第19話 ヴォジャノーイの唄が聴こえてくるよ

「皆さん、実は相談があって……」


朝方。

宿ギルド内で朝食を食べ終えたアスベル、ローラン、エルマは暗い表情を浮かべるフィオラに呼び止められていた。


「どうしたの、フィオラ? そんな暗い顔して……」


アスベルがフィオラの顔を覗き込むように尋ねる。エルマも腕を組み、フィオラの返答が気になっているようで、ローランも無表情であるがじっとフィオラを見つめている。

フィオラは言葉にするのを躊躇っているのか、最初は口を開かなかったがようやく一言。


「受けてほしい依頼があるんです……」


「依頼?」


フィオラの言葉にローランは首を傾げる。それこそ三人は今からその依頼を受けようと掲示板へ向かうつもりであったのだ。


「掲示板の依頼ではなくて……その……個人の依頼と言いますか……」


フィオラは言葉を濁すとそのまま再び黙ってしまった。フィオラの様子のおかしさを不自然に思い、三人はひとまず部屋に来るように促した。

それでもフィオラの顔には影は落ちていた。


・ ・ ・


「それでどうしたの?」


部屋に着いたやいなや、開口一番にエルマがフィオラに尋ねる。

フィオラに身体が向くようにフィオラには椅子に座らせ、三人はベッドに腰かけていた。フィオラの顔はまだ暗い。


「依頼って言ったよね? どんな依頼?」


なかなか言葉を発さないフィオラを心配してか、自分から声をかけるアスベル。するとフィオラはまた呟くように答えた。


「薬草摘みの依頼です……」


「薬草? 」


ローランが眉をひそめる。鳥人に眉はないのだが。


「はい、モーリュと言う薬草なんですが……」


「その薬草摘みの依頼を私達に? 」


エルマの声にフィオラは泣きそうな声で言葉を漏らす。


「はい……その薬草がないと……私……」


ついにはその目からポロポロと大粒の涙を溢し始めた。その涙は朝露のようであった。だが突然のことに驚いたアスベル達はそれどころではない。


「お、お、お、落ち着いてっ!? 」


「泣かないで、泣かないで! ねっ! 」


「大丈夫か、本でも読むか? 」


まるで子供をあやすように声をかけるが、魔塵族に涙の止め方など心得ておらず、結局フィオラ自身が泣き止むまでアスベル達は何もできないでいた。

ようやく涙の止まったフィオラは鼻声で話し始める。


「私のお父さんから手紙がきたんです。なんでも故郷の母が病にかかってしまったらしくて……。最初は風邪のようだったらしいんですけど、それが悪化したみたいで……。色んな医師を呼んだらしいのですが、手の施しようがないと……」


「フィオラのお母さんが……」


フィオラはこくりと頷く。


「だから、治す方法はないかと手紙に書かれていて……。そしたらモーリュという薬草はどんな病気や怪我もすぐに治せてしまう力があるらしいです! 」


「それなら、依頼を掲示板に張っておいた方がいいじゃないか? 」


ローランの質問にフィオラは首を横に振る。


「それじゃあ、手遅れになるかもしれないんです……。掲示板ですのでいつ誰に依頼を受けて貰えるのか分からなくて……」


「確かに、あの大陸亀がいい例ね」


エルマは頷きながら、あの大陸のような亀の魔物を思い出していた。あの勇敢な兄妹のことも。

すると突然フィオラは頭を下げた。


「お願いします! 本当に私事なんですが、どうか力を貸してくれないでしょうか! 」


フィオラが頭を下げたことによって白いリボンが羽ばたくように揺れる。


「モーリュはとても珍しい薬草で群生地は大量の魔物が存在しているんです! とても私一人では行くことができなくて……。どうか、どうか! 」


何度も深く頭を下げるフィオラを見つめ、アスベルがぽつりと呟く。


「何言ってんの」


アスベルの声にフィオラの肩がビクリと揺れる。

ああ、駄目かと三人に謝罪を入れようとしたとき。


「力を貸す? あったりまえじゃないか! 誰でもない、君の頼みなんだから!」


アスベルの言葉にフィオラはその涙で濡れた顔をあげる。

そこには笑顔を浮かべる三人の顔(ローランはほぼ無表情だが)があった。


「頼む必要なんてない」


とローラン。


「そうよ。魔物だらけ? 上等よ、血が騒ぐわ!」


と怠惰の魔塵であるはずのエルマ。

三人の反応にエルマはそのまま固まってしまう。

アスベルはエルマの顔を見つめながら


「今まで君にたくさん世話になったんだ。恩返しだと思って受け取ってくれ」


アスベル、ローラン、エルマの返答にフィオラはその瞳から再び涙を流す。そして三人が止めに入ってしまうほど何度も何度も頭を下げていた。


・ ・ ・


「それじゃあ早速出発しようか! 」


フィオラからの依頼を受け、早速三人は準備を始めた。アスベル、ローラン、エルマは武装を済ませ、フィオラはできるだけ動きやすい服を着て参上した。その服装というのがギルドでの掃除の際に着る作業着であった。何でもこれだと汚れてもいいし、通気性も抜群で掃除や運動を仮定して作られているため動きやすいのだとか。突然この格好で現れたフィオラにアスベル達は目を疑うほどであった。だが当の本人は特に気にする様子はなかった。


