龍乱国落陽編
第36話 塵は積もり、泥に埋もれ、夢を枯らす
深い、深い、塵のなか。
暗い、暗い、泥のなか。
目の潰れた蛇のように地べたを這いずるのは何故か。
光に目が眩んだ、否。
第三者によって機能を
自らの手で眼球を押し込み、自らの手で視覚を捨てた。
眼前に広がる深く、暗く、昏い地獄を見ぬように
・ ・ ・
魔王領域・バシーニード。神も人も星を喰らう
魔塵族の父、魔王である。
「くそ、くそっ、くそっ!」
怒りに身を任せ、その足を何度も骸に向けて振り下ろしていた。その度に肉と繊維が契れる音がし、黒ずんだ血が止まることなく流れている。
「この僕を裏切るなんて、裏切るなんて!子供が親に楯突くなんて!ふざけているにもほどがある!僕の人形のくせに、誰のおかげで強くなれたと思ってるんだ!」
びしゃりと肉を潰したあと、魔王は荒く呼吸をしながら唸ると怒りをぶつけるように声を荒らげて名前を叫ぶ。
「マカロン……マカロンッ!」
「……はぃ」
魔王の声に怯えながらも影から一人の少女が現れた。薄い金色の短い髪に小さい耳に尻尾、獣人ということが分かる。魔王はそのまま冷たい視線をマカロンと呼ばれた少女に向ける。
「片付けろ」
魔王の言葉にマカロンは泣きそうな顔をしながら頷く。だがすぐにマカロンの身体に異変が起きた。顔に描かれた魔線がマカロンの目まで伸びたかと思うとそのまま目を貫き、眼を黒く染まった。それに続くようにびきびきと皮膚の伸びる音が響き、口の端が少しずつ裂かれたように伸びていく。骨を無理矢理砕いて可動域を広げ、どこに仕舞われていたのか凶悪な歯が覗く。今まで魔線が顔にある以外は普通の女子だったのが今では見るもの全てが卒倒しそうな怪物へと変わっていた。彼女はカバの獣人だったのだ。その姿のままマカロンは骸に近づくとそのまま口を開け、骸を頭と思われる部位から貪り始めた。骨と肉の割れる音だけが玉座の間に響き渡る。そして微かに聞こえる少女の嗚咽は魔王には聞こえていなかった。彼はとっくに意識を別のことに切り替えていたからだ。
脱走してから未だ見つからない三人の子供達のことに。
・ ・ ・
バシーニードの中庭には一本だけ青々と葉の繁った木が植えられおり、その木の下にもふわふわと柔らかい草が生えていた。だがそこ以外は枯れた地でバランスが悪く、木が庭の養分を独占しているように見え、気味が悪い光景だった。そんな木の幹に寄りかかって寝ている鳥人型の怠惰の魔塵、カガリがいた。成人した姿をしているが怠惰故に常に眠気に襲われ、あっさり負けるため魔王の話もまともに聞いたことがない。直そうとする意欲もないため、何人かからは諦めの雰囲気が流れていた。するとカガリのそばにまた違う鳥人型の強欲の魔塵であるアラン・エレイヴが近づいてきた。カガリとは違い、まだ幼さの残る顔つきで黒い羽毛に映える白い首巻きを着けていた。
「……カガリさん、カガリさん」
敬称をつけて名前を呼ぶため、カガリよりも立場か年が下なのだろう。アランの声にカガリは目を開け、眠そうな顔を上げる。早めに起きてくれたことにアランは安堵しながら、要件を話し出す。だが、それを遮るものがいた。
「やっと見つけた……!」
殺気の籠った声がアランの背後から聞こえた。アランが振り返るとそこには殺意を纏った鋭い視線を二人に向けた人間型の色欲の魔塵、エリセがいた。エリセの様子に警戒しながらもアランは問いを向けた。
「エリセ、何の用……」
「
アランの言葉を遮るようにエリセが呪文を発すると紫色に発光する五つの輪が突如現れ、二人に向けて放たれた。突然のことに驚くアランに三つの輪が襲いかかろうとしたその時、目の前でリングが真っ二つに割れる。
カガリが胸に刺していた刀でリングを一刀両断したためであった。
「なっ……!」
弾かれると思わなかったのかエリセが目を見開き、驚きのあまり声を上げる。片手に刀を持ったまのカガリは地に向けていた視線をエリセに移す。震えるほどの冷たい視線にエリセは息を飲むが元々気の強い性格のため、また先程の態度へと戻る。
「何呑気に寝てたわけ? あのじいさんが死んだってのに随分と白状なのね。それもそうか。
「……!」
忌々しく吐き捨てるエリセにアランは屈辱で顔を歪めた。暁界戦争と呼ばれる人間と他の種族との戦争から伝えられてきた鳥人族の忌み名は魔塵族であっても知っていた。
