カノン・レディ〜砲兵令嬢戦記〜

村井 啓

第一章:パルマ有事

プロローグ:出立、もとい家出

 昨晩からの小雨により、リマの街は雨靄あまもやに覆われていた。

 霧雨のカーテンが降り注ぐ大通り。

 濃霧に色彩を奪われた石造りの家々。

 人も、街も、草木も、来たる日の出を待ち侘びて、今はただ眠りについていた。


「さぁエレン、日が登る前にさっさと出発するわよ!」


 それ程大きな声を出したつもりでは無かったが、透き通る空気と静寂のせいか、思った以上に声が通る。夜警中の保安隊に見つかったら面倒だ。


「ういうい、もうちょっとで連結完了するから待ってー」


 いつもの間延びした妹の声が、ガチャガチャとした金属音と共に、馬車の後ろから聞こえてきた。

 あくびを噛み殺しながら馬に跨る。自分と違って朝に強い妹が羨ましい。


「おっけー、準備完了ー」


 馬車に乗り込みながら合図を出す妹。それを聞いて無意識に手綱を強く握り込む。

 さぁ後は出発するだけだ、と自分に言い聞かせようとするが、心残りが全く無いと言ったら嘘になる。


「エレン。本当に付いてくるのね?これは唯の私のワガママなのよ?」


 父に何も言わず家を出る事や、父の商売道具である馬車を勝手に持ち出す事に対しては、とっくに罪悪感など無くなっていた。しかし妹を一緒に連れて行く事について考えると、いささか心を引っ掻かれるような気持ちになる。


「わたしがお姉ちゃんに着いて行くのは自分の意志だもん。お姉ちゃんが居ない家はつまんないだろうし〜」


 それが本心から出た言葉なのか、自分を気遣っての言葉だったのか。

 結局真意の程はエリザベスには分からなかったが、最後の心残りを押さえつけるには十分な言葉だった。


「さあ、行くわよ!先ずは計画通り、国境を超えてオーランド連邦に入るわ!」


 "カロネード商会"と題された倉庫から、馬車が勢い良く大通りに飛び出す。

 通り向かいの軒先で寝ていた犬が目を覚まし、首をもたげ、目を細めて音の方角を見つめる。

 犬の目には走り去る馬車の姿と、馬車の後ろに牽引された鈍色にびいろに光る大砲の姿が映っていた。

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