「張り切ってるわね、フィオラ」


「はい! できるだけ皆さんの足を引っ張らないように魔物がきても逃げやすい格好できました! 」


鼻息を力良く吐くフィオラにアスベル達は苦笑いを浮かべた。


・ ・ ・


アスベル達がモーリュを探しに向かったのはアグニー湿地というカリオストロ国から南に位置する魔物の巣窟と化したエリアである。湿地というだけあってそこには多くの水溜まりがあり、地面も踏み込めば靴が沈んでしまうほどに柔らかく、泥となっていた。モーリュという薬草は水分を多く含んだ場所に生息するため、ここはモーリュの宝庫に成りうる場所なのである。


「うわぁ、ぐちょぐちょ」


湿地へと足を踏み入れたアスベルは泥へと沈みこむ感覚に驚き、咄嗟に足をあげる。


「靴が汚れるわ」


エルマも顔をしかめ、沈む足を引っこ抜く。

するとエルマの耳がピクリと動く。


「……何かいるわね」


ローランも気づいたのかすでに薙刀を片手に辺りを警戒していた。エルマはフィオラを守るように背後にまわす。

アスベルはというと。


「あ、足が抜けない!」


泥と化した地面と足をめぐって抗争していた。

ふと何かが水面からゆったりと顔を上げた。それに気づいたローランが水面に薙刀を振り下ろす。

水飛沫をあげ、辺りの泥に水を浸食させるが狙った何かには当たっていないのか手応えがなかった。


「速いな……」


ローランは濡れた薙刀を水を払うように振り、もう一度構える。

しかしローラン達は警戒する気配に似た何かが次々と現れ始めたのを肌で感じとっていた。2つ、3つ、4つと次々に増えていく。フィオラも何か恐ろしいモノがあることを感じたのか、エルマの背中にピタリと身体をつけていた。


「取れたぁ!……あぁあ、いてっ!」


皆が警戒している中アスベルは泥だらけになった自らの足が抜け、そしてバランスを崩してしまい、そのまま湿地の上で尻餅をついた。泥の潰れる音ととともに泥水が飛び散る。


「ぎゃあああ! 気持ち悪いぃぃ!」


「あんた、さっきからなにやってんのっ!」


一人で泥だらけになるアスベルにエルマも声を荒げる。

フィオラはエルマの身体から少し顔を出し、心配そうに見ていた。ローランは変わらず無視、いや襲ってくるであろう敵に警戒をしていた。


「ちょ、やばい! 下着まで濡れた! 」


「知らないわよ! 少し黙ってられないの、あんたは!」


「おい、来るぞ」


アスベル、エルマもローランの警戒の言葉に流石に正気に戻ったのか、襲いかかる敵に戦闘態勢をとる。

水面が音をたて、何かか近づいてくる。


「ゲェコ! 」


鳴き声を上げ、その魔物はエルマに飛びかかってきた。

しかしそんな魔物に遅れをとることなく、エルマは魔物の腹に蹴りを入れた。衝撃と共に魔物は吹っ飛び、泥沼へと叩きつけられる。魔物の口からは吐瀉物が流れ出していた。

飛ばされた魔物は蛙が人形ひとがたになったような姿をしており、手にはきちんと水掻きがついていた。


「ヴォジャノーイか」


ローランがボソリと呟く。


「ヴォジャノーイ? 」


ローランの呟きにフィオラが尋ねる。


「この魔物はヴォジャノーイといって、主に川や沼地に生息している。こいつらは人間嫌いで有名な魔物だ。捕らえて奴隷にするか、喰らうかの二つ。だからだろうな……」


ローランはアスベルに近づくとアスベルが尻餅をついた場所から何かを抜き取る。それは棒状のもので泥に塗られ、形しか分からない。しかしローランが棒を降り、泥を落とすとその正体に気がついたフィオラは悲鳴を上げた。


「ひ、人の骨、ですか? 」


フィオラはエルマにしがみつき、目だけをローランへと向ける。


「そのようだ、だがきっとこれだけではないだろう」


突如水飛沫をあげ、ヴォジャノーイが二体ローランの背後から襲いかかってきた。だがローランは焦る様子もなく、薙刀を振り向きながら横に振る。その速度は薙刀の刃が光に見え、流星のようであった。腹を横一線に切り裂かれたヴォジャノーイ達は臓器を撒き散らしながら絶命した。

その光景に恐れを成したのかほとんどのヴォジャノーイがアスベル達から離れていく。

静まり返った湿地にぽつりと四人だけが残されていた。


「いきなり逃げ出したな」


「何よ、根性ないわね」


残念そうに武器を納めるローランに拳同士打ち付けるエルマ。

そして先程まで泥に弄ばれていたアスベルは、ズボンの臀部にあたる部分を引っ張ってグズグズと泣いていた。


「気持ちわるぃよぉ……」


泥だらけのズボンは水気を含み、ピッタリと足にくっついていた。


「だ、大丈夫ですか? アスベルさん」


「全然大丈夫じゃないぃ……」


感触が気持ちが悪いのか水気を含んだズボンを少しでも肌から離そうとしている。

ローラン、エルマはヴォジャノーイの気配がなくなっていることを確認すると先に進むことを提案した。


「この依頼は急いだ方がいいんでしょ? まだ奥の方は行ってないし」


「いつ、またヴォジャノーイがくるか分からないからな。できるだけ進んだ方がいいだろう」


ローランとエルマの言葉にアスベルは涙目になりながらも頷いた。フィオラもそれに賛同する。

ヴォジャノーイの危機が去った今、アスベル達は再び目的のモーリュを探し始めた。

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