「だからあんた達の種族の方が裏切り行為が行われた数が多いのよ! 受けた恩を仇で返すなんて何考えてるの!」
感情のままに怒鳴る。アランも言い返そうとするが、エリセの言っていることはほとんどが事実のため否定ができない。その様子を見て、エリセも止まらない。
「ほら、返す言葉もないでしょ! あんた達のせいでお父様がどれだけ傷ついたか……! あんた達には分からないでしょうね!! 」
二人を罵倒するエリセの周りにまたも紫の輪が出現する。だがその数は先ほどの二倍もある。
「だから私が裁いてあげる! お父様が望む未来に、あんた達は必要ないッ!! 」
声を張り上げ、目標を定める。また切り落とされないように今度は出力をあげて。
「
「はーい、そこまで」
何者かがエリセが生み出した輪を全て消し去り、エリセの腕を掴んで持ち上げた。いきなりの浮遊感にエリセも驚きを隠せない。
止めたのは獣人型憤怒の魔塵であるルキシオ・アグネスであった。
「ルキシオッ! あんた、何を!」
「何って城内で喧嘩してんのを見つけたら止めるのが筋ってもんだろ」
腕を捕まれ、持ち上げられながらもエリセの勢いは変わらない。だがルキシオ自身、暴れるエリセを片腕だけで押さえられるほどその力には差があった。
「それにお前なんかじゃカガリには勝てねえよ。実力の差ってやつだ」
「うるさい、私は──!」
「あんまり騒ぐと大好きなお父様も黙ってないんじゃないか?」
その一言にエリセは押し黙った。彼女の行動は父である魔王を思って暴走してしまったことだ。彼女自身、父から叱責されるのは本望ではない。エリセがおとなしくなったのを確認するとルキシオはエリセの腕を離し、カガリ達の方へと視線を向ける。
「お前らも、もう反逆なんて起こしてくれるなよ。うちの妹が泣いて帰ってくるのは懲り懲りなんでね」
それじゃと言い残し、ルキシオは去っていき、エリセも二人を睨み付けると踵を返した。アランはエリセの背中を見つめながら安堵した様子だった。
「ありがとうごさいます、カガリさん。助かりました……」
カガリが刀を胸に指していつの間にか寝入っているのを見て、アランは言葉を閉ざした。まだ相談したかったことの一割も話せていない。アランは少し諦めたようにその場を後にしようとした。
「──アラン」
背中から声をかけられた。振り向くアランの視界には木にもたれ掛かり、こちらを気だるそうに見つめるカガリの姿があった。
「──お前はローランのことを恨んでいるか?」
カガリの問いにアランは少し固まり、目を泳がせた後覚悟したように言い放った。きっと老齢の漆黒の騎士
が彼の脳裏に写ったのだろう。
「はい。見つけ次第、オレはこの手で──」
アランは拳を握りしめる。
「あいつを殺します」
まるで自分に言い聞かせるようにアランは同胞への殺意を胸に刻み付けた。
・ ・ ・
「泣かないでぇ、マカロンちゃん。美味しいマカロン用意したのよ?」
「共食いちゃん?」
「少し黙ってよ」
バシーニードの西に位置する獣人の魔塵の区域のとある一室。
そこはまるで子供部屋のようで淡いベージュの壁に様々なぬいぐるみやクッションが置かれていた。その部屋の中心には先ほど死体処理をしていた暴食の魔塵であるマカロン・アネットと三人の女性がいた。目を真っ赤にして泣いているマカロンをあやしているようだった。
「ほら、美味しいわよ。何味がいい? ベリー? チョコレート? それともレモン? 」
泣き続けるマカロンに籠に大量に入ったマカロンを見せるのは色欲の魔塵であるスカーレット・アルベマーズ。緋色の長い髪を地まで伸ばし、大胆に胸元を見せたドレス。特徴的な長い耳に丸い綿毛のような尻尾。彼女は兎の獣人であった。
「ぅんじゃ、オレちゃんはチョコレート! 」
手をあげ、マカロンを要求するのはマーニャ・アズベリー。傲慢の魔塵であり、ラーテルの獣人だ。雑に切られた黒髪を跨ぐような白い髪に腕の三倍はある太さの籠手が特徴である。
「オマエに聞いてない」
マーニャに冷たい言葉を投げ掛ける強欲の魔塵であるアネモナ・ビターキャンデは牛の獣人であった。顔ほどはあるだろう角に分厚いブーツ、赤く金の装飾が
施されたマントを身に付けていた。
