉の突拍子もない発言に喫驚するエレン。
「そうよ?小娘一人が軍に入った所で何のメリットも無いけど、大砲一門が付いてくるとなれば話は別でしょ?」
「家出する為に大砲が必要だなんて言うから何事かと思えば!密入国の件もそうだけど、大胆というか大雑把というか、流石お姉ちゃんというか……」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているエレンを見て、少し意地の悪い笑顔を見せる。
「あら、やっぱり帰る気になった?」
「ううん、全然!むしろ俄然興味が沸いてきた!続き聞かせて!」
ここからは大して面白く無いわよ、と無意味な予防線を貼りながらエリザベスは話し始めた。
「演習の直ぐ後、こっそり取引先でもあった王国軍の軍需物資担当に相談してみたの。そしたら従軍経験が無いからダメだと言われたわ」
そう言うとエリザベスは黒パンを千切って一口食べた。
「その一年後、王立士官学校へ入学の嘆願書を出したら、年齢が若すぎるからダメだと言われたわ」
彼女はまた黒パンを千切って一口食べた。
「そのまたニ年後、軍練兵場で志願兵として立候補したら、女の兵士は募集してないからダメだと言われたわ」
彼女は残りの黒パンを口に放り込む。
「で、不本意ながら去年、お父様に相談した結果がこの通りよ」
咀嚼中の口を手で隠しながら、エリザベスは一枚の紙をエレンに手渡す。
「ん!なにこれ。えーと、なになに」
誓約書、と仰々しく題された文を読み上げるエレン。
「私、エリザベス・カロネードは、カロネード家の嫡女である事の責任を深く受け止め、これにあっては、カロネード商会の跡取りとして、その責務を全うする事をここに誓います……?いつもお父さんがお姉ちゃんに口酸っぱく言ってるやつじゃん、これ」
「その下の
「下の但書?えーと。上記責務を全うするには余りある瑕疵を認むる時、私エリザベス・カロネードは、直ちに自らのカロネード家に付随する権利及び財産を放棄する事をここに誓います……」
「信じられる?商人じゃなくて軍人になりたいって言ったら、無言でこの紙持ってきて、サインしろって言われたのよ?」
「要するに家を継ぐ気が無いなら出ていけって事じゃん……お父さんも頭固いなぁ」
エレンが誓約書を返すと、エリザベスはそれをビリビリに破り捨てた。紙片が泥濘に浸かり、白から茶に変色していく。
「なるほど、これが家出のキッカケね」
粉々になった誓約書を見つめるエレン。
「ほとほと呆れたわよ、大方予想はしてたけど。結局自分の力で軍人を目指す他無かったって事よ」
誓約書を破り捨てて少しスッキリしたエリザベスは、馬に飼料を食べさせ、出発の準備を始める。
幸い、軍人になる為の教科書は家の中に山程あった。
武器商である我が家の倉庫には常に大砲が鎮座していたし、そこらの木箱を開ければ前装式マスケット銃が一ダースは入っていた。本棚には兵器取扱書や戦史書が並び、次々に新しい本が運び込まれていた。
両親は多忙で家を空けている事が殆どだったから、教育の合間に軍事書籍を散々読み漁ることもできた。
エレンはエレンで大砲を弄るのが好きで、よく倉庫に篭っていたらしい。
「さぁ、出発するわよ!記憶では国境はもうすぐの筈ね。あ、国境を超えたら新街道に戻るから、今よりは大分移動が楽になる筈よ」
エレンを鼓舞し、これからの道すがらを話すエリザベス。
「オーランドに入ったらどうすんのさ?地方領主様と仲良くなって、軍人として取り立ててもらう感じ〜?」
「その通りよ!先ずは国境に近いパルマ市にでも行ってみようかしら。最近、ノール帝国との国境紛争が激化してるらしいの。きっと領主が志願兵を募集してる筈だわ!」
私達の母国、ラーダ王国は南にオーランド連邦、東にノール帝国のニ国と国境を接している。
この三国国境が交わる中心に位置する街が、オーランド領、パルマ市だ。
立ち上がって紺色のペティコートに付いた泥を手で振り落とし、黒のメッシュが入った銀髪を後ろで結うと、エリザベスは再び
エレンも姉に倣って髪を後ろで結おうとしたが、腰まで届く癖毛のブロンドではどう頑張っても結うことができず、結局そのままの髪型で馬車に乗り込むことにした。
二人と一門を載せた馬車が、街道に新しい轍を引きながら、昇る太陽に向かって進んでいく。
この大砲が初めての砲火を轟かせる瞬間が、もうすぐそこにまで迫っていた事を、まだこの二人は知らない。
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