第32話 腐りかけた感情
「どういうことだい……?」
アンデッドの襲撃から状況が落ち着いた頃、宿ギルドではカティスが驚嘆の声をあげていた。
その手には萎れた百合のような白いリボン。それはフィオラの形見であった。
「フィオラが死んだ……?」
カティスの震える唇で伝えられた言葉にアスベルはこくりと頷いた。ローランとエルマはどちらも下を向き、その表情を見せない。
「すまない、あんた等が冗談を言うわけないんだろうけどさ……。どうしても、信じられなくて……」
カティスは額に手をつき、眉間に皺を寄せる。カティスの表情が見えない状態が続くが、フィオラの形見を握る力が強くなっているのは分かる。
落ち着いたのかカティスはまた視線をアスベル達に合わせた。
「報告してくれてありがとう。あんた等も疲れているだろ? 今日はもう休みな」
取り繕った笑みでカティスはアスベル達に笑いかける。
その言葉の通りにアスベル達が部屋をでると扉の奥からかすかにすすり泣く声が聞こえてきた。
その声を止める術をアスベル達は持ち合わせていなかった。
部屋へと戻ったアスベル達は脱力するようにベッドへと座る。机の上には砂と化したフィオラが入っていた瓶が置かれていた。
部屋のなかはシンと静まり返り、窓の外から聞こえてくる人の声だけが部屋に響いている。
その沈黙を破ったのはアスベルであった。
「どうしてかな……」
アスベルの声にローラン、エルマは視線を向けた。
「こうなるのを防ぐために僕らはバシーニードから逃げだしてきたのに。壊すことが嫌になったから違うことに使おうって思ったのに……」
アスベルは座っていたベッドに仰向けの状態で寝転ぶ。重さによってベッドは沈み、皺をつくった。天井がアスベルの目に映る。
「なんにも変わってないな──」
端的に言葉を溢すアスベルやそれを静かに聞いていたローラン、エルマは涙の流し方さえ忘れてしまっていた。
「ねぇ、アスベル」
エルマが口を開く。その顔は外を向いているためアスベルがいる方向からは見えなかった。
「あんた、フィオラの顔見てるでしょ。どんな顔してた? 」
言葉だけがアスベルに向けられる。エルマのいつもよりも少し震えた声にアスベルは起き上がり、幼い子供に言うように優しく
「──笑ってたよ」
いつも僕達に見せてくれたあの笑顔だった、と呟いた。そのアスベルの言葉にエルマは一言そう、と溢すとまた口を閉ざした。アスベルもローランも話しかけずに、泣き声一つも漏らさない少女が落ち着くのを静かに待っていた。
・ ・ ・
次の日の朝方。
霧のように重い空気が晴れぬまま迎えてしまった。
アスベルはベッドに身体を委ねて天井を見つめていた。ローランも、自分の部屋にかえったエルマも昨日からほとんど話していない。
魔塵族にとって血も、肉も、目の前の死体を見るのも見慣れた光景だった。
魔塵族として魔王の命令により、数多くの国を滅亡に追いやってきた。日常的に目にするそれらにアスベル達は麻痺した頭で、目で、耳で取り込んでは何も感じることもなく、消えていく。
頭の容量はどんなときでも空っぽだった。
すると扉をノックする音が聞こえ、一番扉に近かったアスベルが少し遅い足取りで扉を開けるとそこには神妙な表情で立つシンラがいた。思っても見なかったアスベルは目を丸くして出迎える。勿論、その顔に影は見せない。
「どうしたの、シンラくん? 」
「いや、その……」
思わず声が途切れたシンラ。シンラもあの場にいたためどのような顛末を迎えたのか理解している。よくアスベル達と楽しそうに話していた少女のことも知っていた。そのため今ここでアスベル達の部屋にくることにも躊躇っていたが来なければならない理由ができたのだ。
「それにしても僕らの部屋、よく分かったね? 」
「カティスさんが教えてくれた。……それでお前達に客が来てるんだが」
「客? 」
不思議そうに首を傾げるアスベルはローラン、エルマを呼び、シンラと共に階段を降りていった。
一階に着くとシンラはあそこだ、と言うように視線を向ける。アスベルがその方向へと目を向けると小さい子供二人と高齢の女性がテーブル席に座っていた。
アスベル達にはその三人に見覚えがあった。すると子供の一人がアスベル達の存在に気付き、花が咲くような笑顔を向けて近寄ってきた。
「おねぇちゃん! 」
「! セナ!? 」
それは
「おい、セナ。ダメだろ、いきなりくっついちゃ!」
そんな妹の行動に兄であるロルトは急いで駆け寄り、苦言をしめす。
セナはお構い無しにエルマに満面の笑みを見せていた。そんな二人のあとを追うように先日幼い二人を探していた老婦がアスベル達に話しかける。
「すみません、突然お邪魔してしまって……。覚えていらっしゃるでしょうか? 」
恐る恐るといった具合に聞く老婦にアスベルは勿論、と首を何度も縦に振った。アスベルの様子に老婦はほっとしたらしく、ため息をついた。
「実はアンデッドの襲撃を受けたと聞いて、ロルトとセナが貴女方のことを心配していたんです。いきなり会うのは迷惑じゃないかと説得したのですがどうしてもと」
とエルマにべったりなセナとローランと楽しそうに話しながら、笑みを向けているロルトを優しい眼差しで見つめる。
「そうなんですね、わざわざ……」
幼い二人の優しさにアスベルも思わず表情が綻んだ。
とアスベルは思い出したように老婦にあることを訪ねる。
「そういえば二人のお母さんはどうですか? 元気になりましたか? 」
アスベルの言葉に老婦は目を少し見開き、優しい笑みを浮かべるがすぐに泣き出しそうに眉を寄せた。
そして首を横に振る。
「懸命に最後まで生きましたが、亡くなりました。あの子達が持ってきた木の実も使いましたがその時には症状が進みすぎていて……」
そう言うと老婦はローラン、エルマと楽しそうに笑う孫の姿を見つめた。
「そう、なんですか……」
アスベルは安易に質問してはいけないことを聞いてしまった罪悪感から黙ってしまう。
「あの子達も寂しい思いをしていますが、貴女方のことが印象に残っていたみたいで今日お邪魔したのも二人が貴女方に会いたいとずっと言っていたからなんです」
老婦は視線をアスベルに移すと優しい微笑みを浮かべた。
「あの子達を助けてくださり、ありがとうございました」
アスベルはそんな老婦の笑みを見て、戸惑いを隠せないような表情をする。
あぁ、この人達は前を向けているんだ。
魔塵族にとって血にも、肉にも、目の前の死体を見るのも見慣れた光景だったのに。
とっくに麻痺した感覚が覚めた気がした。
失うことへの恐怖をやっと思い出したのだ。
ならばやるべきことはただ一つ。
アスベルはローランとエルマに声をかける。
「ローラン、エルマ。行きたいところがあるんだ」
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