「それにしてもお父様も酷いわよね。マカロンに処理を任せるなんて!」
スカーレットはひどく憤りがあるらしく、自身の膝に頭を乗せて踞るマカロンの頭を撫でながら頬を膨らませていた。
「まあ、マカロンのブロットは便利だからなぁ。マカロンの食事にもできるしで一石二鳥なんだろ」
抱き締めている籠に入ったマカロンを頬張りながら言い放つマーニャをアネモナは睨み付けると拳を握りしめてマーニャの脳天を突いた。
「いっだぁッ!」
「余計なことを言うな、戯け。気を使うこともできないの」
牛故の力任せなな脳天突きはさぞかし効いたのだろう。それ以降マーニャは頭から手が離れなかった。
「ひぐっ、もぅ、だいじょうぶ……」
マカロンは目に泣き跡をつけながらも三人に顔を見せた。喜んだスカーレットはマーニャから籠を奪うとマカロンの方へと中身を向ける。マカロンは中身を凝視すると一つ手に取り、ポリポリと食べ始めてた。
「あぁ、よかった! たくさん食べてね!」
安心したようなスカーレットは何度もマカロンの頭を撫でていた。ふとマカロンはきょろきょろと辺りを見渡す。
「ねえ、アズリアは? 」
マカロンの言葉に他の三人も辺りを見渡した。だが四人が望む人物はそこにはいなかった。
「あら、本当ね。アズリアちゃんいないわ」
「まあ、仕方がないんじゃないかぁ? エルマちゃんが出てったきりでリアちゃんかなり落ち込んでるみたいだし」
「見ていられない……」
「そうよね……」
スカーレットはふうとため息をつく。この間見てしまった光景を言葉にはせず、脳裏に浮かべながら。
「エルマが置いていった服の布を嗅いで泣きながら自慰をしていたくらいだもの」
「エルマ……」
魔王城にそびえ立つ塔の一つに彼女はいた。塔の屋根まで器用に登り、そこで布切れを手に持ちながら嫉妬の魔塵であるアズリア・スタークスは座り込んでいた。バシーニードを見渡せるその場所にいるのは自身が友人以上に想いを馳せる存在がいつ帰ってきてもすぐに迎え入れることができるようにするためだ。
「エルマ……」
呟く彼女の声は虚しく乾いた風に乗るだけ。息を吹き掛けられた蝋燭の火のようにか弱いものだった。
「会いたいよぅ……」
手に持っていた布を握りしめ、鼻に押し付けた。そのまま何度か呼吸すると目に涙をためて布を濡らす。
そこに残る「彼女」の残り香も日に日に薄くなっていく。それがあまりにも嫌でついこの間「彼女」が消える前に自身の臍から下の部位を扱ってしまった。
「彼女」を汚してしまった罪悪感と「彼女」への怒りがアズリアの意識を支配していた。
アズリアは見つめる。枯れ果てた
・ ・ ・
「アドリム殿が亡くなった、ということですが……。それと同時にアスベル殿も失踪、同様に鳥人型の憤怒の魔塵であるローラン、獣人型の怠惰の魔塵であるエルマも姿を眩ました。あぁ、そういえば鳥人型の暴食の魔塵のアルスバーンという方も死んだそうですが……。いやはや情報が多くていけませんね」
そう顎髭を撫でるのは人間型憤怒の魔塵であるグロム・アグラマス。屈強な身体に立派な顎髭を蓄え、紳士のような口調で語りかける。グロムの様子に嫉妬の魔塵であるアラクネ・アリアドネスは笑い転げていた。それを表すかのように彼女の背中から生えている五つの足がガタガタと揺れた。
「くははッ! 情報が多いぃ? 当たり前だろ。三人同時に脱走なんて魔王も初めてだろうに。わえも高ぶってしまうわ! それに何やら我が王はかなりご立腹のようだしなあ! 」
「それにしてもレイ殿に続いてアスベル殿までもとは。鳥人型について笑えなくなりましたね。エリセ殿も何やら憤慨のご様子。何とも面倒なことになってきました」
「だが、ぬしはやけに落ち着いているなぁ? 」
伺うようにか、それともただ面白いのか。アラクネはにやりと口角を上げたままグロムに尋ねる。グロムは眉間を指で揉むように摘まんだ。
「これでも仲間思いなんですよ、私。レイ殿がいなくなってから一晩は寝れませんでした」
「立ち直りが早くてぬしの言葉の信憑性が無くなったぞ」
「アドリム殿の死とアスベル殿の失踪。あぁ、とても苦しい。今夜は寝れるでしょうか」
「童子でもあるまいし、どうせ二日後にはケロッとしているだろ」
