第1話 不思議な青年 上

「はあ……はあ……」


栗毛の髪を振り回し、白い服をきた少女は暗い森を走っていた。湿った匂いに重い空気が漂い、息を吸えば肺が泥のように苦しくなる。

目の前の木の根につまずき、転びそうになるがすんでの所で足を出し、ふらつきながらもまた走り始める。

ただでさえ昼間でも薄暗い森の中は空に夜の帳が落とされ、月の光が頼りだった。だが、だからといって松明をつけることはできない。

そうすれば彼女は彼らに見つかるからだ。


「いたぞ!」


追っての一人である男の声が彼女の耳へと届いた。

そこからあと一人の男の声も聞こえてくる。

後ろからだんだんと葉を踏む音が大きくなり、彼らの息遣いさえも近くになってくる。

少女は必死に足を動かすが肺が小さくなったかのように呼吸がどんどん浅くなり、だんだんと身体全体に力が入らなくなっていく。

そこをつかれ、少女は後ろの男に髪を引っ張られてしまう。


「きゃあ!?」


髪が抜けるような音が聞こえ、痛みで少女は悲鳴を上げる。


「やっと捕まえたぞ、このガキ!」


「手こずらせやがって!」


二人の男が少女の周りで息を激しく吐きながら叫び出す。

少女は髪を引っ張る男の白い服を握り、押し返しているが力の差が相まって中々離れることができない。

痛みで顔を歪める少女は目に涙をため、声をあげる。


「だれか、助けて!」


すると少女の耳元で何かを叩きつけたような鈍い音が聞こえてきた。

途端少女の髪を引っ張る力が緩んだと思ったら男が少女の横へ倒れこんでしまっている。

あまりの出来事に対応できない少女の横で男のうめき声が聞こえる。

そちらの方へと目を向けると先ほどまで立っていた男が足元で崩れ落ちていた。

その男の後ろには手を腰に当てた赤茶色の髪をした青年が立っていた。


「やあ、大丈夫かい?」


青年は少女に人懐っこい笑みを送った。



「助けてくださり、ありがとうございました!」


少女は青年に向けて何度も深いお辞儀を繰り返した。その少女の様子に青年は相変わらず笑みを浮かべたまま対応する。


「いやいや、そんなに感謝されるようなことしてないよ。ちょっとあいつらの首に打撃食らわせただけだから」


青年はチラリと木に縛り付けたまだ気絶している男達の方へと目線を向けた。


「本当に感謝しています! えっと……」


「あ、僕? 僕はアスベル・ダースマン、気軽にアスベルって呼んでくれても構わないよ」


そう言うとアスベルという青年は自分の名前を伝える。少し長い髪の間から顔にある牙の形をした刺青いれずみのようなものが覗く。


「私はこの森の近くの村に住んでいるルネといいます」


「ルネかあ、いい名前だね。それに素敵な白いワンピースを着ている」


アスベルは紳士的な言葉を話し、ルネが着ている服に目を向けていた。

着ていた服を褒められ、少し気を良くしたルネはアスベルにとある質問をする。


「ところでどうしてアスベルさんはここに?」


ルネがそう聞くとアスベルは頭を掻いて子供のような笑みを浮かべた。


「ん? ちょっとした依頼の途中でね。ここの近くにある村の村人が次々と消えているという噂を聞いてね、それを解決しにきたみたいな」


「それってモルロ村のことですか?」


「……村の名前までは依頼書を見ないと分からないな……」


食い気味で言葉を話すルネにアスベルは驚きながらも懐から依頼書と思われるものを取り出した。

依頼書はほんのすこし黄色がかったもので端の方には切れ目があるものだった。

アスベルは四つ織りにされた依頼書を丁寧にひらくと書かれた文字に目を向ける。


「名前は……確かにモルロ村だね」


「モルロ村は私が住んでいる村です………」


そう言うとルネは下を向き、目に涙を浮かべた。


「つい最近のこと、なんです。最初はパン屋を営んでいた女性でした。とても温厚な性格で皆からも好かれていて。だけど川の水を汲みにいくと出ていったきり戻ってこなくなって……。それから子供、老人、男の人など何人もの人の消息が断ってしまって………。なかには私の母も……」


抑えきれなくなったのかルネの目からは大粒の涙が溢れ始めた。


「村ではこの近くでアスタロト様を信仰しているアスタロト宗教という宗教団体が中心に活動しているらしく、その団体に捕まったのではないかという話が広がっていて……。それを確かめるためにその信者達がいる場所まで行ったんですが見つかってしまって……。さっき私を追っていた男達はその団体の仲間であの人達から逃げるために森中を走り回っていました……。もし捕まっていたらきっと私も彼らに連れていかれて……」


「……そうか」


アスベルはふと考え込むような素振りを見せるともう一度ルネの方を見てにこりと笑う。


「なら僕がそのアスタロト宗教? を潰してきてあげるよ。そして君の村の人達を助けにいく」


「えっ!? そんなの危ないです! 信者の中には名うての冒険者もいると聞いたことが……」


顔を真っ青にしてルネはアスベルを止めるがそのアスベルは今だに笑みを絶やさずにいる。


「大丈夫! 僕、腕には自信がある方なんだよ。それに依頼を達成しないといけないのは事実ではあるし」


胸をトンッと叩き、胸を張るアスベルを見てルネは困惑しながらも少しホッとしたような表情を浮かべた。


「私達のためにありがとうございます。このご恩は一生忘れません」


「それは終わってから言う言葉だよ、ところでその信者達がいる場所ってどこなんだい?」


「信者達がいるのはこの先にある古い教会です。誰も来ないことをいいことにあそこを拠点としたみたいなんです。私が案内します」


「本当かい? ありがとう! 」


喜ぶアスベルを見てルネはこれ以上ないほどの笑顔を見せ、アスベルを教会へと案内していった。



アスベルとルネが並んで教会へと向かっていく姿を背の高い木から見つめる二人がいた。

一人は青い燕の鳥人のような姿をした青年で、一人は人間に近い姿をしていたが頭には狼の耳が生え、尻尾もある少女だった。


「まあまあ上手くいったわね」


「あとをつけるか」


「そうね」


二人は短い会話を終わらせると、木々の枝の間を飛んでアスベルとルネのあとを追っていった。



ルネの案内でアスベルはアスタロト教信者がいるとされる教会へと着いた。

朽ちた壁にひび割れた跡から伸びた草が風に揺れ、ステンドグラスは割れているものが多く、ほとんど手入れなどされていない。古いというより廃墟と化した教会であった。

教会に目を向けながらアスベルはルネに話しかける。アスベルはルネに背中を向けていた。


「ここ、だね」


「はい、きっとここに村の皆が……母が……」


ルネの口から泣きそうな震えた声が漏れだした。


「大丈夫だよ、必ず救いだすから。君は危ないから下がっていてくれ」


ルネを安心させるために優しい口調で話すアスベルは教会からは目を背けずに様子を探っているかのように見ている。

今だに背をルネに向けたままだ。


「……分かりました、それじゃあ……」


アスベルの背後でサクリと葉が踏まれた音がした瞬間

ドゴッとアスベルの頭に鈍い衝撃が走った。

声を出す暇もなく脳が揺れる感覚に呑まれたアスベルの意識は崩れ落ちていく身体と共に暗転した。

地面に倒れたアスベルをルネは冷たい視線で見下ろしている。

両手には大きな木の棒を重そうに握っている。木の棒の先は地面についていて、土で汚れていた。


「……お願いします」


ルネがそういうと木の影から数人の男が現れた。

健康そうな若者に体格のよい大人、顔をしわで覆われた老人まで広い範囲の年齢層の男達である。

そしてその男達の共通点は皆純白の服を着ていることだ。すると男達の一人がルネへと近づく。


「よくやった、ルネ。これでお前の願いはアスタロト様に届くだろう」


「ええ! これで……これで……」


ルネは頬に両手を当て満面の笑みを浮かべた。

喜びに酔いしれているルネと気を失っているアスベルを担いだ男達は廃墟と化した教会へとその足を進めたのであった。


そのあとを二つの影が追っているとも知らずに。

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