第30話 いってらっしゃい
魔塵族は今まで様々な生命の敵として存在してきた。
その花を枯れさせ、その声を黙らせ、何度も何度も彼らを絶望へと突き落としてきた。
それが父親が望んだことだから、それが自分達の使命だから。
そのために産まれてきた、そのための命なのだ。
それが彼らにとっての鎖であり、檻であった。
これがアスベル達にとっての普通であった。
魔王の望みのために生きてきた。
だから…………
・ ・ ・
「フィオ……ラ? 」
川の水のようにぞろぞろと流れるアンデッドなどもう視界にも映らない。
目の前に自分達に微笑んでくれた少女が、三人にとって最も親しい生命が、変わり果てた姿でいるのだから。
フィオラの目はアスベル達をぼんやりと映す。
綺麗に風になびいていた髪は絡まった糸のようで、優しい色をした肌は所々傷を負っている。
白のリボンは今にもほどけそうに揺れる。
しかし、フィオラの姿は完全にアンデッド化したわけではない。色に例えれば灰色の状態。
その証拠にフィオラはアスベル達が見る限り人を襲っていない。
人が近くにいてもその指は動かず、ただぼんやりと立ち尽くしているだけである。
敵意がまったくないのだ。
「え、どうしてフィオラが……」
エルマの震えた声でエルマがどれほど動揺しているのかがわかる。
が、そんなエルマをお構い無しにアンデッド達は背後から襲ってくる。
それを見たフィオラの目が開き、口をぱかりと開ける。
「あ゛あぁあ゛ぁあ゛ぁあっ! 」
「!!」
断末魔のようなフィオラの叫び。
すぐさま後ろに蹴りを入れたエルマ。
衝撃でアンデッドは壁に叩きつけられ、少し黒みがかった血が壁に散る。
エルマはこんなに近くまで接近されてたというのに気づいていなかった自分に驚いていた。
「エルマ! 」
「……ごめん、大丈夫」
ローランの声にエルマは落ち着きを取り戻しながらも答える。
ローランはまだ何か言いたそうであったが近づいてきたアンデッドを振り払い、すぐにその表情はなくなる。
しかし、そのローランも振り払ったアンデッドへの傷は浅く、相手をするアンデッドは先ほどよりも多くなっている。
ローランの心情がよくわかる。
「……チッ」
攻撃への力が入っていないことにローランは自分に腹が立っていた。
するとフィオラの身体がフラりと揺れる。
倒れはしなかったが立つこともやっとのような辛さを感じる。
フィオラは顎を少し上げると、目だけを左右に泳がせる。
自分の周りに広がるのはボロボロになっても戦い続ける騎士団にギルドパーティー。
そのギルドパーティーには顔見知りのものもいた。
そしてそんな彼らを襲うアンデッド達。
パーティーからは弱点、という言葉が多く飛び交っていた。
その言葉にフィオラはパクパクと口を動かす。
さっきの叫び声のせいで声がでないのだ。
フィオラは脆くなった喉を恨めしそうにさわる。
そして手を下ろすと目の前に剣を振るアスベルを見る。
アスベルも一時は固まっていたが、今は動揺で震える剣でアンデッド達を切り裂いている。
それでもアンデッド達の勢いは止まらない。
「………ァ……」
かすれた小さな声がフィオラの口からこぼれる。
ぼんやりとほとんど機能しない脳をゆっくりと動かし、アンデッド化の悪化によって固まりだした腕を懐へと伸ばした。
たった一つだけ今の自分にできることに気づいたのだ。
ギルド職員としての仕事に。
・ ・ ・
「あ、れ……」
ぼんやりとした意識のなか、フィオラが目を開けた。
だが、目に写るのは暗く生い茂った森の顔。
動かぬ首の代わりに目だけをよそへとやる。
周りには自分と同じように倒れた人々がいた。
しかし彼らの肌は傷を負い、傷から青く変色している。
そしてかすれた小さなうめき声が所々から聞こえる。
何が起きたのか理解するまでもなく、自分達とは違うはっきりとした声が聞こえた。
ところがその声の主はフィオラとは離れたところにいるのか声は聞こえるものの目しか動かないフィオラにはその姿を見ることができなかった。
その声は三人。二人は声の高さから男のようであり、一人は声が高く幼い子供のようだった。
「にしても造りすぎじゃねぇか、お前」
笑いながら話す男に違う男が静かに答えていた。
「だからなんだ。俺の監視下にいた騒がしい奴らを変えただけだ。貴様には関係ない」
「はっ、よく言うぜ。たまたま通った馬車の連中まで変えたくせによ。まあ虫がちょっと多く死んでもどうせまた産まれてくるからいいんだろうけどよ」
「ねぇねぇ、それ虫さんに失礼だよぉ」
今度は幼い子供の無邪気な声。
「だって、虫さんはちょっと羽をちぎればすぐに大人しくなるのにこいつらはしつこいんだもん。自分がどういう立場なのか、そんなこともわかんないだから。馬鹿だよねぇ! アハハハッ! 」
きゃっきゃっと笑う子供。
その幼く楽しげな声とは裏腹にその言葉にはかなり悪意がこめられていた。
しかしフィオラの身体も限界なのかだんだんも意識が途切れてくる。
するとふと男性の声が聞こえる。
「しかしお前も律儀に弱点なんて造ってよ、しかも────のとこにしかつけねぇなんて性格わりいなぁ」
「無難だと思うが」
二人の声にもう一人の子供はため息まじりで言う。
「もぉ、二人ともどこで誰が聞いてるか分かんないだよ。そういうこと言うときはもっと緊張感持ちなよー。ねぇ、お前達もそう思うだろ」
子供の声に反応するかのように獣のような声が聞こえた。
それはグルグルと喉を鳴らしている。同じ場所からは地面を何かで叩いているような音も聞こえる。
よしよし、と言う子供の言葉に男はいきなり笑いだす。
「はははっ! お前まさか本気でいってんのか! たかが百人程度の人間……いや、アンデッドか? その弱点を晒したとこで俺らがヤバい目に合うって思ってんのか? 」
くつくつと笑い、話にならなくなった男の代わりにもう一方の男が話し出す。
「それに今回はあいつらの実力を見るだけだ。まあそこまで期待はしてはいないが、我らが王が望むことだ。必ず成し遂げなければいけない」
その男の言葉を最後にフィオラは気を失った。
・ ・ ・
フィオラはぼんやりとほとんど機能しない脳をゆっくりと動かし、固まりだした腕を懐へと伸ばした。
「……ぁは」
懐から取り出した物を見てふとフィオラから笑みがこぼれた。
かすかに口角が上がる。
ぼんやりとした瞳に少しだけ光が灯ったように見える。
そんなフィオラの異変にアスベルも気づいた。
フィオラが持つあるものをみて顔がひきつる。
「フィオラ! 」
フィオラに近づこうとするため、アンデッドを凪払おうとするアスベル。
するといきなり力強く腕を掴まれた。
突然の出来事に驚き、後ろを振り向くアスベル。
アスベルの腕を掴んだのは女のアンデッド、しかし。
「…………デ……」
「──ぇ」
「ダズゲ……デ……」
変色した肌、傷だらけの顔、伝う涙でその表情はぐしゃぐしゃと歪んでいた。
「コロザ……ナイデ……」
アンデッドの意識に蝕まれる恐怖か、それとも先ほどまで同じ人であった者が切り裂かれていく様子を見たせいなのか、声は震えアスベルの腕を掴む力は強くなる。
だが、アンデッドを救う方法などアスベルは知らない。
いや、ない。弱点を見つけて殺すという選択肢しかないのだ。
アンデッドの意識に呑まれれば恐怖という感情はなくなる。だが女はあらがったのだろう。
魔物へと化す自分が嫌で、誰かが救ってくれると信じて。
しかしその結果がこれだ。
「……ァ……」
小さいうめき声を残し、女は倒れた。
背中からは血が流れている。
女の後ろではどこかのパーティーメンバーなのか男性が荒く息を吐きながら血が滴る剣を手にしていた。
「おい! 大丈夫か! 」
切羽詰まった様子でアスベルの肩を掴む。
「しっかりしろ! 殺すことしかこいつらを助ける方法がない! 迷ってはダメだ! 」
男性はそう言い残すと剣を握りしめ、アンデッドの群れへと走り出す。アスベルの下で女は嘆いていた。身体を走る激痛に顔を歪ませ、地面を涙で濡らし、ガリガリと地を掻く。
「ぞうです」
アスベルは声のする方、フィオラの方へと顔を向ける。そしてフィオラと目があったのだ。
そのフィオラは笑っていた。いつもアスベル達を見送るときと同じ笑顔。ボロボロの肌さえも気にならない満面の笑み。
「そうでずよ、アスベルさん゛。迷っちゃ駄目でず」
フィオラの声にローラン、エルマは動きが止まり、フィオラの方へと目が向く。
フィオラは声は掠れているものの、はっきりとした口調で話を続ける
「ごんな姿になっちゃいまじだけど、わたじ応援しでまず。アスベルざんもローランざんもエルマさん゛も」
風が吹き、とうとうフィオラの白いリボンがはらりとほどける。縛るものがなくなった髪は風にその身をのせて舞う。
「ぞの人を、皆を、救っでくだざい」
フィオラは微笑み、それと同時に持っていた小刀を上げる。両手に持つと祈るようにうつむく。
顔を上げるフィオラ。
「それではいってらっしゃいませ! ご武運を! 」
アスベル、ローラン、エルマ、そして目の前のギルドのパーティーに向けた最大限の笑顔。
小刀は振り下ろされた。
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