悲観的な声をあげるグロム。アラクネには今のグロムの本心を読み取ることができなかった。ただでさえ、いつでも何処でもあんな言葉使いだ。どれが本心なのかも分かったもんじゃない。
「……ところで。貴方さっきからずっと黙っていますがどうしたんですか、クレス殿」
グロムは自身とアラクネの隣で一言も話さない傲慢の魔塵のクレス・アーデルに話しかけた。見た目はアスベルと近い年齢をしており、青い短い髪の青年だ。だが、彼はグロムの方に視線を動かすがまたすぐに地面へと下ろしてしまった。話す気はない、ということであろう。そんなクレスの様子にグロムは顔をしかめる。
「無視とは酷いですね。傷心なさっているのは分かりますが、だからといって邪険に扱われて許すつもりはありませんよ」
「傷心などしていない」
「嘘言うもんじゃあない。どうせ今までアスベルに勝ち逃げされたのが悔しいだけだろぉ? 置いていかれたなんてかわいそうだなぁ」
嘲笑うようにクレスに言葉を吐くアラクネをクレスは睨み付ける。
「腕を一本切り落とされたというのにその対象が死ぬまで殺せなかった貴方に言われたくない」
クレスがそう返すとアラクネを中心に空気が一気に凍る。空気中の物質全てが重りに変わってしまったかのようにのしかかってくる。
「────────────あ?」
アラクネの血よりも赤い瞳がクレスを捉えた。アルモネの背中に残った足がビキビキと音をたててその切っ先をクレスに向ける。その姿はまさに羅刹であり、恐怖が臓器の間を駆け抜けていく。
「ぬし、今なんと言ったぁ? このわえの前でぬしはなんと宣った? よもやぬしのような糸に弄ばれる羽虫風情がこのアラクネを蔑んだ言葉を囀ずった訳ではなかろうな」
あまりの殺気にクレスも血の気がひく。いつ襲われてしまってもいいように携えていた武器に手をかける。
だが、その必要はなかった。
「アラクネ殿、どうか落ち着いてください。ここで乱闘を起こされては私が困ります」
グロムはクレスとアラクネの間に入り込むとアラクネを諭しだす。
「貴方のような方が一々このような言葉に惑わされる必要などないでしょう。というか私が怒られるのでお止めください」
あまりの自己中心的な言葉に逆にアルモネは正気に戻っていった。
「ぬしのそういう自分中心な思考は逆に清々しくて駄目だ。反論も引っ込む」
「私もそう思います」
「ぬし、思っても実行に写さんタイプだな。反面教師というやつか、面白い」
そう言うとクレスへと視線を向ける。常人に向ければ
「今日は許してやる。わえの寛大さに咽び泣くといい」
それでも多少の不機嫌さを露にしながらもアラクネは器用に五つの足を折り畳むと去っていった。そんな背中を見てグロムはため息をつく。
「やれやれ、触らぬ羅刹に祟りなしとはこのことですな」
それを言うのならば神ではないかと突っ込みたいクレスであったがアラクネとの乱闘を止めてくれた恩があるため下手なことは言えない。クレスはグロムに謝罪をいれた。
「先ほどはありがとうございます。あの言葉はアラクネさんにとって軽率すぎました……」
「ふむ、当然の謝辞なので特に何も思いませんが、まあいいでしょう。これでも平和主義者ですのでね、私は」
魔塵族の言葉とは思えない台詞を吐き捨てるグロムはクレスの方に冷たく視線を向ける。
「私がいたから良かったですが、先ほどの言葉があんな風に溢れるとは貴方らしくありませんね。あのことを言えばアラクネ殿の地雷を踏みつけると分かっていたではありませんか。そんなにもアスベル殿が気になるのですか?」
その言葉にクレスは一度目を見開くが、何事もないように話し出す。
「いえ、裏切り者のことなど気にも止めていません。僕は自身の主に忠誠を誓うのみですから」
だがグロムにはクレスの言葉がどうしてもあの赤みがかった茶髪の青年との再開を望んでいるようにしか聞こえなかった。
◇
「ああ、ああ、僕は正しいとも……。あの子達が間違っているんだ……。僕は正しい……」
「僕は王だから……。僕ガ常に
上にたたなければならない…」
「悪いのはあの子達ダ
僕を裏切っタのだから」
「裁キを下さナければ………。君達は僕の
お陰で生きているとイうことを証明しな
ケれば……」
また、あの場に返り咲けるように
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます